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1945ドイツ平原殲滅戦9

 外務次官の発言によって首相官邸の会議室に困惑した雰囲気が漂っていた。外務次官が言及した潜水艦隊についての報告は、ある種の禁句となっていたからだ。

 会議出席者の何人かは様子を窺うようにシェニーヴェント大将とゲーリング総統代行の顔を盗み見ていた。上座のゲーリング総統代行は何かに耐えるように僅かに眉をしかめたままで無表情を貫いていたが、書類を手に立っていたシェニーヴェント大将は嫌そうな顔になっていた。



 ドイツ側は国際連盟と講和する一方で、東部戦線の対ソ戦に関しては継続を訴えるという考えようによってはひどく都合の良い申し出を行っていたが、共産主義とは相容れない立憲君主制を取る英日を始めとする有力国際連盟諸国は、基本的にドイツ側の提案を受け入れていた。

 同時に講和に際して国際連盟軍はドイツ軍にいくつかの条件を突きつけていた。


 元々が正規軍扱いとするか怪しいところのある武装親衛隊に関しては組織の解体が求められていたが、師団単位での陸軍への編入は黙認されている状況だった。

 その他も陸空軍に関しては東部戦線を除く占領地帯からの撤退など対ソ戦に限ればさほど大きな支障は無かった。むしろ予備兵力や労働力の確保という点では占領地帯からの撤退はドイツにとっても都合が良い点もあったのではないか。


 このような措置は、国際連盟側が戦前と同様にドイツを共産主義勢力から西欧を守る防波堤として使用したいからだと考えられていた。

 例えばドイツ空軍は重爆撃機など特定の機種に関しては保有を禁じられていたが、それも対ソ戦中は猶予期間とするなどこのままソ連と対峙する以上はお構いなしとでも言いかねない条件だったからだ。


 その中でドイツ海軍に関しては厳しい条件があった。水上艦艇に関しては期日までのバルト海への移動が求められていた。この期限を超過してビスマルクは拿捕されてしまったが、これは海軍も東部戦線の支援を求められての事であったのだろう。

 それに対して、開戦直後に水上艦による通商破壊戦が盛んだった時期を除けば実質的にドイツ海軍の主力であった潜水艦隊は、武装親衛隊以上に徹底して解体が求められていた。



 武装親衛隊の場合は、所属する将兵個人に関しては戦時国際法への違反によって戦後に訴追されるという可能性はあるものの、開戦前から編制されていた古豪の師団などは殆ど名前を書き換えただけで陸軍に編入されていたが、潜水艦隊はどのような形でも存続を許されなかった。

 ドイツ海軍に所属する新旧、大小を問わない全ての潜水艦は、軍旗を下ろし浮上航行で英国本土の指定された港に向かうことを命じられていた。そこで国際連盟軍によって艦艇は没収、乗員は抑留される事となっていた。


 尤も、乗員に関しては出港前に艦から降りたものも多かった。

 潜水艦隊の乗員は、階級や部署によらずに無制限水上破壊作戦に関する不法性を問われて全員が訴追されるという噂があった。艦長など指揮官級であれば長期の禁固刑や極刑もありうるというのだ。


 そうした噂は相当に広まっているらしく、フランス占領地帯などの外地を母港としていた艦などでは少なくない脱走者も出ているらしい。特にナチス党員の乗員は脱走率が高いようだった。

 ただし、脱走者がいなくとも乗員を減らした艦の方が多かった。戦闘を前提とした航海でなければ、艦の運航に必要な最低限の乗員数はさほど多くは無かったからだ。最後の航海が英国までのごく短距離であったこともあって多くの潜水艦は乗員をおろしていた。

 それが消耗の連続で若者ばかりになってしまった乗員の英国での抑留を少しでも減らそうという親心か、海軍の余剰人員からなる労働隊の数を増やしたかったのかは部隊指揮官によるだろう



 ところが最近になって、到着した潜水艦の数が少なすぎるのではないかという連絡が英国から入っていた。

 国際連盟側では講和前からドイツ海軍潜水艦隊の潜水艦保有数を推測していた。ドイツ国内外に点在する潜水艦建造所の状況や、船団護衛部隊などと交戦して撃沈確実と判定された潜水艦の数などから推測していた残存数と、ドイツ側から到着した潜水艦の実数に大きな乖離があるというのだ。

