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1944流星2

 英国海軍に就役したイラストリアス級を嚆矢とする装甲空母の出現は、それまで空母の飛行甲板を破壊することで先制航空撃滅戦を行うことを想定していた艦上爆撃機の開発計画に大きな影響を与えていた。


 25番程度の爆弾を使用する従来の攻撃では有効打を与えられないと考えられていた装甲空母に対する急降下爆撃機側の対応は、ある意味で単純なものだった。急降下爆撃で使用する爆弾の大重量化が図られていたのだ。

 言い方を変えれば、急降下爆撃という攻撃手段を変えない限りは、爆弾威力の増大以外に方法は無かったのだともいえた。


 だが、理屈はそうであったとしても、搭載重量の増大は小手先の機体の改造で可能なことでは無かった。単に大重量の爆弾を積載するだけなら現行の機体でも可能だが、機体構造に大きな負荷のかかる急降下爆撃では爆弾重量が構造材に与える影響は大きかったからだ。



 四四式艦爆につながる新艦爆の計画はこうして開始されたのだが、計画の初期段階から艦爆と艦攻の統合を図るべきではないかという声が上がっていたらしい。

 これも単純な話だった。仮に新艦爆が50番や80番という大重量の爆弾を抱えて急降下爆撃を行うことが出来るのであれば、機体への負荷が少ない水平爆撃ではそれ以上の爆弾を搭載することが可能だし、1トン級の搭載能力があれば魚雷を懸架する事もできるはずだったから、これまで艦爆では不可能だった雷撃機として運用することは十分に可能だったのだ。

 搭載量の点で両機種を隔てる壁が無くなっていた一方で、機種の統合には利点が多かった。狭い空母に搭載する艦上機は、できるだけ少数機種に抑える方が専属の整備員や予備部品の転用が効くから効率が良かったからだ。


 だが、計画開始当初こそ順調に進んでいた新艦爆だったが、思わぬところで開発計画は停滞を余儀なくされていた。

 今次大戦における日本帝国の参戦直後に行われたいくつかの戦闘において、これまで補助艦艇や航空機の重要な攻撃手段であった魚雷攻撃に疑念が抱かれるような戦訓が幾つも得られていたのだ。

 また、シチリア島に設けられたドイツ空軍基地の様に厳重に防護された目標を攻撃した航空部隊は、恐ろしい程の勢いで消耗していった事も見逃せなかった。



 それまでは海軍機は艦上機という制限などから陸軍機と比べると脆弱な点もあったが、参戦以後に計画された機体は戦訓を受けて軒並み防御面での強化が要求されていた。

 機体自体を防護するのは当然だったが、航空機の高性能化が進む程に育成に手間と予算がかかるようになっていた搭乗員を生還させるのも重要だった。機材は時間をかければ幾らでも補充できるが、激戦を生き延びてきた熟練の下士官兵は一度失えば中々補充は出来なかったからだ。


 だが、艦上戦闘機などと比べると新艦爆の計画はさらに紆余曲折していた。それも当然といえば当然だった。雷撃に変わる主要な攻撃手段が定まらないものだから、基本計画自体が二転三転してしまっていたのだ。


 銃兵装は比較的早期から定まっていた。翼内に装備される20ミリ機銃と後部席用の13.2ミリ旋回機銃だった。

 新艦爆では雷爆撃時に敵艦の対空火力制圧を行う前方火力の強化が求められていたし、艦上爆撃機は場合によっては機動性を活かして補助戦闘機として運用されることもあったから、重装甲化が進む敵機に有効打を与えられる大口径機銃が必要だったのだ。


 機銃の搭載数は現行の日本海陸軍戦闘機の多くが四門を装備しているのに対して二門と数は少ないが、装備する機銃自体は零式艦上戦闘機やその後継となる四四式艦上戦闘機が装備しているものと同型のエリコンFFS系列のものだった。

 日本海陸軍に限らずに国際連盟軍の標準機銃とも言えるこの火器は、20ミリと大口径であることから炸裂弾なども用意されており、欧州戦線で多用される対地攻撃時にも有効であるはずだった。



