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1944流星8

 呉工廠に向かう内火艇の乗客は山岡大尉だけのはずだった。


 中途半端な時間だった。対空射撃の模擬実験に際して実際に機材を操作した将兵や工員の多くは未だに実験後の撤収作業を行っていた。彼らはもっと後の時刻に設定された便で帰るか、あるいは射撃試験場に併設された宿舎にそのまま泊まることになっているはずだった。

 単に実験の見学を行っていた工廠の人間もいたが、彼らはもっと早い便で帰っていた。

 射撃試験で使用した機材の改造に携わるとともに、実験の速報を東京の艦政本部に持ち帰らなければならない山岡大尉は、明日朝の汽車で上京するつもりだったから、実験結果を出来るだけ広範囲に収集するために帰りが中途半端な時間になっていたのだ。



 だが、内火艇の士官室の中にはいつの間にか人の気配があった。多忙な呉鎮守府港務部に所属する内火艇の操船作業は最低限の乗員で行っていたし、今は外部の見張りに気を使う狭隘な海峡部を通過中だったから乗員が態々士官室内に休憩に来るとも思えなかった。

 山岡大尉は慎重に周囲を見渡していたが、すぐに気配の正体に視線が向いていた。


 目立たない男だった。

 年齢はよく分からなかった。三十路前の山岡大尉と同年輩のようにも見えるし、ずっと年嵩の初老に達しているようにも見える。天蓋を持つ士官室内が薄暗いせいか、長椅子に腰を下ろした男の顔は茫漠としてとらえどころが無かった。


 咄嗟に山岡大尉は立ち上がっていた。背筋に冷たいものが走っていた。それが借り物の防寒衣を通して伝わってくる冬の冷気のせいなのか、あるいは物の怪を見てしまったせいなのか、それは大尉自身にも分からなかった。

 内火艇を操船中の将兵を呼ぶか山岡大尉はそう考えたが、ぼんやりとした表情を浮かべながら書類を手にした男の顔を見ているうちに、いつの間にか生気が失せたかのようにどさりと腰を下ろしていた。


 男は古い友人だった。なぜその事を忘れていたのかは分からない。だが、そのこと自体には大した意味が無いような気がしていた。



 書類をめくっていた男は、すぐに山岡大尉に返していた。この暗さでよく読み切れたものだ。大尉はそう考えていた。常識的に考えれば数字の羅列を斜め読みしただけで中身が頭に入っているはずも無いのだが、大尉の中には疑問は生まれなかった。


「目新しい実験結果は得られなかったようですね」

 男の言葉に山岡大尉は力なく頷いていた。

「元々今回の射撃試験は、本格的な実験前の予備段階のものですから……それに今回改良を加えたのは射撃盤の一部に過ぎません。精緻に数値を照合していけば、射撃諸元の算出時間が短縮できているという結果が見つかるかもしれません」


 自分で言いながらもその可能性は低いと考えていた。そのことは男も気がついていたらしく、すぐに言った。

「しかし、この速報の時点で時間短縮が明らかとなるほどの成果でなければ現行の生産体制を変えてまで機材の改修を行う理由はないのではありませんか」



 山岡大尉は眉をしかめていた。男が指摘した射撃諸元に関する計算の迅速化は前線部隊からの強い要望だった。


 先の欧州大戦において実現化した近代的な射撃理論を元に日本海軍はいわゆる戦間期において射撃の高精度化、長射程化を図っていたのだが、戦訓から実際の戦場では敵味方ともに回避行動を多用する為に照準作業の迅速化が求められていたのだ。

 迅速さが必要なのは水上砲戦だけではなかった。高速化する一方の航空機に対抗するために対空射撃においても即座に射撃諸元を算出する必要性が高まっていた。

 要求は迅速化だけではなかった。場合によっては複数の敵艦、敵機と同時に交戦することもあるから、射撃精度だけではなく、射撃諸元を算出する機能の多重化も求められていた。



