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1945ドイツ平原殲滅戦33

 ユトランド半島に位置するデンマーク領内に、日本陸軍第5師団を先鋒とする遣欧第2軍が上陸してから既に3日が過ぎていたが、大規模な戦闘はこれまで発生していなかった。



 広島に駐屯地を構える第5師団は、今次大戦の開戦前は同地に陸軍船舶司令部が存在していた事や近隣の呉鎮守府との深い関係などから、揚陸戦機材を集中配備される上陸戦闘部隊に指定されていた。

 広島鎮台を前身とする古豪師団でもある第5師団が上陸戦闘に特化した部隊とされていたのは、確固とした足掛かりを持たない中華民国で発生する可能性のある内乱への介入や、日本帝国の委任統治領や米領などが点在することで複雑に国際情勢が絡み合う太平洋での騒乱を想定していたらしい。


 上陸戦闘の訓練場にも事欠かない瀬戸内海沿いに駐留していた第5師団だったが、今次大戦への投入はそのような同師団の性格を変化させていた。

 イタリアへの上陸以後は揚陸戦機材が不要になった一方で、上陸戦闘に特化した第5師団の重装備は乏しく、今次大戦における正面切った火力戦闘には不向きだったのだ。


 イタリア半島では河川や長大な海岸線を利用した敵戦線後方への上陸戦闘が敢行された時もあったが、陽動を主な目的とするそうした小規模な上陸戦闘では師団全力が投入されることは少なかった。

 海軍の戦艦や巡洋艦といった大規模な火力支援を受けた上陸戦闘では、遣欧方面軍直轄戦力の海軍第2陸戦師団の方が向いていた。急遽編成された海軍第2陸戦師団は、各地の常設部隊である特別陸戦隊を集成した部隊だったから、小規模な局面への分割投入が容易だったのだ。



 既に南仏への上陸前には第5師団は苛烈な欧州戦線に対応するための重武装化を前提とする再編制の対象になっていた。揚陸戦機材の多くを上級司令部である遣欧方面軍直轄に返納した代わりに、戦車隊や大口径火砲の増強を受けていたのだ。


 国際連盟軍や通商破壊戦の渦中にあった英国本土などに対する補給を絶やさない為に、日本本土では生産体制の維持増強が優先されており、頭数が必要な歩兵部隊の補充や予備役招集は進んでいなかった。

 だが、その代わりに本土に残されていた予備師団や各種学校などから抽出された機械化部隊が増援に派遣されていた。

 歩兵部隊は平時においては多くは予備役を当てにして充足率が低かったのだが、長期間の特殊な訓練が必要な砲兵や機甲兵は平時から充足率や志願兵の割合が高かった為にそのような一部の抽出が可能だったのだ。第5師団に配属されたのも日本各地から派遣されてきた部隊ばかりだった。



 第5師団の重装備化と共に、それぞれ3個師団を基幹戦力とする遣欧第1、2軍の均質化が並行して行われていた。

 各軍の部隊規模だけ見れば他国軍の軍団に相当するのだが、日本軍が配属される支援部隊を増やして重装備化が進んでいた事や、未だに4単位制の師団編制を維持し続けている事を考慮すると、実戦力は消耗したドイツの軍単位部隊にも匹敵するかもしれなかった。


 ユトランド半島を分断するデンマーク国境線近くに布陣した第5師団が大規模な戦闘に巻き込まれていないのは、ソ連軍も余計な消耗を避けたかったのが理由だったのかもしれなかった。

 堂々と国境線に布陣した日本陸軍遣欧第2軍を主力とする国際連盟軍は、各国の軍旗と今次大戦が始まるまで多くのものが存在を忘れかけていた国際連盟旗を掲げていた。

 ソ連が何としてもデンマークまで占領するつもりであれば、どれだけ戦死者の山を作り上げてでも無理押しをするかもしれないが、装備の整った国際連盟軍との戦闘は躊躇するものがあったのだろう。



 英国本土から出撃した部隊が揚陸艦隊の支援のもとでユトランド半島に上陸するのに先んじて、国際連盟から中立を表明するアメリカやドイツとの交戦を続けるソ連に向かって各種ルートを通して盛大に情報が流されていた。

