1945中原内戦8
造艦に関わる海軍工廠機能の大半を新設の大神工廠に移設しているとはいえ、統合参謀部の岩畔少将の付添として呉鎮守府を訪れた後藤の目には戦時下で全力で稼働していた呉工廠は未だに活況を呈しているように見えていた。
内務省から企画院に出向している官僚である後藤は、書類に記載されていた数値としては現状を正確に把握していたのだが、実際に呉鎮守府の様子を目にするのは始めてのことだった。
海辺の小高い丘の上に建っている鎮守府庁舎に向かって呉駅から移動する間に建物の隙間から見えた艦船の数は多かった。しかも狭い呉湾内を忙しげに行き交う曳船や運貨船のような小物ばかりでは無かった。
大型化が進む戦艦や空母の建造は呉工廠から大神工廠に移管しているというが、造修や造兵機能は残されているから、船渠入りを待っているのか大型の修理艦も少なくない数が見えていたのだ。
対独戦の終結を受けて呉工廠でも操業の低下が著しいはずだが、それは交代制で行われていた夜間勤務の中止や残業の抑制から始まっているはずだった。このような処置は企画院の担当分野でもあるが、急激な軍需の低下は致命的な経済の冷え込みを招く事が予想されていた。
だから軍需から民需へ段階的に日本国内の工業力を転移していく必要があるのだが、それには時間がかかるはずだから今はまだ目に見えて呉湾内の交通量には変化はないのではないか。
ただし、今後の動きは分からなかった。俄に大陸で騒乱が起きたものだから企画院の分析官達も情勢が読めなくなっていたのだ。海軍の地方における防衛司令部である鎮守府ではまだ大きな動きはないようだが、統合参謀部では日々激論が繰り返されていた。
そのことを察していたのか、二人を迎えたこの部屋の主である南雲大将の目には警戒する色があった。
呉鎮守府長官である南雲大将は、長官公室の会議卓に放り出されていた新聞の見出し欄を指差しながらいった。
「北平では随分とひどいいくさになっていたらしいな」
後藤と並んで来客用の長椅子に座っていた統合参謀部の岩畔少将は、興味深そうに目前の新聞を手にとっていた。後藤もその新聞を覗き込んでみたが、10代半ばに達しているかどうかも怪しいような少年兵が渋い顔で短機関銃を検分する写真が載せられていた。
「共産主義の若き英雄、創意工夫で国府軍を打ち破る、ですか。毎朝新聞は随分と過激な見出しをつけるものですな。どうやら米国の新聞を翻訳した記事のようですが……米国の通信社は、というよりも彼の国の政府は随分と中国共産党に入れ込んでいるようですなぁ」
南雲大将は冷ややかな目で他人事のように言った岩畔少将を見つめていた。
「だが、写真に写っている共産党の兵隊に鹵獲されたという銃は陸軍が開発した機関短銃じゃなかったかね。米国の通信社はむしろ我が国の介入を声高に主張しているようだが」
以前は陸軍の装備関連を統括する部署にいたという岩畔少将は首をすくめていた。
「写真の一式短機関銃ですが、重心の下部覆いが木製となっていますな。これは我々が参戦前に中華民国に若干数を輸出していた初期型の特徴です。他の相違点はこの角度からでは分かりませんが、戦時中に生産された後期型では工数削減のためにここもプレス製造の金属製になっているのですよ」
少しばかり首を傾げてはしたものの、南雲大将は険しい表情を崩さなかった。
「つまりこの機関短銃は過去に輸出していた分だということかね」
「確かにその可能性も否定出来ませんが、一式短機関銃の大陸への輸出数は時期からしてそれほど多くはありません。今次大戦に参戦した後は、国内生産分は我が軍自身や国際連盟軍に供給されていましたからな。
むしろこれは大陸内で独自に生産されたものである可能性が高いですな。かの国でも小火器の複製生産位はこなせる工業力はありますし、その場合は彼らの手元に見本がある初期生産型を原型とするのが自然でしょう。
