1944バルト海海戦49
細谷大尉は、脳裏で今次大戦に投入されたドイツ海軍の戦艦級艦艇を数えていた。
英国海軍などからは巡洋戦艦扱いを受けているシャルンホルスト級や、国際連盟軍からすると昨年唐突に現れたマッケンゼンという名前の巡洋戦艦を含めると、ドイツ海軍は今次大戦において5隻の戦艦を投入していた。
シャルンホルスト級戦艦シャルンホルスト、グナイゼナウ、ビスマルク級戦艦ビスマルク、テルピッツ、そしてマッケンゼンだったが、この内未だに洋上にあるのはビスマルクただ1隻だけになっていた。
ドイツ戦艦で最初に失われたのはテルピッツだった。マルタ島をめぐる一連の戦闘に投入された同艦は、国際連盟軍艦隊戦艦群との夜戦において大きな損害を被っていた。
機関部を含む艦体部の破損箇所はさほどでもなかったのだが、比較的脆弱な主砲塔をすべて失ってタラントに取り残されていた。正式には国際連盟軍とイタリアとの講和までドイツ海軍籍にあって修理が継続されていたことにはなっていたが、人員の補充も進まずに実質的に放棄されていたようだ。
テルピッツはイタリア本土解放の際に半島南部に進駐した国際連盟軍に拿捕されていたが、それ以外に地中海に投入されていたドイツ艦はジブラルタルが英軍に奪還される直前にドイツ本国まで撤退していた。
そのような状況の中で昨年度唐突に出現していたのが新造艦のマッケンゼンだった。アフリカ大陸西岸を航行中の輸送船団を襲われた国際連盟軍は、英国-カナダ間を結ぶ輸送船団の護衛艦艇まで投入した大規模な包囲網を構築して同艦を沈めていた。
有力な水上戦闘艦が自由に行動できる状況は、国際連盟軍としては何としても避けなければならなかったのだ。
国際連盟軍がドイツ水上艦を恐れたのは、この時点が最も激しかったのでは無いか。未だにビスマルクはフランス本土で厳重に防護された拠点から出撃の機会を伺っていたし、それはバルト海に逃れたシャルンホルスト級2隻も同様と思われたのだ。
だが、最近になって行われたドイツ側の説明によれば、マッケンゼンの出撃は囮に過ぎなかったらしい。
ビスマルクやシャルンホルストなど残存するドイツ戦艦の脅威を過大評価させる事で、国際連盟軍に効率の悪い輸送船団への戦艦随伴を強いると共に、英国空軍の爆撃隊などの戦力をドイツ戦艦で吸収しようとしていたのだ。
実際に国際連盟軍はクイーンエリザベス級やリヴェンジ級の旧式戦艦ばかりではあったものの、南アフリカとカナダ東岸に根拠地を設けて戦艦を常時輸送船団に随伴させる体制を整えざるを得なかった。
ドイツ本国などに向けられていた英国空軍爆撃軍団も、その一部を割いてビスマルクなどへの爆撃や、出港を阻止するための周辺海域への機雷散布などを行わなければならなかった。
しかし、その間にビスマルクは何度か出撃の機会を伺う素振りを見せて、同艦に備えて待機している英本国艦隊をやきもきさせていたが、バルト海に籠もった2隻のシャルンホルスト級同様に出撃できる状態ではなかったらしい。
英国空軍は自軍爆撃軍団の戦果を過小評価していた。
実際にはビスマルクは爆撃後の損害復旧工事を船渠内で絶え間なく実施しなければならない状況だったし、フランス沿岸に駐留する僅かな数の掃海艇は、潜水艦出撃のために潜水艦基地周辺の掃海を行うので手一杯でビスマルクが停泊している海域は手つかずの状態だったらしい。
ドイツとの講和条件は正確なところはよくわからないが、少なくともドイツ海軍はフランスから撤退しなければならないはずだが、未だにビスマルクがフランス本土に留まっていると言う事は、実際には稼働状態にはない事を示唆しているのではないか。
この様な状況では、シャルンホルスト級戦艦はドイツ海軍にとっては最後の戦艦と考えてもおかしくはなかった。
だが、バルト海で行われた今回の戦闘で、シャルンホルスト級は2隻とも沈んでいた。ドイツ海軍はこれで全ての戦艦を失ったといっても良いのだろう。
細谷大尉は沈んだ声でいった。
