1945中原内戦5
第5師戦車大隊の将校団の中では、促成とはいえ近代的な将校教育を受けた崔中尉は、将校からは疎まれていても大隊の兵からの受けは悪くなかった。小部隊の指揮官を育成する過程だけに、将校と兵との適切な関係を教え込まれて実践していたからだ。
促成士官教育の中では、日本人の補充兵達を指揮して実戦形式の訓練を行うこともあった。通訳を兼ねた日本人の士官候補生と組にはなるが、これまでは植民地支配を受けていた東南アジア諸国出身者でも指揮官となるのだから、意識の変革が必要だったはずだ。
崔中尉が見る限りでは、言葉の壁もあって簡単なものとは言えない短期間の詰め込み教育であるにも関わらずアジア諸国から派遣されていた士官候補生の脱落は無かった。
下級士官の大量育成という前提であるために早々に脱落者を出してはいられないという制度上の事情もあるのだろうが、それ以上に各候補生の熱意は相当なものがあったのだ。
崔中尉や他の国民革命軍派遣の候補生が手を抜いていたと言うつもりは無いのだが、熱意と言う意味ではアジア諸国から派遣されていた候補生達とは差が生じていたのではないか。
日本人の士官候補生と比べても恐ろしく高い熱狂的とも言える彼らの士気は、やはり植民地人扱いされていたこれまでの経緯が理由の1つだったのだろう。
確かに崔中尉が受けた士官教育は促成の下級士官育成用のものでしか無かったが、いずれは彼らが新独立国の国軍中核を担う人材になっていくのではないか。彼らの中には、以前は独立運動に関わっていたものやその一族も含まれていたらしいというから、新政府の中心に親しい人物もいたはずだ。
それに崔中尉はそうした民族意識とは別に、教育課程も後半に入ると士官候補生達の士気の高さを保つのにはもっと即物的な理由が加わっていたことを感じ取っていた。
この教育課程が終われば、彼らの多くは即座に遠く欧州の戦地に派遣される筈だった。つまり今日の学習が明日の彼ら自身や自分に預けられた同胞である部下達の命を左右する事になるのだ。これでは彼らが切実になっていくのも当然だった。
実際に促成課程を終えて前線部隊に配属された崔中尉の同期生の中には、既に何人かの戦死者が出ていた。
新たに独立国となった旧インドシナ植民地から徴募された兵士達は、自由フランス軍の指揮下にある極東師団に配属されていた。大規模な兵員補充が続けられていた極東師団は、師団単位の増設を行う再編成を繰り返して単独で軍団を構成するほどの大兵力に短時間で成長していた。
極東師団には日本製の小火器などが大量に供与されてはいたが、国際連盟軍の他国師団の編制と比べると、歩兵の頭数は多くとも長期間の特殊な訓練が必要な専門職である砲兵や工兵などの支援部隊には乏しく、火力や機動力に劣る面は否めなかった。
欧州戦線で英国軍の指揮下に編入された極東師団は、他の自由フランス軍の機甲師団や日本軍の砲兵連隊などが加えられた軍団編成となっていたらしいが、再編成の機会も多いらしく詳細は崔中尉も知らなかった。
何れにせよ、三単位師団である極東師団では歩兵部隊に限っても欠員がなければ師団で3個連隊となりその隷下には合計して9個大隊、27個中隊、81個小隊が所属するということになるから、小隊長となる中、少尉だけで百人近くが必要となるはずだった。
小隊長級の指揮官を育成するのが促成教育課程の目的だったから、新独立国から派遣されていた卒業生の多くは拡大を続ける極東師団の膨大な需要に飲み込まれるように最前線へと向かっていた。そして拡大を続ける一方で最前線で戦線を支える極東師団は大きな損害をも受けていたのだ。
崔中尉は、教育課程が終わって帰国した今でも、派遣国に限らずに強い仲間意識を持つアジア諸国からの派遣学生達と国民革命軍から送り込まれた自分達との間に大きな意識の差があったことを感じていた。
