1945ドイツ平原殲滅戦26
四五式戦車に搭載された特別弾は、外観は通常の徹甲弾と大きく変わるところはなかった。
もっとも砲弾の形状という点では榴弾も同様だった。同じ砲の機関部に装填するのだから薬莢寸法などが同形状となるのは当然だが、特別弾が通常徹甲弾と変わる部分は砲弾内部に潜んでいたのだ。
特別弾という呼称そのものは防諜のために定められたものであるらしい。実際には国際連盟軍内部では構造上の特徴から硬芯徹甲弾と呼ばれることも多かった。
つまり、通常の徹甲弾は跳弾を防ぐ被帽や空気抵抗を削減する仮帽を除いた弾体が無垢で単体の金属で構成されているのに対して、特別弾の弾体は硬芯と呼ばれる内部と外皮では異なる材質の金属で構築されているということだった。
特別弾がこの様な複雑化する多重構造となったのは、既存の砲で高初速化を図るという矛盾を解決するためだった。
今次大戦においては戦車の攻防性能が飛躍的に向上していた。例えば四五式戦車が装備するような高初速の高射砲弾道である75ミリ砲が戦車主砲に必要になるとは5、6年前の日本陸軍の戦車兵に言っても首を傾げられるだけではないか。
もちろん、進化したのは砲だけではなかった。自車の主砲にある程度耐久できる装甲を備えるのが戦車設計の基本だったからだ。
日本陸軍を含む国際連盟軍の戦車や対戦車部隊にとって最大の脅威になると考えられていたのはドイツ軍の重戦車群だった。
北アフリカ戦線終盤で確認されたティーガー重戦車の装甲は、幸いな事に通常の戦車戦が想定される距離において長砲身75ミリ砲や英国の17ポンド砲で貫通できるものであったが、それでも英国陸軍は17ポンド砲を搭載できる巡航戦車として三式中戦車の購入を急遽図るほどの焦りがあったらしい。
それに、その時点でもドイツ軍はさらに強力な重戦車を開発中であるとの噂が流れており、イタリア戦線では実際に少数の重戦車が投入されていた。
だが、戦車砲の大威力化には限度があった。
銃砲の威力を強化するには大口径化が最も有効な手段であることに疑いの余地はなかった。
戦艦主砲の場合は僅か半世紀もないうちに12インチ級から16インチ級に主砲口径主力が移っていたが、12インチ級砲弾の重量が400キログラム程度しかないのに対して16インチ級砲弾では倍以上の1トン程度にはなるから、12インチ級主砲の戦艦では16インチ級主砲艦に対抗するのは極端に難しいということになる。
戦車の方はもっと極端だった。大戦勃発前の主力となっていた短砲身75ミリ砲程度を装備する中戦車を今現在の戦場に持ち込んだ所で、対戦車戦闘に限れば軽戦車程度の戦力にしかならないのではないか。つまり戦艦以上に同じ舞台に立つことすら難しいのだ。
その一方で銃砲の大口径化には限度もあった。大砲の製造に関することでは無かった。というよりも戦艦とは違って戦車の場合はより大口径の艦砲が溢れていたからだ。
現にマウス重戦車の主砲は重砲並みの巨大なものであったが、同砲でも艦上に置けば駆逐艦の主砲や大型艦の副砲程度でしかないのだ。
問題は戦車そのものではなく周辺の環境にあった。重量級の戦車を円滑に運用するには支援部隊の協力が欠かせないのだが、大口径砲とそれに見合った装甲を備えるために肥大化した戦車では、兵站や工兵にかける負担も飛躍的に増大してしまっていたのだ。
ドイツ軍の重戦車は、マウス重戦車の様な例外を除いたとしても、70トン級に達する戦車も珍しくなかった。それに対して戦車以外の多くの車両はどう頑張っても10トンも無いはずだった。大重量の重砲を自走化した車両でも30トンあるかどうかだろう。
つまり肥大化した戦車を運用するためには、他の車両では全く必要のない重量級の支援車両が必要となってきてしまうのだ。支援車両だけではなく、橋梁や輸送用艦艇の荷重制限に与える影響も大きいのではないか。
マウス重戦車などは橋梁の通過など端から諦めて水中行動能力の獲得の方に傾向していったらしい。通常の支援部隊では重量化した戦車を満足に戦闘に投入することもできないのだ。
