1945ドイツ平原殲滅戦13
新型戦車が配備されるという噂は以前から連隊の将兵の中で広がっていた。だが、その噂が本当であったことを伝えたのは連隊長のイヴァーノヴィチ少佐ではなかった。
第9親衛重戦車連隊は重戦車連隊としては古豪の部隊だった。初期の親衛重戦車連隊の多くがそうであったように、元々はKV-1重戦車を装備する重戦車連隊であったものが親衛部隊となり改称されていたのだ。
重戦車連隊として編制されていた当時は、部隊の装備はKV-1重戦車に統一されておらずT-34中戦車やT-26軽戦車を含む混成であったのだが、戦闘が続く間に大隊の装備はKV-1重戦車に統一され、更に独立重戦車連隊となり、昨年には新鋭のIS-2重戦車が一挙に配備されていたのだ。
備砲の型式に違いはあれども、連隊が以前装備していたKV-1重戦車が装備する主砲の弾薬はT-34中戦車と同じ76ミリ砲弾だった。砲弾が同一であるということは、弾道もほぼ同一ということであったから、砲威力の点では開戦当時は重戦車と中戦車に変わりはなかったと言える。
だが、大祖国戦争においては戦車砲の進化は急速に行われていた。ドイツ軍が投入した虎戦車の重装甲に対応するためにT-34の備砲は野砲弾道の76ミリ砲から高射砲弾道の85ミリ砲に換装され、重戦車は更に強力な加農砲弾道の122ミリ砲を装備するIS-2重戦車へと切り替わっていたのだ。
しかし、第9親衛重戦車連隊は昨年半ばに開始されたポーランド全域を舞台とした大攻勢、トハチェフスキー作戦において大きな損害を受けた結果、所属将兵の大半を入れ替えなければならない程の大規模な再編成が行われていた。
連隊が上げた戦果は大きかった。第9親衛重戦車連隊は、親衛重戦車旅団の一員となって戦線突破を行うソ連軍の破城槌として戦車軍団の先頭に立っていたからだ。
新型のIS-2重戦車が装備する主砲は強力なものだった。軍団砲として運用されている122ミリ加農砲と同一弾道の主砲は、どれだけ間接砲撃で野砲を撃ち込んでも破壊できなかったドイツ軍の堅甲な防御陣地をいとも簡単に直接照準で吹き飛ばしていたのだ。
だが、IS-2に搭載された大口径の主砲弾は、使い勝手の良い野砲から高射砲程度の砲を原型とするT-34の備砲などと比べると、嵩張る分だけ搭載数が少なかった。
通常の野戦においてはIS-2の主砲弾搭載数でも不足を感じることは無かったが、突破口を突き抜けてドイツ軍の後方に回り込むほど長距離に進出すると、貧弱な段列では補充が困難だった。
重戦車を装備した親衛重戦車連隊は部隊の格でこそ連隊となっているが、連隊が装備する戦車の数は少なく、また大隊結節点を持たないから連隊の直下に中隊が置かれていた。それに中隊内部には小隊も無く、連隊といっても装備する戦車の数だけ見れば大隊程度の規模でしかなかった。
このような特異な編制となったのは取り扱いの難しい重戦車を集中運用する為だった。また、連隊は特定の師団の指揮下に入るのではなく、必要に応じて最前線の軍団などに随時配属されて重要な戦場に投入されるのだ。
いわば突破専門部隊の助っ人である独立部隊としての親衛重戦車連隊は、戦局に対応した柔軟な再展開が可能である一方で問題点もあった。
独立部隊としては規模が小さい為に、重戦車専用の整備部隊などはともかく大規模な兵站部隊が固有の編制に含まれていなかったのだ。つまり重戦車連隊単独では根拠地を離れた長期間の行動には制限があったのだ。
通常であれば、補給兵站に関しては配属された軍や軍団の段列が対応する筈だった。重戦車連隊に必要な物資、機材がどれだけ多かったとしても、大規模な軍団を動かす物資量の前では誤差に過ぎないからだ。
ところが、今回の大攻勢では親衛重戦車連隊の兵站は破綻していた。急進撃の連続に配属された本隊である軍団自体も兵站が追いつかなかったからだ。
場合によっては突破部隊が西進し続けた結果、部隊の展開密度が低下して後方の輸送部隊が包囲網から脱出しようとするドイツ軍と遭遇して貴重な物資ごと撃破されてしまった例もあったらしい。
