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1944流星3

 日本海軍では、参戦以後に魚雷に類似した形状をとった外装式の対空捜索用電探を複数機種実戦投入していた。目視では到底不可能な長距離哨戒を艦隊から遠く離れて前進する艦上機から行うことで、強力なドイツ空軍の攻撃隊を友軍の遙か前方で捕捉するためだった。



 電探の機種が増えたのは、日進月歩の技術開発を反映したのが一因だった。開戦前から電波関連技術で一歩先に進んでいた東北帝国大学などで研究が進められていた電探は、戦火が及んだ英国本土から疎開してきた英国人技術者の参加もあって僅かな間に飛躍的に発展を遂げていた。

 後発のものになるほど探知可能距離は延長され、運用実績を反映して使い勝手も向上していった。

 しかし、そうした技術面に関すること以外にも機種が増える理由が存在していた。搭載する母機の違いによるものだった。つまり艦上攻撃機と艦上爆撃機に搭載するものが別個に制式化されていたのだ。



 機載電探の主力となっているのは艦上攻撃機に搭載するものだった。元々、外装式の捜索用電探は、航空機の搭載兵装として最大の寸法となる航空魚雷に外寸をあわせて設計されていたものだからだ。

 航空魚雷との外観の違いは、後部の推進機や舵面がない代わりに空中線が突き出していることくらいだった。


 それに対して艦上爆撃機に搭載されるものは、単純に艦爆既存機種の主兵装である25番爆弾などに外寸を合わせる訳にはいかなかった。

 25番程度の爆弾の寸法に合わせると、魚雷に対して格段に小さくなってしまうこともあるが、旧式化した九九式艦爆はともかく爆弾倉を備えた二式艦爆の場合は空中線を展開する空間が無くなってしまうからだ。


 結局、単純に世代が代わっても航空魚雷と同形状であり続けている艦上攻撃機搭載のものと比べると、艦上爆撃機用の電探は形状が定まらなかった。

 寸詰まりの航空魚雷のようにも見える形状で胴体下部に懸架するものや、爆弾に類似した電探本体は爆弾倉に収めた上で、空中線のみを機外に懸架するものもあった。

 それに艦上爆撃機搭載用に設計された電探は、世代が同一であれば艦上攻撃機用のそれと比べると、寸法が制限される分だけ出力や精度が劣る面があるのも否めなかった。


 もっとも実運用上で両者の性能の違いが然程大きな問題となる事は無かったらしい。艦上攻撃機用と比べると艦上爆撃機用の見張り電探を常用する部隊が少なかったという事もあるが、艦爆と艦攻では電探搭載機の運用が違っていたからという点のほうが理由としては強かっただろう。

 鈍重な艦攻では艦隊からの進出距離をそれほど大きくは取らずに艦隊上空の哨戒を常時継続するのに対して、艦爆に電探を搭載した場合は機動性を活かして敵地付近まで果敢に切り込んでいくことが多かったからだ。



 艦爆と艦攻の統一を目指した四四式艦爆では魚雷の搭載も前提としていたから、当然のことながら艦上攻撃機用に開発されている航空魚雷型の大型電探を搭載することも可能だった。

 それどころか、魚雷を両翼にそれぞれ懸架可能という高い搭載量を活かして、魚雷型電探を片翼に装備した上で、反対側に長時間の滞空を可能にする大容量の増槽や電波妨害装置を懸架することも可能だった。

 最近では攻撃隊の安全を図るために電探搭載機に加えて電波妨害機を随伴する事も増えていたが、四四式艦爆では単機でその両機の機能を併せ持つ事ができると考えられていたのだ。


 だが、そのような目論見は早々に当てが外れていた。確かに搭載量だけを見れば四四式艦爆は電探2基を懸架することも可能だったが、実際にはその運用は困難だった。



 機載電探は性能だけではなく、操作性も日々向上していた。操縦員である垣花二飛曹は直接電探を操作することはなかったが、電探表示面の表示が格段に分かりやすくなっていることぐらいは知っていた。

 以前は目標から反射してきた電波を受信して直接表示していたのか、暗く視認し辛い折れ線から反射対象までの距離や強度を苦労しながら読み取って把握しなければならなかったから、操作員には熟練の腕が必要だった。

