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1945中原内戦9

 中華民国の大都市である北平を舞台に繰り広げられた国府軍と共産主義勢力の戦闘は、部外者である日本帝国からすると意外なほど大規模なものとなっていた。当の国府軍でさえ共産主義勢力の正確な戦力を見積る事が出来ていなかったらしく、伝聞で伝わるよりも彼らの戦力は大きかったのだ。

 しかも、共産主義勢力は国府軍上層部が当初想定していた本格的な市街戦を避けるように行動していた。



 国府軍が想定していたのは、今次欧州大戦において2年程前に発生したスターリング攻防戦と類似するような展開だったのではないか。

 破竹の勢いでソ連領に侵攻するドイツ軍は、難攻不落のモスクワに代わってソ連南部のスターリングラードの占拠を試みて膨大な戦力を投入したのだが、ソ連軍が粘り強く市内で抵抗するとともに、大規模な野戦軍を機動させて同市周辺に包囲網を構築してしまったのだ。



 中国大陸における内戦が再発した当初から、共産主義勢力はソ連から供与された戦車を中核に据えて編成した部隊を投入していた。野砲級の主砲を持つT-34戦車は、開発計画が開始された当初に想定されていたという歩兵支援戦車として高い能力を発揮していた。

 命中精度の高い直接照準射撃を行う野砲榴弾は炸薬量も多く、治安維持部隊程度でしかなかった北方国境線に展開する国府軍の急拵えの陣地は次々と破壊されていったらしい。つまり共産主義勢力はT-34戦車を部隊単位における火力の根幹に据えていたのだ。


 国府軍にとって最大の脅威は、この機動力と火力を併せ持つT-34戦車だったが、野戦においてこれに対抗するのは難しかった。

 野砲弾道の長射程砲は世代遅れとなった高初速小口径の対戦車砲を陣地ごと遠距離から容易に撃破できたし、国府軍が装備する旧式戦車も対戦車戦闘能力で完全に見劣りしていた。



 日本製の戦車でT-34に対抗しうるのは、当初からT-34を仮想敵として開発が進められた一式中戦車以降の新世代戦車となるが、今次大戦への日本帝国の正式な参戦と制式化が前後していたものだから一式中戦車は中華民国に輸出されたものはなかった。

 満州共和国にはまとまった単位で供与が行われていたが、それは同国が師団単位の戦力を国際連盟軍の一員として欧州に派遣していたからだった。つまり英国が友軍である自由フランス軍に自国製の戦車を供給していたのと同じ理由であったのだ。

 日本帝国には戦線で轡を並べる同盟軍に与えるものならばともかく、隣国との友好関係を維持するためだけに中華民国に戦車を輸出するような余裕はなかったのだ。


 満州共和国は政治的には高度な自治権を与えられた中華民国の一部という建前であったのだが、実質上は独立国扱いであり、すでに軍事力の点では特に質の点で中華民国に逆転していた。

 戦時中もある程度の工業力と食料生産能力の高さによって国際連盟の有力な加盟国の一つと認識されていった満州共和国は、小火器や砲弾に関しては自国軍分どころか、日本帝国の指導のもとで同国製のライセンス生産という形で欧州諸国軍に供給するまでになっていたのだ。

 すでに同国軍の主力戦車は一式中戦車であっても主砲を長砲身57ミリ砲から38口径75ミリ砲に換装した一式中戦車乙型になっていたし、精鋭部隊の中には満州在住部隊でも輸入された三式中戦車を装備するものもあったから、旧世代の九七式中戦車しかもたない国府軍との差は歴然としていた。



 追い詰められた国府軍は、巨大な市街地自体を対戦車障害物として見立てて北平に立て籠もる作戦を立てていた。古都である北平の市街地は長い歴史の中で年輪を重ねたように次々と建てられた構造物で入り組んでいたから、戦車の縦横無尽な機動は阻害されるはずだったのだ。

