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1942プロエスティ爆撃作戦9

 不自然なほどにこやかな笑みを浮かべた佐々木は、荘口大佐に向かって深々と頭を下げた。

 やけに愛想の良い様子に、不気味なものを感じて荘口大佐は思わず立ち止まっていた。


 怪訝そうな顔で荘口大佐はいった。

「わざわざ北アフリカくんだりまで来たのか。…中島商事の人間が、今日は何の用件かな」

 揶揄するような台詞だったが、佐々木は笑みを絶やすこと無く、機嫌がよさそうな顔でいった。

「本土から補充機の空輸を行うというので、それに便乗させてもらいました」

 佐々木は言い終わると後ろを振り向いていた。

 荘口大佐もそれにつられて視線を駐機所のすみに向けた。そういえば着陸する寸前にみた滑走路脇の駐機所は、いつもより駐機されている機体が多かったような気がする。


 視線の先の掩体には、戦隊所属の機体とは違って砂漠迷彩ではなく、全面灰緑色で塗装された一式重爆撃機が何機か格納されていた。以前は陸軍航空廠で製造元から受領した後に迷彩塗装まで施されてから、各部隊に支給されていたのだが、陸軍航空隊も最近では海外の、それも複数の戦区に派遣されているものだから、部隊に到着後にその戦区にあわせた迷彩色を隊付きの整備兵が施すことが多くなっていた。

 おそらく、遠距離を飛来した機体の再整備や塗装作業を安全な掩体で行うために、普段ここに格納されている機体が代わりに駐機所に押し出されてしまったのだろう。



 荘口大佐達が出撃していた時間はそう長くはないが、離陸前にはこの掩体にこんな機体は格納されていなかったから、大佐たちが作戦飛行中に入れ違う形で到着したのだろう。

 もしかすると、滑走路脇にこんなに多くの将兵がいたのは、荘口大佐たちの帰還を待っていたのではなくて、待望の補充機を見学しに来たのかもしれなかった。

 もちろん補充機を待ちかねていたのは荘口大佐も同じだった。副官が差し出してきた機体受領の書類に手早く必要事項を記入すると、装具を外すのもそこそこに早足で掩体に近づいていった。

 笑みを浮かべたままの佐々木も荘口大佐について掩体に向かっていった。



 やはり掩体に格納されていたのは真新しい機体のようだった。戦隊の他の機体と主な仕様は変わらないようだが、一式重爆撃機二型の生産開始からまだ間もないのに、一部の細かな艤装には改修が入っているようだった。

 エンジンカウリングなどの一部外皮を取り除かれて、内部を点検されているから、荘口大佐にも改修点がいくつは発見できた。どうやら改修点は整備の使い勝手や燃料系統に集中しているようだった。

 おそらく現場の整備兵やメーカーの技手達の意見が取り入れられた改修なのだろう。整備兵達は作業しながらも、感心したかのように何度か頷いていた。

 荘口大佐は、ふと違和感を感じて整備中の機体を見上げた。


 遠距離を自力飛行してきた機体は、異常がなくとも再整備を行うのは当然だった。それに本土からの補充機ということは、工場で完成してからまだ間もないはずだ。初期故障が発生する可能性は高かった。

 だが、機体の点検箇所の数と、機体に取り付いて作業を行う人数がつり合わない気がした。点検を行っている一箇所あたりの人数が多すぎるのだ。それに整備にあたる兵のうち何人かは見知らぬ顔をしていた。

 戦隊付きの整備隊でもなければ、飛行場大隊の整備中隊の兵でも無さそうだった。


 まるで戦隊付きの整備兵に指導しているかのようなその男たちをしばらく観察してから、荘口大佐は彼らの正体に気がついていた。

 彼らはどうやら陸軍の整備兵では無いようだった。熱帯用の作業衣を着込んでいたものだから中々気が付かなかったのだが、正規の軍人ではなく軍属のようだった。

 それに仕草や言葉からは、さほど軍の慣習に慣れていないようだった。それでいて整備隊の老練な下士官兵に堂々と指導しているのだから、正体はひとつしかありえなかった。

 おそらく彼らは初期故障などに対応するために、臨時に軍属として召集された中島飛行機の工員なのだろう。

 整備隊の人員は充足していたから、整備の手が足りないとは思えないが、製造元の工員ならば改修点も把握しているから、その部分の説明を行なっているのだろう。


 だが、それにしても工員の数が多すぎる気がした。頑丈な一式重爆撃機二型が損耗した数はさほど多くはないから、2個戦隊を合わせても補充機の数も大したことにはならないはずだ。