共産主義勢力がモンゴルまで逃れた事で、国民革命軍では国共内戦のけりは付いたものと考えるものも多かった。軍の仕事は治安維持と国境警備だけだと判断していたのだ。
しかも国民革命軍を動かすものの多くは遠く離れた欧州の戦争には無関心だった。国民革命軍に限らずに中華民国の人間が考えていた世界はごく狭く、中原を越えた範囲でも歴代王朝の最大支配領域程度にしか視野は広がらなかった。
共産主義勢力に対する列強の不安を利用して旧軍閥が打ち立てた満州共和国の方が、そうした意味では差し迫った危機を感じていたのではないか。政治的に不安定な立場故に安穏とはしていられない彼らは、貴重な戦力を抽出して師団単位の戦力を欧州に派遣していた。
最近の報道では、満洲共和国が派遣した独立混成師団は自由フランス軍極東師団を主力とする軍団に配属されていた。アジア軍団と俗称された軍団は英国軍の指揮下に編入されていたが、機械化された独立混成師団は軍団の火力と機動性を補う切り札扱いされているらしい。
国際的な発言力を得る為に満州共和国の新京政府は必死なのだろうが、旧都市名の奉天の名で満州共和国を呼び続ける中華民国政府要人は、国際連盟を主導する日英などに対して追従を図る様な同国の行動を侮蔑の目で見ていた。
中華民国が建国された革命は、列強に侵食され続けていた清朝を打倒するものだった。周辺各国が欧州の支配下におかれ続けているにも関わらず、危機感を持たない清王朝が世界から切り離されて中世時代から眠り続けているかのように旧弊な体制を維持していた為だ。
ところが、旧弊な体制を打倒した革命勢力は、運動の指導者孫文を失ったこともあってか中原の支配権を確定させた後は、彼ら自身が建国の理想を急速に捨てて自らの巨体を維持する事自体を目的としてしまっているような気が崔中尉にはしていた。
―――もしかすると、この内戦で国民国家として纏まることが出来なければ、中華民国もまた歴史上の存在になってしまうのかもしれない……
ぼんやりと崔中尉はそう考えていた。実際にはそれは難しいことなのかもしれなかった。実質的には、この紛争は中原に住まう漢民族同士の内戦だったからだ。
もしかすると、満州共和国がこの紛争に非介入であるのは、漢民族の内戦と見きって高みの見物を行っているだけなのかもしれなかった。満州共和国は清朝時代の移民によって国民に対する漢民族の比率が高くとも蒙古人を含む多民族国家を謳っていたからだ。
皮肉なものだった。かつて中華民国が打倒した清朝の支配層であった満州族は、破れた事によって東北部で力を蓄えただけではなく、満州共和国という近代国家を構築しようとしているというのに、勝利者であったはずの中華民国が前時代的な内戦を迎えようというのだ。
崔中尉はかぶりをふって橋梁周辺の警戒に集中しようとしたが、それよりも早く車内の無線機に取り付いていた装填手が慌てた様子で扉から身を乗り出していた。
―――すぐに橋を爆破する、だと……
呆気にとられた顔で、崔中尉は工兵隊から送られた無線の内容を復唱する装填手と顔を見合わせていたが、反射的に橋の方に視線を向けていた。
この辺りでは北平に渡る最大の橋である為か未だに橋を渡って南下する避難民の姿は途絶えていなかった。橋を封鎖しようとする兵の姿も見えないから、橋の上にはまだ大勢の避難民がいた。
橋の上は渋滞していた。移動速度の早い機械化された部隊は既に北平郊外から市内にかけて広い範囲に構築された陣地に収容されているはずだった。それに対して中華民国ではまだ珍しい車両を使用できる避難民は極一部の金持ち以外はいなかった。
その上多くの避難民が持ち出せる限りの家財道具を大八車などに乗せているものだから、橋の上に限らずに路上は統制が取れない渋滞が発生していた。