 ドイツ占領下にあったデンマーク王国は、ドイツ支配からの完全な独立と国際連盟への復帰を宣言していたが、占領下で解体されていたデンマーク国軍には当座の領土防衛、治安維持に必要な戦力に欠けていた。

 そこでデンマーク政府は国際連盟に軍の派遣を要請し、英国本土で待機していた日本陸軍遣欧第2軍などで編成されたデンマーク派遣軍が送り込まれていたのだ。


 今回の作戦に関して実際には調印式直前にフランスで発生したテロ事件などでなかなかに進まないドイツとの正式講和を他所に密かに進められていた折衝によるものだったらしいが、前線指揮官達にはその辺りの政治的な事情は分からなかった。

 デンマーク派遣軍の目的の中には、実際にはドイツ本土への進出も考えられていたようだ。ユトランド半島に展開するだけにしては兵力密度が大きかったからだ。

 他にフランス、ベルギー等のドイツ南部に隣接する地域でも正式講和と同時にドイツ本土に展開する戦力が待機していた。



 ユトランド半島に展開したデンマーク派遣軍は、これまでのところバルト海沿いに侵攻するソ連軍に押し上げられて来たドイツ軍残余を収容する他は野戦築城しか行っていなかった。

 ドイツ軍を追撃する形で現れたソ連軍先鋒との散発的な接触の報告は今朝になって何度か上がってきていたが、本格的な交戦が起こる前にソ連軍側からの軍使派遣を受けていた。


 第5師団司令部の幕舎を訪れたソ連軍の軍使は、戦車兵用の薄汚れた軍衣を着込んではいたが、堂々とした態度の男だった。細身の戦車兵の後には小太りの政治将校も同行していたが、二人ともまだ若く三十路に達しているかどうかといったところだろうと早見中将は読んでいた。


 遣欧第2軍を率いる早見中将も軍司令官に補職されるまでは第5師団の師団長を務めていた。

 ただし、日本帝国が今次大戦に正式に参戦してから第5師団は欧州から離れていなかったから、師団長である早見中将も本土に帰還することはなく、正式には親任式を経ていないから軍司令官相当と書類上は記載されていた。

 そのような曖昧な処置が原因というわけではないが、早見中将は腰が軽く前線の司令部に視察を行うことも多かった。古巣である第5師団司令部に軍使が訪れたと聞いて駆けつけてきたのも、軍司令部が師団司令部に近接していたからだ。



 敵地にも等しい日本軍の幕舎内にいるというのに、細身の戦車兵はふてぶてしい顔で上座に座る早見中将に敬礼するとまくしたてるように言った。

「赤軍第9親衛重戦車連隊長、イヴァニューク・イヴァースィク・イヴァーノヴィチ親衛少佐であります。同志政治委員タラース・セルゲーエヴィチ・マルケロフ大尉と共に方面軍軍司令官からの親書をお持ちした。これを然るべき立場の司令官にお渡ししたい」


 早見中将も名乗ると、親書を受け取って中身を脇に控えていた通訳に渡して見せていた。ロシア語を理解する通訳が内容を確認している間に、早見中将はにこやかに笑いながら熱い茶を勧めたが、細身の男、イヴァーノヴィチ少佐は不機嫌そうな顔で断っていた。

 顔を引つらせながらも小太りの政治将校、マルケロフ大尉は慣れない様子で茶碗を手にしていたが、一口飲むと不思議そうな顔をして流暢な英語で言った。

「これはどこのお茶でしょうか。今まで口にしたことの無い味だな」


 丸々とした顔つきのマルケロフ大尉に、早見中将も好々爺じみた顔で言った。

「それは日本の茶でね。それもこの第5師団の師管区が存在する広島で取れたばかりのお茶だそうだ。ドイツの通商破壊が無くなって余裕ができたのか、最近になって日本本土から新茶が他の嗜好品と共に届いたものでね。貴官らもぜひ我が国の平和を味わってくれたまえ」


 イヴァーノヴィチ少佐は英語を解さないのか、それとも日本人と親しくするつもりがないのか、眉をしかめたまま二人のやり取りを聞いていた。その様子を横目で見ながら、早見中将は通訳がまとめた要約を確認していた。



