1945ドイツ平原殲滅戦24
池部大尉は、分厚い戦車の装甲を越えた先から俄仕立ての作戦が脆くも崩れ去る音を聞いたような気がしていた。それは明らかに大口径加農砲の砲声だった。
高初速かつ大重量の砲弾は、大気を押しのけて鋭い閃光を残しながら恐ろしく低伸する弾道で遥か彼方の敵戦車に突き刺さっていた。不意打ちに対処する気配も見せずに、鈴なりに歩兵を乗せて街道を進んでいたそのT-34は、着弾の直後に凄まじい炎を吹き上げながら擱座していた。
T-34だったものから飛び散っているのが装甲や構造材といった戦車の破片なのか、それとも車体上部にしがみついていた跨乗歩兵なのかはこの距離ではよく分からなかった。
大遠距離から一撃で敵戦車を撃破したにも関わらず池部大尉に歓喜の思いはわき上がらなかった。
先行する僚車があっさりと撃破された光景を間近で見せられたのだろう二両目のT-34は、僚車に乗り込んでいた乗員や跨乗歩兵を収容する様子も見せずに一目散に立ち去ろうとしていたが、これに対する射撃は無かった。
視界内の敵戦車はその2両の跨乗歩兵を満載したT-34だけだった。おそらくこの2両は行軍姿勢で接近するソ連軍にしてみれば前衛部隊から更に分派した斥候にすぎないのだろう。
この距離で正面から一発で射抜くとは大した主砲だ。砲手の由良軍曹が称賛とも呆れているともどちらとも取れるような調子でそうつぶやく様子を横目で見ながら、池部大尉は苦虫をかみ潰したような顔で無線機を操作していた。
最初に聞こえてきたのは焦ったようなベルガー大尉からの謝罪の声だった。やはり先程の射撃は特設実験大隊のマウス重戦車による射撃だったらしい。
ただし、射撃を行ったのは2両のマウスのうち2号車だけだった。不確かな状況を確認していた他の車両は射撃を控えていたのだ。
尤も臨時編成された池部支隊に割り振られた無線周波数帯は、状況報告を求める各車からの通信が入り乱れて混信を起こしていた。池部大尉は一度大きなため息をつくと、無線機に向かって怒鳴り立てるようにして各車から無秩序に行われている通信を制止しようとしていた。
この支隊は池部大尉が本来率いていた四五式戦車1個中隊に加えて、ドイツ軍から派遣された試作兵器を集約した特設実験大隊と満州共和国軍の歩兵大隊を配属された日独満の多国籍部隊だった。
しかも国際連盟軍の共通語であったことから、3か国のどの母国語でもない英語で部隊間のやり取りを行っていた。
無線で流れていた流暢とは言えない言葉はしばらく止まらなかった。その間に生き延びたT-34は遁走していた。その車両が後方のソ連軍本隊に待ち伏せを知らせるのは間違いなかった。
池部大尉は唸りを上げていた。大尉が考えていた待ち伏せ案は既に一部破綻していたからだ。
ロシア師団が陣を構えるウースティー市からドイツ、チェコ国境線を跨いで広がる数キロ四方の平原に前進した池部支隊は、街道を中心軸とした鶴翼陣形で展開していた。
鶴翼陣形の要となるのは、街道近くに配置された2両のマウスだったが、他の戦車が灌木などの影や僅かな窪地に潜んでいたのに対して、マウスの巨体は隠しようも無かった。
一応はできる限りの偽装は施したものの、接近されれば即座に存在を暴露してしまうはずだった。
マウスは位置を暴露した後は囮として行動する予定だった。敵戦車との距離を取るために後退を開始するマウスが囮となり、これを追跡しようと巨体に群がって街道を前進するだろう敵戦車に対して左右に展開した四五式戦車とパンター戦車で集中射撃を加えるのだ。
池部大尉の本来の想定では、ソ連軍が本隊に先行させるであろう偵察隊は、マウスの巨体に気がつくまで鶴翼陣内部を素通りさせる予定だった。偵察隊を懐深く引き釣り込めれば、運が良ければ無防備な行軍体制のままのソ連軍後続に対して奇襲攻撃となる一撃を加えられるはずだったからだ。
