1944流星1
海軍岩国飛行場の滑走路から北に向かって離陸した直後、四四式艦上攻撃機流星はゆっくりと右旋回を行っていた。滑走路から主脚が離れたことを機体に走る振動が消え去ったことで判断した操縦員の垣花二等飛行兵曹は、慌ただしく主脚の格納と動翼の操作を並行して行っていた。
一世代前の艦上爆撃機、二式艦爆から受け継いだ電動式の操作機構は、倍近い重量を持つ四四式艦爆の魁偉な機体を滑らかに動かしていたが、操縦員の手間は多かった。
岩国飛行場から離陸した航空機は速やかに東側、つまり海上への回頭を行うという規則は、最近になって作られたものだった。垣花二飛曹は、飛行練習生の初期教練の時も新設されたばかりの岩国飛行場で過ごした時期があったが、その頃にはこんな規則はなかったはずだ。
海上への回頭は、航空兵達の安全の為とされていた。
元々、岩国航空隊は練習航空隊として開設されていた。開戦を控えて航空戦力の拡充が求められた時期だったから、広島市を挟んで広島湾の反対側に位置する呉鎮守府の練習航空隊を改変して移設されていたのだ。
呉は語源の一つが九つの嶺から来ているという説がある程に山に囲まれた土地だった。実際には航空隊は半島を挟んだ広に存在していたが、地形は似たようなものだから、高速の新鋭機になるほど広大な滑走路を要求する飛行場の拡大が難しかったのだ。
今でも岩国飛行場が練習航空隊の拠点であることに変わりはないから、離着陸する機体の操縦員は練習生が多かった。
仮に彼らが離陸直後に事故を起こした際も、海上であれば不時着した機体から脱出することが出来る可能性は高かったし、事故に備えて滑走路より海側にある桟橋には内火艇が用意されていた。
空母の直衞につく駆逐艦がトンボ釣りの俗称で知られる事故機の救援任務を兼ねるように、訓練中の機体が海上で不時着した場合、内火艇が出動して乗員の救助にあたるのだ。
ただし、実際には急回頭は工場地帯上空の通過を避けるためではないか、搭乗員の間ではそのような噂も根強かった。
岩国飛行場の北西には改名されたばかりの国鉄岩国駅があった。
元々、岩国の旧市街は飛行場や岩国駅が存在する麻里布町ではなく、数キロほど西に行ったところにあったのだが、山陽本線の駅が存在する為か旧麻里布町周辺の方が近年は発展が著しかった。
そこで以前麻里布駅と呼ばれていた山陽本線の駅が岩国市の合併からしばらくしてから岩国駅と改名しており、また山陽本線の海側には開戦に前後して工場群が建設されていた。
垣花二飛曹が飛行兵だった頃はまだ建設中の工場も多かったが、わずか数年で岩国駅周辺は一大工業地帯に急成長していた。
それが何の工場なのかは二飛曹もよく知らなかったが、岩国飛行場を離陸した機体が工場群の直上を飛行するのを避ける為に離陸直後の旋回を強いられる事になったらしい。
つまり海面に不時着時して乗員を救助するためではなく、実際には離陸直後の不安定な機体が工場に墜落して損害を与えることを避けたというのが正解らしい。
噂は噂でしかないが、信憑性を高めるような話もあった。飛行場から北方に向けて離陸した際は早期の海上への離脱がしつこく言われているのに対して、風向きの関係で飛行場南方に離陸した場合はそれほど規則はやかましく適用され無かったのだ。
飛行場の北方には、岩国駅から海岸まで工業地帯が広がっていたが、駅から離れた飛行場の南方は、まだ田園地帯が残されていたからというのがその理由ではないか。
何にせよ、旋回規則は慌ただしいものだった。目印を定めた垣花二飛曹は、四四式艦爆の旋回を止めて、上昇しながらの直線飛行に移っていた。
目印としたのは、岩国の北東に浮かぶ厳島だった。ただし、飛行計画では島の直上は通過しなかった。左翼下に厳島を望みながら広島市方向に向かって飛行することになっていた。
今日も愛機は快調なエンジン音を奏でていた。垣花二飛曹の四四式艦爆は偵察員に分隊士を載せている指揮官機だから、編隊の先頭を飛行していた。後続機の状況はまだ分からないが、この青い空を二飛曹は独り占めしている様な感覚を覚えていた。