 問題となったのは、艦上爆撃機本来の主兵装である急降下爆撃時に使用する爆弾だった。当初は、二式艦爆同様に新艦爆においても空気抵抗を削減するために爆弾倉を設けて爆弾を収容することが計画されていたのだが、肝心の収容する爆弾の寸法が定まらなかったのだ。

 当初は、装甲空母に対抗するために制式化済の50番爆弾を搭載することが計画されていた。重量は従来艦上爆撃機で多用されていた25番に比べてほぼ倍となるが、寸法は然程大きく変わるわけではないから、爆弾倉の寸法自体は二式艦爆から前後に伸ばせば収容は可能であるはずだった。

 また、雷撃機として使用するために魚雷を搭載する時もこの爆弾倉を利用する計画だった。二式艦爆のように扉を内部に収容する形式とすれば、魚雷を完全に倉内に収容する事はできなくとも半埋め込み式として空気抵抗を削減できると考えられていたのだ。


 ところが、参戦直後に得られた戦訓によって魚雷に変わる航空攻撃手段が模索されるようになると、爆弾倉の寸法も迷走し始める事になったらしい。

 試作、実験段階にある航空兵装に関する情報は高い機密の壁によって守られているために一下士官搭乗員などには詳細は伺えなかったが、従来のものを含めて様々な方式が今も考案されているようだ。

 結局、四四式艦爆では爆弾倉を廃止する形で就役していた。主兵装の決定を待つ余裕はなかったからだ。機種転換訓練中の座学によれば、爆弾倉を廃止した分だけ機体を軽量化して機外搭載量に余裕を持たせたことで、逆にどんな寸法の兵装でも搭載可能とさせるのが目的であったらしい。



 だが、垣花二飛曹が見たところ空気抵抗を極限まで削ぎ落とした流麗な機体形状を持っていた二式艦爆に比べると、大口径の空冷エンジンとそれに見合う巨体を持つ四四式艦爆が軽量化を図ったとはとても思えなかった。

 勿論だが四四式艦爆は野放図に肥大化していったわけではなかった。諸元に記載された航続距離を実現するために大出力エンジンが要求する膨大な燃料を機内に搭載したことに加えて、搭載量を最大限活かすために強化された機体構造が結果的に巨体となって現れていたのだ。

 強いて言うならば、二式艦爆が研ぎ澄まされた打刀とすれば、四四式艦爆は無骨な大太刀といったところではないか。


 爆弾倉の廃止は実戦を想定した兵装搭載時には空気抵抗の増大を招いたものの、結果的に飛躍的に打撃力の増大がはかられていた。

 仮に爆弾倉に魚雷を搭載していた場合、どんなに搭載量に余裕があっても胴体中央下部に1基を懸架するのが精一杯だったはずだが、大出力エンジンと頑丈な機体構造を併せ持つ四四式艦爆は、両翼部に1基づつ、計2基もの魚雷を懸架することが可能だった。

 四四式艦爆に搭載される兵装は魚雷や爆弾だけでは無かった。今次大戦で急速に実用化が進んだ噴進弾を使用する事も多かったし、対地攻撃では陸軍仕様と同じ集束爆弾や大口径の機銃を主翼に外装式に懸架するものまで用意されていた。



 だが、四四式艦爆の搭載兵装の多さは、同時に搭乗員訓練過程の長期化という問題も招いていた。艦上爆撃機と艦上攻撃機を兼用するということは、艦爆として採用された機体の搭乗員であっても雷撃を行う可能性があるということでもあったからだ。

 新設された第545航空隊に配属された数少ない実戦経験のある下士官搭乗員の中にも、二式艦爆に搭乗していた垣花二飛曹と違って、艦上攻撃機隊から転属してきたものもいた。

 従来の艦上攻撃機、艦上爆撃機の任務に加えて今時大戦において多用されている対地攻撃や対潜哨戒、攻撃任務に関する訓練まで新兵に施さなければならないのだから、航空隊の戦力化には従来機よりも時間がかかっていたのだ。



 もっとも、同時期に四四式艦爆の配備が行われた欧州に展開する既存の航空隊では、実際には艦爆、艦攻それぞれの使い方しかされていないらしいとも聞いていた。

 四四式艦爆の多用性を無駄にする運用とも言えるが、機体そのものは多用途であったとしても、それを乗りこなす搭乗員の方がそれに追いついていなければ意味がないという事かもしれなかった。


