1945ドイツ平原殲滅戦18
よたよたと頼りなく飛行していたMe262の挙動が俄に安定し始めていた。点検作業中だったFw190Dの操縦席からぼんやりと基地周辺で行われているMe262の飛行を眺めていたデム曹長は苦笑しながらいった。
「ありゃ駄目だ。教官に操縦を取って代わられたな。地上に降りたらどやされるぞ、あれは……それとも地上攻撃飛行隊に転属かな……」
Fw190Dの胴体に設けられている点検口を開けて作業していた機付長は、呆れたような声を上げていた。
「曹長も暇だね。しかし、ジェットの操縦はそんなに難しいのか。それならあんたもジェットに乗り換えればいいじゃないか」
暗い機内に半ば体を突っ込んでいたせいか、機付長は眩しそうに目を細めながらデム曹長の視線を追いかけていた。
上空を飛行しているMe262は、デム曹長が所属する第53爆撃航空団が装備する機体ではなく、再編成中の航空団が間借りする基地に展開する転換訓練飛行隊のものだった。
第53爆撃航空団に配備された機体は、生産体制が混乱しているのか幾つか種類があったが、いずれも単座の戦闘機型、あるいは戦闘爆撃機型のMe262A型だった。
それに対して転換訓練飛行隊の装備機は操縦士席と教官席を前後に配置したことで天蓋が長くなった練習機型のMe262B型だった。後席の教官席には副操縦装置も配置されていたから、デム曹長は挙動の安定化を教官による操縦切り替えがあったと推測していたのだ。
第53爆撃航空団は、本来は双発の重爆撃機を運用する純然たる爆撃機隊だったのだが、当初高速爆撃機として開発されていたMe262の配備を受けて隷下の飛行隊は戦闘機分科に改変されていた。
実質的に戦闘航空団に転換された第53爆撃航空団だったが、その装備機種はMe262だけでは無かった。ジェットエンジンによって高速性能を得たMe262であったが、離着陸時は操縦が難しく無防備な状態が長かった。
デム曹長達Fw190Dを装備した戦闘飛行隊は、Me262を装備した主力部隊の上空援護、基地防空を行うための部隊だったのだ。
比較的早い時期から第53爆撃航空団はMe262を装備して東部戦線に投入されていたが、それは積極的な理由からではなかった。機体の陳腐化やドイツを取り巻く戦略状況などから不要化していた重爆撃機隊を転用するという意味もあったのだ。
ただし、航空団が上げた戦果は決して少ないものではなかった。実際には、Me262を配備された中では後発の純然たる戦闘飛行隊に比べても有利に運用出来ていたのではないか。
元々水冷エンジンを搭載したBf109戦闘機に乗り込んでいたデム曹長は、朧気ながらMe262を装備した戦闘機隊が不調であった理由を察していた。
全く新しい機関方式であるジェットエンジン搭載機であるにもかかわらず、従来機に慣れきっていた戦闘機乗り達がピストンエンジン同様の強引な操作をMe262でも繰り返していたのが原因なのではないかと考えていたのだ。
従来のピストンエンジン機よりも格段に高速を得られるものの、ジェットエンジンには欠陥もあった。連続した燃焼に大量の吸気が必要になる上に、理想的な形で真っ直ぐにエンジン吸気路に導入される必要があったのだ。
だが、既存機から極短い期間の転換訓練だけでMe262に乗り換えた戦闘機乗り達は、強引なエンジン出力操作や迎え角、急旋回による吸気流入の悪化によって空中でエンジンを停止させてしまっていた。
それだけでは無い。Me262は高速性能に優れた分だけ旋回性能は悪かった。低速のソ連戦闘機と同時に旋回に入っても、大回りになってオーバーシュートしたMe262が無防備に敵機の前に姿を表した例もあったらしい。
そう考えてみると爆撃機の操縦士達が、戦果はともかくジェットエンジンの操作そのものには大きな問題を生じさせなかったのも当然だった。元々多発の爆撃機は鈍重だから急な機動を行うことは少ないし、エンジン出力の調整も緩やかに行うことの方が多かったからだ。
それに加えて、転科したばかりの爆撃航空団の操縦士達は生粋の戦闘機乗り達と違って戦闘時にも精神的に余裕は無いから、命令に忠実にソ連軍の攻撃機や爆撃機を執拗に狙い続けて危険な戦闘機には目もくれなかった。
実際にはそれが正しい使い方だった。編隊を保ったまま高速で敵攻撃隊の護衛部隊を突破し、短射程ながら大口径の機関砲や対空ロケット弾の集中射撃で敵攻撃機を無力化するのだ。
