1945ドイツ平原殲滅戦32
―――それにしても随分と派手な戦になったもんだ……
ゆっくりと旋回しながら次々と眩い砲火を放っている航空機を四五式戦車の展望塔から身を乗り出して眺めながら、池部大尉はそう考えていた。
すでにチェコ領内に侵攻していたソ連軍は半包囲下にあった。彼らにとって見ると後方連絡線にあたるドイツ国境線には穴があったが、3個師団相当と推測されているソ連軍のうちどれだけが包囲網から脱出することが出来るかは分からなかった。
未だにウースティー市周辺に構築された陣地から動いていないのはロシア師団だけだった。極一部の機械化された偵察隊などを除いて、ロシア師団主力は追撃戦には参加出来なかった。他の師団と比べて機械化率が低い事もあるが、3倍のソ連軍を押しとどめた戦闘で被った損害が大きすぎたのだ。
国境線近くの街道で始まった池部大尉達の遅滞戦闘は、次第に前線で確認されるソ連軍の規模が拡大しながらも市郊外のロシア師団陣地まで延々と続いていた。
だが、ウースティー市郊外に陣取る元ソ連軍捕虜からなるロシア師団の存在を確認したせいなのか、不倶戴天の敵とばかりにソ連軍は池部大尉達を無視するとロシア師団に遮二無二突っ掛かっていたのだ。
池部大尉達が遅滞戦闘を行っている間に陣地を構築していたとはいえ、数で劣るロシア師団にとっては苦闘の連続だったはずだ。遅滞戦闘を終えた池部大尉達もソ連軍の側面から援護していたが、一時は師団司令部にもソ連軍が迫る程の激戦であったらしい。
だが、ロシア師団の予想外とも言える粘り強い防御戦闘は最終的には報われていた。ロシア師団が稼いだ時間を利用して、西部から満州共和国軍第10独立混成師団、東部からはリベレツ市から急行してきた日本陸軍第7師団の一部が包囲網を構築してソ連軍後方を襲っていたからだ。
ロシア師団の損害を顧みない抵抗によって衝撃力を失い、更に弱体な側面警戒部隊を撃破しつつ迫る機械化された両師団の脅威を受けてソ連軍は慌てて後退を開始していたが、勢いに乗った国際連盟軍は他方面から抽出するのが容易だった対地攻撃機部隊をも投入していた。
池部大尉は航空部隊が投入される以前から友軍の行動を不審に思っていた。急行した第7師団所属の機動砲兵連隊から最初に行われた砲撃は、ウースティー市郊外の前線を飛び越えて、航空戦闘に介入して位置を暴露していたソ連軍後方の対空部隊に集中していたからだ。
地上部隊の侵攻開始に遅れて航空戦が開始されていたが、地上から見ると双方共に制空権を確立するための戦闘に終始している様子があった。少なくとも当初は熾烈な戦闘が繰り広げられているという印象は無かった。
戦力が拮抗しているのか、あるいは本格的な戦闘を避けていたのか、戦闘機だけではなく地上攻撃機も友軍の三式襲撃機やソ連軍のIl-2などがまばらに現れる程度だったのだ。
ところが、機動砲兵連隊の投入によって状況は一変していた。それまで沈黙していた満州共和国軍やロシア師団の野砲部隊も火力をソ連軍に向けていたからだ。
この時まで池部大尉も知らなかったのだが、第7師団の師団砲兵隊は急遽増強を受けていたらしい。指揮下の火砲が増えていたわけでは無かった。連隊司令部の管制機能が強化されていたのだ。
おそらくは機動力を持った砲兵情報連隊などが遣欧方面軍直轄戦力である砲兵団から抽出されて配属されていたのだろう。司令部機能の強化は、満州共和国軍やロシア師団の火力も合わせて統制を行う為だったようだ。
しかも、イタリア戦線で砲兵団司令部が担っていた様に、地上の砲兵隊だけではなくこの方面に展開する全ての火力を管理している筈だった。そうでなければこのような戦闘の推移にはならないはずだったからだ。
対空砲への集中射撃に続いて、これまでにない大規模な飛行戦隊級の戦闘機隊が一挙に投入されていた。
