1945中原内戦10
長官公室の主である南雲大将の渋い顔に気がついているのかいないのか、岩畔少将は学生に説明する教授のような雰囲気で説明を続けていた。
「現在大陸で発生している内戦がソ連の策謀であったとして、まず我々が優先すべきは友邦ロシア帝国及び満州共和国の防衛にあります。赤化した大陸と日本海を挟んで向かい合う事態など我が帝国にとって悪夢以外の何物でもありませんからな。
ただし今後もソ連の出方を慎重に見極める必要はありますが、ソ連軍が両国に直接侵攻する可能性は低いと見て良いでしょう。ロシア帝国も満州共和国もその国軍は量はともかく質の点で中華民国を上回っていますから、両国への侵攻は出先の中国共産党だけに任せられる段階を越えてしまうでしょうからね。
特にバイカル湖畔の戦線ではロシア帝国によって構築された陣地が幾重にも構築されていますから、今次大戦で洗練されたソ連軍式の大突破も難しいでしょう。
ソ連中枢は貪欲ではありますが、損益勘定は極めて現実的でもあります。大きな損害を国家単位で被ったドイツとの戦争が終わった直後に返す刀で満州に侵攻する可能性は低いでしょうな」
「つまり君らは事態が軽度で済んでいる間に大陸に攻め寄せろというのかね。今次大戦における損害の多寡はともかく、我が海陸軍主力が欧州に未だ囚われている今、大戦力を大陸に派遣できないという点では日本とソ連に大きな差はないと思うがね」
刺激的な南雲大将の声にも岩畔少将は首をすくめただけだった。
「我が帝国の国益を守るために最優先で確保すべきは、共産主義勢力に占領されつつある中華民国北部と満州共和国の国境線になります。これが破られるようでは我が帝国のみならず日本、満州、シベリアの三カ国を結ぶ通商路が確保できませんからな」
南雲大将は無意識のうちに長官公室の壁に掛けられていた地図に目を向けていた。呉を中心とした周辺海域図は、日本全土と大陸沿岸までが描かれていた。
「それは……大連のことを言っているのか……」
遼東半島先端に位置する大連は、日露戦争の勝利によって日本が租借地として得た関東州の中心地だった。日本帝国は度重なる条約改正によって中華民国から今世紀末までの租借権を得ていたが、実際には租借権を有しているのは隣接する満州共和国だといえた。
日本帝国が有する数少ない大陸の直接的な利権である大連だったが、その重要性は日本帝国一カ国にとどまらなかった。岩畔少将が言うように日満露の三カ国を結ぶ貿易の結節点になっていたからだ。
大連は天然の良港として旧ロシア帝国の租借地だった時代から大規模な港湾設備が整備されていたが、今ではここで積み下ろしされた物資の少なくない数が隣接する満州共和国を越えてシベリア―ロシア帝国に向かっていたのだ。
シベリア―ロシア帝国には、大連とは朝鮮半島を挟んで千キロ程北東に位置するウラジオストックに大規模な港湾があった。
やはり旧ロシア帝国時代から建設が始まった軍民両用の歴史の長い港で、シベリア地方に逃れたロシア帝国も優先して設備の拡充を行っていたから、商用港としての機能も高かった。
ただし、ウラジオストックは商用港としては致命的な欠点があった。氷雪にシベリア全域が覆われる冬季はウラジオストックが位置するピョートル大帝湾も氷結してしまうのだ。
唯一と言っても良い海軍の大規模な母港でもあったことから、シベリア―ロシア帝国は大型の砕氷艦を優先してウラジオストックに配備していた。
ウラジオストックを除けばロシア帝国海軍の根拠地はカムチャッカ半島などに駐留する警備部隊用程度しかなかったから、常時運用可能な機動戦力を配備できるのはウラジオストックだけだった。