 それに、講和の条件が突きつけられた後も、潜水艦によるものと思われる損害がわずかながら発生していたことも問題視しているようだった。


 だが、潜水艦隊の行動を正確に把握するのは味方であっても難しかった。長距離通信の手段も限られていたし、襲撃の際は付近の艦が集合する群狼戦術をとっているとはいっても、実質的には通商破壊戦を行う潜水艦は出港後は単艦での行動が基本だったからだ。

 特に国際連盟軍の対潜哨戒機などの航空機材が充実するようになってからは、輸送船団を待ち受ける海域を本国から遠く離れた大西洋中心部に設定していたから、本国の司令部が指揮下の各艦を統率するのは困難になっていた。

 仮に司令部が停戦信号を出していたとしても、通信を取りこぼす艦があるのは不思議では無かったし、僚艦を伴わずに単艦行動をとる潜水艦が人知れずに沈んでいったと思われる場合は多く、実際には母港に一定の期間を過ぎても帰還しなかったことでようやく喪失扱いとなった艦も多かった。



 逆に喪失扱いとなっていた艦が後になって生き延びていた事がわかったこともあった。

 海中深く潜航する潜水艦の撃沈を正しく判定するのは難しかった。多くの場合は海上に発生した油膜や漂流物の発見によって撃沈と判定されていたが、老練な指揮官であればこれを欺瞞することも少なくなかった。

 多くの戦死者を出しながらも、物資を切り詰めて信じられないほどの長時間をかけて生還した損傷艦もあったのだ。


 潜水艦隊の損害を正確に記録しようとすれば、ドイツ軍側だけではなく国際連盟軍の戦闘詳報と付き合わせて個艦の行動を丹念に追っていくしか無いが、ドイツ海軍が国際連盟軍の戦闘詳報を入手する手段は無かった。

 それ以前に、そのような作業を行う潜水艦隊司令部は講和前に人員を削減されていたから、友軍艦の武装解除や労働隊の管理などを行う機能しか残されていなかった。



 ドイツ海軍は潜水艦故の不確実性があると説明していたが、その程度のことは国際連盟軍も理解しているはずだった。英国側からの通告は抗議の域を超えるものだったらしい。

 実は国際連盟軍はドイツ海軍潜水艦隊司令部が保有する戦闘詳報などの書類提出を既に求めていた。

 複写の提出は認められなかった。原本の提出が求められていた上に事前に複写して保管することも禁じられていた。要するに潜水艦隊は戦時中の自軍の行動記録さえ今後確認することが出来なくなるのだ。


 ところが、潜水艦隊の戦闘詳報には抜け落ちている部分が少なくなかったらしい。艦隊司令部や占領地帯に進出した戦隊司令部によって事前に焼却処分された書類があったのだ。

 おそらくは戦犯指定を逃れるために都合の悪い文書を無かったものにしたかったのだろうが、国際連盟軍の書類収集は彼らの予想を越えて徹底したものだった。

 前後の文章から情報の欠落があった事自体は早々に判明していた。潜水艦隊司令部は講和条件の提示前に焼却処分は行われていたと主張していたが、国際連盟軍がそれに納得しているかどうかは分からなかった。



 だが、国際連盟軍が実際に危惧しているのは、おそらくそのような書類の喪失程度のことではないはずだった。彼ら潜水艦隊の組織的な逃亡を疑っているのではないか。

 これに関してはシェレンベルク少将の元にも気になる情報が入っていた。多くの乗員を降ろされたはずの潜水艦に、見慣れないものが乗り込むところを見たというものがいたのだ。


 情報そのものは要港部の兵員が噂の出処らしく確度は低かった。潜水艦隊は消耗が激しく乗員の補充も頻繁に行われていたから、要港部の部員が見知らぬ乗員など珍しくもないだろうからだ。

