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1945ドイツ平原殲滅戦19

 誰かに笑われたような気がしたが、固定した拡大鏡で偵察写真を確認していた水野中尉は、卓上に屈み込んで微動だにしなかった。


 しばらくしてから、ゆっくりと体に負担をかけないように体を起こしていたが、思ったよりも長い間一枚の写真と向き合っていたらしく、背中が音を立てて悲鳴を上げているような気がしていた。

 水野中尉は眉を曖昧にしかめながら振り返っていたが、室内には隣席の同僚とささやきあう声がどこかから聞こえてきたばかりで、笑い声は聞こえてこなかった。



 偵察機が撮影した写真の分析を行う英国空軍の写真判定部はここだけではなかった。他に何箇所あるのかも判定部の一般部員には知らされていなかった。

 水野中尉達の机が並べられた部屋は大して広くはなかった。しかも大判写真の印画紙を何枚も広げて確認を行う必要があるものだから一人あたりに割り当てられた作業机は大きく、結果的に作業員の数に比べて狭苦しい印象を与えていた。

 それでも作業中に閉塞感を感じることがあまりないのは、単に開戦後に何処かの貴族の屋敷を借り受けたこの施設に十分な天井高さが最初から確保されていたからだ。


 殺風景な部屋の雰囲気を変えようとしていたのか、窓際の小さな机の上には花瓶に挿された一輪の薔薇が飾られていた。今朝書類係の女性事務員が持ち込んでいたものだった。

 朝早くから昨夜届けられた写真に取り掛かっていたものだから生返事を返していたが、確か水野中尉もその事務員に話しかけられていた筈だった。


 机に向き直ってみても、鮮やかな薔薇の赤味が目に残っていたものだから解像度が高いとはいえ白黒の写真の内容が中々脳裏に入ってこなかった。

 ただし殺風景なのは写真の内容だけではなかった。この写真判定部に唯一日本陸軍から派遣されている水野中尉は、出向受け入れから時間が経った今でも野暮ったいカーキ色の軍服を着込んでいた。



 写真判定部の部員には、偵察写真から多くの事象を読み取るために鋭い洞察力と幅広い知識が必要と判断された為か、高度な教育を受けた上流階級の人間が少なくなかった。

 ただし、写真判定部に所属する英国空軍正規の軍人は少なかった。指揮官層はともかく、一般部員の多くは徴用された軍属が多かったのだ。

 日本陸軍の常識からすると、爆撃隊の戦果確認などの軍事機密にも関わる写真判定部員に民間人を起用するということは考えられないが、総力戦体制の英国軍では高度な職務につく軍属の存在は珍しいことではないらしい。


 以前は、日本陸軍は戦果の確認という行動にはあまり熱心ではなかった。陸海軍を問わず攻撃隊の片手間に最後まで残った機体が敵状を確認するといった程度だったのではないか。

 だが、英国空軍が現在実施している様な戦略爆撃ではそのような曖昧なやり方は許されなかった。

 英国空軍で多用される多発の重爆撃機は、爆弾搭載量は大きいものの防御力は直接防御、防御機銃共に脆弱なものだった。これを補う為に迎撃の難しい夜間爆撃を行うのだが、当然自機からの戦果確認は難しかった。

 昼間の間は、夜間爆撃時の損害を抑える為に駐機、整備中の夜間戦闘機や海峡から進入する英国空軍機を探知する対空電探などを狙って日本軍の高速重爆撃機が敵基地を強襲しているのだが、同時に前日の戦果確認のために偵察機も放たれていた。



 敵国国土に直接打撃を与える戦略爆撃という空軍独自で行う戦略の中で偵察機が果たすべき任務は戦果確認だけでは無かった。欧州大陸のドイツ勢力圏内をくまなく把握して優先爆撃目標を定める為でもあった。