 だが、国府軍は兵の数では多くともスターリングラードで粘り強く抵抗したソ連軍とは大きく異なる存在だった。岩畔少将の言うように、小規模な戦闘一つの結果から何らかの結論を導き出すには無理があるが、国府軍の士気や練度が近代国家の国軍として著しく低いのは事実であるらしい。

 士気はともかく共産主義勢力の軍隊も練度には欠けるようだったが、彼らには兵の多寡や練度を補う為に大火力の戦車が随伴していた。


 しかも、共産主義勢力は国府軍の作戦に乗らなかった。新聞記事でも明らかなように、北平外縁では偵察隊の接触と思われる若干の交戦があったようだが、本格的な市街戦には最後まで発展しなかったようだった。

 共産主義勢力は、機械化された部隊を錯綜した市街地に突入させてその火力と機動力を減衰させる事を避けていたようだ。その代わりに主力部隊を北平を大きく迂回させて首都南京と北平を結ぶ交通線を遮断していた。



 側面の防御を顧みない共産主義勢力の大胆な機動によって、主に鉄道網で維持されていた国府軍の交通線は完全に絶たれていた。北平よりも南方の駅や要所はいずれも共産主義勢力によって占拠されていたようだ。

 国府軍は北平を舞台とした戦闘でスターリングラードに立てこもるソ連軍を再現したかったのだろうが、実際には彼らは見事な包囲戦によって戦力を失ったドイツ軍の立場に立たされていた。


 兵の練度では似たようなものだから個々の部隊には両勢力とも見るべきものはなかった。練度が低いものだから高度な戦術を独自に組み立てることのできる下級指揮官に欠けていたからだ。

 その一方で戦略面では揺るぎない信念で動く共産主義勢力に一日の長があるといってよいだろう。あるいは高度な戦略判断には狡智に長けるソ連軍の指導があるのかもしれなかった。そうでなければ北平を無視して大胆な機動を行うことはなかったのではないか。


 諜報活動から得られた未確認の情報らしいが、満州共和国が成立した前後の国共内戦時において中国共産党は確保していた聖域を追われてモンゴルまで長い道程を逃れていたが、その過程で親ソ派と土着派とも言える中国共産党内で独自路線を唱える派閥の争いがあったらしい。

 少なくない死傷者を出すほど激しい内部抗争の結果、中国共産党はソ連の強い指導を受けることになっていたらしい。どのみち本土を追われてソ連の自治共和国であるモンゴルに逃れた彼らには他の選択肢は無かったはずだ。



 北平をめぐる戦闘が実際に始まるまで、これまでは確固たる拠点を持たなかった共産主義勢力は大都市北平の存在を無視できないと国府軍上層部は考えていたようだった。

 補給拠点となる根拠地という軍事的なものだけでは無く、いくつもの王朝が首都と定めていた古都である北平の占拠は政治的な意味合いも大きかったからだ。


 ところが、共産主義勢力は国府軍の思惑通りには動かなかった。彼らは政治的な中核となりうる大都市の存在などまるで興味を示さなかったようだ。

 もちろん彼らが北平の重要性を考慮していないとは思えなかった。中華民国に成り代わって大陸の正当な支配者を主張するのであれば、主要都市の実権を握るのは必要不可欠となるからだ。


 だが、共産主義勢力が今回の戦闘で優先したのは、あくまでも敵野戦軍の殲滅だった。彼らの補給線はソ連の一部であるモンゴルに依存していた。逆に言えば中国国内の都市は、内戦の継続という軍事面から限った視点からでは必ずしも確保する必要はないのだ。

 むしろ敵野戦軍を無力化さえしてしまえば、損害必至の市街戦などを行わなくとも自然と都市の実権を握ることができるはずだった。実際、すでに北平市街地は包囲環の内側を狭めている共産主義勢力に取り込まれつつあるようだ。



 スターリングラード攻防戦では、最終的に失敗に終わったとはいえ有力なドイツ軍野戦部隊による大規模な解囲作戦が行われていた。

 あちらこちらから抽出されて解囲を目指した包囲網外側の部隊が連絡線の確保という目的を達成できずに敗北したのは、ソ連軍の包囲網が作戦立案時よりも分厚くなっていた為だった。


