1945ドイツ平原殲滅戦34
厨川少佐の本来の任務は、日本陸軍から満州共和国軍に派遣された軍事顧問団の一員というものであるはずだった。
本来軍事顧問団は航空機や砲兵といった専門は持つものの、特定の部隊に長期間同行することはないはずだったが、厨川少佐だけはその例外だった。
元々日本陸軍の特殊戦部隊である機動連隊に配属されていた厨川少佐は、単なる陸上戦闘というよりも特殊戦、特に機動連隊で開発されていた特殊な戦技や機材の取り扱いを友軍に伝授するのが任務のはずだったのだ。
だが実際には、厨川少佐は今次大戦を通じて満州共和国軍の特殊戦部隊である特務遊撃隊の一員のように扱われてしまっていた。この戦争が終わろうとしている今になっても、フランスの山の中で身を潜めながら双眼鏡で眼下の山腹に存在する洞窟のような坑道入口を監視していた。
厨川少佐の後ろには、隊長である尚少佐を除く特務遊撃隊の幹部と案内のフランス人が揃っていた。最近では尚少佐が他隊や上級司令部である機動旅団との連絡などで不在のことも多いから、実質的に厨川少佐が特務遊撃隊を率いるような格好になってしまうことも多かった。
眉をしかめた厨川少佐の視界に僅かな動きがあった。坑道の出入り口の近くで周囲を監視していた男たちが、中から出てきた同じような男たちと交代するところだった。
一応は洞窟に近づくものを警戒するための見張りなのだろうが、隠蔽が中途半端な上に担当する時間が長すぎて弛緩するのか、交代役に露骨に安堵した表情を浮かべた顔を向けながらも煙草の煙を上げるものも少なくなかった。
しかも目立たない色とはいえ格好が雑多な民間人の姿のものだから、一見すると山賊と見間違えそうだった。
―――これがうちの部隊の訓練中なら鉄拳制裁ものだな……
周りの草葉を揺らして目立たないようにゆっくりと後退しながら厨川少佐はそう考えていた。
後方に控えていたのは、この場所を知らせてきたフランス軍情報部のピカール中佐とその部下だった。副官だというロート大尉が緊張した表情を崩さないのとは違って、ピカール中佐は気楽な様子で特務遊撃隊の隊員達と談笑していた。
あるいは一方的に話し掛けて迷惑がられているだけかもしれない。
そんな太平楽な様子のピカール中佐に対して、厨川少佐は険しい表情で言った。
「本当にあの連中が中佐殿の言う共産党系の抵抗運動なのか。随分と緊張感にかける連中だが……」
ピカール中佐が特務遊撃隊の前に姿を表したのは、一週間ほど前の事だった。
どんな伝手を頼ってきたのかは知らないが、機動旅団の旅団長が署名した命令書を携えてきたピカール中佐は、先頃パリ郊外で発生した講和条約の調印式に出席するドイツ特使を狙った爆破事件の犯人に関する情報を手土産に、抵抗運動構成員の捕縛を依頼してきていたのだ。
その情報は特務遊撃隊の隊員たちにとって複雑な思いを起こさせていた。爆破事件は警備にあたっていた特務遊撃隊の目の前で発生していたからだ。あるいは、ピカール中佐はあらかじめその事を把握した上で実施部隊に彼らを選んでいたのかもしれなかった。
その証拠にピカール中佐は自分の頬に指をなぞらせながら言った。
「それは間違いない。あの鉱山跡地を不法に占拠している連中は貴官の顔に傷をつけた連中だよ」
無意識のうちに厨川少佐も頬に手を当てていた。
厨川少佐の頬には目立つ裂傷の跡が残されていた。ドイツ特使を狙った爆破事件の際に負った傷跡だった。奇跡的に大きな怪我はなかったというのに、目立つ所にだけ傷を残していったのだ。
だが、厨川少佐が何かをピカール中佐に返す前に、特務遊撃隊の番頭格とも言える金少尉が憤懣やる方ないと言った様子で鼻息荒く言った。
「うちの先生を傷物にしやがったとは太え野郎どもだ。お前ら、彼奴等にゃ容赦するんじゃねえぞ」
厨川少佐は嫌そうな顔で反論しようとしたが、それよりも早くこの隊の半数を率いる王美雨中尉が脳天気な声を上げていた。
「そうかねぇ。和兄ぃの傷は昔見た日本の……何だっけ、漫画みたいで格好いいじゃないか」
厨川少佐はげっそりとしていた。任侠映画でもあるまいし、目立つ傷など邪魔なだけだろう。だがやはり少佐がなにか言う間は与えられなかった。
「そういえば、先生の顔にゃさらに凄みが……いや何でもないです」
お調子者の南が能天気に口を挟んでいたが、厨川少佐が無意識のうちに腰の軍刀に手をやりながらひと睨みすると、青い顔になっていた。
だが、剣呑な厨川少佐の表情に気がついているのかいないのか、美雨がにたにたと笑いながらさらに言った。
「いいじゃないか、兄ぃ。もし婿のなり手がなければあたしが貰ってあげるよ」
厨川少佐はげんなりとした表情で振り返ろうとしたが、またそれよりも早く金少尉が口を挟んでいた。
「そいつはいいや、先生がうちに来てくれればあっしも安心して先代にご報告して隠居出来るんですがねぇ……」
それを聞いた厨川少佐は、思わず任侠映画の用心棒に扮した自分がヤクザの親玉に転身する様子を思い浮かべてしかめっ面になっていたが、上機嫌な特務遊撃隊の面々を無理やりに無視すると、厨川少佐はピカール中佐に向き直っていた。
「それで、中佐殿。あれが爆破事件の犯人という証拠はあるのだな」
面白そうな顔で漫才のようなやり取りを聞いていたピカール中佐は、笑みを浮かべたままで言った。