現れた戦闘機は単発単座の一式戦闘機と三式戦闘機の混成部隊だったが、明らかに秩序だった戦闘を行っていた。少なくとも国境線付近までの制空権は一時的に確保されていたようだから、機能が充実した空中指揮官機が付近に在空しているのかもしれない。
投入された戦闘機は何れも日本陸軍の制式機だったが、国籍標識は日本軍のものではなかった。満州共和国の軍旗を元にした標識を掲げた戦闘機の群れは、瞬く間にソ連軍機を撃滅していたが、それ以降は地上銃撃などの積極的な動きを取らなかった。
戦闘機に代わって姿を表していたのは、一式重爆撃機を原型としながらも異様な姿となっていた一式重襲撃機だった。
重襲撃機と言う呼称は正式なものではなかった。単に前線の兵士達がつけた愛称のようなものだ。正式な書類では一式重爆撃機三型である筈だが、あまりに重襲撃機という愛称が広がってしまったことから最近では公文章である戦闘詳報などでも重襲撃機と記載される例が多いと聞いていた。
おそらくは原型機から形態が大きく逸脱したために、見るものに与える印象が個別の名称を求めたのだろう。
爆撃機から空中指揮官機に改造された中には電波警戒機の空中線を突出させたものもあるが、重襲撃機の場合は更に異形の姿になっていた。側面から無造作に鉄柱が突き出されている様にも見えるからだ。
実際には、一式重襲撃機の側面に備えられていたのは高射砲を原型とした巨大な75ミリ砲だった。側面から火を吹く一式重襲撃機を見ていた池部大尉はふと視線を落として、自分が乗り込んでいる四五式戦車の砲塔から伸びている主砲を見つめていた。
―――やはり、何度見てもこいつと同じものが空中に浮かんでいるとは思えんな……
一式重襲撃機と四五式戦車の主砲は、共にライセンス生産されたボフォース社の高射砲を原型としていた。勿論反動の抑制などを目的として改造が行われているから砲架周りの構造は高射砲とは大きく異なるし、戦車砲型では薬室の拡大などの結果別物となってはいるのだが、少なくとも原型は同一であった。
元々、重襲撃機がそのような大口径砲を搭載したのは、航空撃滅戦の中で通常の重爆撃機が厳重に防護された航空基地を襲撃する際に、先行して対空陣地を制圧する為だった。
つまり、重力に逆らって砲弾を打ち上げる高射砲よりも有利な高度から大口径砲弾を放つ事で、敵高射砲の射程外から一方的に撃破しようというのだ。
だが、一式重襲撃機がこの形態となるまでには紆余曲折があった。
日本陸軍機で初めて75ミリ砲を搭載した航空機は九七式重爆撃機を原型とする機体だった。ただし、九七式重襲撃機とも呼ばれたその機体は、常識的とも言える機首に首尾線に沿った形で大口径砲を備えていた。つまり爆撃手席の代わりに砲を備えていたのだ。
それに搭載されたのは高射砲を原型とする75ミリ砲ではあったが、旧式の短砲身砲だった。
対空砲制圧を目的として開発はされたもの、この配置には無理があった。砲口が前方に固定されている上に機関砲などとは異なり人力の再装填には時間がかかるから射撃機会が限られるからだ。
つまり対空砲を狙った初弾の一発が命中しなければ、いくら高度差が有るために射程などで優位であったとしても敵の対空砲火に真正面から突っ込む事になってしまうのだ。
実際には単なる対地攻撃機として運用されていた九七式重襲撃機の構造上の欠点を是正したという触れ込みで部隊配備が開始されたのが一式重襲撃機だった。原型機は九七式重爆撃機と比べると格段に大柄な一式重爆撃機であったから、その主砲は長砲身化に加えて砲口を側面に向けることが可能だった。
一式重襲撃機の攻撃態勢は異様なものだった。側面に砲口を向けるために射撃目標を常に砲身の延長線上に捉えながら旋回を続けるのだ。これであれば主砲は再装填が終わり次第即座に目標を連続して射撃出来るし、理論的には上空から敵対空砲の射程外から一方的に制圧できるはずだった。
