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1944バルト海海戦47

 本当の意味で大和の苦戦が始まったのは、艦橋への連続した被弾によって指揮系統が断絶してからだった。

 戦闘が終結した現在でも艦橋の応急作業が完全には完了していないなかった。それ程に損害は大きかったのだ。艦長など幹部の少なくない数も、艦橋に命中した敵弾によって戦死していた筈だった。



 だが、大和の基本的な戦闘能力は、本来であれば艦橋要員が機材と共に全滅したとしても、それで全てが損なわれるようなものではなかった。

 艦橋、特にその上部には大和固有の指揮機能に加えて主砲射撃に必要な機材が集中していたのだが、主砲の射撃に必要な方位盤や測距儀は、後部艦橋に設けられた後部主砲射撃指揮所にも備えられていたはずだった。

 主砲射撃に限らずに、戦闘、航行の継続に必要な重要な機材に関しては、戦闘時の損害に耐えるために複数の系統を備えるのが戦闘艦の設計に関する基本的な考え方だったからだ。


 だが、今回の戦闘では後部主砲射撃指揮所への権限移管作業に手間取っていた。まだ詳細は分からなかったが、情報の伝達に必要な艦内電話、伝声管の不通や錯綜があったらしい。あるいは、艦橋への被弾によって射撃指揮を後部射撃指揮所に命じる権限を持つものがいなくなっていたのではないか。

 大和そのものの指揮は、艦長が行方不明となった為に司令塔内にいた副長に移管されていたが、司令塔は応急作業の指揮系統が集約する箇所でもあった。

 その司令塔が相次ぐ被弾によって艦内各箇所で発生する応急作業に対応しなければならなかったこともあって、指揮権を受け継いだ副長も主砲射撃にまで十分意識する事は出来なかったようだった。



 大和の主砲が沈黙している間も、僚艦の仇とばかりに残る2隻の敵戦艦から放たれる射撃が集中していた。

 近距離にまで敵艦群に踏み込まれてしまった為に、舷側に配置されている大和の副砲も射撃を開始していたが、軽巡洋艦の主砲相当でしかない副砲ではいくら旧式艦でも敵戦艦の装甲を貫く事は出来なかった。


 後部主砲射撃指揮所が主砲射撃に関する権限を引き継いだ後も混戦は続いていた。艦橋上部の砲術長が配置されていた主砲射撃指揮所と比べると、測距儀などの機材の精度に劣る上に、それらを操作する将兵の練度も劣っているようだった。

 それ以前に、後部主砲射撃指揮所に配置された砲術士が萎縮してしまっていたという可能性もあった。新造艦とはいえ、大和の各砲台を指揮する砲台長は、戦力化の促進が強く図られていた為に、本土に残置されている旧式戦艦から強引に引き抜かれて転属してきたものばかりだった。


 主砲塔の中には兵から累進した特務士官が配属されていたものもあるのではないか。

 兵隊達から神様扱いを受ける特務士官は、制度としてはすでに消滅しており、通常の士官制度と変わらないとされていたのだが、実際には何十年もの海軍生活をくぐり抜けていた特務士官は、仮に階級が上であったとしても若手士官には扱い辛い存在だった。

 ただでさえ親子ほども年の離れた特務士官である砲台長に命令を下すのは、海軍兵学校を出て何年も経っていない砲術士には荷が重い任務だったのだろう。



 この頃は奇妙な事態が起きていた。主砲射撃がどこか混乱した精彩を欠くものであったのに対して、艦橋中部に配置されていた正規の副砲射撃指揮所が健在であった為か、一発辺りの威力どころか片舷側に指向可能な砲門数まで劣る副砲の方が敵戦艦に有効打を与えている感すらあった。

 修正射撃の連続で中々挟叉弾が得られなかった主砲射撃に対して、敵戦艦の装甲を貫通する力はないものの、副砲は次々と敵艦に命中弾を与えていたからだ。


 大和にとって最大の危機が訪れたのはその頃だった。ガングート級戦艦に手間取っている間に反対舷側から敵駆逐艦群が忍び寄っていたのだ。


 敵駆逐艦は1個駆逐隊程度の兵力だったが、これが一斉に雷撃を行えば戦艦でも無視出来なかった。確か日本海軍においても1個駆逐隊の一斉雷撃で敵戦艦1隻を無力化し得ると想定していた筈だった。

 しかも、敵駆逐艦は船型や各種艤装からすると米国製の新鋭艦である様だった。猛接近する敵駆逐艦群に対して副砲、高角砲による射撃が行われていたが、命中弾は少なく阻止は出来ていなかった。