 それに対して最近のものは表示面の光度が上がって昼間でも視認しやすかったし、縦横の表示がこれまでとは変わって直感的な把握が可能となっていたのだ。



 しかし、どれだけ電探の性能が上がったとしても、専属の操作員が必要であることに変わりはなかった。

 電探表示面を移動する光点から、現実に存在する目標の姿を推測しながら正確に読み取るのは修練が必要だし、決して居心地の良くない狭い機内では作業に集中しなければ目標の反応を取りこぼすことも少なく無かった。


 しかも電探で敵機の存在を確認するだけでは何の意味も無かった。それを周囲に伝達しなければ、現実に何の影響も及ぼすことは出来ないからだ。

 艦爆と艦攻で電探使用時の効率が関わってくるのはこの点だった。機体の操作に専念しなければならない操縦員を除いた偵察員の人数が、電探で探知された後の行動に大きな影響があったのだ。


 未だ確立された方法はないが、少なくとも複座の艦爆の場合は電探の操作と無線や電信の操作をたった一人の偵察員がこなさなければならなかった。

 敵機の早期発見と母艦への伝達を行う艦隊上空の哨戒任務であればその程度でも可能かもしれないが、電探の有効性が知られるようになった後は、日本海軍でも電探のもっと積極的な使い方を模索していた。

 単に艦隊の見張り能力を航空機で補うのではなく、電探搭載機に護衛以上の戦力に値する戦闘機隊を随伴させて、電探搭載機に戦闘機隊の指示をとらせようとしたのだ。

 つまり防空戦闘に限定しながらも、艦隊の指揮中枢を空中に分離していたのだ。言い方を変えれば、そこまでして防空網を拡大しなければならないほどドイツ空軍の攻撃は執拗で強力なものだったのだ。



 電探搭載機による空中指揮の効果は大きかった。航空隊の進出距離によっては、艦隊の位置に関わりなく防空網を構築できるからだ。

 従来の防空戦闘では、直掩機の役割は限られていた。電探を用いたとしても水上艦からの探知距離には限界があったから、敵機編隊を早期に発見出来たとしても、直掩機が待機する艦隊直上から高速で侵攻する編隊を迎撃に向かっても、対応する時間が限られてしまうのだ。


 探知距離の問題を解決するために、艦隊主力から電探哨戒を行う哨戒艦を分離して単独で予想される敵攻撃正面に進出させるという案もあるらしいが、根本的な解決にはならないし、今度は主力から離れて援護もなく単艦で行動する哨戒艦が狙われる可能性もあるはずだった。

 それに加えて、防空戦闘中は友軍艦からの対空砲火による味方撃ちを避けるために、直掩機が艦隊上空にとどまることも危険だった。だから直掩機が敵機編隊に対処可能なのは艦隊外周の限られた空域しかなかったのだ。


 だが、艦隊前方に進出した電探搭載機が戦闘機隊を指揮した場合は、艦隊から見た探知距離を格段に伸ばす事ができた。水上艦搭載のものに比べて出力に劣ったとしても、機載電探は遥か高空から自在に位置を変えられるからだ。

 上手くやれば敵機編隊に艦隊の姿も見せずに遠距離から一方的に打撃を与えることも可能だった。



 しかし、電探搭載機による空中指揮を円滑に行うには一つの課題があった。水上艦に比べると遥かに限られた電探搭載機の機内空間で敵機群、友軍機の情勢を把握し続けなければならないのだ。

 空中指揮官機に要求される処理能力は高く、一人の人間が把握できる情報量を越えていた。確認していたはずの敵機群に接敵し損ねる程度ならまだましだが、場合によっては連絡の不徹底で燃料切れの友軍機が出てくるかもしれないのだ。

 三座の艦攻であれば、操縦員以外の二人で作業を分担することも可能だった。電探を操作するものからの報告を受けてもう一人が状況を図版に書き取ることもできるし、偵察員を電探操作員と指揮官に分けてそれぞれの仕事に専念させることも出来た。


