1944流星9
倉橋島亀ヶ首の射撃試験場に建設されていたのは、戦艦艦橋を模した実験施設だった。少なくとも射撃指揮関連の機材に関しては実艦と同様のものが搭載されていた。
通常は方位盤と分離されて艦内の発令所に配置されている各射撃盤だけは地上の建屋に設けられていたが、方位盤と射撃盤をつなぐ機構は制式化されたものと同一のものだった。
大和型戦艦の艦橋に準じた構造の射撃試験塔には、主砲用の射撃指揮装置一式に加えて高射装置も最新鋭のものが用意されていたが、厳密にいえば純正のものではなく改良型が持ち込まれていた。
各種電探も実験機などが積極的に装備されていたから、試作段階において発生しがちな初期故障などによる不調さえ無ければ射撃精度に関しては日本海軍でも最良となる、筈だった。
だが、ある程度予想されていたこととはいえ今日の対空射撃実験の結果は芳しくないものだった。
射撃実験とは言っても、実弾の発射は行われなかった。予算の問題もあるし、訓練中の飛行隊を投入した予備実験で空砲の発砲まで行うのは大仰過ぎるだろう。
それに射撃自体を行うまでもなく、対空砲火だけで敵機を阻止するのは不可能という結論が実験結果から明らかとなった筈だった。
実験が開始された当初は、然程問題は発生していなかった。投入されたのは新鋭の四四式艦上爆撃機を装備する部隊だったが、編隊単位で急降下爆撃を行うものだから照準は容易だったのだ。
射撃試験塔に配置された熟練の砲術科将兵によって急降下爆撃を行う編隊が次々と照準されていった。射撃盤で算出された諸元も正確なものだった。実際に高角砲の集中射撃が行われていた場合は編隊の大部分が損害を被っていたのではないか。
だが、編隊を解いた攻撃隊が少数機による多方位からの同時進入を開始すると状況は変わり始めていた。高射装置の方位盤は次々と現れる敵機群に照準を合わせようとしていたのだが、射撃盤の計算が次第にもたつき始めていたのだ。
対空火力全体の管制もいい加減だった。機動する敵機が特定の高射装置が担当すべき範囲から外れたとしても、敵機の移動先で担当すべき別の高射装置にスムーズに情報を送ることも出来なかった。口頭で次々と寄せられる情報を満足に処理できる人員はいなかったのではないか。
全体の状況としては現実にあり得ないというものでは無かった。欧州に派遣された海陸軍の航空隊も、最近では敵基地などの厳重に防護されている要所を襲撃する際には対空砲火を分散させる為に四方八方から入れ代わり立ち代わりに攻撃を加えると聞いていた。
それどころか、今回の実験では省かれていたが、攻撃隊の打撃力が低下するのを承知の上で電波妨害の専用機まで投入する事も多かった。電子的に対空砲火の弱体化を狙っていたのだ。
四四式艦爆による一連の襲撃が終了した後に飛来したのは、開発中の噴進機関搭載機だった。日本本土に疎開してきた英国人技術者による技術協力を受けて開発中のジェットエンジンを搭載していると言うが、詳細は山岡大尉も知らなかった。
聞いているのは噂話ばかりだった。地上試験を終了したジェットエンジンは、当初は余裕のある4発機に懸架された状態で空中試験を行っていたらしい。そこから更に段階を進めて実機に搭載したのが飛来した実験機だった。
だが、実験機は新規に開発されたものでは無かった。原型となったのは以前に一式陸攻の後継機として開発されていた双発陸上爆撃機だった。
最終的に航空戦力の整備方針が変更されたことで陸上爆撃機としては不採用となっており、その後は搭載する機材を換装した機体が夜間戦闘機として運用されていた。それも元々は不採用後にエンジン試験機として転用されていたものが原型となっていると聞いていた。
そのような経緯を聞かされていたものだから、山岡大尉は飛来してくるのは単にエンジンをレシプロエンジンからジェットエンジンに交換しただけの空中試験機に毛の生えたようなものだと思っていたのだ。
ところが実際に模擬襲撃を行ったのは、制式化された実用機であると言ってもよさそうな機体だった。四四式艦爆も決して鈍足な攻撃機ではなかったが、ジェットエンジン機の方が圧倒的に高速であるように思えていた。