最近では各種砕氷艦の支援によってウラジオストック港への通年の寄港そのものは可能だったものの、気温や河川の流入による塩分濃度の変化などの様々な理由によって例年よりも氷結が長い年もあるから航行時に油断は出来なかった。
場合によっては何ヶ月かロシア帝国海軍の艦艇と並んで同港に閉じ込められた貨物船もあったらしい。
港湾付近で砕氷艦の支援があったとしても、ウラジオストックに接近するまでは気象条件が厳しい航路を長期間航行しなければならない事を考慮すれば、砕氷船とまでは言わないが高価な特殊鋼を大量に使用した対氷仕様の大型船でなければ定期的に安定した運行は不可能ではないか。
そうした対氷仕様の船舶は、船体だけではなく上部構造暴露部の艤装品形状などにおいても特殊な氷結対策を行う必要があった。
例えば、氷結する海では甲板に吹き上げられた飛沫ですら即座に凍ってしまうことがあるから、定期的に甲板上で成長する氷を打ち砕いておかないと復元力が低下して転覆する事すらあったのだ。通常の艤装品形状ではこうした解氷作業に支障が出るはずだった。
実際今次大戦においても、カナダから英国本土まで荒天が連続する北大西洋を航行する護送船団で、排水量に余裕のない護衛艦艇が戦闘以外の事故で失われる事があったらしい。
特に護送船団方式が開始されたばかりで熟練者に欠けていた大戦序盤においては、元々の速力が低い上に不規則な変針を行う対潜航行によって更に速力の低下する雑多な輸送船に速度を合わせた結果、予想以上に燃料を消費して復元力を低下させた急増護衛艦艇が多かったようだ。
平時では考えられないが、最悪の場合は燃料を使い果たして漂流する間に沈んでしまう事もあった。
もちろん軍用艦でなくとも対氷仕様で建造された船舶の船価は高くついていた。これは自然と運航費の高騰に繋がるから、緊急性を有する高価な物品の輸送案件などの高い運賃が見込める特殊な案件でもない限りは貨物船を運行する船主の旨味は少なかった。
しかも対氷仕様が要求されるのは北方を航行する僅かな間に過ぎず、仮に欧州からシベリアまでの航路を設定する場合は航海期間の大半は対氷仕様で追加された構造材などは単なる死重量に過ぎなかった。
これらに加えて対氷仕様を強化した場合は、構造材だけではなく船体の基本的な形状にまで影響が及ぶことも少なくなかった。平底の川舟が荒れた海では運用できない様に、外洋での航行では不利となる形状となってしまっていたのだ。
実際には、アジアや欧州からシベリア―ロシア帝国に船便で運ばれる貨物、人員は、季節にもよるがその大半が大連に寄港していた。
東シナ海を北上してシベリア地方を目指す場合は、対馬海峡を越えてウラジオストックに向かっても、黄海の奥にある大連に向かっても航行距離では大した差がなかったからだ。
ウラジオストックを主に利用する定期航路は、新潟や小樽など日本海沿いの港湾との間を結ぶ便や、更に環境の厳しいカムチャッカ半島に向かう便が大半だった。
満州共和国の沿岸部も、長い期間をかけて日本帝国が貿易港として整備した大連以上に設備の整った港は無かったから、満州共和国の輸出入も大連港を使用する場合が多かった。
それに大連が一大貿易港となったのは海上から見た時の立地条件だけでは無かった。すでに旧ロシア帝国時代に敷設されていた大連に繋がる鉄道網が強化され続けていたからだ。
シベリア―ロシア帝国の建国後は、国防の観点からもシベリア地方を行き交う鉄道の規格がロシア独自の広軌から日本国内と同規格の標準軌に改軌されていた。
満州共和国内に敷設されている満州鉄道なども標準軌だったから、大連で降ろされた貨物や旅客は乗り換え作業を行う事なく満州共和国を通過してシベリア―ロシア帝国の首都であり物資の消費地でもあるハバロフスクまで直通で乗り入れることが出来ていた。