戦果を確認する必要もないし、爆撃機の操縦士達には戦闘中に冷静に周囲を確認する余裕もなかったようだから、公認された戦果は少なかった。ただし、残存率から言えば下手に戦闘機隊にMe262を配備するよりも、爆撃機転科部隊の方が良好であったのは数字の上から見ても間違いなかった。
あまりに影響が大きいせいか公表はされていないが、東部戦線で100機以上を撃墜したエースパイロットの中にも、Me262に乗り換えた後にあっさりと撃墜されてしまったものもいるらしい。
もしかすると、Me262はまだ武人の蛮用に耐えられるほどの信頼性が無かったのかもしれない。
だが、ドイツ空軍はもう後戻りはできなかった。戦闘機隊総監ガーランド中将の強い後押しによって純粋な戦闘機の生産はMe262に集中していたからだ。
本来は、ガーランド中将は戦闘機隊の総監でしかないはずだったが、ヒトラー総統暗殺事件やその直後の親衛隊と軍内反抗分子の衝突などによって軍首脳部が姿を消していった中で、急激にドイツ空軍内部の権力を掌握していた。
しかもゲーリング総統代行は空軍どころかドイツ全ての面倒を見なければならなくなってしまったから、ドイツ空軍は不利な戦局の中で唯一気を吐いていた戦闘機隊の天下となっていたのだ。
現実的にいっても防戦一方といった様子の今のドイツ空軍に必要なのは、敵地を攻撃する重爆撃機や砲兵の代わりになる急降下爆撃機ではなく、敵機の妨害をすり抜けて迫りくる敵地上部隊への阻止攻撃を強行する戦闘爆撃機であり、敵攻撃機を阻止し制空権を確保する戦闘機だった。
現在のドイツ国内航空産業はメッサーシュミット社のMe262が最優先生産機種に指定されており、それに続いて戦闘爆撃機としてフォッケウルフ社のFw190Aが優先順位を与えられていた。
これを反映して急降下爆撃飛行隊は次々とFw190A装備の地上攻撃飛行隊に改変されており、戦闘機隊もジェット化が拙速とも言える勢いで進められていた。
デム曹長が乗り込むFw190Dは、言ってみればA型生産の余剰分の機体に、同じく爆撃機の生産中止で余剰になった型式の水冷エンジンを搭載した間に合わせの戦闘機に過ぎなかったのだ。
この体制の中で最も優先生産の煽りを食らっていたのは練習機だった。
既存戦闘飛行隊にMe262を配備した部隊が予想外の大損害を受けたことに泡を食らった空軍上層部は、慌てて複座練習機仕様のMe262B型の生産を増やしていた。
だが、部隊配属前に操縦士そのものの育成を行う初期練習機の生産は、労働力や物資の優先生産機種への集中によって滞るようになっていた。
メッサーシュミット社がMe262の生産に集中することで、既存ピストンエンジン搭載戦闘機のBf109の生産も実質的に停止していたから、既存の戦闘飛行隊をジェット戦闘機隊に装備転換し、更に爆撃機隊からの転科を終えてしまえばドイツ空軍は新規操縦士の育成すら困難になるはずだった。
ただし、ドイツ空軍の中でこの状況に真剣な危機感を抱いているものは少なかった。どのみち初等練習機が損耗しきる頃まで戦争が続けば、ドイツ空軍だけでは無く、国そのものが持たない。そんな開き直りにも等しい感覚を有していたからだ。
それが分かっているからこそデム曹長も機付長に疲れたような声で言っていた。
「俺の様な年寄りは、ジェット機の方からお断りされるよ。体のほうが古い機体に慣れちゃったんだよ」
少しばかり不快そうに機付長は眉をしかめていた。
「そんなものかねえ……」
口には出さなかったが、デム曹長はおそらくはこの戦争はそう長くは続かないことを悟っていた。それがドイツ空軍にとってどのような形のものになるかはわからないが、栄光が待ち受けているとは思えなかった。
デム曹長の暗い思いに気がついた様子もなく機付長の愚痴の様な話は続いていた。
「あんたはそう言うけどさ、こいつだって期待の新鋭機なんだろう」
そう言ってこつこつと機付長はFw190Dの機体を叩いていた。デム曹長は苦笑するばかりだった。
実際にはFw190Dは、優先生産機種の隙間にねじ込まれただけの機体だった。D型が優先生産機種のFw190Aと異なるのは、殆ど原型機であるA型が搭載していたBMW801空冷星型エンジンが水冷∨型のJumo213に換装されたことだけと言えた。
