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1944バルト海海戦53

 今次大戦において国際連盟軍が船団護衛部隊に投入している護衛空母の能力は、氷山空母どころか従来の艦隊型正規空母と比べてもごく限られたものでしか無かった。


 護衛空母の原型となっているのは、ありふれた形式の貨物船だった。最新鋭の護衛空母は当初から専用の設計が行われていたが、隔壁配置や船穀部材などを計画する手法は商船構造に準拠したものに過ぎなかった。

 それどころか、初期の護衛空母の中には当初からこの艦種として建造されたものだけではなく、鹵獲した敵商船や建造中の商船を改造したものまであったのだ。



 泥縄式に護衛空母の建造が急がれたのは、陸地から遠く離れた洋上で航空機による哨戒を行う為だった。


 その時点でも、既に通常形式の商船の前甲板にカタパルトと陸上機を配置した簡易な航空機搭載船が船団護衛に投入されていた。

 もっとも、このカタパルト商船に装備されているのは射出機だけで収容設備もなく、それどころか航空要員以外は軍人が乗り込まずに民間人が操船すると共に航空艤装以外は通常の商船そのままという簡易なもので、出撃した機体は投棄されて搭乗員のみが回収されるという歪な方式だった。


 それにも関わらず護送船団の防衛に航空機が寄与したという意義は大きかった。

 カタパルト商船が搭載していたのは、ドイツ軍の長距離偵察機を迎撃するための戦闘機だった。直接敵潜水艦を制圧するものではなかったが、ドイツ軍の長距離偵察機は潜水艦隊の眼となって船団の捜索を行うものだったから、間接的には敵潜水艦と連動しているとも言えた。

 そこでカタパルト商船の実績をうけて、これを発展させた護衛空母の建造が行われたのだ。


 初期の護衛空母の艤装はごく単純なものだった。三島型のごく標準的な商船から船橋部分を取り払って、上甲板の上に飛行甲板を重ねただけのものだったのだ。

 正規空母と比べると飛行甲板は狭く、低速であることもあってソードフィッシュのような複葉機程度しか運用できないし、エレベーターもなければ格納庫もないから吹き晒しの飛行甲板では簡易な整備しか出来なかった。

 そのような簡易な空母の中には、船倉の機能を残して、穀物や重油など船倉上部が飛行甲板で塞がれていても積み下ろしできる貨物を搭載するものもあった。



 機能が限定された簡易な護衛空母だったが、船団護衛任務に限って言えばその効果は大きかった。これまでの戦訓から、船団を襲撃する潜水艦の制圧や警戒に航空機が果たす効果が確認されていたからだ。

 実際に航空機が敵潜水艦を攻撃出来なかったとしても、発見を恐れて潜水艦の行動を抑制する効果も期待できた。


 英国本土から出撃する対潜哨戒機を恐れて、ドイツ潜水艦隊は本国やフランス占領地帯に設けた母港から遠く離れた海域への進出が常態化していたから、航空哨戒から逃れるために燃料を大量に浪費させるだけでも、船団への脅威は大分下がっていたのではないか。

 それに、最近の哨戒機は、従来の航空爆雷に加えて浮上した敵潜水艦の頑丈な外殻を撃ち抜く高速ロケット弾や、対潜誘導魚雷などの新兵器を備えて能力を日々向上させていた。


 それに、少数機でしか無い護衛空母の搭載機数は、船団護衛任務に限れば大した問題とはならなかった。敵艦隊や敵基地を撃破するために多数機で攻撃隊を編成しなければならない正規空母とはことなり、船団周辺の対潜哨戒には多くの機数は要求されないからだ。

 だから、護衛空母に求められているのは多数機を短時間で発艦させることではなく、少数機の哨戒機を絶え間なく発艦させ続ける能力だった。20機前後という護衛空母の搭載機数は、予備機や戦闘機を含めてそのような任務に充当できる最低限の数から算出されたものだったのだ。



 貨物船を原型としているだけに、護衛空母は速力の低さは否めないが、やはり船団護衛の場合は然程支障はなかった。どのみち護衛対象である鈍足の輸送船に速力を合わせなければならないのだから、こうした任務では仮に正規空母を投入したところで高速性能は活かせなかった。