ただし、一式重襲撃機の飛行姿勢にも欠点が潜んでいた。目標を中心に旋回を続けるということは、常に空域の一点を通過するということになるから、健在な対空砲火がある限り容易に飛行経路を予測されて狙われることになるのだ。
旋回しながら射撃を行っている間は随時の回避もできないから、敵戦闘機があっても無防備になる筈だった。
逆に、一式重襲撃機が在空できる程の環境であれば、態々無理をして一式重襲撃機を投入する程のこともないという矛盾を航空隊の関係者は感じていたようだ。
それに重装備の銃砲分だけ重量がある事から、一式重襲撃機は通常の重爆撃機編隊に同行するのも難しかった。目的地までは爆弾を抱える重爆撃機と同程度の重量であっても、爆撃後に爆弾の分軽くなった重爆撃機に追随出来ないのだ。
結局は、一式重襲撃機も航空撃滅戦における対空火力制圧という本来の任務ではなく前線の対地攻撃に駆り出されることが多かった。ただし、そこでも鈍重な一式重襲撃機の火力を活かすには対空砲火を無力化させるのは必要不可欠だった。
今回の作戦では最初から満州共和国軍の一式重襲撃機を投入する事が決まっていたのだろう。それで3個師団の火力を集中してまず最初に対空砲を制圧していたのではないか。
そして、対空砲火が減衰したところで一式重襲撃機が上空を我が物顔で進入してきたのだ。
複数の一式重襲撃機がウースティー市郊外のロシア師団陣地周辺をゆっくりと旋回している姿は、荘厳さすら感じられるものだった。旋回を続けながらも一式重襲撃機は、遥か下方でうごめくソ連軍の歩兵や各種車両、場合によっては重装甲の戦車でさえ目標にして野砲を越える速度で砲弾を撃ち込んでいた。
一式重襲撃機の砲撃の合間を縫うようにして、地上の砲兵隊も火力を後退を開始したソ連軍に向けていた。
池部大尉はふと視線を近くに停車していた二式軽戦車に向けていた。砲兵隊の前進観測車仕様のその車両は、池部大尉達の中隊に随伴していた前進観測班を乗せたものだったが、遅滞戦闘で後退する中で結果的に観測に適した地点に存在していた。
それ故に師団本隊の展開に先んじて高所を占有していた観測班は、第7師団の師団砲兵隊や他師団の火砲だけではなく一式重襲撃機の火力をも誘導していたのだ。
池部大尉は、二式軽戦車の車長用扉から身を乗り出して双眼鏡を構える若い将校を見つめていた。
車内に残る観測班の下士官兵に慌ただしく指示する砲兵将校を見ながらぼんやりと池部大尉は考えていた。
―――この若いのは自分がこの戦艦並の火力を指一本で指揮している事に気がついているのだろうか……
その時、池部大尉にも車内から声がかけられていた。装填手席から頭だけ出した田中伍長が言った。
「大尉殿、大隊長から通信が入りました」
「根津少佐か……何のようだって言っていたんだ」
「うちの中隊も本隊に合流しろって言ってます。また最前線ですかねぇ」
池部大尉は首をすくめていた。
「結局最後は砲兵が耕したあとで歩兵が突撃だ。さしずめ俺たちは歩兵の盾だな」
「このままソ連軍を追いかけて最後はベルリンまで行けますかね」
「どうかな、こんなに俺達の作戦がうまく行ったのは、単にソ連軍が本気になってせめて来なかっただけじゃないか。奴らが本気なら軍団どころか軍やら方面軍の規模で押しかけてくるさ」
「そんなものですかねぇ……」
首を傾げる田中伍長に池部大尉は苦笑いを返していた。遅滞戦闘では苦戦したとはいえ、その後の包囲戦は上手く行き過ぎていた。こんな僥倖が戦訓となってしまえば、逆に今後ソ連軍を過小評価するものが出てきて長期的には不利になるのではないか。
この戦争もまだ終わっていないのに、池部大尉はそんなことを考えていた。
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