1945中原内戦11
関東州の位置する遼東半島は、渤海と黄海の境目と言って良い位置にあった。あるいは、黄海から外洋に進出するのを遮る位置というべきかもしれなかった。
ただし、その遼東半島自体も更に南方に位置する山東半島によって遮断されうる位置にあった。山東半島先端と朝鮮半島の間に広がる海峡部は最短でも200キロ近くあるから航行には何ら支障はないものの、敵対勢力に占拠された場合は経済的な航路を選択することは安全のために難しくなるだろう。
これまでは大きな問題は無かった。中華民国の玄関口は実際には渤海に面する天津などでは無く、河川交通で首都南京と密接に繋がっているうえに列強の租界が連なる上海が担っていたからだ。
北平が清国の首都であった頃には、その外港として整備された天津も上海同様に発展していたのだが、皮肉なことに列強との関係における不平等の象徴とも言える租界が様々な理由で消滅していったのと時を同じくして次第に貿易拠点としての機能が失われていったのだ。
だが、北平に程近い天津付近まで共産主義勢力の占領地に含まれるようになってくると事情はまた変わって来るはずだった。少なくともこの時点で関東州は北の渤海側にも目を向けなければならなくなるからだ。
北平の国府軍を下した共産主義勢力が天津からさらに南下を再開した場合も問題は大きかった。山東半島を制圧下に置かれると、大連と外洋を繋ぐ航路に危険が及ぶからだ。
共産主義勢力が最終的に中華民国の首都である南京の占領を狙うのであれば、いつまでも北平周辺にとどまっている訳はないから、山東半島付近に進出するのは時間の問題ではないか。
厄介なことに共産主義勢力の意向や、それ以前に彼らが海上の航路に影響力を呼ぼす手段を有しているかどうかは大した問題ではなかった。敵対勢力が大連への航路を遮る可能性があるというだけで通商路としての機能に大きな制限を受けるからだ。
大連航路に対する保険料は跳ね上がるし、運航会社も長期契約の継続を躊躇う筈だった。
だが、その説明を聞いた南雲大将は、諦めきれないようにいった。
「大連が満州とシベリアの両国に必要不可欠なのは分かるが、関東州で我が国に本来必要なのは商港ではなく艦隊泊地と師団の駐営地としての機能ではないか。
そうであれば、例えば……将来的に商港としての機能を山東半島に遮られない朝鮮半島南部の釜山などに移転する事は出来ないのか。確か大韓帝国には半島を縦断する鉄道があったはずだ。それを満州鉄道と連結出来れば鉄道輸送も容易と思うが……」
岩畔少将は視線を後藤に向けると先を促していた。咳払いしながら後藤が言った。
「釜山などを拡張することの是非は脇においておくにしても、大韓帝国内の鉄道を満州鉄道やウラジオストックのシベリア鉄道と連結するのは極めて難しいと言わざるを得ません。朝鮮半島内の鉄道と満州鉄道などは軌間が異なる上に、規格が貧弱であるために軸重に制限が大きいのです」
朝鮮半島に敷設された鉄道網は、当初は日本帝国が強く関与していた。少なくとも日露戦争時期までは大韓帝国内の鉄道網は日本帝国による軍事輸送を目的とするものであったと言えた。
だが、明治も最後期になると朝鮮半島内の鉄道は民族資本によるものや経営権を日本資本から買い取るものが増えていた。同時期は大韓帝国内で民族派が主導権を得ていたからだ。
李氏朝鮮時代から大韓帝国政府内では保守勢力の民族派と列強から資本や技術を導入して近代化を図ろうとする開化派の主導権争いが盛んだった。ただし、開化派といっても後ろ盾となる列強の数だけ更に派閥があるようなものだから、船頭多くしての類であったのかもしれない。
現在の情勢では想像しづらいが、当時は両国間に日韓併合を図る動きもあったらしい。
だが、日韓併合どころか大韓帝国内の開化派の勢いを一気に削ぐ事件が朝鮮半島内の鉄道敷設が始まった時期に発生していた。日本政府の重鎮である伊藤博文が、ロシア帝国の管轄地で独立派と思われる朝鮮人に襲撃される事件があったのだ。
朝鮮人による日本政府要人暗殺未遂事件に日本国内の世論は激昂していた。それを押し留めたのは意外なことに命を取り留めた伊藤本人だった。朝鮮半島内の人心がかくある以上は、日韓併合は難しいと説いたのだ。