 射撃諸元を求めるということは、大雑把にいって搭載された砲塔の旋回角、砲身の仰角、対空射撃の場合はこれに加えて信管の秒時という3つの数値を算出する事を意味していた。


 ところが、この僅か3つの数字を導き出す為には膨大な量の計算が必要だった。

 敵艦、敵機の位置、針路といった情報に加えて自艦に関する同様の位置情報、装薬温度や砲弾や砲身の摩耗などの条件から気温や気圧といった外部の要因に至るまでの数多くの変数を考慮した複雑な計算を行わなければならないからだ。

 しかも、変数の一部は刻一刻と変化することさえあるのだ。



 射撃諸元を算出する一連の作業にまず必要なのは、敵艦に照準を行うことであり、これに関しては方位盤が担当していた。方位盤は、移動し続ける敵艦などの目標を捉えて、自艦からの正確な方位や移動速度を算出する為のものだった。

 この方位盤に関しては、今次大戦において大幅な性能の向上が見受けられていた。距離や方位の測定に関して従来の測距儀に加えて電波を利用する電探が実用の域に達していたからだ。


 光学式の測距儀は、左右に分けた光路によって生じる視差を利用するものだから、正確さを求める為には基線長の延長が試みられていた。艦橋頂部に設けられた測距儀は、大型の戦艦の場合は10メートルを越えるものまで現れていたのだ。

 だが光学式の測距儀は、その巨大な寸法に加えて動揺する艦橋頂部で精密測定を続けなければならない操作員に熟練の腕を要求していたし、精密機器の塊だから被弾や発砲の衝撃によって破損することもあった。

 それに実戦では光学観測を欺瞞するために夜戦の多用や視差修正を阻害する迷彩模様の塗布、煙幕の展張といった妨害措置を取られることも少なく無かった。



 これに対して電探による観測は大きな可能性を秘めていた。光学的な欺瞞は無視できるし、天候にも左右され辛いからだ。

 それに機械によって行う電探による観測は、表示を読み取る技量こそ必要であるものの操作員の習熟度によって誤差が生じることはない筈だから、結果的に情報の確度は高まる事になるだろう。


 電探が開発された当初は、使用する波長や出力、信頼性などの問題があった為に精密な測定を行う事ができなかった。

 それ故に初期の電探は早期警戒以外に使用することは出来なかったのだが、使用波長が短くなっていったのに加えて高精度で角度が求められる電動機の開発によって射撃指揮に使用できる程の高い精度で測定が可能な電探も出現していた。


 いまだ電探は距離測定に限定されるなど光学観測の補佐という形で運用されているが、英海軍では電探の観測で得られた諸元で初手から斉射を行うことも増えていた。いずれは日本海軍でも近いうちに電探を主、光学観測を万が一の保険とする様な運用に移行して行くのだろう。

 しかも、電探を使用する場合は数値を手動で入力するのでは無く、角度や距離も電子的に取得して射撃盤に送る事も不可能ではないと山岡大尉は考えていた。そうなれば数値を人間が入力する際の誤作動も原理的に無くなるということになる。

 今の所は理論的な話でしか無いが、電探の走査方式によっては反応が最大となる位置である目標に対して人間の手を介すことなく電探のみで位置を追い続ける事も可能であるはずだった。つまりはいずれは電探のみで照準作業を完結することが出来るということだった。



 だが、いくら方位盤の能力が向上して高精度の数値を即座に得られたとしても、それだけでは片手落ちだった。敵艦の観測で得られた数値を元に射撃盤を用いて諸元となる数値に変換しなければ意味がないからだ。

 現在の射撃盤は、作業性の向上などの点で様々な改善が行われてはいるものの、基本的には数多くの歯車を組み合わせた計算機を集合させたものだった。

 型式によって人数の大小はあるが、射撃盤の操作には多数の人間が必要だった。操作員一人一人は、目標や自艦の移動量などの数値を分解して、それぞれの計算を行っていた。計算結果が針の整合などの形で合致させて初めて射撃諸元が得られることになる。

