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1945ドイツ平原殲滅戦8

 ビスマルクが入渠していたブレストの乾ドック中で発生した爆発は、かなり大規模なものであったらしい。推進軸近くで発生した爆圧によって、ビスマルクを30ノットで走らせる大出力を支える最後尾軸受周辺部が歪んで水密性が失われていたのだ。


 判断に迷う事態だった。ブレストの退去期限までの日程を考慮すればビスマルクの完全復旧に工期が足りないのは最初から分かっていたが、最低限の修理で済ませるにしても後々問題が発生する可能性もあった。

 完全復旧を行うのであれば、軸受の交換は勿論だが、爆発があった箇所の周辺部を切り裂いて歪められた分厚い外板を取り替えなければ水密は保てなかった。

 しかも今回の工事では推進軸の点検は含まれていなかったから、新たにプロペラを外して軸を抜き出さないと推進軸自体が折れ曲がっていないかどうかも分からなかった。


 だが中央軸の封鎖のみで工事を済ませた場合、後期は短縮出来たとしても工事後にさらなる問題を引き起こす可能性があった。見た目で分かるほどの損傷を追っていたのは中央軸だけだったが、外舷側の軸受も多少の歪みが艦内から観測されていた。

 仮に外舷側の両軸にも歪みが発生していた場合は、その軸からも浸水を起こして推進力が失われる可能性があった。事故のあった推進軸一つだけでは問題は済まないかも知れなかったのだ。



 大規模な爆発だったにも関わらず、ドイツ軍の調査ではこれが何らかの妨害工作であったという証拠は得られていなかった。調査の結果、どうやら爆発があった地点では火気工事と可燃物を取り扱う工事が同時並行で行われていたらしいのだ。

 工事で使用されていた塗装の溶剤や木工品程度の可燃物に引火した程度にしては爆発の規模は大きすぎたが、艦内でも同様の状況であったから火元は同じでも爆発源は複数存在していた可能性は否定できなかった。

 どのみち爆発現場は吹き飛んでいたから、実際にはどの程度の危険物があったのかは正確なところは誰にも分からなかった。


 そのように安全規則を無視した危険な状況が発生したのは、労働者の不足が原因だった。フランス人の工員が無断で職を離れていたものだから、工事の進捗を示す出来高は計画よりも大きく不足していた。

 しかも、ドイツ人の工事責任者はその事を正しく理解していなかった。あるいは処罰を恐れて工事関係者の中間管理者が上層部にサボタージュの実態を報告していなかったのかもしれない。

 その日になって見ないと工員数、すなわち実工数の見積もりさえ出来ないのだから、工期の計画など本来は立てられないはずだったのだ。それで計画で定められた進捗を守るために無理な工事が行われていたらしい。


 情報を精査してみないと分からないが、あるいはそのような混乱した状況そのものが妨害工作であったのかもしれなかった。

 正確な現場の状況が分からないまま無謀な計画変更が繰り返されていたからだ。計画上の工数と現実の出来高が乖離したまま作業が進められていた結果、現実を責任者が把握した時には手遅れとなっていた。


 混乱は爆発後も続いていた。補修計画の最終的な決定案では応急処置で最低限の推進力を確保する予定だったものが、実際には工数不足でほとんど詰め物で誤魔化しながら、乾ドックへの注水が行われていた。

 だが、注水が終わってもドックが開かれることは無かった。最悪の想定通りにビスマルクには致命的な損害が生じていたのだ。



 状況は最悪だった。複数の推進軸系統が浸水を起こして自力航行が不可能である状況に陥っていたことが注水によってようやく判明していたのだ。


 とりあえず自力航行を諦めて、機関室に通じる水密扉をすべて閉鎖して曳船で曳航していく案も出たが、検討段階で放棄されていた。

 4万トン級戦艦を曳航できるだけの十分な数の大型曳船など今のドイツ海軍には用意できなかったし、それ以前に時間あたりの浸水量が不明であるために予備浮力がドイツ本国までの航行に耐えられるかどうかも分からなかった。