 ただし、発着艦時には空母は船団から離脱する必要があった。護送船団の針路とは関わりなく、安全な発着艦を行うために艦首を風上に立てて合成風力を利用する必要があったからだ。

 船団護衛艦が充実してきたために、護衛空母が船団から離れても直掩艦を用意する程度の余裕はあったが、発着艦後に護送船団内の定位置に復帰する時は、輸送船と同速度では時間が掛かってしまっていた。


 もっとも、最近の護衛空母は航空艤装が充実していたから、その点も余裕が出てきていた。着艦時はともかく、発艦に際しては数は少ないものの正規空母並の能力を持った射出機が利用できるからだ。

 最新鋭の射出機は、最大離陸重量に達した攻撃機でも短時間で発艦速度まで加速させる能力があったから、ある程度は風向きに関わりなく発艦が可能だった。だから、船団離脱の期間も極僅かに短縮できるのではないか。



 航空艤装の充実は、護衛空母に船団護衛以外の任務を可能とさせていた。数は少なくとも大重量の最新鋭機でも何とか運用できたからだ。

 速力の点からしても、正規空母を代替させるのは不可能だったが、船団護衛時と同様に少数機の発艦が連続する上陸作戦時の対地攻撃や戦闘機による艦隊防空の補助程度であれば何とか使えるようだった。

 あるいは、護衛する対象が輸送船団ではなく、上陸部隊に置き換えられただけで、護衛任務を行うという本質的な性質には変わりが無いのかもしれなかった。



 一時期の薄氷を踏む思いで、戦争の継続どころか英国自体の救命を行うために必死で物資を送り続けなければならなかった時期は過ぎ去っていた。船団護衛部隊は逐次充実したものとなっており、護衛空母にも数的な余裕が生まれていた。

 船団護衛部隊から引き抜かれた護衛空母の中には、より攻勢的な任務を与えられたものもあった。護衛駆逐艦やもっと大型の艦隊型駆逐艦からなる強力な直掩艦を随伴して、ドイツ潜水艦隊の出撃拠点であるビスケー湾付近まで進出して積極的な潜水艦狩りを行っていたのだ。



 建造当初には想定されていなかった任務に護衛空母が投入されたのは、建造数の多さからなる余裕と航空艤装の充実によって数は少なくとも一線級の機体を運用する能力を手にしたからだったが、ようやくのことで就役した氷山空母にはそのような汎用性は期待できなかった。

 仮にビスケー湾に侵入したノア1がその卓越した航空機運用能力で周辺海域を制圧出来たとしても、ドイツ軍の手酷い反撃を受けていたのではないか。

 ビスケー湾の北端を区切るブルターニュ半島の西端には、フランス降伏後にドイツ海軍の一大拠点となっていたブレストが存在していた。そのブレスト港には、潜水艦隊に加えてドイツ本国から移動してきた戦艦ビスマルクが在泊していた。


 ビスマルクを無力化するために英国空軍による爆撃などが何度か繰り返されていたが、執拗にドイツ海軍は出撃の機会を伺っていた。数は多くはないが、実際に護衛空母を中核とする対潜部隊に対処するために、ビスマルクが出撃した例もあったらしい。

 哨戒機からビスマルク出撃の報を受けた護衛空母とその直掩艦は、すぐさま反転西進して同艦に備えて待機していた英国本国艦隊の庇護下に逃れることが出来たが、護衛空母よりも遥かに低速でしか航行できない氷山空母ではビスケー湾から脱出することは困難だったはずだ。


 それ以前に、氷山空母はフランス本土が位置する緯度まで南下することは無かった。今回のバルト海への出動以前からわかっていたことだが、ノア1が大西洋をそこまで南下した場合は冷却機を最大限度まで稼働させても、完全に船体を維持することは出来なかったからだ。



 ノア1が就役する頃には、航空哨戒網の充実と船団に随伴可能な護衛空母の就役によって氷山空母の戦力価値は相対的に大きく低下していた。最終的にカナダから出撃したノア1は、想定通りに大西洋中央部における哨戒任務に就いていたが、特筆すべき戦果は少なかった。

 出撃したノア1は、ドイツ海軍が潜水艦隊を大西洋中央部に出撃させる際に、現地における補給の為に投入していた武装商船や補給潜水艦を相次いで搭載機が撃沈破していた。

 もっとも、これはノア1の能力が優れているというよりも、船団航路を遠く離れた海域に設定された補給地点で待機していたためにそれらの艦船が油断していた為ではないかと思われているようだった。