戦車主砲の大口径化が難しいのであれば高初速化を図るしか無かった。飛翔する砲弾が有する運動量は重量と速度の二乗を掛け合わせたものであるから、着弾時の速度を上げればそれだけ砲弾の運動量は増大するからだ。
だが、高初速化も困難な手段であることに変わりは無かった。
日英などは高初速化を長砲身化によって実現するという手段は諦めている節があった。ドイツ軍は70口径を越える長砲身砲を実現しているらしいが、日英は60口径程度が実用的な限度だと考えていたのだ。
長砲身による弊害は以前から実例が知られていた。連続射撃によって生じる熱が引き起こす歪みや僅かな製造誤差が射撃精度にもたらす影響は大きかったし、運用上の問題もあった。
池部大尉達も、格段に従来砲よりも長砲身の主砲となった一式中戦車で経験していたのだが、車体を隠蔽する戦車壕への出入りや狭隘な森林地帯での行軍などといった状況においては、車体前縁から格段に突出した主砲の砲身が容易に障害物に衝突して破損してしまう事が少なくなかったのだ。
結局、日本陸軍が特別弾の開発にあたって選択したのは、砲弾の軽量化という手段だった。従来砲、つまりは従来構造の薬莢に収まる装薬によって発生するエネルギー量を受け取るにしても、砲弾が軽ければそれだけ高速になるからだ。
砲弾の軽量化という手法、あるいは概念そのものは戦車砲以前にも実例があった。艦砲やこれを転用した要塞砲の中には軽量弾を使用弾薬に含めるものもあったのだ。
ただし、要塞砲の場合は軽量弾で狙っているのは長射程化だった。軽量かつ空気抵抗の少ない形状に最適化する事で射程を延長していたのだ。
特別弾の構造に関する理論面は、砲弾の軽量化というよりも減口径砲の概念が近いのではないか。これは重金属の硬芯に軽量の外皮を這わせた特別弾と良く似た構造の砲弾を使用するものだった。
ただし、特別弾が飛翔中もその姿を維持するのに対して、減口径砲は砲口から飛び出した時点ですでに砲弾の形状は変更されていた。
つまり、外皮を含めた広い面積の底面で薬莢に充填された装薬からのエネルギーを受け取った砲弾は、砲口に近づくにつれて次第に細まっていく漏斗のような砲身を通過する間に細長く整形されていたのだ。
細長く空気抵抗の少ない形状で飛翔する減口径砲の砲弾は、言ってみれば大口径砲のエネルギーを有する小口径砲弾のように振る舞うから、従来の徹甲弾よりも格段に高速であったのだ。
理論的には以前から知られていた減口径砲はドイツ軍で最初に実用化されていたが、英国軍でも既存砲の強化のために砲口部に減口径用のアダプターを取り付けて同様の効果を図る機材が開発されており、日本陸軍でも空中挺進部隊に配属された四三式軽戦車などに減口径器を搭載したものがあったようだ。
もっとも、口径の割に貫通距離が大きい一方で減口径砲には欠点も少なくなかった。
砲弾が撃発から砲口を飛び出すまでの間に変形するという事は、同一口径の砲があっても砲弾の共有化は出来ないから、高価な専用砲弾の使用を余儀なくされていたのだ。
それに加えて減口径砲は実質的に徹甲弾専用となっていた。ドイツ軍の減口径砲には専用の榴弾もあるらしいが、炸薬量が物を言う榴弾威力からすると減口径砲の小口径高初速砲という利点は全く生かされない無駄の多い砲弾だったはずだ。
重戦車の戦車砲であっても搭載数の半数程度は榴弾となるから、対戦車戦闘に特化した減口径砲は使い勝手が悪すぎたのではないか。
ドイツ軍でも現状の対戦車兵器の主流は、貴重なタングステンなどの重金属を大量に使用する高初速砲よりも、成形炸薬弾を使用する低速大口径砲に移行している様子だった。
いわば特別弾は、減口径砲の対戦車戦闘に特化した使い勝手の悪さに対する汎用性の追求という点からの回答でもあると言えた。
砲弾の構造自体は大雑把に言えばタングステンを用いた硬芯の周囲に軽金属の外皮をまとわせた減口径砲の砲弾の構造に類似しているが、飛翔時は外皮を纏ったままだった。
外皮を取り払って重金属の硬芯が敵装甲を貫くのは着弾時になるから、砲身そのものは従来構造のままで良いことになり、使い勝手と貫通距離の増大を両立させた砲弾だったのだ。