 これだけ大げさな団体で工員を送り出すということは、中島飛行機には通常の整備業務などではなく、何らかの思惑があるのではないのか。荘口大佐は嫌な予感を感じていた。



 荘口大佐は、ちらりと後ろの佐々木に振り返っていた。佐々木がこの臨時軍属の工員を引率してきたのかもしれない。そう考えていたからだ。

 正規に派遣されてきたものを送り返すわけにも行かないが、早い内に佐々木の思惑を把握して、それに巻き込まれないようにしておきたかった。


 だが、すぐ後ろにいたはずの佐々木の姿はそこには無かった。慌てて荘口大佐が周囲を見渡すと、見かけによらない素早い動作で、佐々木が一式重爆撃機の開放されていた爆弾扉から中に入り込もうとしているのが見えた。

 今度は何をするつもりなのか、すでに受領書類は完備されているのだから、この機体は製造元ではなく、陸軍のものであるはずだ。空輸に便乗するぐらいなら構わないが、基地内で勝手に振る舞われては困る。

 荘口大佐は肩を怒らせて一式重爆撃機に近づこうとしたが、それよりも早く剣呑な気配を察したのか、補充機を見物していた戦隊の兵が怪訝そうな顔で振り返ってから、慌てて敬礼してきた。


 さすがに無視することも出来ないから、荘口大佐は敬礼してきた兵に仏頂面をしたまま答礼した。その兵は戦隊長機の上部機銃座を担当する松澤伍長だった。

 他にも手隙の空中勤務者が何人か物珍しそうに見物しているようだった。


 松澤伍長は、不機嫌そうな顔の荘口大佐に萎縮しながらも、おずおずと尋ねた。

「あのおっさんは何者なんですか。戦隊長殿の古い友人だというし、統合参謀部とかの正式な書類を持ってたんで中隊長殿も立ち入りを許可していたみたいですが…」

 荘口大佐は、じろりと松澤伍長を睨みつけた。普段はふてぶてしい態度を崩さない伍長だったが、慌てて後ずさりした。

「あいつとは友人でも何でもない。航空本部の部員時代の知り合いと言うだけだ。伍長、予め言っておくがあいつは商人だぞ。余計なことは言わん方がいい」

 だが、松澤伍長はそう言われるなり気まずそうな顔で、そっと目をそらした。


 ―――こいつ、もう余計なことを喋っておったな…

 荘口大佐はため息を付きながら松澤伍長に説教を続けようとしたが、二人の前にぬっと一升瓶が突き出された。

 慌てて二人が振り向くと、相変わらず笑みを浮かべた佐々木が、清酒らしき液体の入った瓶を差し出していた。瓶には荘口大佐も聞いたことのある酒蔵の銘柄が書いてあった。

 荘口大佐は、怪訝そうな顔で佐々木の顔を見返したが、松澤伍長はごくりと喉を鳴らして、清酒の瓶に目を釘付けにしていた。どうやら松澤伍長は呑兵衛のようだった。


 呆れたような顔を松澤伍長に向けてから、荘口大佐は佐々木に促した。

「爆弾倉が空荷のままで本土から北アフリカまで来るのもなんでしたので、陣中見舞いに持ってまいりました。高々度を飛行してきたばかりですから、まだ冷えているはずです。こちらにもこれを冷やせる井戸くらいはあると思いますが…」

 佐々木はそう言って荘口大佐に一升瓶を差し出した。だが、荘口大佐は無言で佐々木の顔を見つめた。松澤伍長には悪いが、賄賂になりそうなものはこのまま突き返そうと考えていた。


 実は過去に航空本部で審査にあたっていたこともある荘口大佐は、幾度か企業関係者から賄賂を渡されたことがあった。だがそのたびに即座に有無を言わさず突き返していた。

 家を預かる妻子にも、そのようなことがあればすぐに返送するようにと言い聞かせてあった。

 同僚や上司の中には平然とそのようなものを受け取るものも居るらしいが、あえて詳細を知ろうとは思わなかった。ただ、一度そのような物をもらってしまえば、あとはずるずると泥沼に引きこまれてしまうような気がしたのだ。