垣花二飛曹を乗せた四四式艦爆は僅かな間に厳島の上空に差し掛かっていた。
厳島は決して小さな島ではなかったが、急峻な地形が連続することや古くより信仰の対象となっていたことから、寺社仏閣を除いた市街地は極狭いものでしかなかった。だから工業地帯の広がる岩国周辺と比べると、厳島は島全体が木々で覆われているようにも見えていた。
その厳島もいまは先日来の降雪を受けて島全体が薄っすらと雪化粧していた。ふとその様子を見て垣花二飛曹はこの第545航空隊が開隊した時のことを思い出していた。
航空隊の編成が開始されたのは、今年の秋口の頃だった。制式化直前だった四四式艦爆を装備する部隊として新規に編成されていたのだ。
その頃は厳島は見事な紅葉を見せていた。まるで島全体が燃え上がっているようにも見える程だった。
垣花二飛曹には、子供の頃にあきの宮島と言うならば春や夏はないのかといって大人達に笑われた記憶があったが、秋口の厳島に広がる見事な紅葉を見た時は、別に「安芸の宮島」では無く「秋の宮島」でも良かったのではないかとまで思っていた。
同時に、新兵時代には何度も付近を飛行したにも関わらず、厳島の様子など何一つ覚えていないことにも気がついていた。あれからほんの僅かしか経っていないようにも思えるが、いつの間にか飛行時に周囲の景色を観察するほどの余裕が出来ていたらしい。
欧州の前線で負傷した後に原隊から離れて本土で静養していた垣花二飛曹は、新規編成される航空隊の操縦員の一人として配属されていたが、いつの間にか一端の下士官扱いを受けるようになっていたことにも驚いていた。新規編成の航空隊に配属されてくるのも新兵ばかりだったからだ。
第545航空隊は制式化されたばかりの四四式艦爆を装備することを前提に編成された部隊だったのだ。
四四式艦爆は、これまで空母搭載の艦上爆撃機として配備されていた機体と比べると変更点が多く、欧州で二式艦爆に乗り込んでいた垣花二飛曹も最初は戸惑う事が多かった。
機体の構造や投入された技術そのものには目新しい機能は無かった。水冷エンジンを搭載した流麗な二式艦爆と比べると、大口径大出力の空冷エンジンを搭載した四四式艦爆は厳つい印象があったが、空冷エンジンの搭載自体は二式艦爆でも後期生産型で例があった。
むしろ、空冷エンジン機の多い艦上機の中で水冷エンジンを搭載した二式艦爆の方が異例であったとも言えた。これまでの艦爆と異なる点は、そのような小手先の技術ではなく、艦上爆撃機の概念が変化したという点に集約されていた。
日本海軍だけではなく、本格的な空母を保有する列強各国は少数の偵察機を除くとその搭載機を艦上戦闘機、艦上雷撃機、艦上爆撃機に分類していた。この中で敵艦を実際に攻撃する矛となるのは艦上雷撃機、爆撃機の2機種になる。艦上雷撃機は日本軍では攻撃機と呼称されているが、概念に違いは無かった。
この中で、敵主力艦に対する主力となるのは艦上攻撃機だった。艦上攻撃機は大重量の爆弾を使用して水平爆撃を行う場合もあるが、本来は敵主力に肉薄して必殺の雷撃を放つのが役割だった。
これに対して艦上爆撃機とは、正確に言えば急降下爆撃を行う為の機体だった。高高度からの水平爆撃と比べると、目標めがけて急降下しながら爆撃を行う急降下爆撃の命中精度は格段に高かった。
ただし急降下爆撃には機体に対する要求も高かった。爆弾を抱えたまま急降下を行うには、機体構造は頑丈でなければならないし、降下開始や投弾後の引き起こしのためには運動性能も必要だった。
実際に初期の急降下爆撃機の中には運動性の高い戦闘機を転用したものも少なくなかったのだ。
しかも、急降下爆撃には威力面での課題もあった。機体構造の限界があるために、搭載可能な爆弾の重量に制限があったのだ。例えば、同時期の二式艦上攻撃機天山が1トン級の魚雷か水平爆撃で80番の爆弾を投下可能であるのに対して、二式艦爆では50番爆弾が精一杯だった。