池部大尉は、当初ソ連軍偵察隊の戦力はBA-64などの簡易な装輪装甲車程度を装備する程度でしか無いと判断していたのだが、実際には支隊の前に現れたのは中戦車であるT-34に跨乗歩兵を鈴なりに乗せた重武装の斥候部隊だった。
士官教育課程で池部大尉が目にしたソ連赤軍の教範によれば、行軍時の前衛には騎兵部隊を斥候に出すこととされていた。ただし、予備士官学校で池部大尉が読まされた規範は開戦以前の相当出版年次の古いものだった。
だから現在では騎兵ではなく装輪装甲車が偵察隊の主力となっていると考えていたのだ。
日本軍は10年ほど前に騎兵科と戦車を運用する歩兵科の一部を統合する形で機甲科を新設していたが、以前の騎兵部隊に相当する捜索連隊には軽戦車などに加えて最近では各種装輪式の装甲車を配備していた。
野砲弾道の大口径砲を装備した中戦車に匹敵する火力を有する重装甲車もあるが、前衛部隊の斥候として前方に進出するのは機関砲か小口径砲程度を装備する軽装甲車が多いのではないか。
元々は日本軍の装輪式装甲車は英国陸軍に範をとったものだった。路上における警戒や後方占領地帯の治安維持、さらには連絡や指揮車両など多用途に使用できるこの種の車両の需要は大きかったのだ。
ところが、予想に反して最初にドイツ国境線の路上に姿を表したのはT-34だった。
中戦車であるT-34の出現は池部大尉の作戦計画を大きく狂わせていた。斥候部隊を引きつける間もなく大遠距離からの先制射撃が加えられてしまっていたからだ。当初の作戦計画になかった事態を受けて、斥候部隊の前方警戒を省略して主力が進出して来たと考えたものが射撃を開始してしまったらしい。
―――急拵えの部隊ではやはり統制はとれんか……
池部大尉自身は、当初の計画通り斥候部隊でしか無いはずの最初のT-34をやり過ごすつもりだった。跨乗歩兵を鈴なりに乗せた戦車が僅か2両というのは攻勢に出るにはあまりに戦力が過小だったからだ。
2両のT-34は単なる主隊前方に展開する斥候だった筈だ。車体に乗せられた跨乗歩兵は、戦闘能力というよりも周辺の警戒、特にドイツ軍で多用される近接対戦車攻撃に備えることを期待されていたのではないか。
今次大戦では戦車からの視界能力、車長や砲手用の潜望鏡や展望塔などの外部視認装置の重要性が明らかとなっていたが、狭苦しい戦車からよりも車外に歩兵を乗せたほうが全周視界は良好だから、警戒時に歩兵を跨乗させる例もあるらしいと聞いていた。
「こっちはまだ待機でいいのかい。初手の偵察車両は俺達の無反動砲で仕留めるはずだったんだがね……」
どことなくのんびりとした声が唐突に無線機から聞こえていた。満州共和国軍第10独立混成師団から急派された歩兵大隊を率いるジャムツェ大尉の声だった。
歩兵大隊と言っても、ジャムツェ大尉が現在把握している人数は然程多くは無かった。元々損害を受けて正規の大隊として再編成の途上であったらしい。大隊長としてはジャムツェ大尉の階級が低いのも、正確には大隊長代理であったからだ。
だが、階級は低くとも老練なジャムツェ大尉は、仮の上官にされた池部大尉には頼りにはなるが扱いにくい相手だった。
中隊長車の近くに陣取っていたジャムツェ大尉は、部下の歩兵部隊を散開させて各戦車隊の周辺に配置していた。敵歩兵の浸透を防ぐ為だったが、敵戦車の侵攻に呼応して逐次後退を行う戦車部隊に散開した歩兵部隊が追随するのは困難ではないか。
戦車部隊への随伴任務にジャムツェ大尉の部隊が指定されたのも、特に老練な大尉の指揮に対するウランフ中将の信頼があったからかもしれなかった。
ジャムツェ大尉は無線機ではなく、四五式戦車の車体後部に設けられた車内と繋がる電話器を使用しているようだ。無線機盤に設けられた車外通話装置の作動ランプが点灯しているのを視界の端に捉えながら池部大尉は言った。
「ソ連軍も馬鹿じゃないはずだ。斥候が一撃で粉砕されたのを見れば、この辺りに俺達が手ぐすねを引いて陣を敷いているのは一目瞭然というわけだ」