「さて……我々としても偶発的な衝突は避けたい。貴軍も我が友邦デンマークに侵略する意図がなければ我々は衝突を避けられるだろう……何れにせよ、ようやくこの戦争も終わりだ。後は政治家達に任せようじゃないかね」

 早見中将は達観した様子だったが、イヴァーノヴィチ少佐は険しい表情のままで言った。

「その前に日本軍が今朝から確保しているファシスト共の捕虜を引き渡してもらう。戦争が終わるまで、侵略者共は我々が始末する」


 イヴァーノヴィチ少佐の剣幕に幕舎内の参謀達も眉をしかめていた。それどころかあらかじめ相談されていたわけではなかったのか、マルケロフ大尉も唖然とした表情を浮かべていた。

 もっとも、真正面からイヴァーノヴィチ少佐の怒気を突きつけられたにも関わらず、早見中将は困ったような顔を浮かべただけだった。

「それは出来ない相談だ。既に我々はドイツとの正式な講和条約に調印している。投降したドイツ兵の引き渡しは拒否せざるを得ない」


 早見中将の回答を聞いたイヴァーノヴィチ少佐は怒気を隠そうともしなかった。

「やはりヤポニェッツはファシストとつるんでいるのか。侵略者を庇うということは奴らを投降させているのではなく保護しているということではないか。返答如何によっては我々は日本軍との戦闘も覚悟しているが、その場合の責任は侵略者を保護する日本軍にあると言わせてもらう」


 それ以上は言葉にならない様子で激高するイヴァーノヴィチ少佐に、困り顔のままで早見中将は懐から一枚の写真を取り出して見せていた。



 興奮していたイヴァーノヴィチ少佐は、見せられた写真の様子に困惑した表情になっていた。写し出されていたのは、どうということはない光景だった。第5師団の参謀たちも、写真を覗き込んでは要領を得ない顔になっていた。

 写真の背景は病院らしく清潔そうな真っ白なものだったが、高価なカラーフィルムではないから詳細は分からなかった。確かなのは、まだ髪の毛も生え揃っていない赤子を抱きかかえる若い母親らしき女が幸せそうな笑みを浮かべていることだけだった。

 遠雷のようにこだまする砲声すら聞こえる野戦司令部用の殺風景な幕舎の中で見せられたことを除けば、ありふれた家族写真だとも言えた。


 呆気に取られていたイヴァーノヴィチ少佐は、ゆっくりと視線を写真から早見中将に向けていた。

「私の娘だ。写真はこのお茶と一緒に送られてきた。一緒に写っているのは私の初孫だ。

 ……少佐、初孫もまだこの手に抱いたことのないこの老人を哀れだと思うのならば、私を無事に日本まで返してくれないかね。この戦争は長く続き過ぎた。もう皆で家に帰っても良いんじゃないかね」



 しばらくイヴァーノヴィチ少佐は無言だった。

 不安になってきたのか、マルケロフ大尉がイヴァーノヴィチ少佐の顔を覗きこもうとしたが、それよりも早く少佐は顔を上げていた。


 だが、イヴァーノヴィチ少佐の顔に先程までの険しさはなくなっていた。ただ疲れ果てた男の顔は、今にも泣き出しそうになっていた。

「俺にも娘がいた。妻もいた。だが、今は誰もいない。あの街と共にファシストが俺から全てを奪っていったんだ。これは血が求める正当な行為だ」

 慈父のような笑みを浮かべながら早見中将は諭すように言った。

「それでは尚更に君たちに不法な行為をおこさせるわけには行かない。父親となった男は、無垢な幼子を抱きすくめる時に躊躇いを抱かせるような事をしてはいけない」



 無言のままイヴァーノヴィチ少佐はその場に立ち尽くしていたが、マルケロフ大尉に抱きかかえられる様にして幕舎を後にしていた。肩を落とした男たちの背中を見送りながら、早見中将は司令部の参謀たちに向き直って言った。

「さて諸君、我々も仕事に取り掛かるとしよう。まあ南部の同僚達に比べれば大したことの無い仕事だ……」

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