開発当時の事はよく知らないが、Jumo213はこれまで主に爆撃機に搭載されていたエンジンだった。それが爆撃機の生産中止に伴って余剰生産となっていた分がFw190に回ってきた形だった。
Fw190において空冷エンジンから水冷エンジンへの換装が容易だったのは、Jumo213では水冷エンジンに必須の冷却水用の冷却器がピストン前面に環状にエンジンに直付されて配置されていたからだ。
Bf109や英国スピットファイアでは主翼下面、日本軍の三式戦闘機では胴体下部に冷却器が配置されていた。これ以外ではエンジン直下の機首下方に装備した機体もあったが、環状冷却器はあまり例がないはずだ。
この配置は空冷エンジンと水冷エンジンの換装を容易化するという点は評価できたが、流麗な機首形状による空気抵抗の削減という水冷エンジン搭載機の利点は失われていた。要するにFw190が装備したJumo213は空気抵抗の点では重い空冷エンジンでしか無かったのだ。
開発元であるフォッケウルフ社の技術者は原型であるA型と比べるとD型では高高度飛行能力が向上していると言っていたが、現在のFw190Dの任務は航空団の主力機であるMe262が脆弱な姿をさらけ出す離着陸時の空中援護や、彼らが不在時の基地防空といった補助的なものばかりであったから、高高度性能は生かされていなかった。
それに一般的に言ってソ連軍機はエンジン全開高度が低く、またソ連軍の搭乗員は愚直なほどに自分たちに与えられた任務からはみ出すことは無かったから、ドイツ軍機が彼らを高高度に釣り出すことも難しく、フォッケウルフ社の言うことが正しいのかどうかはよく分からなかった。
もっとも、機付長もその程度のことは理解しているはずだ。機付長がその職を与えられたのも、航空団が双発重爆撃機を装備していた頃からFw190Dが装備する水冷エンジンに慣れていたからなのだろう。
それだけにFw190Dを否定することは自分の仕事を否定することであると考えてしまっているのではないか。
デム曹長は暗然となった気持ちを紛らわせるように意味もなく空を仰いでいた。だが、すぐに曹長の視線は一点に集中していた。
見慣れない機体が飛行していた。全長に比べて翼端は長く、長距離の高高度飛行を前提とした機体であることは明らかだったが、これまで見たことはなかった。
しかもその機体はドイツ空軍の一般的な塗装とは異なる様式である上に国籍記号すら見えなかった。
だが、奇妙なことに上空を飛行する練習機などがその機体に対して警戒する様子はなかった。それどころか、無線機で連絡でも受けたのかMe262はその機体を避けるような機動を行っていた。
あるいは、先程上空の練習機が教官に操縦を代わったのは、単純に訓練生の技量が未熟だからではなく、この回避機動を行わせる為のものだったのかもしれない。
我が物顔で練習機を蹴散らすようにしながらその機体は視界内を西側に向かって飛行していた。突然押し黙ったデム曹長を不振に思ったのか、機付長も再び視線を上げていた。
だが、機付長の方はすぐにその正体に気がついていた。
「あれは最近になって見るようになった機体だな。あんたらが飛んでいる時は滅多に見かけないが、昼間は時たま見かけるよ。おそらく夜のうちに東部に向かって、昼に帰ってくるんだろう。俺達には連絡は来ていないがね」
今度はデム曹長は機付長に怪訝そうな顔を向けていた。機付長は意味もなく周囲を伺うようにしてから口を開いていた。
「噂が流れていてね。密かに国際連盟軍の長距離偵察機が国内に展開しているらしい。おそらくこっそりとソ連軍を監視しているんだろう。
だが変だな……こんなに早い時間に、しかもあんな低高度を飛行していることは無かったんだが……故障でもしたのかね……」
デム曹長は眉をしかめていた。上空を横切っている偵察機の挙動は故障機のそれには見えなかったからだ。不意に悪寒を感じてデム曹長は身震いしていた。
四五式司令部偵察機の設定は下記アドレスで公開中です。
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三式戦闘機の設定は下記アドレスで公開中です。
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