 複座の四四式艦爆にはこのような汎用性に欠けていた。打撃力に特化したと言ってもよいが、最近ではそれだけでは多用性を増す空母搭載機の任務を全て引き受ける事は出来なかった。

 結局、欧州戦線では四四式艦爆が配備された空母にも若干の二式艦上攻撃機が残されていた。電探による哨戒任務は、艦上偵察機にも艦爆にも向いていない任務だったからだ。



 もっとも、生産が終了したことで旧式化が次第に進んでいる三座の艦上攻撃機を配備し続ける事は、垣花二飛曹には必ずしも最適解だとは思えなかった。

 最近のドイツ空軍は戦果を上げるよりも損害を最小化する為か、少数の戦闘爆撃機による通り魔的な襲撃を繰り返していた。このような少数機による五月雨的な襲撃が連続した場合は、三座の艦上攻撃機でも処理能力が飽和して迎撃戦闘は場当たり的なものになってしまうことが多いらしい。


 だが、陸軍では以前より機上での処理能力の高い大型機を空中指揮官機として投入していた。

 今次大戦では国際連盟軍は攻め手の方であったし、ドイツ空軍が大規模な爆撃を行っているのは英国本土に限られるから戦地において日本陸軍が大規模な防空戦闘を行う機会は少なかったが、占領した基地の機能が回復するまでの間などには、重爆撃機を転用した空中指揮官機が投入されていた。


 それに護衛の戦闘機隊を伴う大規模な攻撃隊の場合は、指揮官機に電探や電波妨害装置を搭載して編隊の指揮に専念させることも少なくなかった。

 陸軍では連隊や旅団に相当する飛行戦隊や飛行団の指揮官が率先して出撃することも珍しくないというから、空中指揮官機は指揮中枢というだけではなく、文字通りの指揮官専用機であるらしい。



 防空戦闘に投入される空中指揮官機は、当初九七式重爆撃機が充てられていた。

 海軍の一式陸攻に匹敵する大型双発爆撃機である九七式重爆撃機は、本来は日本陸軍航空隊が重要視していた対ソ連戦における航空撃滅戦に投入することを前提として制式化されたものだった。

 だが、航空技術や防空網の急速な発展によって、高速爆撃機として開発されていた九七式重爆撃機の性能にも陰りが見えていた。これに対応するために日本軍の参戦に前後して本格的な配備が開始された一式重爆撃機は、自衛火力と防護性能が強化された四発の爆撃機だった。


 結局九七式重爆撃機は一式重爆撃機に押されるように、本格的な航空撃滅戦よりも地上部隊の航空支援などに回される場合が多かったが、一部の部隊では純粋に一式重爆撃機と入れ替えとなっていたから余剰の機体も少なくなかった。

 この余剰となった九七式重爆撃機を転用したのが陸軍初の空中指揮官機であったらしい。装備や運用の原型となったのは英国空軍のタービンライト仕様という特殊な夜間戦闘機部隊であったらしいが、詳細は分からなかった。


 何れにせよ余剰機の転用という出自にも関わらず、空中指揮官機の構想は一定の成果を上げたようだ。

 日本陸軍の重爆撃機は速度や防護性能を重視しているために搭載量はさほど多くはないというが、機内空間には大分余裕があるはずだから爆弾倉を転用すれば多くの機材や人員を乗せることが出来たはずだ。


 今では発展型の配備開始に伴って、やはり余剰が出始めていた初期型の一式重爆撃機も空中指揮官機に改装された機体もあるというから、この分野では陸軍に一日の長があるのではないか。

 勿論運用環境が異なるのだから海軍機が安直に陸軍に倣うことは出来なかった。陸上の航空隊ならばともかく、空母の甲板上では一式重爆撃機どころか九七式重爆撃機程度の機体でさえまともに運用できるとは思えないからだ。

 だが、何らかの形で艦隊航空にも多座機の配備が必要となるのではないか、垣花二飛曹はそう考えていた。

四四式艦上攻撃機流星の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/b7n.html

二式艦上爆撃機彗星の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/d4y.html

二式艦上攻撃機天山の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/b6n.html

九七式重爆撃機の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/97hb.html

一式重爆撃機の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/1hbc.html

ボストン爆撃機(タービンライト仕様)の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/97tr.html

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