1945ドイツ平原殲滅戦3
何かと印象の異なる男四人がパリの片隅にあるカフェの一角に長い時間居座っているのは、異様な光景だった。
1番年が行ったヴァレリーはどこから見ても肉体労働者といった雰囲気だったが、逆にピカール中佐はいかにも力仕事には縁のない、まるで華やかな社交界が似合いそうな伊達男だった。そして残りの二人は素人が見ても軍人臭さを隠し切れていなかった。
場末のカフェでちぐはぐなこの四人が集まった理由となったのは、別の抵抗運動の構成員がヴァレリーが所属する学校という名の抵抗運動に接触してきたことだった。
今は共産党系の組織に所属する男だったが、以前は学生だったか学者だったらしく、付き合いのあった教師陣という人脈を辿って学校の指導者である先生に接触して来たのだ。
男は先生に対してヴィシー政権の官僚に接触する仲介を依頼したらしいが、肝心の理由に関しては口を濁していたらしい。だが、危険を犯して直接男と接触した先生は、可能な限りの伝手を辿って政府関係者との接触を試みていた。
ヴィシー政権の中でもパリに留まっていた軍官僚と接触できたのはつい先日の事だった。
だが、相手も最初は相当にこちらの申し出を疑っていたのではないか。それがのこのこと姿を表したのは、これまで姿を見せなかった学校が初めてその構成員を明らかにさせようとしたためかも知れない。
最初に直接政府側の人間と接触するのは、万が一を考慮してヴァレリーとジャンの二人だけにしていた。先生は共産党系の男に同道して後から合流する予定になっていたのだが、先生たちはなかなか姿を表さなかった。
用心のためにもしも現れた政府の人間がこちらに害をなそうとしている兆候が見られた時は、合流を断念して立ち去る予定だった。
当然その程度のことは相手も用意している筈だった。組織力に長けた政府の機関であれば、警戒のための人員を周囲に配置するくらいの事はしているのではないか。
だが、ヴァレリーの見たところヴィシー政権は本気だった。軍の情報部長が自ら出向いてきたのがその証拠だった。だから先程からヴァレリーは大して旨くもないチーズを肴にビールを呑み続けて、近くでこちらを監視している筈の先生にメッセージを送っていたのだ。
最初に動いたのはジャンだった。一瞬眉をひそめると、次に喜色を浮かべていた。怪訝そうな顔で振り返ったピカール中佐の目にも、目立たないようにこちらに小さく手を振りながら近づく先生と見慣れない男の姿が映っていた筈だった。
男は初めて見る顔だった。目つきは鋭いが、怯えたように周囲を見渡しながら歩いていた。逆にそのことが男を周囲から浮かび上がらせられていたが、本人はその事に気がついていなかった。その男が先生が連れてくる予定の共産党員だった。
男もこちらに気がついたのだろう。不安と期待が入り混じった複雑な表情を僅かに和らげていたが、次の瞬間その表情が凍りついていた。
ほぼ同時に耳をつんざく連続した銃声が路地の両脇に立つ建物の壁に何度も反射しながら聞こえていた。サブマシンガンをフルオートで発砲した時によるものだとは瞬時に頭ではわかっていたが、ヴァレリーの体は愕然とした顔のままで動かなかった。
こちらに向かっていた男の胸元から次々と血潮が吹き出していた。それだけでは無かった。男のすぐ脇を歩いていた先生も被弾したのか、妙に勢いよく倒れ込んでいた。
鳴り響いていた銃声は唐突に途切れていた。中途半端な銃撃だった。大型拳銃の弾倉でももっと連射が効くのではないか。
呪縛が解けたようにヴァレリー達は立ち上がっていた。襲撃者は路地のすぐ先にいた。タクシー仕様のルノーの乗用車が停車していたのだ。
ドイツ占領下ではドイツ軍による各種車両の接収やそもそものタクシー需要の激減によってめっきりと数が減っていたが、それでも珍しさを覚えるようなものでは無かった。
そのありふれているタクシーの助手席からまだ若い男が身を乗り出しながらサブマシンガンを構えていた。配管を繋ぎ合わせて造ったような英国製の不格好なサブマシンガンだったが、銃撃していた若い男は焦った顔で機関部を弄くり回していた。
―――撃ってきた野郎は素人だな。マガジン握ってジャムりやがったんだ……
英国製のステンガンは、フランスの対独降伏後に開発された新しい銃らしいが、フランス本土でもそれなりの数が既に出回っていた。
生産工程で工程の少ないプレス加工を多用するなど性能よりも生産性に重点をおいたものらしく、英国軍に配備されたものの他に、抵抗運動を支援する為に多くのステンガンがフランス本土に持ち込まれているようだった。