 特に審査に当たる将校が先入観をもってしまうのは危険だと考えていた。もしも審査で誤った判断を下してしまえば、その機体に関わる何人もの将兵に危険が及ぶのかもしれないのだ。

 それを思うと個人の利益で審査を左右する気にはとてもなれなかった。


 だから荘口大佐は、佐々木にいった。

「悪いが中島からそういうものを受け取るわけにはいかん。帰りの便で工員らに呑ませてやったらどうだ」

 そう言うと荘口大佐は、機上の工員らに視線を向けた。

 佐々木はそれを聞いても嫌な顔もしなかった。ただ、不思議そうな顔になっていた。

「工員…ですか。まぁそれはそれとして、そろそろ正月も近いですが」

 今度は荘口大佐が不思議そうな顔になっていた。確かにあと何日かで年が変わるはずだった。ただし、本土とは気候の全く異なる北アフリカに居るものだから、ここしばらくの多忙もあって年の瀬といった感は無かった。

 もっとも、佐々木がなんと言おうが酒を受け取る気はないのだから、何の話題だろうが気にすることはないはずだ。

 荘口大佐はそう考えていたのだが、佐々木が次にいった言葉でぐらつき始めていた。


「前線に展開する部隊では、特にこのような気候の厳しい地域に派遣された部隊では本土から切り離されて、季節感も無くなってしまうと聞いております。それを聞きまして、せめて正月の気分だけでも味わっていただきたいと考えまして、お屠蘇にでもどうかと思ったのですが。他にも正月用の海老の缶詰も持ってきております。こちらは糧秣廠からの依頼で輸送したのですが」

 荘口大佐は呆気にとられていた。

「糧秣廠だと…陸軍中央も、このことを知っているのか」

「もちろんです。統合参謀部の岩畔大佐からも飛行第35,36戦隊は今とても重要な部隊なので、兵達の士気を高めるためにも、くれぐれもよろしく頼むと言われましたのので。確かに欧州では海軍の陸攻はすでに哨戒機として運用されているようですから。

 今のところ海軍と陸軍が共同で攻勢の作戦を実施しているのはこの北アフリカだけですので」

 佐々木の言葉は半分も耳に入らなかった。それよりも本土の上層部が把握しているのならば、これは賄賂にはあたらないのかもしれない。そう考えて、荘口大佐は気持ちがぐらつくのを感じていた。


 それだけではなかった。飛行第35戦隊が北アフリカに派遣されてからもう半年近くになる。機種転換訓練を受けていた飛行第36戦隊はそれよりもは短いが、さほど派遣時期は変わらない。

 飛行戦隊よりも先行して派遣されていた飛行場大隊の中には、参戦直後からもう一年近くをこの砂漠で過ごした兵もいるはずだ。

 派遣が長引き、除隊も許可されないなかで、兵たちはよく戦ってくれていたが、日本本土とは全く異なる厳しい環境の中で、荘口大佐が代行した中隊長のように体を壊すものも少なくなかった。

 幸いなことに、比較的衛生環境の充実した飛行場を拠点とする飛行第35戦隊では戦病死者は出ていないが、同じ航空部隊でも、より前線に近い臨時飛行場などから連日出撃を余儀なくされる戦闘機隊などでは病死者も出ているようだった。

 そのような辛い環境のなかで、せめて正月気分くらいは味わせてやりたい。そう言われると荘口大佐は急に自分が一人よがりに陥っていたような気がしていた。


 荘口大佐は、そっと周囲を見渡した。少し前から視線を感じていたのだ。

 予想したとおり、荘口大佐と佐々木とのやりとりに気がついた何人かの兵がこちらに注目していた。

 目ざとい兵の中には、佐々木の手元にある一升瓶で何が起こっているのか気がついたのか、期待に満ちた表情をしたものまで居るようだった。

 これではもう断ることはできなさそうだった。ろくな娯楽もない環境ではうわさ話はすぐに広まる。緘口令を敷いても兵達の口に戸はたてられないだろうから、ここで荘口大佐が断れば、逆に兵達の士気は地に落ちてしまうだろう。