それに戦時体制で生産数の増大を強いられていた我々ほど手間のかかる木工品の多用に関して国府軍には制限はなかったはずですからな」
「なるほど……だが、中華民国の問題は兵装よりも士気の方にあるのではないかね。その記事だと歴とした兵隊が爆竹の音に驚いて銃を捨てて逃げ去ったというがね」
岩畔少将は顔色一つ変えなかった。
「個々の戦闘一つだけを抜き出してもしょうがありませんな。それに、戦闘を生き延びたからこそこのような記事になる英雄が誕生したのだとも言えます。今次大戦でも、英国が爆撃機に関して興味深い統計学上の示唆を得ていますよ」
そう言うと岩畔少将は後藤に顔を向けていた。しばらく眉をしかめてから、後藤は嫌そうな顔でいった。
「あの件ですか……しかしあれは現実に即しているとは言いかねますよ。撃墜された機体の詳細は、実際に撃墜機の調査を行ったであろうドイツ国内から資料をかき集めなければならないのですから」
慎重な意見を唱えた後藤に、岩畔少将は呆れたような顔でいった。
「今は仮説で構わんよ、閣下も半端なことだけ聞かされては気になるだろう」
そこまで言われてしまえば、後藤はあくまでも仮説ですがと断ってから返していた。
「爆撃機の損害に関する研究として行われていたものですが、被弾箇所を図示していく中で、実際に装甲の追加などの処置が必要なのは図示のなかに出て来ない箇所なのではないか、そうした議論が出てきたのです」
南雲大将は、いささか興味を惹かれたのか、しばらく考え込んでから言った。
「つまり、実際には撃墜された機体に発生した致命的な損害は図の中に出てこない箇所であろうから、そここそ重要ということか。撃墜機は帰ってこれなかったから被弾箇所も分からなかったと……だが、ちょっと待ってくれよ……」
何かに気がついたのか、南雲大将は首を傾げていた。
「これには重要な視点が欠けていると言えます。統計学というよりも数学的な記号じみた話です。
確かに図示された情報は、被弾箇所を報告出来た機体は帰還出来たという事実のもとに成り立ってはいますが、撃墜された機体がどこを被弾したのかという情報は含まれていません。これだけでは本来は意味をなさない情報であるはずなのです。
実際には撃墜された機体も損害を被った箇所だけ抜き出せば生還した機体と大して変わらないのかもしれません。それに損害の大小は被弾箇所だけからでは明らかとする事は出来ません。被弾した銃砲弾の種類によっても損害は大きく変わってきますから」
「だが、ドイツとの講和は既になっている。彼らから撃墜機の情報を得ることは出来るのではないかな。彼らも我々が行っていたものと同様に撃墜機の調査くらいは行っているだろう。それとも落下した時点で敵弾による損害と墜落によるそれを分離する事は出来ないのかな」
後藤は困ったような顔になっていた。
「私も航空機の専門家ではないので詳細はわかりませんが、ドイツによる墜落機調査の書類は意図的に廃棄されたものを除いて既に押収されていると聞いています。
しかし、我々……国際連盟軍による調査内容とドイツ軍の調査内容では書類の書式自体が異なります。つまり、同じ単語であっても指し示す状況が異なる可能性があるのです。
こうした分野は企画院勤務の私よりも皆様の方が専門かと思いますが、銃砲弾の貫通の基準や銃砲身長の計算式は国どころか陸海軍でも異なる場合があると聞いています。
つまり敵味方双方の視点から観測された正確な損害の統計を行うには最初に共通言語を設定する必要があるために完全解析にはまだ時間が必要なのです。勿論これは爆撃機の損傷箇所という一点に限った話ではありません。
企画院では、ドイツ国内におけるあらゆる戦時中の記録に関して英国情報筋と共に分析を行っておりますが、特に遠距離、重爆撃機の運用に関して先行して調査を行っております。
