1944バルト海海戦43
石井一飛曹は、注意深く唐突に現れたソ連の新型機を観察していた。
それは巨大な機体だった。一飛曹自身が乗り込んでいる零式艦上戦闘機44型と比べると一回りは大きいのではないか。これまで確認されていたF2A艦上戦闘機は零戦よりも小型なほどだったから、見分けは簡単だった。
全体的な印象はさほど従来の米海軍の艦上戦闘機と変わらなかった。
もっとも、F2Aはビア樽のように醜く膨らんだ空気抵抗の大きそうな胴体に無造作に差し込んだような主翼が胴体中央部から比較的短く伸びていたが、目の前の機体は胴体の太ましさは変わらないものの、全長が引き伸ばされたことで精悍さは増している様な気がしていた。
戦闘機であることも間違いなさそうだった。視界を優先したのか風防は比較的大きなものだったが、明らかに操縦席は単座だった。
その機体は、日本海軍の新鋭機である四四式艦上戦闘機と比べても大柄な機体と見えていた。
四四式艦上戦闘機は、翼端しか折りたたまれ無かった零式艦上戦闘機とは異なり、狭い空母の格納庫に収めるために主翼は中央部近くの外翼から折りたたむ事が可能だった。
この大胆な折り畳み機構の改善によって、機体が大型化したにも関わらず四四式艦上戦闘機と零式艦上戦闘機との間に単純な格納庫の専有面積だけを取れば大きな差は無かった。
むしろ、主翼折りたたみ後の形状から、格納方式に関する研究が進めば、四四式艦上戦闘機の方が有利なのではないかという話もあるらしい。
だが、四四式艦上戦闘機の主翼折り畳み部の拡大は、この方面では進んでいるという米軍機を参考にしたという話も同時に聞いていた。裏を返せば、米軍機にはさらなる専有面積縮小の手はないのではないか。
つまり、純粋に大型化した分だけ搭載機数は減少するはずだった。この艦上戦闘機を純粋な空母よりも航空運用能力に制限があるだろうソ連海軍の航空巡洋艦の搭載機とするのは苦労するのではないか。
もっとも、ソ連海軍がその程度のことも理解できないとは思えなかった。
米海軍にはF2A以外にも戦闘機があった。FL-1エアラボニータだった。
米陸軍が本土防空用に開発した迎撃戦闘機であるP-39を原型とした機体で、F2Aと原型機の初飛行は同時期だったが、性能はFL-1の方が格上だという情報が日本海軍にも入っていた。
だが、これまでソ連海軍が投入してきた艦上戦闘機はF2AばかりでFL-1は確認されていなかった。おそらく馴染みのある米国製戦闘機でもソ連海軍はFL-1は導入しなかったのだろう。
原型機であるP-39と同じく、FL-1も航続距離を犠牲に上昇能力や高高度飛行能力を得た迎撃機よりの機体だという話もあったが、実際には性能の向上がさほど見られなかったからではないか。
米海軍と比べるとソ連海軍の航空隊の規模は小さいだろうから、性能に大した差がないのであれば導入する必要性が薄かったのだろう。
そのソ連海軍がこの新型機を導入したということは、F2Aから飛躍的な性能の向上が見られたということではないか。
―――カーチスの新型艦上戦闘機、F14とか言ったか……
石井一飛曹は新型機の正体に当たりをつけていた。
ソ連よりとはいえ、米国は今次大戦においても中立を保っていた。防諜体制に関しても参戦国と比べると大分緩やからしく、航空雑誌などには米国製の新型機に関する翻訳記事も少なくなかった。
下手をすると、同盟国どころか日本製の新型機よりも米国機の方がよほど正確な情報が得られることもあった。
飛鷹操縦員控室の片隅に置かれていた航空雑誌は、英国本土で他の隊員が買い込んだものだった。それによるとF2AどころかFL-1の性能にも不満足だった米海軍は大分前から新型機の開発に乗り込んでいたらしい。
もっとも、開発時期で言えば四四式艦上戦闘機も同じ様なものであるはずだった。正確なことは分からないが、零式艦上戦闘機の就役開始から程なくして開発計画は開始されていたのではないか。おそらく米海軍でも事情は左程変わらないはずだった。
もっとも石井一飛曹は英語はそれほど得意ではないから、その航空雑誌も斜め読みしただけだった。大出力エンジンと排気過給器を搭載した大型戦闘機ということだけは覚えていた。