従来機とは隔絶した速度性能だったが、逆に速過ぎて既存の兵装は使えないのではないか。少なくとも実験時に確認された速度で仮に魚雷を投下したとしても、海面に高速で衝突した瞬間にその衝撃で破断してしまうだろう。
爆装するにしても従来の射爆照準器では対応できない可能性は高かった。
あるいは日本海軍では、陸軍の爆撃機が搭載するような広範囲を一挙に攻撃出来る収束爆弾などを使用することで、ジェットエンジン搭載機を攻撃第一波に投入して敵防空火力の減衰を狙っているのかもしれない。
高速のジェットエンジン搭載機で敵艦隊や基地の防空網を突破して対空兵装や陣地を無力化するのだ。そのうえで対空兵力の脅威が無力化された状態で大きな打撃力を持つ44式艦爆などの従来型攻撃機を止めに投入するのではないか。
山岡大尉はすぐにその事を考えるのを止めていた。航空機の専門家ではない大尉が考えたところで海軍上層部の思惑が分かるはずはなかった。大尉にとって確かだったのは、既存の対空射撃では高速のジェットエンジン搭載機を阻止することは難しいという事実だけだった。
現在の艦隊防空体制は複合化されているのだから、対空射撃に過剰な期待をかける必要はないのではないか、その様な声もあったが山岡大尉は否定的だった。
確かに、最近では防空戦力の中で、従来さほど大きくは期待されていなかった直掩の戦闘機隊の比重が大きく増していた。電探や無線機の能力が向上したことによって搭乗員の目視に頼ることなく遠距離で敵機を発見することができたからだ。
最近では艦隊主力の遥か前方に展開する哨戒艦や電探哨戒機の誘導で戦闘機隊が敵攻撃隊と接敵することも多かった。
だが、複合的な防空体制を構築出来たとしても、最後は自艦の対空砲火が頼りになるということに変わりはなかった。それに高速のジェットエンジン機が投入されれば、従来の戦闘機でこれを阻止するのは難しいはずだった。
黙り込んでしまった男の捉えどころのない顔をちらちらと見ながら、山岡大尉は言葉を選びつつ言った。男が何処まで機密度の高い情報に接しているか分からなかったからだ。
「対空砲火に関しては、射撃盤の改良を行うよりも砲弾の方に開発力を注ぐべきなのかもしれません……」
男は少しばかり首を傾げながら言った。
「それは高射装置で時限信管の自動調停を行うのではなく、近接信管を多用する方向に持っていきたいということですか」
一瞬怯んでしまったが、山岡大尉はゆっくりとうなずいて見せていた。
砲弾そのものに関しては山岡大尉は専門外だったが、砲弾の炸裂時間を時限信管によって行うのではなく、信管そのものが敵機との相対位置を感知して起爆する特殊な信管が研究中ということまでは聞いていた。
信管作動の方式はいくつか異なる原理のものが試作されているらしい。敵機に連続照射したものの反射光を捉える光波式や敵機からの騒音を捉える音響式などがあるというが、実際に試作されたものがどれなのか、またどれが一番有用として開発が継続されているのかは分からなかった。
いずれの形式にせよ、敵機周辺で確実に起爆するのであれば信管を調停する必要がなくなるから方位、測高の計測は多少精度を落として計算を高速化することも出来るのではないか。
だが、男は山岡大尉の迷いを突くように言った。
「確かに近接信管は使い方によっては多大な威力を発揮しますが、信管に内蔵できるセンサの精度は極限られたものでしかありません。結局はセンサの狭い探知範囲内に砲弾を送り込めなければ不発弾を生産することになるだけです。
言い換えれば、高精度で敵位置を把握して時限信管を正確に調定出来るとすれば、これで近接信管を使用するのと同様の効果は期待できるということになる。
……どうも大尉には焦りがあるように思えます。射撃盤の改良という根本的な措置を行うのでは無く、近接信管に期待するというのは射撃指揮装置の専門家らしくないのではないですかな。
それだけではありません。大尉も長10センチを採用した日本海軍と未熟な技術で強引に開発された近接信管は相性が悪いことくらい察しが付いているのではないですか」