抵抗運動が摘発された際にドイツ軍などに鹵獲されたものも多いらしいし、使用する弾薬もありふれた9ミリパラベラム弾だから射手の背後関係を特定するのは難しかった。
ただし、今回の射手はステンガンの扱いには慣れていない様子だった。あるいはこの様な襲撃自体に不慣れだったのかも知れない。
配管を連ねたように無造作に伸ばされたステンガンの機関部には、左側面を切り欠いて長い弾倉が差し込まれていた。
使用するのが拳銃弾とはいえ、発射速度の高いサブマシンガンではフルオート射撃の反動は大きいから、左手で長い弾倉を握って安定させようとするものは多かった。
ところが、実際にはその動作は誤りだった。粗製乱造一歩手前で大量生産されているらしいステンガンの構造は単純極まりないものであり、動作部にも十分な余裕を持って作られていた。ところがその遊びがステンガンの弾倉には不利に働いていた。
不用意に弾倉を握って力を掛けた場合に薬室と弾倉が給弾動作に適切な角度を保てなくなって装弾不良を起こす可能性が高かったのだ。
この場合は、一度弾倉を引き抜いてから機関部に詰まっている弾薬を抜き出すべきなのだが、タクシー助手席の若い男は装弾不良を起こしている弾薬によって動かないボルトを焦って弄るばかりだった。
だがそのようなすきは逃されなかった。ジャンは慌てて先生の所に駆け出そうとしていたが、残りの3人は反射的に懐の銃を抜き出そうとしていた。
最初に銃を構えたのはロート大尉だった。背広の内側にも隠しやすい薄く小型のブローニング拳銃だったが、それを機関銃の様な勢いで連射していた。使用する弾薬はステンガンの9ミリパラベラム弾よりも小型のものだったが、発射数が威力差を補っていた。
それに路地の向こうまでは距離はなかった。市街地で目立つ防弾衣を着込んだ様子もないから、ロート大尉が巧みに拳銃弾を集弾させると、たちまちに射手は短い悲鳴を上げて両手で顔面を抑えようとしていた。
射手の手から滑り落ちたステンガンが地面に落ちるのとタクシーが慌ただしく走り去るのはほぼ同じタイミングだった。
ステンガンで撃たれた男が何事かを喚いていたが、その様子からして長くは持ちそうもなかった。ジャンを追いかけるように、ロート大尉は撃ちつくした弾倉を手慣れた様子で交換しながら路地の先に駆け出していた。
関わり合いを恐れたのか路地に並ぶ家の扉は固く閉ざされていた。窓の向こうやカフェのキッチンにはこちらを伺う視線が感じられたが、路地まで出てくる様子は無かった。
カフェに取り残されていたヴァレリーは、無意識のうちに懐から前大戦の頃から隠し持っている古びた回転拳銃を抜き出そうとしていたが、不意にその腕が掴まれていた。
唖然としてヴァレリーが顔を上げると、これまでの伊達男然としていた様子が嘘であったかのようにピカール中佐の雰囲気が様変わりしていた。
フランス軍の制式採用品であるMle.1935A拳銃を抜いていたピカール中佐は、拳銃の銃口と冷ややかな視線を共にヴァレリーに向けていた。
「この事態は君達が御膳建てしたんじゃないだろうね」
もっとも銃口を向けられているにも関わらず、ヴァレリーも剣呑な口調ながらも激高することなく言った。
「冗談はよしてもらいたいだな。うちの先生だって巻き添えを喰らってるんだぞ。あんたをやるつもりなら、もっと早く俺が撃ってるよ」
腕を振り払いながらヴァレリーはそういった。いつの間にか拳銃はピカール中佐に奪われていたが、もう使う機会もなさそうだった。
倒れていた先生の様子を見ていたジャンの顔に安堵の表情が浮かんでいた。先生の方は大事無かったらしい。だが、撃たれた男の首に手を当てたロート大尉はこちらに向けて首を振っていた。そちらの男は運が無かったらしい。
眉をしかめたピカール中佐にヴァレリーが言った。
「あんたらは周辺に検問でもしけないのか。まだ間に合うかもしれんぞ」
ピカール中佐も首を振って自分に言い聞かせるようにいった。
「あれでは負傷したとしても助手席の射手だけだろう。あの射手はどう見ても素人だ。どこかであの男だけ始末してしまえば残るのはありふれたタクシーだけだからな。
それよりも撃たれた方がまだ生きているかのように見せかけて再度の襲撃を誘った方がいいかもしれん。此処から先は情報戦だ。君達にも協力してもらうぞ」
ピカール中佐の丁重だが有無を言わさぬ様子に、ヴァレリーは鼻を鳴らしていたが中佐の方は気にもした様子もなく続けた。
「だが、ここまでしてあの男は私に何を話すつもりだったのだ……」
答えられない疑問にヴァレリーは不機嫌そうな顔のまま押し黙っていた。