「爆破事件の阻止には至らなかったが、我々フランス軍情報部は以前から共産党系抵抗運動の動きを探っていた。爆破事件の前には情報提供者と接触寸前までいっていたのだが……
いずれにせよ、他の抵抗運動とは異質な動きを共産党系組織がとっていたのは確実だ。彼らはドイツ軍の圧政に対する自発的な抵抗運動や自由フランス、英国情報部の指揮系統にある軍系の抵抗運動とは全く異なり、ソ連共産党筋からの支援と統制を受けているようだ。
それに、この場所は隠れ家とすれば案外都合がいいかもしれんよ。実際我々の調査がなければこの場所を探そうというものはいなかったのではないかな」
厨川少佐はピカール中佐の言葉を考えていた。確かに中佐の言うとおりにこの辺りは最近になって戦力の空白地帯になっていた。
アルザスと呼ばれるこの地方は、古くから係争地域として知られていた。今次大戦前にはフランスが領有していたが、ドイツに敗れた後はドイツ領に編入されていた。
反英世論に押されてヴィシー・フランスが枢軸軍で参戦を決意した際には、ドイツからの露骨な勲章としてアルザス地方の行政権はフランスに返還されていたが、フランス本土の北部は元々ドイツ占領地帯に指定されていたからヴィシー政権による実効支配は及んでいなかった。
そのドイツ占領地帯も講和条約によってすでに消滅していた。事前協議中にドイツ占領軍は本国に帰還しており、その代わりに国際連盟軍が欧州占領地域からのドイツ軍撤退の監視と占領国の戦力が再編成される迄の治安維持を目的に進出していた。
ただし、現在もこの地域に残留している国際連盟軍は、機関銃や装輪装甲車程度の軽装備しか持たない後方警備用の野戦憲兵部隊だけになっていた。
国際連盟軍の主力は、ようやく調印された正式な講和条約と同時に、ソ連軍に対する抑えとしてドイツ本国になだれ込んでいたのだ。それで一時的なものであったとしてもアルザス地方には有力な戦闘部隊がいなくなっていたのだ。
そこまで考えた厨川少佐はピカール中佐に頷いて見せていた。
「状況は了解した。それで、あの洞窟……廃鉱山の坑道はこれで間違いないのだな」
古びた地図に厨川少佐が手をやると、ピカール中佐も頷いていた。
「あの坑道から伸びる鉱山は半世紀ほど前に開発されていたものらしいが、先の大戦前には掘り尽くされて操業を停止している。鉱山を保有していた会社は既に倒産していたが、パリの所管官庁の保管庫に当時の記録が残されていた。
元々管理が杜撰な会社だったらしく、正規の書類で残っているのはこれだけだろう。結束力が高くとも組織力に劣る共産党系の抵抗運動がこの写しを公的機関から密かに手に入れているとも思えない。
またアルザス地方がドイツ占領下にあった事を考えると、彼らがあの廃鉱山を根拠地と定めてからさほど長い時間は経っていないはずだ。つまり本格的な坑道の改良が行われている可能性は低いと言えるだろう」
厨川少佐は曖昧にうなずいていた。
「そんないい加減な会社だったら、この図面もまともかどうかは分からんがな……
まあいいだろう、周囲の警戒と万が一の敵勢力脱出の可能性を考慮して王小隊は坑道入口が見渡せる地域で待機、坑道内部には金小隊が突入、指揮は俺が取る。見張りを狙撃で始末したら一気に突入するぞ。坑道の地図を把握しておけ」
狙撃銃を手にした美雨はさっきからやけに不機嫌そうだったが、坑道に突入する他の隊員は近接戦闘用の拳銃を手にして頷いていた。
長射程の一方で銃身が長く狭い建物内などでは邪魔になることも多い小銃ではなく、連射のきく割に取り回ししやすい拳銃や短機関銃を使用して火力で圧倒するのが特殊戦部隊の常道だった。
特務遊撃隊が普段使用する拳銃はフルオート射撃の可能なモーゼル拳銃だったが、坑道内では銃声が響くことから今回は銃口に減音器をつけた日本陸軍制式の九五式拳銃や一式短機関銃を使用することになっていた。
厨川少佐も、使い慣れた九五式拳銃特型をホルスターに入れていたが、それを抜く気は無かった。その代わりに少佐が腰の軍刀を抜くと、特務遊撃隊の戦闘に慣れていないピカール中佐やロート大尉は唖然とした表情を浮かべていた。
誂えこそ軍刀仕様ではあったが、厨川少佐が手にした刀は一族に伝わる美術品とも言える業物だったからだ。
ただし、陸奥守吉行が作刀したものと伝わるその一振りは、決して美術館の陳列棚に収まるようなものでは無かった。
親族から託された厨川少佐の手で今次大戦でも何度かドイツ兵の首をはねていたが、それ以前も尚武の家系である厨川少佐の先祖達の手で幾多の戦場に持ち込まれた実用品だったのだ。
もしかすると、二人のフランス人も刀の煌めきの下に拭い切れない血の気配を嗅ぎとっていたのかもしれなかった。
彼らの予感は当たっていた。今回の共産党系抵抗運動の捕縛作戦では、また厨川少佐が振るう刀でフランス人の血が流れていたからだった。
四四式軽装甲車の設定は下記アドレスで公開中です。
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九五式拳銃の設定は下記アドレスで公開中です。
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一式短機関銃の設定は下記アドレスで公開中です。
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