対朝鮮強硬派であった当時の軍閥重鎮も半病人といった様子の伊藤が見せた鬼気迫る様子に負けて矛を収めたというが、些か作り話めいていた。
実際には、この暗殺未遂事件に前後してロシア帝国との関係が改善されたことや、先行して併合されていた台湾統治初期に発生していた数々の災難が再発するとの恐れがあったからではないか。
それに、皮肉なことに暗殺未遂事件前までは寧ろ大韓帝国に同情的ですらあった伊藤は、ある意味で大変に人間らしいとも言えるがこれ以後は半島内の勢力に冷淡な姿勢を取ることが増えていた。
日本帝国から朝鮮半島への鉄道などを含む社会資本への投資額もこの時期から目に見えて減少していた。当時の日本帝国としては、ロシアや中国の影響力さえ排除できれば大韓帝国の統治権には興味が失せていたのではないか。
何れにせよこの暗殺未遂事件を持って日韓併合の機運は消え失せており、結果的に民族派が主導権を握った後は大韓帝国内の鉄道網も民族資本で運営される事となっていた。
だが、発展途上の民族資本で整備された鉄道網は貧弱なものでしかなかった。列強と比べると国内の技術力に劣る上に資金も乏しかったからだ。
しかも半島内に敷設された鉄道は周辺の交通網に連結されていない上に半島内部の流通も限界があったから、輸送需要の低い鉄道網の強化自体が魅力のある投資計画にはなれなかった。
日本帝国が密接に関与していた時期に計画されていた満州鉄道との連結も白紙に戻されていた。当時の日本は既に満州に直接繋がる大連を重視するようになっていたからだ。
それに、純粋な企業としての満州鉄道側も規格が異なる上に鴨緑江を越える長大な鉄橋の整備に関して資金分担で半島側と折り合いがつかなかったことから直通には否定的だった。
仮に満州鉄道と朝鮮半島縦断線が連結しても、山がちな地形が続く半島内を通過するために長大編成の貨物列車を運行する場合は便数に制限が出来てくるはずだった。大連郊外の様に次々と重量級の列車を通すには半島内の鉄道は地形上規格が貧弱になってしまうのだ。
それ以上に、未だに開化派と民族派の政治的対立が続く大韓帝国は政情不安であったから、通商路として安定した使用を行うには不安があった。
これらを淡々と説明した後に、企画院の後藤は岩畔少将に視線を向けていた。後は少将の仕事だった。
「大陸の共産主義勢力に対抗するために、我々とロシア、満州は一蓮托生とならざるを得ません。そして発展した国家にとって完全な自給自足体制が現実的ではない以上、外洋に開かれた両国の自由な通商路は確保しなければなりません。
以上から、大連航路を遮断しうる位置にある山東半島の先端部は我が帝国に友好的な勢力が確保している状況でなければならんのです。だからこそ、我々は中華民国が頼りにならんというのであれば、山東半島を防衛する戦力を派遣する必要があるのです」
眉をしかめた南雲大将が言った。
「状況は理解したが、3点質問がある……貴公らは大陸に対する領土的野心は持ち合わせてはいないのだろうな。火事場泥棒の様に領土を掠め取れば共産主義者につけ入る隙を見せることになるからな。
今次大戦でドイツを追って欧州に攻め込んだ我々は、現地では解放軍扱いではあるが同時に厳しい目も向けられていると聞いている。我々は半世紀前の先人たち同様に国際的な世論に対して正当性を訴え続けなければならんのだぞ」
だが、南雲大将の懸念は岩畔少将に一蹴されていた。
「今更山東半島そのものなど帝国には必要ありませんよ。直接統治を行うのは広すぎるし、本当に共産主義勢力があの地域まで攻め込んでくれば大陸本土への交通も遮断されるから、香港や大連の様な通商拠点として使うこともできませんからな。
要地の確保さえ済めば、満州共和国かその時点でまだ国家として残っていれば中華民国に半島の統治権は押し付けますよ。差し当たって、我が軍の物資を提供して国府軍の残存部隊を再編成し、戦列に加わってもらう事で正当性を主張したいところです。だから北平から脱出した兵力も多少はこちらに誘導しておきたいですな」