「見事な迄に威力偵察に引っ掛かってしまったな……」
ジャムツェ大尉の何処か他人事の様なのんびりした様子に、池部大尉は肩を落としていた。最も同時に余計な気負いもなくなった気がしていた。
「前衛部隊に野砲が配属されているかどうかは分からないが、俺なら次にこのあたりに少なくとも迫撃砲ぐらいは撃ち込んで、最後に煙幕を張ってから戦車を先頭に突撃するよ」
「この風なら迫撃砲弾に詰め込める位の煙幕はすぐに散らばるだろうが……しかし、前衛部隊がじっくりと腰を据えて砲兵を含む本隊を待ってから攻勢をかけてきたらどうするね」
「何も変わりはしないよ。どのみち重装備に砲撃姿勢を取らせた時点で時間稼ぎは成功だ。とにかく初手の砲撃で損害が出ないように、兵隊には蛸壺の中に入らせて頭を下げてくれ。後退のタイミングはこっちで指示する」
ジャムツェ大尉が同意の声を上げるのと同時に車外通話装置の作動ランプが消灯していた。ジャムツェ大尉も自分の指揮壕に駆け出していたはずだった。わずかに遅れて栓が抜けた時の様な頼りない音が聞こえていたからだ。
危ういところだった。ジャムツェ大尉が壕に辿り着く前に、池部大尉が想像していた通りに迫撃砲が国境線の方向から放たれていたのだ。
池部大尉はだいぶ静かになった無線機に向かって全兵員の隠蔽を命じていた。ジャムツェ大尉の歩兵も壕の底に潜んでいるはずだ。
次々と街道周辺に迫撃砲弾が着弾していた。連隊砲級の100ミリ径以上の大口径迫撃砲が含まれていたのか、着弾点で生じた炸裂の勢いは大きいようだった。
ただし、野砲以上の重々しい弾着は確認されていなかった。師団級部隊の標準的な行軍隊列であれば、前衛となるのは連隊規模の部隊であるはずだった。
師団砲兵隊から若干の砲兵が配属されていてもおかしくないが、師団砲兵を集中して使うか、これまでの戦闘による損耗があるとすれば前衛に配属する砲兵の余裕はなかったのかもしれない。
榴弾の炸薬量は無視できないが、迫撃砲弾が連続して撃ち込まれているにも関わらず池部大尉は楽観していた。
射程に余裕がないのか、迫撃砲の弾着点のばらつきは大きかったようだ。あるいは着弾観測も無しにのべつ幕なしに連続発砲して制圧するのが目的なのかもしれない。
着弾は、姿を現してしまったマウスが配置されている街道付近に集中していた。ただし着弾点のばらつきは大きく直撃は何処も出ていないようだ。
大雑把に言って、同数の歩兵部隊による援護を受けた戦車大隊を制圧しきるには弾量が不足していた。練度不足の部隊なのか、あるいはドイツ軍の前線を突破した際の損耗から回復していないのかもしれない。
いつの間にか煙幕弾が榴弾の炸裂に混じっていた。ただし、ジャムツェ大尉の言った通りに、背後の丘から吹き降ろされる風に流されて煙幕弾は十分な効果を上げていなかった。
煙幕の向こうから戦車の蠢く騒音が聞こえていた。だいぶ減ってきた迫撃砲弾の弾着を無視しながら池部大尉は無線機に向かっていた。単語一つ一つに力を込めてはっきりと言った。
「全車、射撃用意、煙幕の影から出てきた所を確実に殺れ」
薄い煙幕の中で蠢く影が見えてきていた。人やトラックなどではあり得なかった。やはりソ連軍でも戦車は近接戦闘部隊における火力発揮の根源とみなしているのだろう。
やがて明白に影は戦車の形になってきていた。人影は周囲にも戦車の上にも見えなかった。先程の斥候とは異なり、先頭車両は被弾を覚悟して歩兵を跨乗させるのは避けているのだろう。
次第に戦車の形が明白になっていた。車内通話に無線機を繋ぎかえると、池部大尉は言った。
「砲手、目標正面のT-34、射撃開始」
由良軍曹の反応は早かった。予め定められた位置の目標に対して照準を行っていたからだ。相手が煙幕による隠蔽を受けていたとはいえ、じっくりと古参の砲手がつけていた狙いは正確だった。
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