旋回を切り上げながら石井一飛曹は眉をしかめていた。新たな編隊の針路はF14編隊にまっすぐに向けられていた。
厄介な相手だった。列機搭乗員の言葉は正しかった。旋回の途中で視野角が変わったせいか、石井一飛曹も大柄な敵機の両主翼下に爆弾らしきものが搭載されているのを目撃していたのだ。
主翼に搭載されてるのが爆弾ではなく単なる増槽である可能性は残されているが、その場合は空気抵抗の増大にも関わらず増槽を投棄していない事になるから、ソ連海軍に配備された新型機が恐るべき性能を発揮する事実には変わりはないだろう。
対艦攻撃用の爆弾を搭載するには、両翼という配置は一見不条理なものに思えた。重心近くの胴体中央部に懸架すればより大重量の爆弾が搭載できるからだ。
だが、石井一飛曹が見た航空雑誌の記事によれば、F14は大馬力のエンジンを加給するのに排気を利用した過給器を設けていた。エンジンの軸出力の一部を取り出す機械式ではなく排気式の過給器をとったのは、P-39と同じく高高度における飛行能力を維持するためではないか。
しかし、この排気過給器は公開されていた写真からすると、胴体下部にまとめて搭載されているようだった。おそらく過給器本体だけではなく中間冷却器や空気取り入れ口なども設けられていたのではないか。つまり胴体下部は過給器本体や関連機器でふさがっているはずだったのだ。
少なくとも、いくら機体重心に近かったとしても、空気取入口や排気口の真下には爆弾や精密機器でもある航空魚雷を搭載するのは難しいのではないか。
最も、F14が主翼下に爆弾を抱えた理由はそれだけではないのだろう。大胆な折り畳み機構を備えながらも、最近の艦上機はいずれも機体構造の強化が図られていた。
巨大な出力を発生させる大馬力エンジンを備えている上に、最近では機体に負荷のかかる射出機を使用するのが常態化していたからだ。
F14も米国製らしい頑丈な機体なのではないか。それに大出力エンジンが生み出す搭載量を考慮すれば、主翼下にそれぞれ搭載される爆弾が従来の艦爆が装備していたものに匹敵していてもおかしくは無かった。
全体的に見て、F14は零式艦上戦闘機のような繊細さは持ち合わせていないが、力任せに掛かられればたちまち一方的にこちらが投げ捨てられそうな剣呑さを有していた。
何ということは無かった。これは零式艦上戦闘機と日本海軍の新鋭戦闘機である四四式艦上戦闘機との関係に等しいのではないか。
四四式艦上戦闘機と比べるとF14の主翼は短く、水平方向の機動力には劣りそうだったが、その分空気抵抗は減少するから最高速度では有利なのではないか。少なくとも両機が戦った場合はどちらかが一方的に勝利を収めるということはないだろう。
そのような世代の違う機体に零式艦上戦闘機でどう立ち向かえばいいのか、石井一飛曹は頭を悩ませていた。
旋回から加速に移った零式艦上戦闘機の操縦席の中で、石井一飛曹は眉をしかめたまま計器板と敵機の様子を交互に見つめていた。零式艦上戦闘機44型が搭載するマーリンエンジンはすでに最大出力を発揮していた。少なくとも回転計は上昇をやめて諸元上の最大値近くで細かに揺れ動くばかりになっていた。
潤滑油温度もじりじりと上昇を示していた。過熱で制限が掛かるにはまだ程遠いが、それまでにF14に追いつけるかどうかは分からなかった。
まだF14までは距離があった。増槽も爆弾も搭載していない上に僅かに降下もしていたから、石井一飛曹が乗り込む零式艦上戦闘機の速度は高かった。
流石に爆装時には空気抵抗が大き過ぎるのか、次第にF14に追いつきつつあるようだが、それでも距離はなかなか縮まろうとしなかった。
それだけでは無かった。石井一飛曹達に気がついたのか、F14の編隊は海面近くにまで高度を落としていた。後方から見ると、プロペラ後流によって巻き上げられた白波が航跡のようにF14の後に続くようになっていた。
F14に乗り込むソ連海軍搭乗員の練度はかなり高いようだった。新鋭機を与えられるのに特に選抜されたのか、海面近くを高速で飛行しているにも関わらず飛行姿勢は安定していた。
