1944流星5
今時大戦において日本本土から欧州に派遣された海陸軍の航空隊の数は多かった。
彼らが遙か欧州に向かう方法は幾つかあった。一番多かったのは搭乗員達は輸送機や兵員輸送船に乗せて、彼らが戦地で乗り込む航空機材は分解して船積みする方法だった。
一度分解された航空機材は、前線後方の野戦兵器廠などで再組立と調整を行う必要があるから即応性には欠けるが、分解することで最小限の占有空間で輸送できるから貨物としての輸送効率は最も高かった。
前線で消耗した機材や人員の補充はこのやり方で行われることが多かった。それに国際連盟加盟諸外国軍に供与される機材も多くは通常の船便で送られていたようだ。
一方で再組立と調整の手間を省く為に、分解されずに航空機を可動状態のままで輸送することも少なくなかった。これに用いられたのは通常の貨物船ではなかった。
全通甲板を持つ空母が航空機輸送用に投入されていたのが、勿論だが高価な正規空母を航空機輸送用に投入する余裕はなかった。
遣欧艦隊に新たに加わった空母が欧州に向かう際に予備機や部品を定数よりも多く積み込む事はあったが、大損害を受けたりしない限り今次大戦に投入された正規空母は本土に帰還していなかったから、どのみち頻繁に輸送用には使えなかった。
建造数では正規空母に比べて船団護衛用の海防空母のほうがずっと多かったが、これらの多くも船団護衛や対潜部隊に投入されていたから輸送任務に割り当てる程の余裕は無かった。
これらに代わって航空機輸送用に投入されていたのは、商船から改造された特設空母だった。特設空母は商船からの改造という意味では海防空母と変わらないようにも思えるが、実態は大きく異なっていた。
汎用型の貨客船を原型として設計されていた戦時標準規格船を元にした海防空母に対して、特設空母の多くは有事の際に海軍に優先的に徴用される事と引き換えに優秀船舶建造助成施設法案の適用を受けて助成金を交付された優良商船を改装したものだった。
単純な原型船の性能で言えば、戦時標準規格船よりも助成金を受けた優良商船のほうが格段に優れていた。
しかも初期の海防空母は建造途中の戦時標準規格船を急遽空母として仕立て上げたものだったから、大雑把に言えば貨物船の上部構造物を剥ぎ取って飛行甲板をかぶせただけといっても良かった。
それと比べると戦前から計画されていたという特設空母は、より本格的な艤装を有する正規空母に近い存在となるはずだった。エレベーターや格納庫に関しては、客船時から増備を考慮して設計されており、改造後は正規空母と殆ど変わらない構造であったらしい。
日本海軍が開戦前に立てていた計画では、優良商船から改造された特設空母は正規空母の補助として共に行動を行うものとされていた。搭載数や速力の点では劣ったとしても、艦爆や艦攻を搭載して敵空母や主力艦を攻撃する一翼を担うはずだったのだ。
ところが、特設空母の中で実際に正規空母と同様の任務を与えられたのは、隼鷹型の2隻だけだった。同型の原型となったのは建造途中であった従来よりも格段に豪華で大型の客船である橿原丸と出雲丸の2隻だった。
1930年代に欧州で盛んとなっていた豪華客船の建造に影響されていた橿原丸は、実用性は勿論だが国家の威信を担う日本船運界の顔としても期待されていた程だった。
最終的に徴用ではなく海軍が購入することで、特設航空母艦籍ではなく正規の航空母艦籍に編入された隼鷹型は、速力の点では些か劣るものの概ね中型の正規空母である蒼龍型空母に匹敵する有力な母艦として運用されていた。
もっとも、遣欧艦隊主力の一翼を担う航空分艦隊に配属された隼鷹型と他の特設空母の運命を分けたのは、原型船の性能だけではなかった。特設空母の改造計画は、本来は太平洋に置ける対米戦を想定していたものであり、早期に改造を行って一線の艦隊航空戦力を補強するはずのものだった。
ところが、今時大戦においては開戦当初は日本帝国は表向き中立の立場をとっていた。書類上除隊扱いとなった軍人達による義勇航空隊の派遣など明らかに英国よりの態度ではあったのだが、現在以上の交戦国を増やしたくはなかったのか、ドイツ側も日本を刺激するような行動は控えていた。
