1945ドイツ平原殲滅戦28
着陸を終えた滑走路端から掩体に向かう誘導路にFw190Dを走らせながら、デム曹長は周囲に広がる様子を確認していた。やはり思ったとおりの結果だった。
着陸前に基地周辺を観察しているうちに分かったのだが、デム曹長達が出撃してから帰還するまでの間にこの基地は空襲を受けていたらしい。何箇所かに火災が発生していたのか黒ずんだ痕が残されていたのだ。
ただし、着陸前には損害を受けたはずの基地の状況に関して何の連絡も無かった。少なくとも着陸に関係する滑走路や誘導路に関しては被害は出ていなかったか修復済みということになるのだろう。
そのことからも分かるように空襲はさほど大規模なものではなかったようだ。既に消火活動は終わっているのか燻すように僅かな煙が上がっているだけだった。
この基地はこれまでは後方拠点としてしか使用されていなかったはずだから、基地要員が消火活動に関してさほど手際が良いとは思えなかった。短時間で消火作業が終了したということは、やはり空襲自体が小規模なものだったのではないか。
多発の重爆撃機を投入した本格的な空襲であれば、仮に撃退出来たとしても痕跡はこの程度では済まなかったはずだ。これでは、もしかすると掩体に格納されてしまえば空襲の痕跡すら見つけられなかったかもしれなかった。
もっとも、デム曹長は空襲の被害を確認しても安堵の気持ちは持てなかった。空襲を行ったのが爆弾搭載量の少ない襲撃機の少数編隊であったということは、逆に言えばソ連空軍単発機のさほど広いとは思えない行動圏内にすらこの基地が収まってしまったということを意味するからだ。
それにソ連軍の戦法は、前線の火砲から襲撃機、爆撃機、さらには戦闘機による地上銃撃まで含めた全火力を陣地帯から後方の補給拠点、部隊集結地まで含めた全縦深で同時に叩きつける事になっていた。
実際にはソ連軍の思惑通りに進むことはそうそうはなかったが、それでもこの基地を空襲したのが襲撃機ということは、より搭載量の大きい貴重な重爆撃機などはさらに後方の拠点や大規模飛行場などに向けられているのではないか。
ドイツ中部のこの基地にデム曹長達第53爆撃航空団が移動してきたのはつい最近のことだった。それまで隊員の補充や訓練の為に展開していたベルリン近くの基地では地上戦闘に巻き込まれる恐れすら出てきていたから、大規模な戦力を残している航空団の出撃拠点としては使用できなくなっていたからだ。
他国の機体と比べるとドイツ空軍の戦闘機は比較的航続距離が短いというが、それでも前線は戦闘機隊が日に何度も往復して出撃できるほど接近していた。
さらに言えば機械化が進んでいるソ連軍が相手の前線はひどく流動的になっていたから、最悪の場合は地上戦闘に巻き込まれるどころか、基地ごと前線を突破した敵軍に包囲されて、友軍から取り残されてしまうかもしれなかったのだ。
それにデム曹長が乗り込んでいるFw190であれば、戦闘爆撃機などとしても多用されていることから分かるように劣悪な環境が予想される野戦において使用されることを考慮していた機体だったが、航空団の主力であるMe262は未だ繊細な運用が必要なジェット戦闘機だった。
ジェット戦闘機を従来のピストンエンジン搭載機のように前線近くの野戦飛行場で運用する場合は、著しく稼働率が低下してしまうのだ。
そのような理由もあって、爆撃航空団は慌ただしく後方に移転したはずだったのだが、実際にはこの基地も急進撃を行うソ連軍から十分な間合いを取ることは出来なかったらしい。
デム曹長と共に着陸した機体は少なかった。下級士官が不足していたから出撃した編隊の指揮官は曹長自身だったが、後続する僚機の乗員も古参の下士官搭乗員ばかりだった。慣れない事をさせられて疲労していたが、着陸作業そのものに不安は無かった。
爆撃航空団の主力であるMe262は高速を活かした対爆撃機戦闘に専念していたが、デム曹長達Fw190Dを装備する飛行隊は同じ基地から対地攻撃に連続出撃していた。
