1945ドイツ平原殲滅戦6
先の欧州大戦後にオスマン帝国やソ連、ロシアの干渉を跳ね除けて成立したイラン王国、パフラヴィー朝は近代国家となるべく急速に中央集権化を推し進めており、同時にイラン王国軍も日本帝国などの支援を受けて近代化を進めていた。
しかし、イラン王国軍は大兵力を有するものの北方の国境を接するソ連軍に対する警戒を緩める事ができなかったことから、欧州に大規模な戦力を派遣することは出来なかった。そのように閉塞した状況の中で、国軍を代表する形で派遣されたのが陸軍空挺大隊だった。
同空挺大隊は、通常編成の部隊ではなかった。日本陸軍機動連隊などと同様にソ連軍と交戦する際に後方撹乱や破壊工作を行うための特殊戦用の部隊だったのだ。
空挺大隊を実質的に率いているのは、イラン陸軍に所属するイスマイル少佐だった。階級の割に歳がいっている少佐は、叩き上げの老練な野戦指揮官だったが、パリに到着した厨川少佐が連絡の為に訪れたときは、ムスリムらしく伸ばされたあごひげの奥でイスマイル少佐の口が苦々しく歪められていた。
唖然とする厨川少佐にイスマイル少佐は苦々しい口調で言った。
「参ったもんだよ。うちの中佐は今度の任務に舞い上がって旅団長と一緒に張り切っているんだ」
中佐というのは空挺大隊の正式な指揮官であるイブラヒム中佐のことだろう。階級はイスマイル少佐よりも上だが、レザー・シャーと遠縁だというイブラヒム中佐は空挺大隊に箔をつけるためのお飾りの指揮官だった。
だが、そのイブラヒム中佐と旅団長がどう絡んでいるのかが分からなかった。
事情が分からない厨川少佐が眉をしかめたまま無言でいると、何かに気がついたのかイスマイル少佐は目を見開きながら続けた。
「何だ、知らなかったのか。うちの旅団が動員されたのは、明らかに多国籍の顔触れが欲しかったからだぞ。だからこれまで裏方だった旅団長や中佐が張り切ってしまったのさ」
厨川少佐は混乱するばかりだったが、イスマイル少佐は顔を寄せて小声になりながら更に続けた。
「我々を遥々呼び寄せたのはフランスの中でも自由フランスの方だが、彼らは国際連盟軍の一員としてドイツと戦っていた事を市民の前で明らかにしたいんだよ。単純に今保有している戦力では本土の正規軍を掌握しているヴィシー政権に遠く及ばないからな。
だから、少なくとも国内の諸勢力を取り込む工作を行っている間は、自分たちもこの戦争で勝ち組になった国際連盟軍の一員という大義名分が欲しいのさ。それには日英だけでは無く、多くの国際連盟加盟国から派遣された部隊と共に自分たちが並んでいる姿を市民の前で見せることが望ましいことになる。
それ以前に開戦時の経緯からすれば、日本軍はともかく英国軍は表に出ない方が、フランスの市民感情からすると良いのかもしれないが……旅団長はともかくこの旅団自体は多国籍の顔ぶれが揃っているからな」
あまりに馬鹿馬鹿しい理由に、その場では厨川少佐はイスマイル少佐に劣らずに渋い顔になっていた。要するに特務遊撃隊を含む機動旅団は特殊戦部隊としての特異な技量を期待されていたわけではなく、単に多くの人種、国籍の部隊だから動員されたということだからだ。
明日にでもソ連軍の侵攻があるかも知れない要地から自分たちを引き抜いたにはあまりにお粗末な理由だった。
特に箝口令を敷いたわけでは無かったし、特務遊撃隊の隊員達もイラン王国空挺大隊とは面識があったから、こうした話はすぐに広まっていた。
お調子者の南のように、ただ道路脇で突っ立っているだけで良いのだからこれほど楽な仕事は無いとうそぶくものもいたが、他国の政争に巻き込まれるのが自分達にあった仕事とも思えなかった。
厨川少佐が隊員達を強い口調で叱りつけることは出来なかった。当然のことながら自由フランスが公式に出した見解ではないし、それ以前に隊員達と同じ苛立ちを少佐自身も感じていたからだ。
だが、流石に報道陣も訪れている式典当日にだらけている隊員達の姿を外部に見せるのは満州共和国全体の恥部にもなり兼ねなかった。厨川少佐は叱責の声をあげようとしていたが、それよりも早く不機嫌そうに鋭い声が聞こえた。
「お前ら、もう少しシャキッとしな。そろそろドイツのお偉方が到着するよ」