今の損傷の話にも通じますが、今次大戦において英国空軍は我が軍の支援も受けて大規模な都市爆撃、戦略爆撃を実施しました。有効な爆撃目標の選定などに関しては我が企画院も関わっておりましたが、それ以前に戦略爆撃は実質的に今次大戦において初めて行われた新戦略です。
ドイツの通商破壊戦と共に、戦略爆撃には国家単位で少なからぬ資産が投入されましたが、それが彼我の損害に見合ったものであるのか、そこから精査しなければならないと企画院では考えております」
困惑した表情の南雲大将に向かって岩畔少将が言った。
「どうです閣下、企画院の俊才の話は回りくどいでしょう。要するに、国家同士の戦争における我々の戦略を見直すにはまだ資料の分析が足りないということなのですよ。
しかし、我々軍人としては明日の戦略を練り直す前に今日の危機に備えなければなりません」
再び南雲大将の目に警戒する色が浮かんでいた。
「それは、大陸の動乱に日本が介入するということかね」
「まだ、そう決まったわけではありません」
岩畔少将は首をすくめていた。
「まず最初に、統合参謀部では今回の内戦はソ連による全面的な侵攻の予兆を示すものでは無いと判断しております。ソ連首脳部共がこの機会に西側のファシストドイツと共に東側も攻めてしまえと軽々に判断するには今次大戦における彼らの損耗は大きすぎたと考えられます。
その一方で、我々の支援を受けていた国民党政権は腐敗と弱体化が進んでいるように見えたはずです。つまり彼らソ連はこれ以上の本格的な戦闘は避けつつも、棚ぼた的に勢力圏を広げる為に中国共産党に兵器を供与したのではないか。
米国の支援を受けたソ連の戦時生産能力は膨大なものであった筈です。前線での消耗を見越していた生産力は、終戦で余剰が生じているでしょう。言ってみればこの内戦で供与されたのはこの余剰分の在庫に限られる、それが統合参謀部の分析です」
南雲大将はまだ眉をしかめていた。
「供与された兵器がソ連にとっては在庫処分に過ぎないとしても、国府軍ではどうにもならん規模と性能となるだろう。旧式とはいっても、ソ連の戦車はドイツとの激戦に耐え抜いたものと聞いている。
対して国府軍の戦車を含む装備は十年前の基準と陸戦隊のものから聞いているがどうか」
後藤はちらりと窓の外に目を向けていた。呉鎮守府庁舎に隣接する練兵場では、入隊したばかり新兵が教練を受ける声が聞こえていた。対独戦が続いていれば彼らの中からも陸戦隊に送られるものがいたかも知れなかった。
各鎮守府では、艦艇乗組員を抽出して臨時編成するものではなく、以前から常設の特別陸戦隊が編制されていた。また、シベリアーロシア帝国においてはその成立過程に深く関わっていたことから陸軍だけではなく海軍も師団規模の特別陸戦隊である陸戦師団を駐留させていた。
今次大戦においても、特別編成の第二陸戦師団が主に上陸戦闘を行う為に欧州に派遣されて活躍していたが、師団規模の補充の為に内地の鎮守府でも特別陸戦隊の教育課程が組織化されているらしい。
高度な陸上戦闘の教育は平時には館山の砲術学校で担当していたが、師団規模に膨れ上がった部隊規模を考慮すると、士官はともかく数の多い下士官兵は各鎮守府単位で行うしかないのだろう。
勿論これらは組織として欧州に派遣されるまでは鎮守府の指揮系統にあるから、南雲大将の指揮下にも教育課程の老練な陸戦隊畑の士官か陸軍から派遣された教官でもいるのだろう。
だが、岩畔少将は首を振っていた。
「先程の閣下のお言葉ではありませんが、我々は今回の北平包囲戦において国府軍が不甲斐ない敗北を喫したのは、装備に加えて戦略の不備が大きかったのではないか、と判断しております」
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