「だが、彼らは敗残兵だろう。彼らの士気を回復させるのは並大抵のことではあるまい。彼らに一体何を与えるというのだ……
それ以前に、山東半島を確保するとして、陸軍さんも主力は欧州に派遣しているだろうに我々が投入すべき戦力がどこにあると言うのかね」
岩畔少将はたじろぐ様子も見せずに余裕でうなずいてみせていた。
「それが閣下の2番目の質問ですな」
そう言うと岩畔少将は再び後藤に視線を向けていた。間髪を入れずに後藤が手元の書類鞄から差し出した書類を南雲大将は目を細めて見ていた。
「そちらに記載している通り、我が本土で生産された戦車、銃砲等の重装備はまだそれなりの数が船積み待ちの状態で我が本土に残されています。
それに加えて幸運な事に最後の欧州便としてベトナム沖を南下していた船団がありましたので、すでに欧州に送ってもさほど意味がない各種重装備や弾薬を満載した輸送船のみ急遽反転して北上を開始させました。
一部の船団護衛部隊も反転してこれに随伴していますが、追加の護衛部隊も既に台湾から出しています。山東半島に逃げ込んだ敗残兵を再装備させる程度ならこの分離した船団の積み荷だけで十分にお釣りが来るでしょう。
それと……わが陸軍の派遣部隊でしたな。こちらは本土各地の留守部隊から急遽訓練完了状態の部隊を抽出して特設部隊を編成中ですが、久留米の第18師団司令部も現地に進出させてこの指揮を取らせる予定です。第18師団は予備師団で隷下には現在訓練部隊しかいませんが、師団司令部は定数を満たしていますから、師団規模の部隊指揮に問題はありません。
近衛師団と大阪の第4師団も出動準備は進めさせていますが、こちらはまだ動員に時間かかるので戦場には遅れるでしょう」
南雲大将は眉をしかめていた。
「それではいま用意できるのは敗残兵と寄せ集めということではないか。それで勝ち馬に乗る共産軍に勝てるのかね」
「それだけではありません。既に我が陸軍最精鋭の第7師団と第13師団は欧州を発ってこちらに移動中です」
大兵力の移動を聞かされても、南雲大将は眉を動かさなかった。
「第7師団というと、機甲化された重装備部隊だな。欧州では随分と活躍してもらった部隊ではあるが、重量級部隊の搬送が間に合うのかね」
「その点はご安心ください。師団司令部は輸送機で先発してもらっていますが、その他の将兵も兵員輸送船で移動中です」
「兵員輸送船というと……もしかして戦時標準規格船ではなく……」
「豪華客船改造の方です。豪華な装備の方は大分取り外されて内装は無骨になっているそうですが、燃料さえもてば大抵の軍艦よりもよっぽど高速だし、もはや効率の悪い船団を編成する必要もありませんからな。
我が国が保有するもので足りない分は英国のものを借り受けましたが、大型客船の場合は一個師団にも匹敵する人数を一気に運べますから便利なものです」
「だが……それでは運べるのは人員の他は精々小銃位ではないかな。第7師団の様な重量級部隊の装備を運ぶのには大型の運送船を連ねなければならんだろう」
「引き返してくる師団の重装備は欧州に置いてきています。三式装備といえども今となっては換えが効かないものでもありませんから、本土で生産される最新型を現地で受領させる予定です。
置いてきた三式装備は、欧州に進出している野戦兵器廠で再整備の上でイタリアかチェコか、あるいは再軍備される新生ドイツ軍にでも供給されるでしょう」
後藤は無表情を貫きながらそっと南雲大将の顔色を伺っていた。
岩畔少将は何も言わなかったが、今回の介入にはもう一つの目的があった。既に日本製の兵器は欧州にまで広がっていたが、それは他に替えがなかったというだけの話だった。
ここでソ連製の兵器に対して優越していることを戦場で証明するのは、将来の日本製兵器を輸出する際における信頼性を大きく向上させるのに繋がるはずだった。
「それで、閣下の最後の質問はなんですかな」
岩畔少将の言葉は茶番だった。質問の中身も答えもお互いに分かっていた。
呉まで統合参謀部と企画院から説明要員が派遣されてきた時点で、南雲大将が瀬戸内海に苗泊する第1艦隊残余を中核とする派遣艦隊の指揮をとることは既に決まっていたのだ。