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1945ドイツ平原殲滅戦25

 池部大尉には、音速を超えて四五式戦車から発射された砲弾が彼方の敵戦車に向かう様子が見えたような気がした。

 ―――この砲弾は命中する……

 次の瞬間に薄い煙幕に覆われた敵戦車の正面に閃光が走っていた。



 だが、多くのものが愕然とした思いを直後に抱いていた。

 初弾から命中弾を得た戦車は多かった。戦闘開始前に地形を把握していた各車の砲手たちは照準に修正すべき射距離を確認済だったし、風向きはほぼ後方からで砲弾が横風に流される恐れもなかった。さらに敵戦車は真っ直ぐに突っ込んでくるという遠距離砲戦には理想的な状況だったのだ。

 いくつかの敵戦車が撃破された証拠に、炎上して周辺の煙を色濃くさせるか逆に爆発して煙幕の僅かな名残を吹き飛ばしていた形跡が見られていた。


 その一方で、由良軍曹が放った1弾の様に、虚しく装甲に弾かれて空中に赤白い1線を描くだけに終わった砲弾も少なくなかった。

 池部大尉は目を見開いていた。おそらく車長用の展望塔や砲手の照準器から敵戦車を確認していた多くのものが同じような表情を浮かべているのではないか。事前にドイツ軍から送られた情報によれば、この程度の距離であれば長砲身75ミリ砲の徹甲弾でT-34の装甲は十分に貫通出来るはずだったからだ。

 池部大尉の作戦案は前提から誤っていたとしか思えなかった。



 戦車隊による遅滞行動が可能なのは、敵戦車の有効射程に踏み込むことなく遠距離砲戦が可能であるという前提があった。

 理屈の上で言えば、敵戦車よりも有力な砲と装甲があれば、我の有効射程内かつ敵の有効射程外となる距離を保ったまま後退を続けることで損害無しで戦闘を進められる筈だからだ。

 逆に主砲の有効射程が敵戦車のそれよりも短ければ、距離を詰めるか側面に回り込む機動を行わなければならなくなるのだが、混乱しがちな近接戦闘に突入すれば適切なタイミングを見極めて後退するのは難しいはずだった。


 だが、現状ではT-34の群れに有効打を与えられているとは思えなかった。弾着角度などによる偶然が発生したにしては、こちらの砲弾を跳ね返した敵戦車の数が多すぎたからだ。



 それだけではなかった。古参の日本陸軍機甲科将兵はT-34に実態以上の脅威を覚えていた。


 日本陸軍がT-34の存在を認識した時期は早かった。というよりも制式化されてT-34という名称が与えられる以前から、試作段階の同車の情報がロシア帝国経由で伝わってきていたのだ。

 その時期、機甲科内部では旧騎兵科と旧歩兵科との主導権争いが勃発していたが、主力戦車に関しては歩兵科の援護を受けて軽歩兵戦車とも言える九七式中戦車が採用されていた。

 九七式中戦車は15トン級の軽量な車体に炸薬量の大きい短砲身57ミリ砲を備えた比較的安価で数を揃えやすい戦車であり、制式化後にまたたく間に日本陸軍各師団の戦車隊に配備されていった。


 ところが、日本陸軍が入手したT-34の情報は、常識的とも言える九七式中戦車と比べると破天荒な数値が並んでいた。重量30トン、装甲厚最大75ミリ、主砲として3インチ級を装備しながらも最高速度は毎時50キロを発揮するという数値は当時としては実現不可能とすら思えるものだったのだ。

 スペイン内戦時の戦訓などから対戦車戦闘の機会は意外と少なくないと考えていた日本陸軍にとって、既存の友軍戦車では到底対抗不可能に思えるソ連軍戦車の存在は悪夢そのものだった。

 軽歩兵戦車を一方的に撃破して前線を高速で突破した機動戦用戦車に後方を荒らし回られた場合は、重砲の直撃でも狙わない限り撃退不可能だったからだ。



 ところが最近になってドイツ経由でもたらされたT-34の情報はロシア帝国から得られていた初期の情報とは乖離していた。

 軍上層部では、実物のT-34の情報ではなく、同時期に開発されていた軽戦車や重戦車の数値が紛れ込んでしまった結果、ロシア帝国からの情報は当時としては異様な数値になってしまっていたのではないかと考えていたようだった。