 写真判定部でも偵察機が撮影してきた写真を分析して爆撃地図の作成を行っていたのだ。


 ただし、ドイツ軍もその事は把握していたはずだった。偵察機の妨害や顕著な地形、建築物、待機中の戦車などの位置や形状を欺瞞することを組織的に行っていたからだ。

 英国本土にも同様の部隊が展開しているらしいが、場合によっては戦車や構造物などを模した風船で欺瞞を行う事もあった。

 偵察写真を丹念に追いかけて行けばそのような子供騙しの欺瞞はあっさりと見破れるのだが、地形を利用して丹念に偽装を行えば上空からでは容易に違いを見分けることは出来なかった。


 写真判定部の任務は、そのような欺瞞すらも見越して、偵察写真を場合によっては過去のものと照らし合わせて正確な現状を確認する材料とする為のものだった。

 水野中尉はよくは知らないが、写真判定部の機能、というよりも戦略爆撃全般に関しては英国本土に戦力を供出する日本陸海軍よりも企画院がより深く関与しているらしいとも聞いていた。

 統合参謀部などとも気脈を通じている企画院は、本来は総力戦体制の為の研究、調整機関であったが、逆に敵国の総力戦体制を阻害する研究も行っているのだろう。

 つまり、短期、長期それぞれの場合において敵国を妨害するのに最適な爆撃目標を選定するには、既に軍事の範囲を越えた知識と判断が必要となっていたのだ。



 ただし、写真判定部の一般部員の全てがそのような高度な見解を有しているとは思えなかった。出向者として配属された当初、水野中尉はあからさまな蔑視の対象になっていたからだ。

 水野中尉の外観は恵まれたものとは言えなかった。日本人としても小柄な方なのに、分厚い眼鏡の奥の顔立ちはひどく年寄りに見えていた。端的に言ってしまえば新聞などに掲載される偶像化されたアジア人像そのままだと言えた。


 もっとも水野中尉に対して陰に日向に囁かれた侮蔑の言葉は、いくつかの理由から次第におさまっていった。

 水野中尉が軍人としても小柄だったのは、幼年学校在籍時に大病を得て休学するはめになっていたからだが、実のところ幼少から父親から仕込まれた柔術で鍛えた身体そのものは頑健なものだった。

 ある部員は自分の身体でそれを教え込まれる羽目になった。ボクシングの経験でもあったのか、年甲斐もなく中庭の一角でからかうように水野中尉に手を出してきたのだ。

 おそらく本人は、醜いアジア人に身の程を教えてやるといった程度の事を考えていただけなのだろうが、実際には恥をかいたのは衆人環視の前で小男の水野中尉に跳ね飛ばされた部員の方だった。


 だが、投げ飛ばされたものを含めて水野中尉を揶揄していた者たちが本当に恐れていたのは、物理的なものではなかったのかもしれない。大の大人一人を投げ飛ばしたあとも、水野中尉はそれを誇るでもなく平然とした顔をしていたからだ。

 水野中尉の冷ややかな目は、上流階級の部員たちに確かに中尉が正規の教育を受けた軍人であることを思い起こさせていたのではないか。



 水野中尉本人とは直接関わり合いのない理由もあった。中尉が着任してしばらくしてから、これまでとは毛色の違う偵察写真が送られるようになっていたのだ。

 これまで写真判定部に持ち込まれていた偵察写真は、英国空軍の偵察機によって撮影されていたものだったのだが、次第にこれに日本陸軍の偵察機が撮影した写真が増えていた。


 英国空軍が一線級の戦闘機や爆撃機を改造して大口径のカメラを設置した偵察機を整備していたのに対して、日本陸軍は長距離航空偵察の専用機を投入していた。

 日本陸軍は偵察機を三種に分類していた。師団級部隊に配属して近距離の偵察や観測任務を行う直協機、より上級の軍司令部などに配属されて前線後方の偵察を行う軍偵察機、そして航空隊独自で行う航空撃滅戦において本格的な敵航空基地の偵察を行う司令部偵察機だった。



 対地攻撃機である襲撃機と部品共通性をもたせた機体もある軍偵察機が英国空軍の偵察機と似たような性格を持つのに対して、司令部偵察機はより専門性の高い機体だった。警戒の厳重な前線後方の航空拠点を偵察しなくてはならないからだ。