 仮に想定より浸水量が多かったとしても、動力喪失状態では最低限の浮力を維持するための排水作業も困難だった。


 結局、戦艦1隻を気にする余裕の無くなっていたドイツ海軍が状況を正確に把握する前に、退去期限の過ぎたビスマルクは乾ドック内でフランス軍によって接収されていたのだ。

 しかも、ブレストでは工員の仕事量を確保するためか、ビスマルクの修理工事がフランス軍の監督のもとで再開されているらしい。



 淡々とシェニーヴェント大将は水上艦隊の状況を報告してから、ビスマルクの返還要求を国際連盟に出すことをゲーリング総統代行に求めていたが、大将の言葉に対する出席者達の反応は冷ややかなものだった。


 その中でも困惑した表情になっていた外務次官が最初に言った。

「外務省としては、このタイミングでの返還要求は性急に過ぎるのでは無いかと思いますな。期日までの占領地からの退去という講和の事前条件を海軍が遵守出来なかったのは事実ですし……」


 シェニーヴェント大将は眉をしかめながら反論していた。

「ビスマルクがブレストから出港出来なかったのは、停戦中に行われた不法な破壊活動が原因です。その点を考慮すれば国際連盟への抗議も一定の正当性を有するのでは無いか、と海軍では考えています」



 本当にシェニーヴェント大将自身もそう考えているのだろうか、シェレンベルク少将はふと考え込んでいた。


 今次大戦においてシェニーヴェント大将は艦隊司令長官でありながらも出撃する艦隊の指揮を直接とることは無かった。大将程の高級将官が直卒しなければならないほど大規模な出撃が無かったからだが、その中でシェニーヴェント大将は各艦隊の調整役として働いていた。

 場合によっては実戦部隊の最高指揮官としてヒトラー総統のご機嫌を伺いながら、軍令部と実戦部隊の間に立って前線部隊と後方勤務の衝突を防ぐ厄介な役回りを務めていた。

 今回も潜水艦隊の没落によって相対的にドイツ海軍の主役に躍り出た水上艦隊からの突き上げがあったのではないか。


 しかし、海軍に冷ややかな視線を向けているのは官僚だけでは無かった。ルントシュテット元帥が何かを言いかけたが、それよりも早くマンシュタイン元帥が落ち着いた口調で言った。

「仮にビスマルクが返還されたとして、海軍はどの程度の期間で前線に復帰できると考えているのですかな。東部方面軍としては、バルト海沿いに戦艦主砲の援護が得られるのであれば歓迎したいが、奴らの本格的な進行は遠くないと考えている。時期を逸すれば意味が無いだろう」


 マンシュタイン元帥の言葉をそのまま捉えれば戦艦の火力支援にある程度の期待を掛けているとも思われるが、ビスマルクに関する報告が正しければ修理工事の工期は相当長期間になるはずだ。

 勿論いくら畑違いとはいえその程度のことはマンシュタイン元帥も分かっているはずだった。つまり元帥は婉曲的にビスマルクの放棄を促しているのではないか。



 ヒトラー総統の暗殺に前後して行われたソ連軍の大攻勢によって、東部戦線は実質的に崩壊していた。

 ソ連軍の攻勢はバルト海沿いに行われると予期していたドイツ軍は、旧ポーランド領のバルト海沿岸部に機甲部隊を集結して待ち受けていたのだが、予想に反してソ連軍の主攻は中央軍集団の戦区に集中していた。

 ドイツ軍の判断は誤認だった。ソ連軍の巧みな欺瞞工作に踊らされて戦略的な主導権を奪われた結果、大規模な機動作戦に対応出来なかったのだ。


 ただし、機甲部隊を含む大兵力の北部軍集団の行動を阻害していたのはソ連軍だけではなかった。

 総統暗殺事件によって戦略的な判断を行う中枢を失っていたドイツ軍、特に北部軍集団が柔軟な指揮能力を失っていた為に、中央軍集団の貧弱な前線部隊を優越した火力集中で叩き潰したソ連軍は、再編成されていた彼らの機甲部隊を先鋒として一大包囲網をバルト海沿いに形成していたのだ。



 北部、中央の2個軍集団の指揮系統は失われていた。最大でも師団規模の部隊が孤立しながら戦っていただけだったのだ。この危機の中で唯一難を逃れていたのが、マンシュタイン元帥が率いる南部軍集団だった。


 ソ連軍の包囲環に側面を晒していた南部軍集団も即座に積極的な行動を起こす事はできなかったが、マンシュタイン元帥は助攻のソ連軍をあしらいながら、大胆に前線から戦力を引き抜いて軍集団の側面に再配置していた。