 ただし、英国からの通告を精査すると、未到着の潜水艦はそのような噂のあった艦ばかりだった。

 本来は英国軍の監視下で英国本土まで航行する予定だったが、国際連盟軍による爆撃等によって潜水艦隊の母港は何れも能力が低下していた。そのために通商破壊作戦の途上で三々五々と呼び戻されていた潜水艦隊の全隻を一斉に整備するのは難しく、結果的に単艦出港するものは少なくなかった。

 監視も航行中24時間行われているわけではなかったから、夜陰に乗じて密かに潜航して脱走した艦がいないとは言い切れなかった。



 もっとも、これだけであれば問題はまだ潜水艦隊にとどまっていたかもしれなかった。今後潜水艦隊内部の動きを調査する必要があるが、フランス占領地帯などから姿を消した潜水艦は、ナチス党員などによる脱走の可能性が高かった。


 国際連盟との講和は実質的な敗戦だった。過去10年近く権勢を誇ったナチス党の思想が否定されたということでもあった。

 対ソ戦の続く現在は、強力な指導体制が必要であるために、ヒトラー総統から生前後継者として指名されていたことを根拠にゲーリング総統代行が政権を握っていたが、戦後は親衛隊どころか政治団体であるナチス党そのものが解散させられるのではないか。

 これまで幅を利かせていたナチス党員の中に戦後の戦犯指定を恐れて国外逃亡の道を選んだものがいたとしてもおかしくはなかった。



 彼らの企てが成功するかどうかは分からなかった。脱走した可能性がある潜水艦の多く中型潜水艦の7型だったからだ。

 最低限の外洋航行能力を有してはいるが、7型潜水艦は本来であれば根拠地から近海での通商破壊作戦に用いる中距離用の潜水艦だった。


 7型潜水艦が潜水艦隊の主力となったのは、その建造費が低く建造数が多かったためでもあるが、予想を越えて大西洋奥深くまで戦域が移行してしまった事に潜水艦隊が満足に対応できなかっただけとも言えた。

 開戦からしばらくの間は偽装補給船として使用されていた仮装巡洋艦や潜水補給艦による支援も期待できたが、鈍重な補給船は次々と国際連盟軍によって撃破されていた。

 大西洋中央部の比較的安全と思われた海域でも洋上補給が困難であったために潜水補給艦が投入されていたが、新造の14型潜水艦は鈍重であったためか全艦未帰還となっており、転用されたヴィシー政権軍の大型潜水艦も残存したものは全て帰還していた。


 国外脱走用の機材としては7型潜水艦は能力不足だった。彼らの目的地は定かではないが、国際連盟軍の手の届かない土地となると、中央アフリカか南米あたりとなるのではないか。

 亡命先としては北米、つまり米国も考慮に入れる必要があるが、ソ連と友好関係にある同国にドイツからの亡命者がすんなりと受け入れられるとは思えなかった。


 国際連盟軍による対潜網は未だに機能しているようだから、7型潜水艦で逃亡を図ったとしても目的地に到着するのは相当に難しいだろう。乗員の多くをおろして余分の消耗材を積み込めば可能性はあるが、困難な旅路であることに変わりはない。

 既にシェレンベルク少将は密かに潜水艦隊の各母港に対して物資残量の調査を行っていた。異様な数値が出れば、行方不明となった隻数から実際の行動距離を推測することもできるはずだった。



 本当に問題となるのはごく少数の9型潜水艦だった。本格的な外洋型として建造された9型潜水艦は航続距離も大きく、長距離通商破壊作戦には7型よりも格段に適する機材のはずだった。

 だが、9型潜水艦の建造数はさほど多くは無かった。大型で建造費が高くつく上に建造期間も長いからだ。極論すれば単艦での効率の高い9型を少数運用するよりも、航続距離が短いために頻繁に交代の必要な7型でも数さえ確保できれば、通商破壊作戦全体の効率は変わらないはずだ。


 その外洋航行能力に優れた9型潜水艦も残存していたはずの何隻かが所在不明になっていた。そしてそのうちの少なくとも1隻はソ連軍による大規模攻勢が開始された直後に、停泊していたバルト海奥深くのゴーテンハーフェンから姿を消していたのだ。

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