突然聞こえてきた特務遊撃隊の一個小隊を束ねる王美雨中尉の声に、だらけていた隊員たちは着慣れない満州共和国軍の軍装に慌てて袖を通していた。まるで山賊達が奪った礼服を着込んだようなちぐはぐな格好だったが、遠目から見れば一応は満州共和国軍の正規部隊に見えなくもない筈だ。
ため息を付きながら厨川少佐は美雨に振り返っていた。彼女は先発していた空挺大隊の兵を道案内に借りて周辺の地形を確認する為に辺りを見回っていたはずだった。
「随分早かったが、何かあったか」
厨川少佐は言葉少なに聞いたが、美雨は不機嫌そうに鼻を鳴らすと宿舎の扉を乱暴に空けて入ってしまっていた。唖然として、取り残された厨川少佐は道案内役を努めていたハサン軍曹に視線を向けていた。
空挺大隊の隊員であるハサン軍曹は、熟練下士官には似つかわしくないような曖昧な苦笑いを浮かべながら言った。
「いや、随分と中尉殿をお誘いするフランス人が多くて困りましたよ。このあたりも講和に浮かれたフランス人が随分と繰り出しているようで……どうやら私は令嬢のお付きか何かだとでも思われたようですな。尤も中尉殿は何れの殿方も軟派でお気に召さない様子でしたが……」
一瞬厨川少佐は呆けたような顔になったが、すぐにわざとらしい笑みを浮かべていた。
「それはまた……物好きな奴が随分といるもんだな」
確かに美雨の容姿は異人種のフランス人から見ても整っているように見えるのだろうが、それは野生の獣の美しさだった。ハサン軍曹が言う男たちは、飼い主に餌を貰って生きる家猫のつもりで声をかけたのかも知れないが、気紛れな野生の獣にしつこく付きまとえば鋭い爪で手酷く切り裂かれるだろう。
それにその程度のことも分からない素人には、精悍な馬賊の中で幼少から暮らしてきた美雨は歯牙も欠けないはずだった。
ハサン軍曹は、鼻で笑った厨川少佐に戸惑った様子で無理やり笑みを作っていた。尤もそれは吹き出すのを必死で抑えているようにも見えていた。
「まぁ、中尉殿はお綺麗な方ですから……」
勿論空挺大隊の猛者であるハサン軍曹は、北アフリカで初めて特務遊撃隊の面々を見たときから美雨の美しさの本質を理解しているはずだった。彼らも非公式なソ連との戦闘に投入されているようだったからだ。
厨川少佐は更に何かを続けようとしたが、ふと違和感を覚えていた。急に鋭い視線になった少佐に気がついたハサン軍曹も、自分の肩越しに伸ばされた少佐の視線を追いかけていた。
そこにあったのは、どうということはない草臥れたタクシーだった。フランス製の車両だったはずだが、車種までは分からなかった。
視線を外すことなく、厨川少佐は独り言のように呟いていた。
「軍曹、あの車は何時から停車しているか分かるか」
ハサン軍曹も次第に顔つきが険しくなっていた。
「そういえば随分前から停車しているような気がしますな……調べさせますか……」
頷きかけた所で、我に返ったかのように厨川少佐は顔を上げていた。イラン王国空挺大隊のハサン軍曹に厨川少佐が直接何らかの命令を下すことは出来なかった。
だが、ハサン軍曹も心得たように僅かな笑みを浮かべて頷くと、鋭い声で部下に何事かを命じようとしていた。
しかし、通りの向かいに停車しているタクシーに近付こうとした二人の動きはそこで大声で止められていた。フランス語の声だった。
怪訝そうな顔で振り返ると、フランス国旗をつけた単車が停止して運転手が迷惑そうな顔で叫んでいた。どうやらドイツから調印式の為に訪れた特使が到着したらしい。
二人の背後でも動きがあった。明日の調印式の予行とばかりに機動旅団の兵たちが整列を始めていたのだ。その様子を満足そうな顔で見ると、先触れらしいフランス兵は走り去っていた。
そのフランス兵は自由フランス側の兵隊なのだろう。彼らにしてみれば自分たちが仕切る調印式は晴れの舞台なのだ。
だが、厨川少佐の目は彼が乗り込んでいた単車が日本製である事に気がついていた。おそらく陸王内燃機が陸軍に納めている車両だろう。
同社が三共内燃機といっていた頃に生産していた単車は米国のライセンス生産品ばかりだったが、現在の社名になる頃には英国に範をとったものに主力を切り替えていたから、同社製の単車は一見すると欧州製のようにも見えていた。