大連港に隣接する駅は、貨物専用の長大な引込線をいくつも整備されていたし、穀物や石炭のようなバラ積みの貨物に特化した埠頭であれば荷役した物資を直接貨車に載せられるように桟橋にまで線路が伸びていた。
関東州の成立後も精力的に鉄道網の強化が図られていたから、港湾に直結する引込線を除いても耐荷重が大きく曲げ半径の大きな高級規格で複線化されていたし、一部では旅客と貨物の分離を行う為に4系統計8本のレールが延々と続く複々線化までされていた。
今次大戦においてシベリア―ロシア帝国と満州共和国が欧州の前線に供出した膨大な物資をさばくことが出来たのも、この大連港の設備があればこそだった。
こうして関東州は多国籍の貨物列車が続々と入線していたが、これに加えて大連港には満州共和国とシベリア―ロシア帝国の両国から派遣された税関や出入国管理部門の職員まで常駐していた。
大連から満州共和国の国境までは僅かに50キロ程度しか離れていなかった。次々と超大編成の列車を大連駅から発車させても、国境線で一々長時間停車して入国審査を行うのは非効率だった。
それで満州共和国行きの場合は、大連港で積み降ろしをする際に税関審査も同時に行ってしまうようになっていた。
もちろんこの措置には不具合も考えられた。例えば大連駅で入国審査を行う前に犯罪者が関東州内に潜伏する可能性などだった。
だが、関東州は大連を中心に急成長を続けていたから、逃げ隠れできるような場所は精々スラム街位のものだった。関東州の警備も満州共和国の警察機構とは深い連携関係にあったから、密輸や犯罪者の隠匿は難しいという話だった。
これがシベリア―ロシア帝国だと話は少し変わってきていた。ロシア帝国に入国すると偽って満州共和国内の駅で降り立ったとしても、これを防ぐのは難しかったからだ。
だが、自分では移動できない貨物は違っていた。ハバロフスク直行の貨物列車は、大連港でシベリア―ロシア帝国の税関職員が施す特殊な封印で満州共和国を素通りする場合に限り、2つの国境線を越えて移送が可能だった。
大連港の設備は、税関の簡易化などもあって効率化、大規模化を極めていたが、それでも2カ国の玄関口という機能を満足させるには不足がちだった。
これ以上の設備を拡大するには、すでに立地が不足しているとさえ考えられていたし、実際には管制や荷役業者の能力が飽和していた。
企画院の研究では、出入港の効率化を更に図るには、港湾設備への投資ではなくいまだに属人的な技量に頼りがちな荷役の手法そのものの改善を行うべきとの結論に達していた。
ただし、同時に企画院などでは今回の内戦を受けて、大連港の運用に関して致命的な支障が出る可能性を指摘する声があった。大連を含む関東州の安全保障に懸念が生じ始めていたのだ。
軍事的な視点からだけを言えば、日本陸軍の一個師団が常駐する関東州を攻め落とすことは難しいと結論付けられていた。関東州駐留の日本陸軍第19師団は、欧州派遣部隊を編成するために師団戦車隊や砲兵の一部を抽出されていたが、未だに有力な戦力を残していた。
元々同師団はシベリア―ロシア帝国で有事が起こった際に満州鉄道を使って急派される事を考慮された重装備の部隊だったから、多少の戦力を引き抜かれたとしても、関東州のさして多くはない上陸可能地点の警戒、防衛には不足はないはずだった。
仮に関東州内で騒乱が起きたとしても、国境を接する満州共和国に援軍を要請するのも容易だったから、大連自体の防衛は盤石と見て良いだろう。
しかし、地図を見つめる南雲大将の視線は微妙に動かされていた。
―――やはり大将も統合参謀部と同様の懸念を抱いていたか……
後藤は南雲大将の視線を追ってそう納得していた。南雲大将の視線は大連よりも南に向けられていた。