 副砲射撃指揮所は敵戦艦への照準を担当していたために、反対舷から接近する敵駆逐艦群に対応することは出来なかった。

 そこで主砲同様に、後部艦橋に設置されている予備副砲射撃指揮所に駆逐艦に対する射撃が命じられていたのだが、照準の精度は低かった。それはこれまでの対地、対水上射撃においてほとんど出番の無かった高角砲射撃指揮所も同様だったようだ。


 細谷大尉だけではなく、指揮所に配置された将兵の多くは浮足立っていた。大和は激しい戦闘の渦中にあるというのに、情報の流入が途絶えた指揮所要員には緊張しながら待機する他にすることが無かったからだ。

 このように不利な状態が続けば狂乱状態に陥る将兵も出てきたのではないか。接近を阻止できなかった敵駆逐艦群が一斉に雷撃を行えば、それまで辛うじて均衡状態に持ち込んでいたとも言えるガングート級2隻との戦闘も、一気に破綻していた可能性が高かったからだ。



 だが、再び状況に大きな変化が訪れていた。敵駆逐艦群が接近してきたのとは反対方向にあるバルト海西方から、これまで連絡を絶っていた巡洋分艦隊が現れていたからだった。

 相次ぐ被弾によって対水上捜索用電探を喪失した大和からすると、巡洋分艦隊に配属された各艦は唐突に霧の中から現れたように思われていたようだ。


 巡洋分艦隊は重巡洋艦4隻と1個水雷戦隊からなる大兵力だった。これまでの戦闘では、予想以上の戦力が集中していたソ連艦隊に対して戦艦分艦隊単独では戦力比で不利であったのだが、これが一挙に逆転した結果になっていた。

 しかも、出現したのは巡洋分艦隊に配属された日本海軍の戦闘艦だけではなかった。状況は未だによく分からなかったが、英国艦隊と少数のドイツ艦まで随伴していたのだ。


 ただし、戦場に現れた巡洋分艦隊の戦術は稚拙なものだった。極端な事を言えば、我勝ちに突撃していただけではではないか。巡洋分艦隊を率いる角田少将は猛将として知られていたが、決して猪突猛進を絵に描いたような指揮官ではないはずだった。

 分艦隊旗艦に指定された鳥海の姿も見当たらなかったというから、何らかの事情があって角田少将が指揮をとれない事態に陥っていたのかもしれなかった。



 何れにせよ、苦戦していた大和にしてみれば巡洋分艦隊の乱入によって一息ついた形になっていた。


 それまでのガングート級戦艦及び駆逐艦群からの射撃を受けて、大和の上甲板上では、主砲発砲時の衝撃波でも吹き飛ばされずに燻り続ける火災が各所で上がっていた。だから一見すると大和の戦闘能力は大きく低下しているように思えたのではないか。

 大和に残された戦力を過小評価していたのか、ソ連海軍の標的は最後になって変更されていた。巡洋分艦隊の中でも早々と姿を表していたドイツ戦艦にソ連海軍の火力は集中していたのだ。



 砲撃を行うガングート級戦艦だけでは無かった。猛接近していた敵駆逐艦群も、大和を無視するようにそのすぐ脇を高速で通り抜けてしまっていた。

 だが、接近する駆逐艦群にも、ガングート級戦艦にも、不可解な事にドイツ戦艦は反撃しなかった。異様に動きが鈍いことから、そのドイツ戦艦は巡洋分艦隊が合流するまでの戦闘で損傷を負ったのではないか、そういう声も少なくないほどだった。

 駆逐艦群が最接近する頃にはドイツ戦艦も射撃を開始していたが、それはあまりに遅すぎていた。結局、敵駆逐艦群は大和によるものを加えると離脱までに戦力が半減するほどの損害を被っていたが、その被害に見合うだけの戦果はあげたと言っても良かったのではないか。


 敵駆逐艦群による雷撃は、すれ違いざまの辻斬りのような鮮やかな一撃だった。旗艦と思われる艦を先頭とした一群は、反撃を恐れずに舷を接するまでにドイツ戦艦に接近していた。

 次々と放たれる魚雷は避けようもなかった。それ以前にドイツ戦艦の乗員たちは、ガングート級戦艦からの砲撃で周囲を確認する余裕も無かった可能性もあった。

 わずかに遅れてドイツ戦艦の舷側に次々と巨大な水柱が上がっていた。複数の魚雷が命中したドイツ戦艦は、早くも傾斜を始めようとしていたが、ソ連海軍がそれを喜んでいられたのは僅かな間のことでしか無かった。