 それに欧州戦線に配備された四四式艦爆の実戦における運用の結果からすると、本来目指していた艦爆と艦攻の統合は実際には果たされていないという話もあった。

 搭載量などに関する四四式艦爆の航空機としての性能に支障があるということではないらしい。むしろ搭載量の大きさや防御の充実は配備された部隊からも高い評価を受けているとも聞いていた。


 だが、艦爆や艦攻の任務は爆弾や魚雷を投下することだけではなかった。特に3座の艦攻は水上偵察機と並んで索敵や対潜哨戒に投入される場合も多かった。

 このような従来は予技と考えられていた任務に投入された場合は、速度や航続距離では遜色ないものの、単純に見張りの目が一対少ない分だけ四四式艦爆では目視での観察能力は限定されるのではないか。



 本来は、洋上における長距離の索敵は専用の艦上偵察機が担う事になるはずだった。新鋭の四三式艦上偵察機彩雲は、海陸軍共通の長距離偵察機である一〇〇式司令部偵察機を艦上機としたような高速性能を有していた。

 当初の海軍の想定であれば、空母に搭載される新鋭機は、艦爆、艦攻の任務を兼用する四四式艦爆と艦上戦闘機が主力となり、少数の艦上偵察機がこれを補佐するという形になるはずだった。


 ところが、実際には艦隊に配備された艦上偵察機の運用には幾つかの問題が生じていた。


 確かに四三式艦上偵察機の能力は高かったものの、それは速力や航続距離に特化したものであり、当初想定していたように洋上を疾駆して敵艦隊の姿を追い求めるのであれば、その性能は十二分に生かされていたはずだった。

 だが、欧州戦線で偵察機に求められている能力はそれだけではなかった。低空を低速で長時間飛行することを強いられる対潜哨戒や逆に高度をとって電探を使用した長距離対空哨戒を行うことも多かったからだ。


 就役した四三式艦上偵察機にはそのような汎用性は無かった。高速性能を追求した小さな主翼は空気抵抗は極限出来たものの、低速時の安定性には欠けていたし、大気の不安定な低空を飛行するのも苦手だった。

 それ以前に搭載能力が限られているから、艦爆や艦攻用に開発された外装式の魚雷型電探を装備するのは困難ではないか。胴体も空気抵抗削減の為にエンジンカウリングの口径に寸法を抑えられた極狭いものだったから、長時間の電探使用に必要な電源の確保も難しいはずだ。

 それに高性能の高揚力装置が装備されているとはいえ離着陸時の速度、距離が大きいことから、四三式艦上偵察機の運用が可能なのは一部の大型空母に限られていた。


 結局、四三式艦上偵察機は地上目標の強行偵察など限定された任務に投入されているだけで、配備前には艦隊側から大きな期待をかけられていた割には宝の持ち腐れといった状態であるらしい。



 汎用性が欠如していた新鋭艦上偵察機の代わりに、補助的と考えられていた各種哨戒任務に投入されていたのは、対艦攻撃の主力であったはずの艦上攻撃機だった。

 二式艦上攻撃機天山だけではなく、旧式化した九七式艦上攻撃機も開戦直後からこのような任務に投入されることが多かった。高出力の電探を稼働させるのに足りる電源など新鋭機のほうが有利な条件は少なくないが、哨戒任務の場合は過剰な高速性能は必要無いからだ。

 外装式の電探は、大まかな形状は魚雷に類似したものだった。というよりも、艦上機に搭載するために魚雷の外形を参考に設計されたものだったのだが、大容量の炸薬や推進機関を搭載した魚雷と比べれば重量は小さかったから、魚雷を搭載したときよりも飛行性能の低下は抑えられているという話だった。


 そして大小はあれども、この艦上攻撃機との汎用性の差が四四式艦爆にも発生していた。

四四式艦上攻撃機の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/b7n.html

四四式艦上戦闘機の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/a7m1.html

一〇〇式司令部偵察機の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/100sr3.html

二式艦上攻撃機天山の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/b6n.html

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 四四式艦上攻撃機が510km/hですが、もっと出るのではと思いますがね。 ダグラス スカイレイダーのAD1(初期型)でも590km/hですし。 その後のAD4以降は重くなったのかパイロ…
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