 英国海軍、というよりも国際連盟軍上層部が氷山空母計画にかける期待が低下していく中で、リット少将の計画内における立場は大きく変化していた。

 正規軍人、それも相当高位の士官を出すのが惜しくなったのか、最初にリット少将が中佐から大佐に昇進した上で就役後に艦長となる艤装員長に任命されていた。


 もっとも、実際には一向に着任しない正規指揮官に代わってそれ以前からリット少将が艤装員長代理という形で艤装員をまとめ上げていたから、艤装員や建造関係者の間では感覚的には然程大きな違いは無かった。

 ところが、次の変化は大きかった。ノア1就役に前後して直掩につくハント級護衛駆逐艦からなる駆逐隊が到着していたのだが、これを統率する駆逐隊司令の上級者が着任しなかったのだ。


 厄介だった。艦隊駆逐艦よりも規模の小さい護衛駆逐艦で編成された部隊とはいえ、駆逐隊司令はダートマスの兵学校を卒業した正規の英国海軍軍人だったからだ。

 駆逐隊司令の階級は中佐だから、大佐であった当時のリット少将の方が上級者ということになるのだが、昇進したばかりの海軍予備員士官と現階級に留まっている年数の長い正規軍人のどちらが指揮をとるべきか、些か判断に迷うところだった。

 しかも、ノア1が艦隊旗艦と決まったわけでもなかった。正規の軍艦の基準や規則をそのまま当てはめるには、氷山空母はあまりに異質なものだったからだ。

 ノア1は航空隊の支援に専念して、艦隊指揮官は小回りの聞く正規の艦艇に座乗するということも考えられなくも無かったのだ。



 ただし、ノア1に搭載可能な航空隊の規模からして、駆逐艦から艦隊の指揮を執るのは難しかった。指揮機能を強化した嚮導駆逐艦でも旗艦設備が不足するはずだから、最低でも軽巡洋艦程度は必要であるはずだった。

 英国海軍の上層部としては、既に必要性の薄れていた氷山空母計画にこれ以上の艦艇を充足するつもりはないはずだった。


 つじつま合わせのような措置が取られたのはノア1が就役する直前のことだった。ノア1と直掩の駆逐隊を含めた臨時編成部隊の指揮を正式にリット少将に委ねるという命令がくだされたのだ。

 リット少将がこの階級となったのはこのときだった。ノア1だけならばともかく、正規の軍人を含む駆逐隊の指揮をとるのであればこの程度の階級は必要だった。



 ただし、海軍予備員士官であることを除いたとしても、いくらなんでも中佐から大佐に昇進したばかりのリット少将をすぐさま将官にすることは制度上も出来なかった。

 少将の肩書はあくまでも一時的な階級である野戦任官によるものだった。職務の上では戦隊司令官たる少将ということになるが、正規の階級は大佐のままだった。


 それで一見階級や制度の上では矛盾が解消されたようにもみえたが、不自然さは否めなかった。

 幸いなことに駆逐隊司令が兵学校出身の正規軍人でありながら海軍予備員士官に偏見のない人物であったために大きな問題は生じなかったが、場合によっては艦隊内で意見の対立が深刻化していたかもしれないのではないか。

 カナダ辺境の造船所に集結した駆逐隊とノア1が出撃する頃には、艦隊司令部の関心は人事上も薄れていたことを再確認しただけだった。



 おそらくは、この戦争が終われば、リット少将は大佐の階級に戻るはずだった。戦時昇進ということを考慮すれば中佐に降格となることも十分考えられた。

 軍縮が開始されるだろう戦後の海軍にそのまま留まることも難しそうだった。量産された護衛駆逐艦やコルベットなどは大半が予備艦か売却、廃艦とされて、艦長や駆逐隊司令の職も殆ど無くなるはずだ。

 数少ない艦長や艦隊司令官には正規の軍人が優先されるから、海軍予備員士官は元の商船乗組員の立場に戻ることになる。


 だが、その時にはリット少将の職場はもう無くなっているはずだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 作った以上は運用しなければなりませんからねえ(納税者対策) しかし存在と規模の割に地味なこと
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