そうしている間にある計画が開始されていた。ドイツの占領下に置かれた地域から追放されるユダヤ人のフランス領マダガスカル島への移送だった。国際連盟難民問題機関から難民移送支援を要請された日本帝国は、正式参戦前に欧州に戦力を展開するある種の欺瞞として移送計画に参加していた。
この移送計画は大掛かりなものだった。当時ドイツ占領地に残されていた客船だけでは足りずに、日本帝国は護衛戦力と移送手段の双方を提供していたのだ。
特設空母の改造対象だった大型客船の多くもこの移送計画に動員されていた。そしてマダガスカル島にユダヤ人達を満載した客船が到着するよりも前に日本帝国はドイツに宣戦を布告していた。
だから、正式参戦時点で特設空母のうち改造計画が順調に進められていたのは、日本本土で建造中だった橿原丸型2隻だけだったのだ。
移送計画を終えた大型商船は、その場で鹵獲扱いとされたドイツ船籍の客船を伴って日本本土に帰還後に改造を受けたが、その間にも状況は変化していた。戦場で求められているのは中途半端な性能の高価な改造空母ではなく、可能な限り安価で数を揃えやすい護衛空母であったのだ。
しかも改造計画が立案された当時と比べても格段に高性能化した艦上機を運用するには、特設空母の能力ではすでに不足していた。大量生産される海防空母に関しては船体部の低性能を補うために正規空母並みの高価な各種航空艤装が用意されたが、特設空母を更に改造する予算はなかったらしい。
結局数を揃えづらい特設空母は、鹵獲したドイツ船籍船から改造されたものを含めて、航空機輸送に投入するしか使い道がなかったのだ。
もっとも本当に航空機の緊急輸送が必要な場合は、遥々欧州まで自力で空輸されていた。陸軍の重爆撃機や陸上攻撃機のような大型機ばかりではなく、開戦直後には整備部隊を乗せた輸送機に先導されて単座の戦闘機までもが続々と銀翼を連ねて東南アジア、インドを経由して欧州に向かっていたのだ。
巨大すぎて分解も出来ない重爆撃機などに関しては現在もこれが主流だった。大型機は航続距離も長いものが多かったし、航法を担当する専属の偵察員も乗せていたから長距離移動も容易だった。
自力による空輸の場合は、最初の航空隊全体の移動を除けば一線部隊の搭乗員が駆り出されることは稀だった。参戦直後に一斉に海陸軍の部隊が移動していった時はともかく、次第に輸送機部隊と共に空輸専用の航空隊も編成されるようになっていた。
空輸専用の航空隊に正式に配属された機体は少なかった。それは実質的に航法装置を増備した先導機だけだったからだ。空輸部隊に日本本土で託された重爆撃機などは空輸専属の搭乗員が操縦していた。
そして目的地で実戦部隊や兵器廠に機体を引き渡した搭乗員達は、先導機に便乗して本土に帰還するのだ。
空輸専属部隊は、実戦部隊ではないためか民間航空会社から徴用された軍属の操縦士の他に、航空操縦士免許を取得した女性操縦士まで含まれていた。何でも10年ほど前に霞ヶ浦海軍航空隊で特例で操縦訓練を受けたという古株の女性操縦士が海、陸軍大臣に直談判したらしい。
日本以上に女性操縦士の育成に力を入れていたソ連では女性のみの戦闘部隊まで存在しているらしいが、日英など国際連盟軍では英婦人補助空軍などが編制されてはいるものの、その任務は司令部付の事務や航空管制などに後方勤務に限られており、空輸専門の部隊もその一つだった。
ただし、現在では自力で空輸されてくるのは双発以上の大型機に限られていた。二式艦上哨戒機東海や陸軍の二式複座戦闘機などの比較的小型の双発機であっても船便で運ばれてくる機体の方が多いのではないか。
理由は幾つかあった。一つは搭乗員の負担だった。重爆撃機や輸送機の様な大型機とは異なり、単座機や双発他座でも戦闘機の様な機種であれば機内空間は狭く機内の移動や操縦の交代は出来なかった。
欧州と日本本土を結ぶ中継基地が整備されているとはいえ、同行する輸送機も物資や整備員を乗せなければならないから、仮に体調不調となっても交代できる搭乗員も最小限に抑えるしかなかった。