 ガングート級戦艦が射撃目標をドイツ戦艦に向けていた間に、大和の主砲射撃も停止していた。もちろん交戦を諦めたわけではなかった。

 指揮所に籠もっていた細谷大尉には事情はよく分からなかったが、各砲塔と予備射撃指揮所との間でかなりのやり取りがあったらしい。もしかすると応援の人員が射撃指揮所に駆けつけていたのかもしれない。

 いずれにせよ、再開した主砲射撃はこれまでとは精度が異なっていた。再開後初の射撃で、大和は早くも挟叉弾を得ていたのだ。


 ガングート級戦艦も射撃目標を大和に戻そうとしていた。生き延びた艦橋の見張り員によれば敵艦の主砲塔が旋回する様子が伺えていたらしい。しかし、実際にはガングート級戦艦が発砲することは無かった。敵戦艦2番艦が発砲するよりも早く大和の主砲弾が命中していたからだ。

 命中弾は、敵戦艦の主砲塔を直撃していたらしい。大和の主砲威力に関しては正確なことは分からなかったが、改装工事などで多少強化されていたとしても、基本的には前時代の12インチ級砲に対応する程度でしかないガングート級戦艦の装甲など容易に貫通出来たのではないか。



 敵戦艦でも最も分厚く配置されていると思われる主砲塔前面の装甲板に対して、大和主砲弾がどのように作用したのか、それを正確に把握するのは難しそうだった。大和主砲弾が命中した直後に敵戦艦が沈没していたからだ。

 状況からすると、敵戦艦の主砲塔に命中した砲弾は、一瞬の間に砲塔前面装甲を貫いて内部に突入していったはずだった。予想されるガングート級戦艦の主砲塔の装甲厚からすると、余裕を持って装甲を貫通した砲弾は、ほぼ原形を保ったまま完全な形で起爆したのではないか。


 しかも、敵戦艦にすれば不運な事に、彼らは射撃目標を切り替えるところだった。照準の変更には手間取っていたのだろうが、主砲弾の装填作業は完了していた筈だった。

 あるいは、命中弾を受けた砲塔を操作するソ連海軍の将兵たちは、その時間を利用して次弾の給弾作業まで進めていたのかもしれなかった。直後の大爆発からすると、ガングート級戦艦は一瞬の内に主砲弾薬庫にまで誘爆を発生させていたとしか思えなかったからだ。



 錯綜していた情報を集約すると、最初に戦場から離脱していったガングート級戦艦の1番艦も主砲塔が破壊されていたらしいが、その艦は這々の体ながらも航行は出来たということは、弾薬庫への引火という最悪の事態は免れたのだろう。

 先の欧州大戦時に、主砲の発射速度を重要視していた英国海軍は、弾薬庫に通じる防火扉を開放しながら次弾の準備を行っていた所に被弾して主力艦の喪失を招いたという苦い戦訓を得ていた。

 ガングート級戦艦も交戦当初は正規の手法を用いていたものの、速射を試みたばかりに欧州大戦時の英国海軍と同じ失敗を犯したのではないか。


 いずれにせよ、敵2番艦を撃沈した大和は次の矛先を最後に残された3番艦に向けていた。

 今度も同じことが繰り返されていた。あるいは、既に敵3番艦は副砲の連続射撃によって痛手を負っていたのかもしれなかった。

 敵戦艦は、3度の斉射を受けて沈んでいた。その間に反撃によって大和にも傷を負わせていたが、到底致命傷とはなり得なかった。むしろ敵艦の乗員からすれば、大和は傷を負っても追撃の手を緩めない手負いの獣のようにも見えたのではないか。


 3番艦の最後は2番艦ほど劇的なものでは無かった。垂直装甲をいくつもの直撃弾によって食い破られた最後のガングート級戦艦は、艦内重要区画への浸水によって側転しながら沈んでいったのだ。

 傾斜が激しくなって装填作業すら不可能になっていたのか、戦闘の最後は主砲射撃は停止していたものの、高角砲などは砲側に予備弾でも持ち込んでいたのか、上甲板が波で洗うようになるまで射撃を続けていた。

 敵3番艦が何故撤退しなかったのかはよく分からなかった。旗艦が先に撤退してしまった事で指揮系統が途絶えて適切な判断が出来なくなっていたのかも知れなかった。



 ガングート級戦艦3隻全てを撃沈破したにも関わらず、大和艦内には勝利に浸る様な余裕は無かった。次々と巡洋分艦隊が突入してくる中で、自らも大きな損害を被った大和は応急工作に明け暮れていた。

大和型戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/bbyamato.html

高雄型重巡洋艦鳥海の設定は、下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cachokai1943.html

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