声の調子は淡々としたものだったが、その内容は辛辣なものだった。確かに男が言うとおりだった。
日本海軍が主力高角砲として整備している長10センチ砲は従来の12.7センチ砲と比べて高初速であるものの、砲弾重量は少なかった。
砲弾重量は榴弾の炸薬量に直結するから高角砲としては不利は免れないないが、長10センチ砲では高初速化を狙った結果として小口径化したことで、発射速度を向上させて単位時間あたりの投射量を維持するという方針だった。
ところが、近接信管の採用はこの様な方針を危うくするものとなりかねなかった。原理がどうであれ従来の時限信管と比べると近接信管は重量、容積が嵩む筈だったが、信管重量の増大は小口径弾ほど影響が大きいと考えられたからだ。
例えば100キロと10キロの砲弾がそれぞれあったとして、投射弾重量を同等とするのならば10キロの砲弾を10発撃てば等価ということになる。実際には弾体重量が100キロと10キロでは貫通能力に大きな差が生じる筈だが、榴弾の炸薬量であれば差はないだろう。
ところが信管重量が大きくなるとそれでは収まらなくなる。
仮に近接信管の重量が1キロとすれば、100キロ砲弾は99キロの炸薬量を保持しているのに対して、10キロ砲弾10発では合計90キロの炸薬量にしかならない。信管重量によっては大口径弾よりも余計に発砲しなければならなくなるということだった。
しかも高価で繊細なものとなるであろう近接信管をそれだけ多く消費するということにもなってしまうのだ。だから、場合によっては長10センチ砲よりも旧式の短砲身12.7センチ砲の方が有利という判断にもなりかねなかった。
だが、それはあくまでも炸薬量の大小に限った話だった。精密な測定と素早い諸元算出が叶うのであれば、砲弾重量が小さくとも高い初速で狙った一点に集中して榴弾破片による壁を作り出して敵機を撃破できるはずだ。
結局は信管がどうであれ射撃精度の向上は必要不可欠ではないか。
山岡大尉も自分が逃げの姿勢に入っていることを自覚していた。大尉が戸惑っているのを見かねたのか、男はこともなげに言った。
「海外への出向によって仕事が断ち切られる。大尉が恐れているのはそれですか」
唖然として山岡大尉は男の顔を見つめていた。まさかそんな所まで知っているとは思えなかったからだ。
今次大戦の勃発に前後して、技術者たちの間で囁かれていたシベリア送りという言葉があった。シベリアという言葉に当初は大した意味があった訳では無かった。
最初の異変は著名な物理学者が次々と姿を消していたことだった。事件性は無かった。家人などに行き先は告げなかったものの、姿を消した学者たちは自分で荷造りまでしていたからだ。
周囲のものも、単に出張が入ったのだろうとしか考えていなかったらしい。最初に姿を消したのが誰かは知らないが、学会の著名人ばかりだったから、講演会の誘いなども多かったのだ。
だが、彼らは家や所属機関に帰ることはなかった。生命に支障がないのはすぐに分かっていた。検閲の跡が残されてはいたが、家族などのもとへ安否を知らせる手紙等が届くようになっていたからだ。
ただし、手紙の中身からは彼らの現在地を知らせる文章は何処にも見出すことが出来なかった。
大和型戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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四四式艦上攻撃機流星の設定は下記アドレスで公開中です。
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四五式爆撃機天河の設定は下記アドレスで公開中です。
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四三式夜間戦闘機の設定は下記アドレスで公開中です。
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