状況は更に悪化していた。海面近くを飛行する事でF14の速度は落ちていたが、まだ容易には追いつきそうも無かった。追いついた所で射撃を行うには、零式艦上戦闘機を降下させながら引き金を引く必要があるから、命中率どころか海面に突っ込む危険性を考慮しなければならない筈だった。
考えに詰まって石井一飛曹は一縷の望みを抱きながら顔を上げていた。すでに船団が目視できる距離にまで接近していた。駆逐隊を引き連れた第4航空戦隊は船団後方に取り残されている形になってしまっていたが、船団には石狩型軽巡洋艦2隻が直掩として随伴していた。
新鋭の米代型などには劣るにしても6基の長10センチ砲を持つ石狩、十勝の2隻であれば怪物のようなF14でも阻止できるのではないか。
だが、すぐに石井一飛曹は暗然たる表情になっていた。
第4航空戦隊が分離した時と比べても、輸送船団は不揃いな形になっていた。元々、この輸送船団はドイツ国内にあってゴーテンハーフェンまで往復可能な大型船をかき集めた雑多なものに過ぎなかったが、今は一つの船団と言い切るのも迷う程にばらけていた。
状況からして、船団の解散が命じられたとは思えなかった。単に航空攻撃を避ける為に船団の航行速度を上げた所で、必要以上に速度を上げた優等船と鈍足の旧式船とで差が生じてしまったのでは無いか。
危険な状況だった。これでは援護や輸送船自身の対空砲火も分散するから、船団の被害は免れないのではないか。
石井一飛曹達が見落とした敵機でもあったのか、既に石狩型によるものと思われる集中した対空射撃は開始されていたが、その砲火はF14と石井一飛曹達の編隊がとる針路と大きくずれていた。
輸送船自身が装備するまばらな対空砲火はさして有効とは思われなかった。徴用された輸送船は、日本の戦時標準規格船の様に計画当初から追加される対空兵装の装備位置などを考慮されたものではないし、当然対空射撃の管制を行う高射装置も無かったからだ。
これでは単なる景気づけ程度の役にしかたっていないのではないか。
しかも、狙われている輸送船の方は、急接近するF14の存在にまだ気がついてもいないかもしれなかった。F14が高度を落としたのは、追跡する石井一飛曹達の射撃を無力化すると共にもう一つ理由がある筈だったからだ。
手段が目視によるか電探による捜索かに依らず、目標が水平線の下に隠れてしまえば、発見は不可能だった。物理的に見えないものはどうやっても見えないのだ。
目視による見張りの際は、実用的な索敵範囲に限りがあったから、さほどこのような問題が議論されることは無かったが、電探によって高高度を飛行する物体を長距離から探索出来るようになると、これを欺瞞する方法の一つとして低空侵入が考えられるようになっていた。
日本陸軍の重爆撃機隊などは、厳重に防護された敵航空基地の殲滅が主任務である為か、電探欺瞞紙の散布や電波妨害、多方向からの同時侵入などと並んで敵基地付近で電探の覆域から逃れるために第一波は低空飛行で最初の既存の電探を狙うことが多いらしい。
2隻の石狩型軽巡洋艦はともかく、徴用されたドイツ商船が高度な電探を装備しているとは思えなかった。このままでは死角から接近する敵機に容易に攻撃されてしまうのではないか。
この方角からの侵入では石狩型も初期対応が可能とは思えなかった。少なくとも船団後方に取り残されつつある何隻かの脱落船が爆撃を受けるのは避けられそうもなかった。
だが、石井一飛曹はふと船団の様子に違和感を覚えていた。何かあり得ないものを見たような気がしてたのだが、違和感の正体に気がつくよりも早く航空無線にがなりたてるような声が聞こえていた。
あるべき無線の符丁も無いし、これまで聞いたこともない声だった。ソ連軍の謀略電ではないか、咄嗟にそう考えながら無線機の切断釦に伸びていた石井一飛曹の手が止まっていた。無線の相手が、上空の編隊に向けて気になることを言っていたからだ
―――上空の機体は退避せよ、だと……
嫌な予感がして石井一飛曹は顔を上げていた。
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