それに、水線下に直接打撃を与えることの可能な雷撃とは異なり、急降下爆撃で戦艦などの重装甲を施した艦に有効打を与えるのは難しかった。
戦艦は想定される主砲戦距離において自艦の主砲に抗堪しうる装甲を施されるのが常識だったが、日本海軍で最も旧式化している金剛型戦艦が有する36センチ砲でもその砲弾重量は600キロ程度はあった。
航空攻撃よりも戦艦主砲弾は遥かに高い存速で命中するから、これに抗堪する様に作られた装甲に対して急降下爆撃で投弾できる程度の爆弾で装甲を貫通して重要区画に損傷を与えることは到底望めなかったのだ。
爆撃で主力である戦艦を撃沈できるとすれば、装薬量を犠牲にして強度を高めた貫通爆弾である通常爆弾、それも一トン級の大重量弾を高高度から投下することで位置エネルギーを速度に転換するしか無かった。
だが、高高度からの水平爆撃は大威力を持つ一方で、投弾から落着までの経過時間が長いことや、落下中の気象条件に大きく着弾点が左右されることから、海上を自在に機動する戦艦に対しては命中精度は低かった。
日本海軍では、以前はこのような航空攻撃の特性を考慮して艦上攻撃機と艦上爆撃機の攻撃目標を明確に二分していた。勿論艦上攻撃機は敵主力を攻撃するのだが、その前段階として雷撃を阻害する敵空母を先制攻撃するために艦上爆撃機は使用されることになる。
急降下爆撃で大型艦を撃沈する事は出来なかったとしても、敵空母の飛行甲板に爆弾を命中させることが出来れば航空機の離着艦は不可能になるからだ。
つまり海上における航空撃滅戦に投入されるのが艦上爆撃機の使い方だったのだ。
こうした用法の違いは各艦の搭載機数に現れた時期もあった。敵主力艦と対峙する天城型のような大型空母には艦上攻撃機を主に搭載し、敵空母の撃滅を図る蒼龍型など高速の中型空母には艦上爆撃機を搭載していたのだ。
だが、開戦に前後する時期には、このような分類に疑問が抱かれるようになっていた。きっかけは英国海軍に従来よりも格段に強化された装甲を持つイラストリアス級航空母艦が就役したことだった。
英国海軍で装甲空母が計画されたのは、実際には消極的な理由だった。陸海軍から独立した空軍に航空行政の主導権を握られてしまっていた為に、艦隊航空隊に十分な数の艦上機を確保することが出来なかった為だった。
つまり、イラストリアス級の装甲は艦そのものではなく、数少ない艦上機を防護するのが目的だったのだ。
理由はどうであれ、空母の装甲化は従来の艦上爆撃機による航空撃滅戦という概念そのものを無力化される可能性を秘めていた。
後発である日本海軍の装甲空母である翔鶴型は、最上部の飛行甲板を装甲化しており、その装甲厚は従来の25番爆弾では貫通出来ないのではないか、そう考えられていたからだった。
四四式艦上攻撃機流星の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/b7n.html
二式艦上爆撃機彗星の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/d4y.html
二式艦上攻撃機天山の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/b6n.html
天城型空母の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cvamagi.html
蒼龍型空母の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cvsouryuu.html
翔鶴型空母の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cvsyoukaku.html