「ドイツ最後の戦艦が沈んだ、ということですか。まるで大和の身代わりとなったようなものですね。これでわが軍はドイツ海軍に大きな貸りができてしまったわけですか……」
しばらく返事は無かった。細谷大尉が顔を向けると、砲術参謀は煙草を咥えたまま盛んに自分の軍装を探っていた。火種が見つからなかったのか、恨めしそうな顔で大尉に視線を向けたが、すぐに諦めたのか咥えていた煙草を箱に戻しながらつまらなそうな声でいった。
「シャルンホルストに恩義を感じる謂れはないだろう……」
険しい表情の砲術参謀に細谷大尉は何も言えなかった。どうやらシャルンホルストには、なにかの複雑な事情があるらしい。参謀は続けた。
「それに……本艦、いや、大和型戦艦が本来の実力を発揮することが出来たのであればドイツ戦艦の援護など全く不要だったはずだ」
吐き捨てるような砲術参謀の不満気な声音に細谷大尉は慌てて周囲を見回していた。参謀の言葉は、大和乗員の練度や士気を誹謗するものとも捉えられるからだ。
ある意味で今は危険な状態だった。研ぎ澄まされた白刃の下をくぐる様な鋭い戦闘の緊張は過ぎ去っていたものの、応急工作中の将兵は未だに興奮状態にあるのではないか。
むしろ、戦闘が終わって少なくない戦死者や重傷を負った戦友たちの姿を見せられたことで、長期間殺気だった状態が連続している可能性すら高かった。
そのような時に乗員たちが恥辱を与えるような言葉を耳にしたら、相手が上官であっても激高する将兵がいてもおかしくはなかった。
誰もが忙しくしているせいか、幸いなことに砲術参謀の言葉を耳にしたものは細谷大尉だけのようだった。大尉は、首をすくめながらも反論していた。
「しかし、今回の戦闘では本艦1隻で3隻の戦艦を相手取ることになりました。当初から不利な状況にあったのですから、苦戦はやむを得ないことではないですか」
眉をひそめながら細谷大尉は言っていた。言外に砲術参謀に発言の自重を促したつもりだったが、参謀は一顧だにしなかった。
「数的な劣勢は、この場合は理由とはならない。元々そんな事は分かっていたのだからな」
砲術参謀の発言は妙だった。単に今回の戦闘時に生じた状況の事を言っているのでは無いような気がしていた。
首を傾げた細谷大尉に参謀は一瞬眉をしかめたが、すぐに訳知り顔になっていった。
「そうか、部員は本艦……大和型建造時の経緯を知らぬのだな」
わけが分からずに細谷大尉が押し黙っていると、砲術参謀は続けていた。
「部員もこれは知っていると思うのだが、今次大戦に中立を宣言しているにも関わらず、今現在も米海軍は戦艦や大型巡洋艦の建造を続けている。戦艦だけ見ても16インチ砲9門を搭載したノース・カロライナ級、サウスダコタ級に続いて超高速のアイオワ級戦艦を連続建造しているが、これをさらに拡大して主砲の搭載数を12門にまで増やした巨大戦艦が来年にも就役するらしい。
この未知の戦艦を無視したとしても、すでに軍縮条約が無効になってから10隻を越える数の戦艦が就役しているのは、帝国の国防方針にとって大きな脅威であると言わざるを得ない。
今も我が本土には米太平洋艦隊に備えるため、というよりもは抑止力として長門型以前に建造された戦艦群が待機しているが、部員も知っての通りそれら旧式艦の乗員は、多くが引き抜かれて遣欧艦隊に配属となった新造艦に転属している。
つまり第1艦隊は練習艦隊としか機能していないわけだが、そもそも米海軍も旧式戦艦を廃艦としていないという事は、簡単に言えば仮に現時点で開戦となった場合でも旧式戦艦には旧式戦艦を、新造戦艦には新造戦艦を充てるしかないというのが現状だと言える。
そうなると先程の米海軍の異常な建造速度が問題となってくる。米国は、今は長大な通商路の保護を必要とはしていない。だから仮に我が国、及び友邦諸国と同額の建造費を米国が投入すると仮定すれば、船団護衛用の輸送船や護衛艦艇を建造する分まで贅沢に戦艦などにつぎ込むことが出来るというわけだな。
要するに、最初から大和型戦艦は劣勢な状況下での戦闘を前提として建造されていた、というわけだ」