 だが、より大規模に包囲された北平の救出作戦は、現地の部隊が統制も取れずに散発的に行っていたものを除けば確認されていなかった。

 スターリングラード攻防戦は、包囲網外側のドイツ軍にも大きな戦力が残されていた。大陸をまたぐような長大な戦線を構築するには戦略的な予備兵力が必要不可欠だったのだろう。

 ところが、国府軍は本来手元に置いておくべき戦略予備を考慮せずに、用意できる兵力を次々と北平の市街地に送り込んでいた。

 詳細は不明だが、このような措置は国民党を率いる蒋介石の判断であったらしい。用意できる最大兵力でもって共産主義勢力を打破ろうとしていたのだろう。


 最初に戦闘が行われていた北平周辺の農村地帯などからも共産主義勢力から逃げ出した住民が多数流入していたというから、最終的に市街地中心部は軍民問わず人で溢れていたのではないか。

 北平の住民は逆に兵たちを送り込んだ列車に賄賂の受け渡しや無理矢理にでも乗り込んで脱出していたという報道もあるが、百万の単位で兵がいたことは間違いないだろう。


 だが、包囲網の中で戦略的な判断中枢も持たずに取り残された軍勢は、百万の兵があったとしても烏合の衆に過ぎなかった。

 それに現地に残された物資は大軍を養うに十分なものでは無かった。後方と連結した鉄道網の存在を前提としたか細い補給路に北平の国府軍は依存していたのだ。

 北平は大都市ではあったが、急に数倍に膨れ上がった上に何ら生産に寄与しない人口を養える程の余剰はなかった。



 結局、共産主義勢力に包囲されたと言う事実そのものよりも、救出作戦がないことで包囲網内部に取り残された兵士達の士気は地に落ちていた。北平の完全制圧前に早くも共産主義勢力は、捕虜となった百万の軍勢が新たに戦列に加わったと誇らしげに宣伝していた。

 大量の捕虜を養える程の物資がないのか、組織的に捕虜の処断が行われたという噂もあったが、ソ連経由で現地入りした新聞報道を見ても希望を無くした多くの国府軍の兵士達が続々と共産主義勢力に投降していたのは間違いないだろう。

 包囲環が完成する前に脱出することが出来たのはごく少数の機械化部隊だけだったという話だった。


 共産主義勢力の策動が確認されてから僅か数カ月の変化に、日本帝国は完全に蚊帳の外に置かれていた。

 南雲大将でなくともこの状況での介入に懸念を抱くものは少なくない筈だった。内戦に本格介入しようとしても、日本軍の主力は未だに欧州に取り残されたままだったからだ。



 眉をひそめる南雲大将に対して、岩畔少将は子供を安心させるような声でいった。

「何も我々は広大な大陸全域に攻め寄せようというのではありませんよ。そんな事を覚悟しなければならない場合は我が国の全力を傾けねばならない全面戦争の時だけです。

 あくまでも我々が挑むべきは限定戦争ですし、正当性を主張するためにも現地中華民国政府の要請を受けた支援という形にしなければなりません。

 幸いな事に北平における大敗北で中華民国中枢も面子にこだわる様な余裕は無くなっていますから、なりふり構わずに我が国に支援要請が来ますよ」


 南雲大将は冷ややかな目で岩畔少将を見つめていた。何年か前にも同じようなことを聞いていたからだろう。

 だが、欧州を追われるユダヤ人の護衛というささやかな人道支援の名目で始まった南雲大将率いる艦隊の派遣は、未曾有の規模になった大戦への介入の切っ掛けに過ぎなかったのだ。

 ―――同じ事が繰り返されたとして、その引き金を引かされてはたまらんぞ……

 おそらくは南雲大将はそう考えているのだろう。内心で大将に同情しながらも後藤は無表情な顔を貫いていた。

一式中戦車の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/01tkm.html

三式中戦車の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/03tkm.html

一式中戦車改(乙型)の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/01tkmb.html

九七式中戦車の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/97tkm.html

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