軍団本隊の兵站が破綻しているのだから、配属された親衛重戦車連隊に満足な量の補給物資が届くはずも無かった。
都合の悪い事に、ソ連軍の主力であるT-34中戦車とIS-2では使用する弾薬の性質が異なっていた。
歩兵支援から戦線突破後の機動戦まで担当するT-34用の砲弾は、野砲や高射砲と共通化されているために予め大量消耗を想定して輸送量が定められていたが、親衛重戦車連隊では燃料は確保出来ても弾薬が不足する車輌が続出していたのだ。
122ミリ砲の弾薬自体は、軍団砲である加農砲と共通性を持たせてあるのだが、軍団砲の発砲機会は野砲などと比べると少ないし、そもそも重量がある上に腰を落ち着かせて周囲の整地作業を行わなければ発砲自体が難しい軍団砲は、急進撃の際に後方に残置されることも多かった。
当然のことながら122ミリ砲弾も攻撃発起点近くの野戦貨物廠で山積みにされたまま残されていた。
本来は突破口生成時の陣地攻撃が主任務であったはずの重戦車連隊や重自走砲連隊は、大攻勢においては突撃部隊の火力を補う為に最先鋒に回されていた。機械化部隊の急進撃に追随できない砲兵部隊の代替を努めていたのだ。
ほぼポーランド全域に渡る巨大な包囲網が構築された後も、疎らな包囲部隊の一翼を担う為に戦線に縛り付けられていた。
包囲網内部のドイツ軍も必死だった。ソ連軍の包囲網に閉じ込められた戦車部隊を含む有力な戦力がが幾度も反撃に出ていたのだ。
ドイツ軍の反抗はその度に撃退されていたが、最前線に配置されていた第9親衛重戦車連隊の損害は増していった。中には主砲の弾薬が欠乏した結果、車載機銃と体当たりで敵戦車を撃破したものもあったのだ。
包囲網内部のドイツ軍が燃料と弾薬が尽きて全滅する頃、第9親衛重戦車連隊もまた壊滅的な損害を受けて後退していたが、連隊の幹部は殆ど戦死するか負傷して後方送りになっていた。
トハチェフスキー作戦が開始されるまで第9親衛重戦車連隊に4人いる中隊長の末席にいたはずのイヴァニューク・イヴァースィク・イヴァーノヴィチ親衛大尉は、作戦期間中には早くも後送された連隊長の代理を務めるようになっていた。
そして作戦終了時に戦時昇進で少佐に任命された頃には、上級司令部の参謀に転出した前任者の後を継いで正式に連隊長を務めるようになっていたのだ。
もっとも他の三人の先任中隊長も皆戦死するか野戦病院に後送されていたし、連隊全てをかき集めても何とか中隊を編成する事が出来る程度の戦車しか残っていなかった。新任連隊長の最初の任務は部隊を立て直すことになったのだ。
作戦終了後にイヴァーノヴィッチ少佐の元にあったのは、第9親衛重戦車連隊の残骸と呼ぶほうがふさわしい程の残存戦力でしかなかったが、補充の将兵は次第に後方から到着していた。
最も集まってきた補充兵達の練度には大きな差があった。第9親衛重戦車連隊と同じく大攻勢中に大きな損害を受けて解隊されたT-34中戦車隊から転属してきた歴戦の戦車兵は即戦力として歓迎されたが、大半の補充兵は最低限の戦車兵教育を受けただけの若者だった。
それに新兵に混じってシベリアの帝国残党と対峙していたイルクーツク湖畔の北部戦線から異動してきたものもいた。
革命の後にシベリアに逃れた帝国残党は、ソ連にとって最優先の相手であるはずだった。しかし、英日帝国主義者の支援を受けたシベリアの帝国軍は強力な陣地を築いて待ち構えていた。
帝国残党との実質的な国境線となったイルクーツク湖畔に駐留する部隊は、有事に備えた練度の高い将兵で固められており、開戦前には最精鋭部隊と知られていた。
ドイツ軍による侵攻後に、シベリアの帝国主義者の行動を慎重に見極めながら、ソ連軍最高司令部はイルクーツク湖畔の駐留部隊を次第に抽出して膨大な損害を埋める為に西部の戦線に配属させていた。
再編成中の第9親衛重戦車連隊にもイルクーツクから来た将兵が配属されていた。しかもイルクーツク駐留の戦車連隊から引き抜かれた1個中隊がまるごと異動してきたのだ。