 何れにせよ九七式中戦車の生産中止から三式戦車に至るまでの日本陸軍中戦車の開発は、幻であったとしてもT-34の脅威に備え、追いつく為のものであったのだ。


 例えば、池部大尉達も乗り込んでいた一式中戦車は、泥縄式に開発されたものだった。原型となったのが九七式中戦車開発時に不採用となっていた車両であったからだ。

 九七式中戦車の開発時は、後に正式採用されたチニ車とより大柄のチハ車との競合試作になったのだが、発展余裕のあるチハ車よりも安価なチニ車が制式化されていたのだ。


 だが、発展余裕があると言っても一式中戦車に要求された仕様をチハ車で満たすことは出来ずに車体から設計は大きく変更されたらしい。装甲がこれまでの国軍戦車よりも格段に強化された上に、主砲も格段に強力なものが搭載されていた。

 当初搭載が予定されていたのは開発中だった47ミリ砲だったが、想定されるソ連軍戦車に対抗できない事から47ミリ戦車砲は兄弟関係の対戦車砲である速射砲共々開発が中止されて、本来は将来装備として研究されていた長砲身57ミリ砲が急遽採用されていた。


 機甲化された第七師団やシベリア駐留部隊などに優先して配備された一式中戦車だったが、それでも日本陸軍は満足出来なかった。仮想敵であるT-34に相対した場合、装甲、火力共に未だ弱体で一式中戦車でも側面への機動を余儀なくされるからだ。

 T-34への恐怖が薄れるには、想定される性能で追いついた三式中戦車の採用を待つ必要があったのだ。



 だが、池部大尉には既に否定された幻であったはずのT-34が目の前に現れたような気がしていた。先程マウス重戦車に撃破された光景があったにも関わらず、T-34が得体のしれない怪物の様に思えてきてしまっていたのだ。


 緊張感が走っていた四五式戦車の車内に、唐突に由良軍曹の間延びした声が走っていた。

「あれ、T-34じゃないんじゃないか……」


 唖然とした池部大尉は煙幕から抜け出していた敵戦車を確認していた。突然の被弾に驚いたのか、敵戦車は次々と主砲を放っていたが、自ら放った煙幕に視界を遮られていたのか、明後日の方向に向かうものばかりだった。

 そもそも停止して射撃を開始する車両はなかった。行進間射撃ではまともな照準は不可能だろう。景気づけに花火を打ち上げているのと感覚的な違いは無かった。


 だが、由良軍曹の言うとおりに四五式戦車から放たれた砲弾が命中していた敵戦車はT-34ではなかった。撃破されたものや後続する車両と見比べてみると全体的な印象は変わらないものの正面装甲を形作る面の構成などが異なっていたのだ。



 ―――そういう、ことか……

 再び混乱が襲っていた無線機に向かって池部大尉は叫ぶように言った。

「敵集団先鋒はIS-2、繰り返す、敵先頭は重戦車だ。全車、特別弾を使え。聞いていたな。装填手は別命あるまで特別弾を装填」

 後半は車内向けに言っていた。装填手の田中伍長は律儀に復唱していたが、由良軍曹はいつもと変わらない様子でぼやいていた。

「特別弾ですか。あれって中の金属が特殊で軍曹の給料じゃおっつかない程は高いんでしょ。勿体ねぇなぁ」

「今使わんでいつ使うんだ。この遠距離でも普通の徹甲弾よりは貫通距離があるはずだぞ」


 ぶつくさとぼやきながらも由良軍曹の手は的確に主砲を操作していた。僅かな間を開けて再び四五式戦車の車内を轟音が襲っていた。

 長砲身75ミリ砲の反動は大きかった。発砲と同時に強力な駐退復座機に支えられた砲尾が空薬莢を防危板に押し当てるように排莢しながら勢いよく後退していた。それは防危板がなければ車長席に衝突しそうな気さえする程の勢いだった