 荘口大佐は一度溜息をつくと、佐々木に向き直っていった。

「分かった。先ほどの発言を撤回する。中央がこのことを把握しているのならば、小官がいうことはない。ありがたくいただくことにしよう。しかし…これで全員分まわるかな」

 そう言いながら荘口大佐は、佐々木から一升瓶を受け取って、そのまま脇の松澤伍長に押し付けた。まさか、いくら伍長が呑兵衛でも「お屠蘇」にといわざわざ言われた酒を一人で飲み干すとは思わなかったが、飛行連隊の兵全員に行き渡るとは思えなかった。


 そう考えたのだが、佐々木はなんでもなさそうにいった。

「もちろん今回お届けした補充機の爆弾倉には、長距離飛行用の増槽装着の邪魔にならない限り荷を括りつけて来ましたから、2個飛行戦隊と飛行場大隊の全員に行き渡るだけの正月用特別食はあるはずですよ」

 佐々木が言い終わると、それを聞いていた何人かの兵が歓声を上げた。


 荘口大佐も一度頷くと、一升瓶を大事そうに抱えていた松澤伍長に向き直っていった。

「これを主計長のところに持って行って預けてこい。それから俺からだといって主計長に手隙のもので作業班を編成して、機体から本部建屋に特別食と酒を移送させるように伝えてくれ。

 …伍長、念の為にいっておくが、これは正月用だからな。元旦まで勝手に呑むんじゃないぞ」

 松澤伍長は、嬉しそうな顔で素早く復唱すると、大事そうに一升瓶を抱えながら戦隊本部の建屋に駆け出していった。


 それを呆れたような顔で見てから、荘口大佐は佐々木に顔を向けた。こうして一升瓶のことが片付くと、急に先程の佐々木の言葉が気になり始めていた。

「岩畔大佐は、今は統合参謀部にいるのか」

 怪訝そうな顔になって荘口大佐がそういうと、佐々木は笑みを浮かべたまま頷いていた。

 それを確認してから、荘口大佐は続けた。

「それで、その統合参謀部が何の用があるというのだ」

 佐々木は珍しく考えこむようにしてしばらく答えなかった。



 統合参謀部は数カ月前に正式に発足した新しい機関だった。

 開戦直後から日本本土から遠く離れた外地に派遣される陸海軍の部隊は多かったが、最近ではそれら陸海軍の各級部隊が現地で統合した作戦を遂行することが増えていた。

 統合参謀部は、そのような統合作戦において大本営を補完する機関だということだったが、実際のところは前線部隊には正確な事情は伝わってこなかった。

 どうやら東京では陸海軍内部でかなりの政治的な動きがあったようだが、軍政には疎い荘口大佐にはその辺りのことはよく分からなかった。


 統合参謀部に属する部員の多くは、陸軍参謀本部と海軍軍令部の部員を兼ねているらしかった。統合参謀部からの命令書はまだ目にしていないが、幾つかの複製された書類は参考扱いで飛行戦隊戦隊長宛に送られてくることもあったのだが、作成者や承認者は陸軍参謀本部と統合参謀部の部員を兼任していることを示していた。

 一方で戦時中に天皇直属の統帥機関として機能するはずの大本営は、実質上は陸海軍の軍令部門である陸軍参謀本部と海軍軍令部であった。だから素直に解釈すれば統合参謀部は大本営の看板を掛け替えただけともとれる。


 だが、実際には統合参謀部の位置づけはそれほど簡単なものではないようだった。やはり戦隊長級の指揮官に回覧される書類からは詳細はわからないのだが、統合参謀部は天皇直属ではなく、総理大臣の指揮下にあり、またその構成員には大本営には含まれない軍政部門の長である陸海軍大臣が含まれているようだからだ。

 その名の通り、統合参謀部内では陸海軍の統合はかなり進められているらしい。

 それに、必ずしも大本営と統合参謀部、陸軍参謀本部、海軍軍令部の部員は全員が兼職というわけではないようだた。数は多くはないようだが、統合参謀部の部員に専任されているものもいるようだった。


 陸軍参謀本部に着任したという話も聞いていないから、おそらく岩畔大佐も統合参謀部の専任部員なのではないのか。

 もしかすると兼職ばかりの現状が異常であって、専任となるのが自然な形態なのかもしれない。

 そうだとすると今は過渡期にあたるのだろう。荘口大佐はそう考えていた。

 だが、その統合参謀部に所属する岩畔大佐や佐々木が何故飛行第35戦隊に注目しているのかはよく分からなかった。

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