だが、北部戦線から転属してきた部隊は練度も士気も高かったが、イヴァーノヴィッチ少佐達以前からの連隊幹部にとっては扱いづらい兵たちでもあった。
新たに第1中隊に編入された転属部隊を率いていたのはセミョーン・クラミン少佐だった。
クラミン少佐は転属と同時に昇進したばかりだったから先任順でいえばぎりぎりイヴァーノヴィッチ少佐の方が早いのだが、開戦と同時期に戦車学校を卒業してからずっと前線部隊に居続けたイヴァーノヴィッチ少佐は戦時昇進の連続だったから、正規の士官教育を受けたクラミン少佐の方が軍歴は長いということになる。
二人の親衛少佐の存在は厄介な問題だった。イヴァーノヴィッチ少佐は連隊の古株で最前線で戦い続けた貫禄も持ち合わせていたが、クラミン少佐の方にも最精鋭の北部戦線から転属してきたという自負があった。
クラミン少佐やその部下に足りないのは実戦経験だったが、それもウクライナでは珍しくもない極貧の農家で育ったイヴァーノヴィッチ少佐のような田舎者に出来たことが自分たち最精鋭部隊の将兵に出来ないはずはない、そう考えているものもいるようだった。
表立ってイヴァーノヴィッチ少佐が連隊長を続ける事に異を唱えるものは居なかったが、正規の士官教育を受けたクラミン少佐にその役を譲るべきだと影で言うものは少なくないようだった。
そのクラミン少佐は中隊を率いて後方に出張していた。将兵の補充と比べると遅れていた機材の受領を行う為だった。
第1中隊が到着した時、イヴァーノヴィッチ少佐は連隊本部に与えられた幕舎で書類仕事をしていた。連隊の補充や整備には少佐が連隊長となる前に考えていたよりも多くの書類が必要だったのだ。
イヴァーノヴィッチ少佐は思わず幕舎内で同じように野戦机に向かっていた政治将校のマルケロフ大尉に向かっていった。
「こんなことならクラミンに連隊長を押し付けたほうが良かったな。奴さん士官学校で書類の書き方位習ってるんだろう……何でドラム缶1本の燃料を請求するのに書類が必要なんだ、同志タラース・セルゲーエヴィチ・マルケロフ大尉」
ひらひらと嫌そうな顔で一枚の書類を手にしたイヴァーノヴィッチ少佐に、マルケロフ大尉が苦笑していた。
「同志連隊長、政治将校として言わせてもらえればですね、軽油1滴、被服1着に至るまで全て人民のものだからですよ。母なる大地を覆う戦火の中で喘ぎながら最前線の兵士達の為に尽くす人民を思えば、快適な幕舎の下で書類を右から左に動かすだけで文句を言うには筋違いと言うものですぞ」
そう言ってマルケロフ大尉はたしなめたが、机の下でだらしなく広がる大尉の太鼓腹の前では然程の説得力は発揮しなかった。どうやって最前線でマルケロフ大尉がその体型を維持し続けているのか、イヴァーノヴィッチ少佐には不思議でならなかった。
見栄えはぱっとしなかったが、連隊付き政治将校のマルケロフ大尉は事務仕事には人並み外れた才があった。その証拠に朝には山のようになっていた書類が殆ど処理を終えて無くなっていたのだ。
それに連隊の士官の中ではイヴァーノヴィッチ少佐よりも古株なのはもうマルケロフ大尉だけになってしまっていた。
各科長から出された連隊長の決裁を待ち続ける書類を横目で見ながら、あきらめたような顔でイヴァーノヴィッチ少佐は折畳式の粗末な机に向き直っていたが、すぐに顔を上げていた。幕舎の外から軋むような轟音が聞こえてきたからだ。
だが、イヴァーノヴィッチ少佐の顔に驚きは無かった。マルケロフ大尉も腕時計に目を向けながら言った。
「第1中隊が到着したようですね。予定よりも遅かったようだが……」
「俺たちをやきもきさせて喜んでいるんじゃないか」
投げやりにそう言いながらもイヴァーノヴィッチ少佐は立ち上がっていた。
だが、幕舎の隙間から外の様子を見たイヴァーノヴィッチ少佐は目を向いていた。砲塔から上半身を突き出して意気揚々とした表情を見せているクラミン少佐が乗り込んでいたのは、補充用として送られてくるはずのIS-2ではなかったからだった。