1944バルト海海戦41
第1航空艦隊は、日本海軍が欧州に派遣した戦力の内、船団護衛部隊などを除いた一線部隊を集中した有力な部隊だった。その規模は大きく、地中海戦線における国際連盟軍海軍部隊の主力とも言える部隊だった。
その第1航空艦隊司令部にとって、隼鷹型2隻からなる第4航空戦隊の配属は困惑する事態のようだった。というよりも他の航空戦隊と比べて著しく搭載機などの構成が異なる第4航空戦隊を使いあぐねていたのではないか。
急遽かき集められた水冷エンジン搭載機で搭載機が固められていた上に、正規の軍艦籍に編入されたとは言え、元々商船を徴用した特設艦であった隼鷹型は、他の正規空母と比べて速力や操舵性の特性などの違いが大きいから、他の航空戦隊と揃って艦隊行動を行うのは難しかった。
艦上戦闘機の搭載比率を上げていたのは他の航空戦隊も同じ様なものだったが、地中海戦線において第4航空戦隊は他隊が上陸戦闘支援の対地攻撃を実施している間も防空戦闘に終始していた。
しかも、その頃になると戦力の枯渇したドイツ空軍が初期のように大規模な攻勢に出ることは殆ど無くなっており、艦隊の行動を阻止するというよりも、妨害程度を行うに過ぎない散発的な襲撃があるだけとなっており、第4航空戦隊は無聊をかこつばかりとなっていたのだ。
有力なドイツ空軍から艦隊の防空任務を行うために行われた戦闘機隊の偏重だったのだが、皮肉なことにそれが実現する頃にはその脅威は殆ど収まっていた。
ドイツ空軍は、防空や国際連盟軍地上部隊の爆撃で手一杯のようで、外洋を自在に機動する艦隊を捕捉して大規模な攻撃隊を送り込むような余裕はなくなっていたのだ。
ローマへの進攻が行われたからしばらくは、英国海軍の部隊が襲われたという誘導爆弾を警戒していた時期もあったが、実際にはその後は特異な攻撃が繰り返されることは少なかった。
ローマ沖では、ドイツ空軍の重爆撃機から投下された異様に命中率の高い爆弾によって短時間の内に空母を含む大型艦が沈められていた。
だが、その種の襲撃が連続して行われることは無かった。誘導爆弾の使用には特殊な機体や訓練を受けた要員が必要であるらしく、ドイツ空軍でも数が揃っていなかったようだった。
何れにせよ最後まで控えとして防空任務に専念していた第4航空戦隊は徒労に終わっていた。
そして地中海戦線がドイツとの講和による実質的な国際連盟軍の勝利という形で終わった後も、第4航空戦隊の冷遇は続いていた。バルト海に送り込まれている航空戦隊が同隊だけなのを見てもそれは明らかだった。
地中海から英国本土に主力を移動した第1航空艦隊は、大規模な再編成期間に入っていた。
これから先、この戦争はどうなっていくかは誰にも分からなかった。ドイツを含む枢軸各国との戦闘は終了していたものの、ドイツの向こう側ではソ連との戦闘が続いていた。
バルト海での行動は難民支援というお題目が立てられていたが、それが建前に過ぎないことは誰の目にも明白だった。仮にドイツが敗北すれば、国際連盟加盟国と相容れない政治体制を持つソ連が欧州諸国と国境を接する事になってしまうからだ。
それに、強大なソ連軍がドイツを下しても、余勢を駆ってその戦力を大西洋に達するまで西進し続ける可能性すらあるのではないか。
第1航空艦隊は、その様な最悪の事態をも考慮して戦力の再編に取り組んでいるらしい。つまりある程度の戦力を保持したままでドイツを残すために独ソ戦に介入しようというのだ。
もっとも、単に地中海での激戦を終えて英国本土で羽根を伸ばしている将兵も少なくなかった。すでに輸送船団を襲撃するドイツ潜水艦隊の悪夢のような脅威は過ぎ去っていた。
未だに英国本土では貧窮生活が続いてた。ドイツ海軍の通商破壊作戦によって輸送量が激減していたからだ。生活物資は不足し配給体制も終わりを見せなかったが、それでも英国市民の間には対独戦の勝利を祝う雰囲気が漂っているらしい。
地中海で活躍した第1航空艦隊の将兵たちもその雰囲気を十分に味わっていた。本土に住む英国人は人種差別が露骨だというが、勝利を運んできた兵士たちはその例外であるのか、英国の街角で市民に歓迎されて笑みを浮かべる休暇中らしい日本軍の将兵を写した写真が新聞に載せられていた。
英国本土で休息をとっているのは将兵だけではなかった。地中海での戦闘で酷使された艦艇も集中的な整備や戦訓を受けた改装を受けていた。航空部隊に関しては、新型機への機種転換も行われていた。特に戦闘機隊はそれが顕著だった。
