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1944流星7

戦時標準規格船一型の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/senji.html

大和型戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/bbyamato.html

 内火艇の中はいつの間にか薄暗くなっており、細かく、しかも書きなぐったような文字が連なる書類を読み続けるのは困難になっていた。内火艇の唯一人の乗客であった山岡大尉は、深々とため息をつくと書類から目を離して顔を上げていた。


 元々、大して書類の内容を確認したかったわけではなかった。単に移動の間手持ち無沙汰になっていただけだ。それに、今日の実験には山岡大尉も立ち会っていたのだから、実験結果の概要はすでに把握していた。

 最終的な報告書を作成する際には細かな数値まで参照する必要があるが、それは工廠に戻ってからでも良かった。どのみち意外な数値は無い筈だからだ。


 ―――やはり、現状の改修程度では射撃諸元を求める機能に関しては抜本的な性能の改善は望めないか……

 最終的な評価を下すのはまだ先の話だが、結論がひっくり返ることは無さそうだった。



 倉橋島東端の亀ヶ首に設けられた射撃試験場は、交通の便が悪かった。秘匿性を重視して選定された立地であるために、島内に点在する集落からやや距離があったし、そもそも決して小さな島ではない倉橋島の島内を移動するのも時間がかかっていた。

 しかも、本州と倉橋島を隔てる海峡の幅は然程無いのだが、そこには橋は掛かっておらずに渡し船が客を満載して行き来しているだけだった。


 朝晩の忙しい時間は渡し船の時刻表はないに等しいものであるらしいとも聞いていた。渡し船が出ても、渡し場には次便を待つ客ですぐに一杯になってしまうからだ。

 呉工廠でも隣接する倉橋島から通う工員は多く、島内の経済活動は呉市内と直結していた。ある程度の自給自足が前提となる離島などとは本州のすぐ近くにある倉橋島や江田島は事情が異なっていたのだ。



 だが、交通の便を向上させるために音戸の瀬戸と呼ばれる海峡部に橋を設けるという計画は今のところ無かった。架橋を行うにしても、周辺地形の造成を伴う大規模な付随工事が必要となるのではないか。


 音戸の瀬戸を通過しようとしている内火艇がひと揺れしたことで、山岡大尉は外に目を向けていた。

 内火艇のすぐ脇を、600トン級の貨物船が反航していくところだった。おそらく10年ほど前から同一の基本計画を利用して各地の造船所で建造が行われていた戦時標準規格船一型か、その派生型なのだろう。

 欧州と日本本土を今も往復している1万トン級貨物船などと比べるとずっとその船体は小さかったが、狭い瀬戸を通過する姿をちっぽけな内火艇から見上げると相当に大型の船に見えていた。


 音戸の瀬戸は、四国と本州の間に広がる安芸灘から広島市方面に向かう最短航路にあたることから、強く不規則な潮流がある交通の難所であるにも関わらず交通量は多かった。

 海峡の形状にしては大型の船舶も数多く通過するから、架橋工事によって長期間海峡部を閉鎖すれば経済的な損失が大きくなるし、完成後の姿も相当高い橋にしなければ通過出来る船舶に制限が出てしまうだろう。

 交通量と船舶の寸法、何よりも周辺の地形を考えれば、東京市の隅田川にかかる勝鬨橋の様に可動式とすることも難しい筈だった。

 だから、今でも海峡を通過する各種船舶の隙間を縫うようにして渡し船が絶え間なく運行されていたのだ。



 倉橋島の東端に位置する亀ヶ首の射撃試験場と本州側の呉工廠間の輸送は、結局船便を用いるのが一番早かった。実験で使用する機材や消費する弾薬の搬入は勿論だが、試験が連続する場合は内火艇による人員輸送専用の定期便が設定されていた。


 だが、最初は山岡大尉は音戸の瀬戸を越えて直接呉工廠に向かうのではなく、一度亀ヶ首試験場により近い位置にある広工廠に向かうつもりだった。

 呉工廠の航空部門として半島を隔てた広地区に設けられた広支廠は、航空関連技術の重要性が高まっていったのに比例して、独立した広工廠へと機能が拡大されていた。

 広工廠の前には呉駅まで繋がる市電の駅もあったから、音戸の瀬戸を通過する船便よりも市電の方が早く呉工廠に到着出来るのではないかと思っていたのだ。

 工廠の敷地は広く、桟橋も複数あった。鎮守府の敷地に近い工廠の本部建屋に行くのならば、下手に工廠の端などに着岸されるよりも呉駅から行ったほうが所要時間は短いほどだったのだ。