だが、共産主義勢力の侵攻路を制限する為にこの橋を爆破する事は当初から作戦計画の範囲に入っていた。その為に爆薬を山ほど抱えた工兵が上級司令部からの命令を受けて派遣されていたのだ。
先程まで橋桁の下や橋脚に潜って爆薬の取り付けを行っていたはずの工兵隊に所属する兵士達の姿が消え去っていた。橋桁の下面には信管と繋がる電線が結び付けられた爆薬だけが残されていた。どうやら爆破準備は整ったらしい。
ただし、実際の爆破には本来ではまだ時間が残されているはずだった。共産主義勢力の作戦がどんなものかは分からないが、北平に侵攻するのであればこの橋の確保を狙うはずだった。
これに対して北平郊外の全域に展開できるほど国民革命軍の戦力には余裕はなかった。というよりも国民革命軍の主力は最大の脅威である敵戦車の火力を減衰させる効果を狙って市街地に布陣する予定だった。
国民革命軍の作戦では、北平に至る橋をいくつか爆破して残された侵攻路に戦力を集中させるはずだった。それには、敵主力を引きつけて他の橋に迂回させる時間を最大限稼ぐ為に爆破は敵主力が確認されてからになるはずだったのだ。
ところが、橋から僅かに離れた壕には爆破の準備を終えた工兵隊の将兵らしい人影が見えていた。無線の内容は分かっても爆破が早まった理由は分からなかった。上級司令部が工兵隊を他に転用しようとしたのかもしれないし、北平郊外から工兵隊が早く脱出したかっただけかもしれない。
避難民でごった返す橋を絶句して見ていた崔中尉は思わず工兵隊に制止の声をあげようとしたが、それよりも早く塹壕で動きがあった。
橋桁に吊るされた爆薬が炸裂するまでは僅かな時間しか無かった。電線を伝って起爆を伝えられた信管が次々と作動していた。
最初に見えたのは炸裂によって橋桁上部に生じた閃光とそれを打ち消すほど盛大に湧き上がった爆煙だった。ただし、崔中尉達の百式砲戦車は橋梁近くに布陣していたから、轟音が到達したのはその直後だった。
崔中尉は唖然として橋を見つめていた。橋桁は爆破の衝撃によって大きく破損しているようだったが、黒々とした爆煙の向こうで橋そのものは未だに原形を保っているかのように見えていた。
だが、それは勘違いだった。橋は既に破壊されていた。単に橋桁の残骸に主桁がしがみついていただけの事だった。
対岸で橋を渡る前だった避難民が、爆破の衝撃で戦闘の気配を察したのか蜘蛛の子を散らす様に一斉に逃げ出していた。それがきっかけであったかのように、主桁を支えていた構造材が破断していた。
まるで子供が玩具を壊してしまったかのように、ゆっくりと主桁が川面に破片を散らしながら落下していた。同時に大八車や避難民自身も川面に叩きつけられていた筈だが、幸いと言ってよいのか崔中尉の目にはわき起こった爆煙と砂埃に遮られて詳細は見えなかった。
―――これは本当にまずいことになりそうだぞ……
崔中尉は眉間に皺を寄せて目前の光景を見ていた。脇の装填手も唖然として声も出ない様子だったが、唐突に発生した轟音に他の乗員達も車外に顔を突き出していた。
橋の爆破は作戦計画よりも早かった。橋を渡れなかった対岸の避難民は、情報と共に短時間で拡散する筈だった。早期に橋の爆破を知った共産主義勢力は、彼らの作戦を時間的な余裕を持って修整できるのではないか。
既に橋の落ちたこの場所に意味はなくなっていた。早くも濁流に流されつつある橋の残骸を見つめながら、崔中尉はそう考えていた。
橋脚のいくつかはまだ川面から顔を見せていたが、本格的な復旧には時間が掛かりそうだった。その間は戦車どころか歩兵でも大部隊では渡河は難しいはずだ。それに橋によらずに渡河するのであれば、もっと適した地形の箇所がある筈だった。
おそらくは砲戦車隊にも撤収の命が下されるだろう。崔中尉は、出来るだけ避難民の死者のことを考えないようにしていた。