開戦以後、戦域が拡大し続けていたドイツ空軍では、航空団の全戦力が単一の飛行場に展開するとは限らなかった。むしろ飛行隊単位で抽出される事も珍しくなかったから、場合によっては航空団隷下の飛行隊が遠く離れた地中海とロシアに同時に展開していることもあったのだ。
ただし、第53爆撃航空団の場合は少々事情が異なっていた。双発爆撃機から当初戦闘爆撃機として運用される筈だったMe262に機種転換を行っていた航空団にとって、従来型のピストンエンジン搭載機Fw190Dを装備したデム曹長達の飛行隊は基地防空用に特化した部隊だった。
つまりジェットエンジン搭載機使用する航空団主力を支援するための飛行隊であるのだから航空団単位で一体となる運用をしなければ意味がなかったのだ。
第53爆撃航空団に配備されたMe262は、ジェットエンジンによる高速化は果たせたものの、着陸速度の増大や加速性能の悪さなどから離着陸時の脆弱性を抱えていた。
デム曹長達の飛行隊は、本来はこの無防備にMe262が離着陸する際の上空援護を行う為の部隊だったのだ。
ところが、この基地に移動してからは、デム曹長達が本来の任務である基地防空、上空援護を行う機会は少なかった。
前線から距離をとったために敵戦闘機の脅威が薄れたということも理由の一つではあったが、実際には前線に投入可能な機材、搭乗員が共に不足しているために基地防空に専念する事が出来なかったという方が正しかった。
しかし、航空団主力のMe262が制空戦闘に専念する一方で、対地攻撃に駆り出されたデム曹長達の戦果は少なかった。曹長達が対地攻撃の訓練をろくに受けていないのに加えて、機材面でも不適であったのだ。
飛行隊に対地攻撃が下命されたのは、おそらく戦闘攻撃機として運用されていたFw190が配備されていたからだった。
ドイツ空軍の優先生産機種の一つに指名されていたFw190は、頑丈な機体構造と俊敏性を併せ持つことから、実質的には旧式化したJu87急降下爆撃機の後継機として地上攻撃航空団の主力機材とされていたのだ。
だが、地上攻撃航空団に配備された機体の主流とデム曹長達の乗機では、同じFw190と言っても同型式では無かった。対地攻撃に多用されるのが空冷エンジンを搭載したA型であったのに対して、第53爆撃航空団に配備されていたFw190は水冷エンジンを搭載したD型だったのだ。
飛行隊に対地攻撃の実施を命じた司令部は、デム曹長達が乗り込む機体もFw190Aと勘違いしていたか、そもそもA型とD型の区別がついていなかったのではないか。
地上攻撃航空団の中にはFw190Dを装備する部隊もあるらしいが、少なくとも主力をなすのは空冷エンジンを搭載したA型やこれを本格的な戦闘攻撃機として改修したF型であるはずだった。
機体を製造した会社では色々と言っていたが、Fw190Dはデム曹長が見たところありあわせの機材を組み合わせて作った機体だった。
ジェットエンジンの生産にドイツ空軍が投入できる資源を集中させていたために空冷エンジンの生産数が減った分を、余剰となっていた水冷エンジンに換装したというところではないか。
Fw190Dに搭載されている水冷エンジンは、これまでドイツ空軍の主力戦闘機であったBf109に搭載されているダイムラー・ベンツ製のものではなく、Ju88などの双発爆撃機に搭載されていたユンカース製のものだったからだ。
総統暗殺事件以後のドイツ空軍は練習機の生産まで中止するという極端な生産機種の絞り込みを行っていたが、そのような厳しい状況の中でFw190Dが生産され続けている理由の一つはおそらくその点にもあるのだろう。
空冷エンジンの生産数を調整するためにあぶれた機体に、同じく搭載すべき機体を失ったエンジンをあてがったのがFw190Dの正体なのだろうとデム曹長達は考えていたのだ。