 山岡大尉は呉工廠の人間ではなく、艦政本部電気部から実験に立ち会うために派遣されていた。何度か工廠には出張していたが、工員達ほど内部の地理にも詳しくなかった。

 ところが、広工廠に向かう内火艇が出る直前になって、顔見知りの工員が怪訝そうな顔で市電が止まっていることを教えてくれたのだ。



 呉市電は、国鉄呉駅周辺の北側に広がる市街を回ってから、呉中心と広地区を隔てる休山と灰ヶ峰の鞍部となる峠を越えて広地区まで走っていた。

 だが、市街地部分はともかく、峠の辺りは地形を辿るようにして軌道が敷設されたものだから、軌道の線形は複雑なものになってしまっており、そのせいか自然状況によって容易に峠の軌道は閉鎖されてしまっていた。

 だから今日も珍しく市街地でも積もっていた先日の大雪の影響で峠の辺りが通行止めとなってしまっていたのだろう。


 だが、理由が大雪だけとは言い切れなかった。市電は開戦に前後して売却された民間企業から呉市の交通局に移管されたものだったが、市交通局が除雪車の整備など運行に不断の努力を惜しまなければ通行止めは短時間で解除されていたのではないか。

 呉市周辺の交通網が等閑に付されているというわけでは無かった。その証拠に先ごろ広島駅から呉駅間の呉線複線化工事が完了した所だった。

 もともと呉線は、過酷な地形を通過する山陽本線の迂回路としての機能を期待されて単線としては高規格で建設されていたから、複線化によって輸送量は格段に強化されていたはずだ。


 しかも、広島呉間の長距離乗合バスの安芸線も呉線に並行して国鉄によって運行されていた。

 実は、この安芸線は本来工事期間が長引いていた呉線複線化工事の代替として運行されていたものだった。複線化工事が完了して国鉄呉線の輸送量が増大した場合は廃止されるのが妥当だとも思えるのだが、実際には当初の予想を越えて増大する一方の輸送需要に答えるために、安芸線の存続も決まっていた。


 乗合バスは市内の便も増発が行われていた。市交通局は開戦以後保有機材の増強を続けていたのだ。

 実のところこうした乗合バスや自家用車、自動貨車の増大が市電の運行を圧迫しているという側面も無視出来なかった。路面電車である市電は、自動車と同じ道路内を使用する併用軌道であったから、市電を優先すると自動車交通の妨げになっていたのだ。


 あるいは、既に呉市当局は戦後を見据えて行動しているのかもしれない。山岡大尉はそう考えていた。

 市電に多額の予算を掛けて整備した場合では、仮に需要が大きく低下したとしても、軌条を抱えて他に転用することは出来なかった。だが、乗合バスであれば既存の道路を自在に行き来出来るから取得も容易だし、不要となっても他の路線に転用できる柔軟性を有していた。



 日英などを主力とする国際連盟加盟諸国とドイツを盟主とする枢軸諸国との戦争は実質的に集結していた。既に枢軸勢力として残存しているのはドイツだけだった。

 ドイツ最大の同盟国であったイタリア王国は、本土に攻め込まれて国際連盟と単独講和を行ったばかりか、前国王暗殺を受けてドイツに即時に宣戦布告を行っていた。

 それ以外の枢軸国も、櫛の歯が欠けるようにドイツの不利を察して次々と脱落してソ連や国際連盟の軍門に下っていった。ユーゴスラビア王国のように抵抗運動を母体とした新政権が誕生した国も少なくないようだ。

 対ソ戦は継続するという奇妙な状況であるために、肝心のドイツとは講和条件をめぐる交渉が長引いているらしいが、国際連盟軍による対独講和が行われることは確かなようだ。


 戦後がどの様な形で来るのかは分からないが、日本海軍でも大規模な軍縮が行われるのは間違いなかった。主力艦はともかく、ドイツ潜水艦隊に対抗するためだけに整備されていたといってもよい海防空母や護衛駆逐艦などの対潜部隊は、大部分が予備艦指定を受ける筈だった。

 当然招集を受けた将兵の多くも動員が解除されることになるだろう。


 だが、平時体制の移行は軍需で成り立っていた呉市のような軍港都市の多くには不景気をもたらす筈だった。

 過去にもそのようなことがあった。日本海軍の保有枠を拡大させた軍縮条約の改定が行われるまで、造船量の減少した工廠の中には造船部に格下げされた所まであったのだ。



 実は、呉ではその傾向が戦時中から現れ始めていた。工廠に勤務する工員の少なくない数が転属となっていたのだ。

 呉工廠に限らず、既存の造船所にはある種の問題を抱えているところが少なくなかった。戦訓を受けて大型化する一方の戦艦や空母といった大型艦の建造に設備面が追い付いておらずに支障をきたしていたのだ。