細谷大尉は、唖然としながら砲術参謀が長々と説明していたのを聞いていた。砲術参謀の言葉は友邦の存在を考慮しておらず日本単独での交戦しか考えていないという点で些か現実とはかけ離れた想定なのではないか。
ただし、砲術参謀がいった理屈そのものは理解していた。以前は参謀は日本海軍の中枢である軍令部に勤務していた時期もあったらしいから、もしかすると大和型の建造が計画された当時に何らかの形で関わっていたのではないか。
少なくとも日本海軍が大和型戦艦にどのような期待を掛けているのかは明らかだった。
砲術参謀は、細谷大尉の姿を視界に収めているにも関わらず、その存在を無視して独り言をつぶやくようにして続けていた。
「今回の戦闘を見る限り、本艦の打撃力、防護力には基本的な問題は無いと思われる。もちろん速力も同様だ。戦闘中本艦の動力が途切れることは無かったし、戦術的に不利な状況に陥ることも無かった。
今に至るも本艦の主砲、副砲は全て発砲可能であるし、あれほど多数の敵弾が直撃したにも関わらず重要区画には損害は生じていないと報告が来ている。
……では、一体何が問題だったのか……部員はどう考えるか」
そこで口を閉じると、砲術参謀は細谷大尉に視線を戻していたが、首を傾げるばかりの大尉の様子に眉をしかめて参謀は独白のような言葉を続けていた。
あるいは、本当に大尉に向かって言っていたのではないのかもしれなかった。砲術参謀は自分の考えを喋りながらまとめていたのかもしれない。
「今回の戦闘で一番の問題となっていたのは、射撃の……照準の精度だったのでは無いか。大和が当初期待されていた射撃精度を出せていたのは、艦橋、主砲射撃指揮所が無事だった最初のうちだけだった。予備主砲射撃指揮所は手際が悪すぎたのではないかな。
その点では副砲や高角砲によって行われた敵駆逐艦への阻止砲撃も同様の問題を抱えていたと言える。となれば、望むべきは射撃精度の向上となる。
これまで、戦艦主砲射撃に関しては主に主砲射撃指揮所における精度向上に主眼が置かれていたことは否めない。だが、残存性を考慮した場合、従来のやり方では不十分だったと言えるだろう。
今後は主砲射撃指揮所の機能を向上させるだけではなく、予備を含めた副砲や高角砲の射撃指揮能力すべてを向上させる必要があるのではないか。
すでに英海軍では電探射撃が主となっているが、昨今の技術発展からして電探の使用を前提に計算機能を強化し、発令所、測的所の機能を射撃指揮所に集約させることは出来ないだろうか。
この射撃指揮所を小型化して艦内の複数箇所に配置すれば、主砲でも高角砲でも同じ精度で射撃を管制することが出来るはずだ」
自説を滔々と話し続ける砲術参謀を、細谷大尉は半ば呆れながら見つめていた。もしかすると、参謀もどこか戦場の狂気に侵されていたのかもしれなかった。
だが、同時に細谷大尉は妙な説得力も感じていた。人間は成功した体験からは何も得ることはないらしい。そこには反省すべき点も、今後に活かす教訓もないからだ。
そうだとすれば、勝利とも敗北とも言い難いこの状況からはどのような経験が得られるのか、細谷大尉はぼんやりとそんな事を考え続けていた。
大和型戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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マッケンゼン級巡洋戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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ノースカロライナ級戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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