 今度も命中するという確信があった。池部大尉は先程75ミリ砲弾を跳ね返した敵戦車を穴が空くほどに見つめていた。



 最初に敵戦車に現れたのは、花弁が開いたような僅かな痕跡だった。車体正面の最も分厚い箇所に弾着があったらしい。

 だが、閃光が確認出来たのは一瞬だった。先程の射撃の様に虚しく弾かれた形跡はないが、見た目には敵戦車に変化は無かった。


 ―――致命傷とはならなかったか……

 池部大尉は少しばかり落胆していた。仮に敵戦車の装甲を貫くことが出来たとしても、貫通位置に重要な部位がなければ撃破したとは言えなかったからだ。


 だが、気落ちするのはまだ早かった。一瞬の間をおいて砲塔の隙間から薄煙が上がっていたからだ。細々とした白煙は、あっという間に色濃く、太くなっており、煙の向こうに赤黒いものも見え隠れしていた。

 そして、敵戦車を見つめていた池部大尉が唖然とする間もなく砲塔上部の扉が慌ただしく開けられると、ソ連軍戦車兵が慌ただしく逃げ出そうとしていた。

 だが、砲塔上部扉が開け放されていたのに、車体部にも設けられているはずの扉は微動だにしなかった。先程の射撃は、車体正面の装甲を貫通した後に十分な衝撃力を保ったまま操縦士を殺傷して砲塔基部に至ったのではないか。


 結局、その戦車から逃げ出すことが出来たのは車長らしき一人だけだった。一目散に逃げ出した車長の背後で燻り続けていたIS-2は閃光を発して唐突に爆発していたからだ。

 閃光は確認出来たものの、爆発音は定かでは無かった。次々と僚車が放つ砲弾もソ連重戦車を撃破していたから、騒音が入り乱れて分離することが出来なかったのだ。



 四五式戦車が一斉に放った特別弾は、文字通りの特別な構造と材質をした徹甲弾だった。


 開戦以前の日本陸軍では、戦車に搭載される徹甲弾には若干の炸薬を装填して貫通後に起爆する徹甲榴弾を多用していた。比較的短砲身で口径の大きい榴弾砲よりの主砲を採用していた時期だったから、破片効果を重要視していたからではないか。

 ところが、高初速砲が採用された一式中戦車以後は、炸薬を含まない無垢の徹甲弾が採用されていた。


 そのきっかけとなったのは高初速砲の採用にあたって行われた一連の試験結果であったらしい。詳細はわからないが、仮想敵戦車の分厚い装甲を模した試験片に高速で着弾した既存構造の徹甲弾が、着弾の衝撃で破断してしまったからのようだ。

 高初速砲の場合、当然ながら着弾時の存速も大きく、頑丈な構造に命中した時の衝撃も大きかった。炸薬室や信管を設ける為に内部をくり抜かれた徹甲榴弾では、構造的に限界を迎えて破断してしまうことがわかったのだ。


 それだけではなかった。従来の徹甲榴弾は装甲貫通後に破裂して敵戦車やトーチカ内部に破片を撒き散らす事を狙っていたのだが、実際には被弾時の衝撃によって命中した徹甲弾や衝撃で剥離した敵戦車の装甲材などが同様に車内に高速で飛翔することが確認されていたのだ。

 つまり徹甲榴弾の少なくとも破片効果に関しては、大部分が無垢の徹甲弾でも代用できることがわかっていたのだ。


 結局、長砲身57ミリ砲で使用する徹甲弾は無垢の塊となり、同時に着弾の衝撃で砲弾が破断しないように徹甲弾の構造や金質そのものも大きく改善が図られていた。

 その後は風防や被帽の追加などはあるものの、三式中戦車や四五式戦車に搭載されている高射砲弾道の長砲身75ミリ砲でも同様の砲弾構造が踏襲されていた。

 だが、四五式戦車にはこの通常構造の無垢徹甲弾に加えて、特別弾と呼ばれる特殊な徹甲弾が切り札として各車ごとに極少数の割当ながら配備されていた。

四五式戦車の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/45tk.html

九七式中戦車の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/97tkm.html

一式中戦車の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/01tkm.html

三式中戦車の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/03tkm.html

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