特性や形状の異なる空冷エンジンと水冷エンジンを換装することは本来であれば容易なことでは無かった。例えば、Bf109を空冷エンジンに換装しようとすれば、主翼下部の冷却水ラジエーターなど不要な機材、配管などを撤去しなければならないからバランスが大きく狂ってしまうはずだ。
ところが、Fw190Dの機体構造は原型となるA型から大きな変化は無かった。エンジンや関連補機に関する重量の増大に対応するために胴体後部などを少しばかり延長した程度と聞いていた。
逼迫する戦局の中では生産を継続しながら設計の大変更を行う余裕は無かったはずだ。もしそんな大変更があるのなら、最初から水冷エンジンを搭載した新設計機を用意したのではないか。
Fw190Dがエンジン換装にさほど大きな支障が生じなかった理由は、機体を生産するフォッケウルフ社の工夫では無かった。エンジン製造業者のユンカース社では、元々エンジンの換装を折り込んでいたのだ。
勿論今回のFw190のエンジン換装に合わせて最初からエンジンの設計を行っていたわけではなかった。以前からJu88双発爆撃機などでは空冷エンジンと水冷エンジンが容易に換装出来る様にされていたのだ。
ユンカース社のとった手法は異様なものだった。冷却水のラジエーターをエンジン外径に合わせた環状に整形してエンジン本体の前方に配置していたのだ。見た目はプロペラ直後に巨大な開口を持つ長い形状となったから、長大な空冷エンジンの様にも見えるものとなっていた。
空冷エンジンと水冷エンジンの換装が容易であったのもそれが理由だった。勿論配管の取り合いなどが違うから両者を混在させる事はできないが、エンジン架周りの構造は類似しており、エンジンナセルなどに複雑な配管を押し込めてラジエーターを追加する必要も無かったのだ。
ただし、双発爆撃機で成功した手法を単発戦闘機にも適用するのは無理があったのかもしれない。デム曹長はそう考え始めていた。
環状ラジエーターは、ラジエーターとエンジン本体が直結しているから冷却液配管は最短化されるし、エンジンナセルの簡素化などの利点も双発爆撃機ではあったのだろうが、水冷エンジンの利点のいくつかもまた失われていた。
水冷エンジンは冷却水やラジエーターなどの重量が嵩むものの、空冷エンジンと比べると巨大な開口が必要ではなくなるから機首を尖端形状として空気抵抗を極限出来るはずだった。
空気抵抗の大小は速度に関わってくるから、大雑把に言って同程度の技術で作れば、軽量の空冷エンジンは上昇率に優れるが、空気抵抗の少ない水冷エンジンは水平飛行時の速度に優れるという事になる。
ところが前面投影面積の大きな環状ラジエーターの装備は、Fw190Dを重い空冷エンジン搭載機という扱いにしてしまったのではないか。
尤も、単純に戦闘機としての性能に関しては、デム曹長もFw190Dが他機に比べてそう劣っているとは思わなかった。どんな機体やエンジンであっても特性が異なるのだから、その機種の得意な領域に敵機を引込めれば優位に立てるのは明白だった。
そういう意味では、Fw190Dの場合は、全開高度の低い空冷エンジンを搭載したA型と比べると高高度飛行能力に優れるという事になる。詳しくは知らないが、Fw190Dの派生型は更に翼端を延長する事で主翼面積を拡大して、高高度飛行に特化する予定のものもあるらしい。
だが、現在デム曹長達に与えられた任務はそのようなFw190Dの機体特性に適合しているとは到底思えなかった。高高度性能に優れる一方で重量のある水冷エンジンを搭載した機体で、侵攻するソ連軍地上部隊を低空で攻撃しなければならなかったからだ。
Fw190Dの高高度飛行能力は宝の持ち腐れになっていたし、爆撃機の主翼に取り付けられたエンジンナセルではさしたる問題が発生していなかった環状ラジエーターの形状も支障をきたしていた。
元々細長い水冷V型エンジンの更に前方に環状ラジエーターを設けたものだから、Fw190Dでは操縦席からプロペラまでの長さが伸びて、対地攻撃に重要な下方視界を圧迫していたのだった。