 従来の陸上に置かれた船台で大部分の船体を建造する方式では、船型が大型になるほど原理的に危険な吹きさらしでの高所作業が増大する為に部材の配置や取付工事が難しくなり、また進水時には周囲を含めて大型化した船体自身によって損傷する恐れがあった。

 大和型戦艦の建造を行った造船所では、進水した際に数万トンの質量が急に水面に加わったものだから、狭い湾内で津波が発生したと言う噂も聞いていた。


 徐々に海水を注水していけばよい船渠の場合はそのような心配はないが、今度は船渠自体の寸法によって新造艦の船体寸法が強く左右されてしまうという問題があった。

 歴史がある分だけ英国海軍でも旧式化した船渠の改修がままならずに大型艦の全長に制限が加えられていると聞くし、この呉工廠でも大和型戦艦の建造時には船渠の拡張工事を余儀なくされていた。


 日本海軍でも大和型戦艦以降に予想される大型艦に対応するために、船渠の大型化が模索されていたが、実際には既存施設の拡大は限界があった。古豪の造船所や海軍工廠の多くが地形上これ以上の拡張工事が難しかったからだ。

 例えば、明治期に建造された呉鎮守府とそれに付随する工廠は、艦隊の保全の為に安定した瀬戸内海奥深くという立地を優先して選択されていたが、当時の最先端技術で半島部に建造された船渠や船台は、背後に山塊を抱えていた。

 仮に大規模な船渠の拡張工事を行うとすれば、平地を作り出すところから始めなければならないから、土木工事量は莫大なものとなるはずだった。それ以前に、巨大化した船渠によって半島に沿うように細長く伸びた工廠内の交通が阻害されてしまうから、通路はいびつな形状となってしまうのではないか。



 結局、日本海軍は莫大な工費がかかる割には制限の大きい既存施設の拡大を見送っていた。その代わりに大分県に新規に大型艦の建造を行う大神工廠を建設していたのだ。

 大神工廠は、旧来の施設とは異なり広大な平地を確保した上で建設されていた。工廠内の配置も、最近になって実用化されている電気溶接やブロック建造といった新技術に対応したものとなっていた。


 ただし、近代的な設備をどれだけ揃えたところでそれだけで大型艦の建造が可能となるはずはなかった。いくら電気溶接など新しい技術を導入したところで、それを使いこなせる人材がいなければ不良品の山が出来上がるだけだ。

 しかも当初の建造計画はともかくとして、戦時中に段階的な運用を開始することとなってしまったために、大神工廠では悠長に新規に採用した工員を一から養成していく時間は無かった。


 海軍は強引な手法で教育問題を解決していた。速成教育を受けて手足となって働く末端の工員はともかく、現場のまとめ役となる中堅の技手や技術指導を行う熟練工を他の工廠から引き抜いて配置していたのだ。

 立地条件から転属した職員や工員は呉工廠で採用されていたものが多かった。瀬戸内海を挟むとはいえ呉工廠から最短距離にあるし、立ち上がったばかりの大神工廠の総務や会計業務の一部は呉工廠が担当していた。

 海軍上層部の思惑としては、将来的に呉工廠は修繕や造兵機能は維持しつつも、造船機能は大神に集約することで一体化した運用を行うつもりなのだろう。



 多くの転属者を受け入れた大神工廠の周辺地域では、急遽居住区の建設が始まって地価が高騰しているらしいとも山岡大尉は聞いていた。何もない土地に急遽数千人の工員を住まわせる住居が必要となったのだから大規模な工事とならざるを得なかった。

 しかも、今後さらに住宅需要は増大するはずだった。転属者の多くは年嵩の熟練工員だったから、その多くには家族があった。慌ただしい時期は単身で赴任したとしても、大神に永住するつもりならばいずれ家族を呉から呼び寄せることは十分に考えられたからだ。

 だから需要が拡大したのは単純な住居だけではなく、工員達の家族に必要な各種学校や飲食店など新たに一つの町を作るのに等しい膨大なものになるはずだった。

 非公式なものらしいが、この新しい町は呉工廠近くの地名から宮原村と呼ばれ始めているらしいとも聞いていた。急な転属にあたって海軍はかなりの好条件を用意したらしく、噂を教えてくれた工員は羨ましそうな表情をしていたほどだった。



 だが新しい街の建設は、呉市からみれば住民の大規模な流出に他ならなかった。確かに鎮守府や工廠の修理機能は維持されるかもしれないが、多くの工員を必要とする造船機能が移転するとなれば、海軍に部品部材を納品する周辺の業者もいずれは数を減らしていくはずだった。

 もしかすると呉はいずれ海軍の街という看板を下ろす時が来るのかもしれない。傍観者の目で山岡大尉はそう考えていた。


 内火艇に妙な気配を感じたのはその時だった。

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