 つまり射撃盤とは、一人では数値の算出が不可能なほど複雑な計算式を分離して行うことで操作員一人あたり負担を分散させて、作業後に数値を集約させるためのものなのだ。


 射撃盤自体は、製造業者などが工夫をこらして作り上げたものなのだが、計算自体を人力に頼っているという弱点は共通していた。複雑化を覚悟して諸計算を分担する体制にはなっていたが、装置は巨大化していたし、連続した計算によって生じる操作員の疲労は無視出来なかった。

 それに、高速化する一方の航空機に対する対空射撃においては、計算に必要な速度も高速化が求められていた。しかも、対空射撃の場合は目標が三次元に行動する上に信管の調整も必要だったから、必要な計算量は大きかった。



 対艦攻撃の場合、砲弾には着発信管を使用するのが常識だった。相手に装甲がない場合は着弾と同時に炸裂して破片を巻き散らせばよいし、装甲目標には短遅動の着発信管として、命中後装甲を貫いて重要区画内で炸裂するのだ。

 今次大戦で機会の多い対地射撃の場合は時限信管を用いることもあるが、この場合は敵部隊の直上で砲弾を炸裂させて広範囲に上空から破片を浴びせる曳火砲撃を行うのが目的だから、不動の目標との正確な距離さえわかれば信管の作動時間を設定することは容易だった。


 対空射撃で使用する時限信管の設定は、対艦射撃と比べると困難だった。対空射撃の場合は、破片を広範囲に散布する榴弾に時限信管を使用していた。高速の敵機に砲弾を直撃させるのは難しいから、高速で爆散する榴弾の破片を予想進路上にばら撒くようにして敵機を包み込むのだ。

 対地攻撃機などの一部は操縦席周りなどに装甲を有するが、それも対機銃弾用のものだから艦艇や戦車と比べれば紙のようなものだったし、そもそも飛行機である以上機体全面に張れるようなものでは無いから、榴弾破片でも効果は十分な筈だった。



 だが、実際には三次元を自在に機動する敵機を榴弾の破片の爆散界内に捉えるのは難しかった。問題はいくつかあった。一つは敵機の高度を正確に見積もるのが難しかった為だ。

 対地、対水上目標を観測する場合、補正のための計算が容易い地球の曲面や陸地の海抜高度を無視してしまえば、自艦と目標は同じ平面に存在していると言っても良かった。


 ところが、敵機の場合は方位に加えて高度の測定も重要な問題だった。相手の飛行高度が分からない限りは、砲弾の飛翔距離を正確に計算することができないからだ。

 光学観測で三次元空間上で機動する敵機の位置を正確に見積もるのは難しかった。視線方向の移動で方位は比較的容易に得られるものの、距離の測定に関しては高速の敵機に測距儀を合わせ続けるのが困難だったからだ。

 最近になって、高度や距離を正確に見積もれる程精度の高い電探が出現していたことでようやく正確な敵機の位置を計測できるようになっていた程だった。


 しかし問題はそれだけではなかった。30ノットが精々の艦艇などとは異なり、高速の敵機に照準を合わせて射撃諸元が得られたとしても、それが有効なのは僅かな時間でしかなかった。

 それでは着弾までの間に回避行動を取られる可能性もあるし、高速の敵機が榴弾破片によって作り上げられた危害半径をすり抜けてしまうかもしれない。


 日本海軍ではこのような問題に対処するために高角砲に関しては高初速化を指向していた。

 現在日本海軍の標準高角砲となっている長10センチ砲が65口径という従来よりも格段に長い砲身を採用したのは、高初速化によって砲弾の飛翔時間を短縮し、射撃諸元がまだ有効である間に敵機周辺に榴弾を炸裂させるためだった。



 制式化された当初は長10センチ砲もその高初速を持て余し気味であったが、高射装置の改良によってその真価を発揮するようになっていたが、航空機の高速化は、艦隊側が当初の想定していた以上に進んでいた。

 その事実は先程の射撃試験で明確になっていた。

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