前線にたどり着いたとしても、機材や搭乗員の不調で取り残される機体が続出すれば航空隊としての戦力は発揮できなかったのだ。
問題は搭乗員だけではなく、機材の方にもあった。高温多湿のアジア圏を通過する際に故障を起こすことも無視出来ないが、仮に不調なく現地に到達しても機体の寿命が短くなる事は防げなかった。
この時期、エンジンを含む航空機の寿命は黎明期と比べれば長くなったとはいえ、単発戦闘機であれば300時間も飛べば機体が無事であっても部隊から返納されるのが通常だった。
構造に負荷のかかる戦闘機動を取ることが少ない機種であれば機体の寿命はある程度延長できるが、それでもエンジンの寿命は伸ばせなかった。さらに艦上機であれば、発着艦の度に射出機や着艦拘束装置による衝撃が機体構造に与える影響も無視出来なかった。
しかも、どの程度の飛行が機体構造に致命的な損害をもたらす程の劣化を招くのか、あるいは現時点での構造の劣化を正確に見積もる事は難しかった。可能であるのは整備によって目に見える損傷を見逃さないことと、飛行、運転時間を正確に管理すること位だった。
そういう事情もあって、前線部隊では補給が潤沢である場合は機体寿命に近づいてきた機体を実戦に投入する事は避けられていた。返納間際の機体は、訓練飛行などで消耗されることが多かったのだ。
結局は、自力での空輸は小型の機体にとっては貴重な機体寿命を本来の用途以外で消費してしまうとして前線部隊からは嫌われていたのだ。
第545航空隊に配属された四四式艦爆は新規に製造された機体ばかりだったが、実用化前の実験を兼ねたような長期間の訓練飛行が連続していたから、それだけで相当の機体寿命を消費してしまっている筈だった。
これに自力空輸による消耗を加えれば、欧州到着後すぐに返納対象となって廃棄されてしまう機体も出てくるのではないか。
常識的に考えれば、現在配備されている機体は練習用の機材と割り切って、第545航空隊には船便で運ばれる新規製造機が配備されるのではないか。当然搭乗員も整備などの支援要員と共に船舶移動となる可能性は高いはずだった。
垣花二飛曹がそのようなことを考えていると、後席から井手中尉の落ち着いた声が聞こえてきていた。
「そろそろ変針点だ。さて、母校に挨拶といくか」
明るい声で井手中尉はそう言ったが、実際には兵学校のある江田島上空も四四式艦爆の飛行経路には入っていなかった。広島沖に浮かぶ似島を越えてからは江田島と本土を隔てる狭い水道の上空を通過する予定だった。
今日の訓練は瀬戸内海を航行する練習空母への擬着艦を行うものだったが、空母と合流する前に江田島の北東に位置する倉橋島の指定された地点に対する地上襲撃訓練が予定されていた。
急遽割り当てられた訓練は通常使用される射爆場とは異なっていたし、それ以前に現在の四四式艦爆は擬着艦を行うために、模擬弾などは搭載されておらず、爆装状態を再現していなかった。
こんな状態で地上襲撃訓練を行うことに何の意味があるのか、垣花二飛曹達下士官兵搭乗員は首をひねっていた。分隊士である井手中尉は何かを言い含められているらしいが、飄々とした様子の中尉から離陸前に何かを聞き出すことは出来なかった。
隼鷹型空母の設定は下記アドレスで公開中です。
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蒼龍型空母の設定は下記アドレスで公開中です。
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哨戒機東海の設定は下記アドレスで公開中です。
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二式複座戦闘機の設定は下記アドレスで公開中です。
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四四式艦上攻撃機流星の設定は下記アドレスで公開中です。
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