ただし、特別弾にも減口径砲と同じある欠点が残されていた。特殊な加工機械などに必要不可欠なタングステンを使い捨て同然に使用する為に砲弾の価格が高く、通常徹甲弾や榴弾の様に各車にふんだんに搭載されることはなかったのだ。
しかも硬芯部の比重は高いが、外皮を加えた砲弾全体の重量は通常徹甲弾よりも軽いから、近距離では大きな貫通距離を持つ一方で空気抵抗による飛翔中の速度低下は大きく、遠距離での威力低下は著しいとされていた。
―――だが、この距離なら軽い特別弾の威力が減衰する前に重戦車を撃破出来るということか……
ソ連軍先鋒のIS-2が次々と撃破されていく姿を見つめながら池部大尉は凄惨な笑みを浮かべていたが、突然聞こえていた悲鳴のような報告に思わず背筋を凍らせていた。
第3小隊が陣取っていた辺りで爆発が起こったらしい。着弾とは明らかに違う勢いだった。
眉をしかめながら池部大尉は第3小隊の小隊長を無線で呼んだが反応がなかった。しばらくしてから反応を返してきたのは小隊長車ではなく感情を押し殺したような声を出した第3小隊の先任下士官だった。
「こちら32号車、小隊長車被弾、撃破された模様。32号車が小隊指揮を受け継ぎます」
眉をしかめたまま池部大尉は短く了解の声を返すと、全周視界を有する車長用の展望塔から戦場の全景を確認していた。
相変わらずソ連軍戦車隊は乱射するように行進射を繰り返しながら前進していた。この勢いのままこちらの防衛線に食い込むつもりではないか。
ただし、彼らの先頭に立っていた重戦車の大半は特別弾の集中射撃によって擱座していた。第3小隊長車が撃破された様に危険はあったが、今のところはソ連軍の射撃精度は低かった。見知った顔の喪失を考えないようにしながら池部大尉は冷徹に戦況を確認していた。
既にこちらの位置は暴露している筈だった。高初速砲の発砲は盛大な砲口炎を伴うからだ。同じ75ミリ砲でも野砲弾道と比べると高射砲弾道の砲は砲口炎が大きく、発砲のたびに土煙が上がって照準が困難になる程だった。
戦車壕の前には、戦闘前に土煙を抑える為に水を撒いていたのだが、連続発砲で生じた熱量で既に蒸発して跡形もなく消え去っているだろう。それにも関わらずソ連軍からの射撃精度は低いままだった。
ソ連軍戦車隊の無謀とも言える突撃はこちらを少数と侮ったのか、あるいは街道に陣取るマウス重戦車の側面を突こうと機動した所を、待ち構えていた四五式戦車の火網の前に不用意に姿を晒してしまった結果ではないか。
いずれ彼らは撤退か進撃方向の転換を図るはずだが、それまではこちらが優位に戦闘を進める事が出来そうだった。配布数が少ない特別弾は既に使い果たした戦車も多いはずだが、数少ないIS-2も既に四五式戦車の通常徹甲弾で仕留められるほどの距離にあるはずだった。
だが、街道の反対側に陣取っていたドイツ軍側は池部大尉達ほどうまくは行っていなかった。パンター戦車の主砲は強力なものであるはずだが、特別弾によって遠距離からIS-2の接近を阻止することが出来た四五式戦車と違って、まとまった数のIS-2に接近されていたのだ。
僅かな遮蔽物を見つけたソ連軍重戦車隊は相互援護しながらの躍進射に移っていた。行進間射撃に比べると、僅かな時間とはいえ停車しての射撃を行う為に射撃精度は向上していた。
それだけではなかった。僚車が撃破されたことで動揺したのか、池部大尉の視界の中でパンター戦車がいきなり戦車壕を抜け出そうとしているのが見えていた。
遠距離戦では埒が明かないと思ってIS-2に接近しようとしたのだろう。
ドイツ軍に巻き込まれて混戦となる接近戦を挑まないように指揮下各車に命令を下しながら、池部大尉は戦場全体に視線を戻していた。
戦闘は未だに続いていた。
四五式戦車の設定は下記アドレスで公開中です。
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四三式軽戦車の設定は下記アドレスで公開中です。
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