自由フランス軍の装備は、現在は大半が日英から供与されたものだった。大は戦車や戦闘機から、単車や小銃に至るまで、自由フランスは国際連盟軍加盟国の援助なしには成り立ち得なかったのだ。
妙にそのような些事に苛立って、不貞腐れたような顔になった厨川少佐は慌てて慣れない整列をしている特務遊撃隊の隊員達を怒鳴りつけようとしていた。
先ほどの違和感の正体に気がついたのはその瞬間だった。走り去った磨きこまれた陸王の単車の姿と停車されたタクシーの姿が重なって見えたのだ。
―――あのタクシーは、客も乗せていないのにどうしてあんなに車体が沈み込んでいるんだ……
慌てて厨川少佐が振り返ると、停車しているタクシーの傍らにはいつの間にかフランス軍の制服を一分の隙もなく着込んだ男が立っていた。
先ほどハサン軍曹に要請していたように、そのフランス兵は不審なタクシーを調べようとしているようにも見えたが、男の顔には隠しきれない程の緊張感がみなぎっていた。
嫌な予感がして思わず厨川少佐は怒声を上げていた。そのまま手振りでタクシーから離れるようにフランス兵に示しながら通りを渡ろうとしていた。背後に呆気に取られた特務遊撃隊の隊員達の視線を感じたが、それを気にする余裕は今の厨川少佐には無かった。
厨川少佐の勢いに呑まれたようにフランス兵は後退りしたが、少佐はその兵士の手にタクシーから伸びたケーブルのような何かが握り込まれているのを見逃さなかった。
躊躇せずに厨川少佐は素早く愛用の九五式拳銃を抜き出していた。そのまま誰何無しに発砲しようとしたが、唐突に少佐に向けてクラクションの騒音がかけられていた。
銃口を向けられて怯えていた様子のフランス兵は、視線を泳がせてから僅かに歓喜とも絶望とも見える表情を浮かべていた。
厨川少佐が一瞬だけ視線を向けると、少佐が手にした拳銃や緊迫した雰囲気に気が付かないのか、迷惑そうな顔をした運転手や後席から身を乗り出した護衛らしき人物を乗せた高級車が見えていた。
一刻の猶予も無かった。厨川少佐は覚悟を決めると手にした拳銃の引き金を引いていた。
くぐもった銃声と共に9ミリ弾が発射されていた。拳銃射撃にはやや距離があったが、銃弾はフランス兵の胸元に命中して血潮を吹き出させていた。
だが、フランス兵は驚愕した顔で咄嗟に手を胸に当てようとしていたが、それよりも早く、おそらくは反射的に反対側の手を握りこむ動作をしていた。
訓練時のように、厨川少佐はほとんど自動的にその場に素早く伏せていた。少佐の一挙手一投足を見ていた特務遊撃隊の兵士たちも慌てて伏せていたが、少佐にそれを確認する余裕は無かった。
次の瞬間に停車していたタクシーが白い閃光を発生させると共に中から膨れ上がっていた。最も全ては一瞬の事態に過ぎなかった。
タクシーが自爆した衝撃で吹き飛ばされてくる諸々を浴びせかけられながら、厨川少佐はまだこちらに向かっていた高級車が爆風を受けて吹き飛ばされるのを目撃しながら気を失っていた。
我に返った時、何か頬を熱いものが走っていた。呆然としながら厨川少佐は起き上がっていた。身体のあちらこちらが痛むが、最後に伏せたのが良かったのか、致命傷は無いようだった。
あるいは、懸架装置が沈み込むほどにタクシーに詰め込まれていたのであろう爆薬には指向性があったのかもしれない。イラン王国空挺大隊の兵たちが救助のために吹き飛ばされた高級車に群がるのを見ながらそう考えていた。
朦朧としながら厨川少佐は視線を自爆したタクシーに向けたが、そこには僅かに残されたフレームらしい原型を留めない残骸が転がっているだけだった。自爆したフランス兵も全く姿が見えなかった。遺体の回収にはかき集めるのに時間がかかるだろうし、個人の特定は難しいだろう。
―――今度こそ9ミリ弾を捨てて、一撃で致命傷になる大口径弾が撃てる拳銃に切り替えよう……
頬に出来た長い裂傷から血を滴らせながら、厨川少佐はぼんやりとそう考えていた。
九五式拳銃の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/95p.html