 日本陸軍航空隊の主力である重爆撃機は、司令部偵察機が得た情報をもとに敵基地の強襲をおこなって在地の敵機を緒戦で撃滅するための機材でもあった。つまり司令部偵察機は航空撃滅戦の成果を左右する重要な機体であったのだ。



 日本陸軍が司令部偵察機、つまり航空撃滅戦を重要視したのは、友邦シベリア―ロシア帝国とソ連との予想戦場であるバイカル湖畔方面において航空戦力ではソ連軍側が優位にあったからだ。

 この劣勢を跳ね返すために、緒戦において可能な限りの敵機を排除してその後の戦場で数的優勢を確保しようとしていたのだ。そのために開戦劈頭に大規模な後方の航空基地を狙わざるを得ない日本陸軍航空隊の航空撃滅戦のための機材は、何れも防御と航続距離が重要視されていた。


 だが、司令部偵察機には防御用の機銃は用意されていなかった。現行の主力司令部偵察機である一〇〇式司令部偵察機は初期型では後部機銃を備えていたのだが、風防の形状処理が変わったこともあって改良型では早々に取り外されていた。

 その代わりに司令部偵察機は卓越した速度性能自体を防御に用いていた。迎撃戦闘機が追いつけなければ貧弱な防御機銃など最初から無用であるからだ。

 それ以前に防御機銃が有効なのは、攻撃隊が緻密な編隊を組んで火力を集中させた場合に限られていた。単機行動が前提の司令部偵察機では火線を見切った迎撃機には防御機銃の死角に容易に潜られてしまうのではないか。



 ただし、一時的に速度性能が優越していたとしても、何れ陳腐化してしまうのは明らかだった。空気抵抗の削減やエンジン出力の向上などである時期に双発機の高速機を手に入れたとしても、単発の戦闘機もいずれは同様の技術革新を受けてより優れた高速性能を手に入れるからだ。

 証明するまでもなく、それは過去に例のあることだった。全金属単葉機が出現した当初は、熱病のように各国で高速重爆撃機がもてはやされて戦闘機無用論まで出ていたのだが、新鋭戦闘機の出現によって当時の高速爆撃機も捕捉されるようになると自然と戦闘機無用論は消滅していった。


 一〇〇式司令部偵察機の場合、一度原型機から高速化が図られた後に、さらなる改良型では排気過給器の追加によって高高度飛行能力が強化されていた。敵戦闘機の迎撃を高高度飛行で逃れようとしていたのだ。

 更に最近になって増加試作機の形で初期生産型が投入された新型の司令部偵察機では高性能の過給器に加えて操縦席周りの与圧機能も強化されていた。

 機密度が高く詳細は水野中尉も知らないが、新型司令部偵察機は高高度からの写真偵察に特化しており、作動時の内外気圧差が大きくなる高性能の与圧装置を前提として操縦席からの視界が悪化するのを承知で風防の構造強度を高めているらしい。

 速度に加えて高高度飛行能力を強化することで、迎撃機が飛行高度まで上昇する前に要地の偵察を終えてしまうのだ。



 日本軍の司令部偵察機は航空基地に限らずに、これまで対象外だった大陸深部まで到達して偵察写真を撮影していた。最近ではドイツ国内に密かに展開してソ連占領地奥深くまで偵察を行っているらしい。

 いずれにせよ、写真判定部の部員達も動かしようのない証拠を突きつけられたことで、日本軍の能力を評価せざるを得なかったのではないか。これまで英国本土を出たことのなかった上流階級の子息達も少しは白人優越主義を払拭出来ただろう。


 それに、彼らが無意味な優越感に浸っているならばそれでもよかった。水野中尉としては、そのような認識不足の人間と付き合う必要はないからだ。

 特に写真判定部の部員と特に親しくする必要もまたなかった。ただ、現状を理解し、本心はどうであれ理性的に振る舞うことのできる人間とだけ付き合えばいいだけの話だ。


 水野中尉は分厚い眼鏡の奥からそのように超然とした思いで写真判定部の部員達を見つめていた。

四五式司令部偵察機の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/45sr.html

一〇〇式司令部偵察機一型の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/100sr2.html

一〇〇式司令部偵察機三型の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/100sr3.html

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