 南部軍集団が担当する前線が北側にもう一本出来たような状況だったが、ソ連軍も北部ポーランドの包囲網を構築するのに拙速を図ったばかりに側面の防御は疎かになっていたようだった。

 奇しくも両者の方針が一致した結果、南部軍集団は戦線を維持していたが、後方連絡線をソ連軍に遮断されて補給が途絶えた包囲網内部の北部軍集団を殲滅し終えれば、今度は南部軍集団にソ連軍主力が向かうのは必然だった。


 マンシュタイン元帥はこれまで同様に占領地の多寡には拘らなかった。むしろ首都ベルリンを掌握したゲーリング総統代行から東部戦線の全権を委任された元帥は、中央軍集団残余や歪な包囲網を脱出してきた北部軍集団配属部隊を収容しつつ後退を開始していた。

 大胆さと緻密さが同居したマンシュタイン元帥の精緻な作戦によって追撃するソ連軍による損害は最小限に抑えられていたが、北部軍集団が捕らえられた包囲網の解囲は最低限のものしか試みられなかった。


 国際連盟軍の救援艦隊によって包囲網内部のドイツ系、親ドイツ市民の脱出は成功していたが、北部軍集団に配属された将兵の大半は貴重な機甲部隊と共に捕虜となっていた。

 このときマンシュタイン元帥は冷徹な判断の元で動いていた。燃料の尽きた機甲部隊ではソ連軍の包囲網から脱出するのは不可能だった。むしろその点では少数の歩兵集団の方が粗密のある包囲網を逃れるのは容易だった。

 ドイツ軍は救出不可能である北部軍集団残余を囮にしつつ、南部軍集団を主力とする新たな戦力を再構築する事に成功していたが、北部軍集団が殲滅されてソ連軍が再配置される頃には縮小され続けた前線はすでにドイツ、ポーランドの旧国境に達していた。



 再編成された軍集団は新たに設立された東部方面軍にまとめられたが、実質的には南部軍集団が他の軍集団の残余を吸収したというのに等しく、その指揮は引き続きマンシュタイン元帥がとっていた。

 東部方面軍の補充は、機材はともかく人員の面では進まなかった。国際連盟軍が急速展開したバルカン半島やフランス占領地帯などからはその場で戦犯指定を受けたものを除いた将兵が続々と帰還していたが、着の身着の儘でドイツ国内に戻った彼らの多くは即座に動員を解除されるか、ナチス党の国民労働隊を再編成した労働隊に編入されて各地の工場などで文字通りの労働に従事していた。

 徴兵されたドイツ人の代わりに貴重な労働資源となっていた多くの捕虜や外国人労働者が講和条件を事前に履行する過程でドイツから去っていたからだ。すでに彼ら無しでは国家を維持できない所にまで陥っていたドイツは、皮肉なことに将兵の全てを前線に注ぎ込む余裕を失っていたのだ。


 マンシュタイン元帥は不平不満を言う事なしに再編成を急いでいた。あるいは、何もかもが不足する東部戦線に長く従事していた故の諦観であったのかもしれない。

 将兵の多くを動員解除させることに反対していたのは、むしろドイツ本国にあって将兵の教育や国内軍需産業の監督を担当する国内予備軍や参謀本部の方だった。

 フランスから帰国後に空席だった国内予備軍の司令官に任命されたルントシュテット元帥もその急先鋒だった。


 そのルントシュテット元帥は、淡々とした調子のマンシュタイン元帥に不満そうな顔で言った。

「しかし、ドイツの戦艦をただでくれてやる道理はあるまい。バルト海に浮かべておけば囮くらいにはなるだろう。戦艦の火力は侮れんからな」

 マンシュタイン元帥は僅かに首をすくめたが、何も言い返さなかった。実際のところ、前線司令部から呼び戻されたマンシュタイン元帥には海軍に大した興味はないのだろう。

 どのみち即座にビスマルクが返還された所で、最低限の砲台機能すら発揮できないのだから、マンシュタイン元帥とは直接関係のないことだったのだ。



 だが、外務次官が二人の元帥に割り込むようにシェニーヴェント大将の顔を見ながらいった。

「失礼ですが、提督は状況を誤認されているのではないですか。講和条件の履行に関して、国際連盟側はかなりの不信感を持ってドイツ軍、特に海軍を見ている様子です。

 提督、潜水艦隊は本当にこの報告が全てなのですか……」

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