戦闘機隊に新たに配備されたのは、各種派生型によって長く使用されていた零式艦上戦闘機に変わる新型機だった。
初期型に比べると零式艦戦も33型や44型では大きく性能が向上していたが、新たに配備された四四式艦上戦闘機は2千馬力を大きく越える大出力エンジンで頑丈な機体を振り回す重戦闘機よりの機体であるらしい。
新型機を装備するのは機種転換する空母部隊だけではなかった。この時期、海軍だけではなく陸軍を含む日本軍の航空部隊は、機動的な運用を行うために基地や母艦と航空部隊の所属を分ける空地分離方式をとっていた。
これを利用して、四四式艦上戦闘機の生産開始直後から本土で練成を行っていた部隊が、新たに航空戦隊に配属されることもあるらしい。機種転換訓練を行う間の戦力の空白を避けるのが目的であるようだった。
母艦から降ろされた戦闘機隊は一旦基地隊とされた上で時間をかけて新型機への機種転換を行っているようだ。
だが、それが可能であるならば、唯一バルト海に派遣される事になった隼鷹型にも新型の四四式艦上戦闘機を搭載しても良かったのではないか。地中海に始めて投入された時期からずっと飛鷹に乗り続けている石井一飛曹はそう考えていた。
もちろん、実際にはそれは容易ではなかった。大出力エンジンを搭載した四四式艦上戦闘機は艦攻並みの大型機だった。
正規空母とはいえ現在では中型空母に過ぎない蒼龍型でも扱いには苦労しているというから、隼鷹型に急に搭載したとしてもこれに対応するためには艤装品の交換や予備品の総積替えが必要になるのではないか。
バルト海への派遣は急遽決められたというから、第4航空戦隊にその様な装備転換を行う様な余裕は無かったはずだ。
その程度のことは石井一飛曹も理解はしているのだが、苛立たしいことに実際には第4航空戦隊に配属されている航空隊は直前になって再編成が行われていた。
その内容は装備機種の変換を含む大規模なものだったのだが、四四式艦上戦闘機など新鋭機の配属を意味するものではなかった。
第4航空戦隊に新たに配属されたのは、二式艦上哨戒機だった。これまで正規空母でも若干機が対潜警戒用に搭載される例はあったのだが、組織的な対潜戦闘を前提としているらしく第4航空戦隊に配属された数は多かった。
艦上機としては大柄な双発機である二式艦上哨戒機が一気に中隊単位で移動してきたものだから、搭乗員に加えて整備員や予備品の受け入れなどで飛鷹も隼鷹も艦内は大騒ぎになっていた。
混乱しているのは新たに乗り込んできた搭乗員達も同じだった。落ち着いてから話を聞いてみると、彼らは船団護衛部隊に所属する海防空母に配属されていた航空隊から引き抜かれてきたようだった。
原隊はいくつか別れていたから、ソ連海軍潜水艦隊の行動が予想されるバルト海に急遽投入されることとなった第4航空戦隊に転属させるために、あちらこちらの船団護衛部隊から抽出されてきたらしい。
ドイツとの講和が現実化したことで船団護衛部隊には余裕が出来ていたからでもあるのだろう。
だが、二式艦上哨戒機の配属は、打撃力だけを見れば第4航空戦隊にとって大幅な戦力の低下を招いていた。大柄な同機を搭載するために、それ以上の数の艦爆や艦攻が搭乗員ごと降ろされていたからだ。
それだけではなかった。急遽乗り込んできた艦上哨戒機の搭乗員や整備員と、飛鷹固有の乗員たちとの間には目には見えない壁があるように石井一飛曹達には感じられていた。
一時は船団護衛部隊に配属されていた隼鷹型は、改装工事による発着艦能力の向上によって第1航空艦隊配属の一線級空母として認められた。それが隼鷹型乗員の考えだった。
裏を返せば、重要な任務とは分かっていても船団護衛部隊を最前線に投入される航空艦隊よりも格下と考えていたのではないか。
ところが、急遽かき集められたとはいえ、一線級の機体で構成された石井一飛曹達の航空隊を載せていた筈の第4航空戦隊に、再び船団護衛部隊から哨戒機が転属してきたものだから、どことなく彼らを侮るような雰囲気となってしまったのだろう。
そして、艦上哨戒機の搭乗員達もその様な雰囲気を敏感に察していたのではないか。
腹立たしいことは更に続いていた。バルト海に投入される直前になって、第20航空戦隊まで航空分艦隊に配属されてきたのだが、同戦隊は海防空母で編成された対潜部隊であるにも関わらず、その旗艦である岩国には新型の四四式艦上戦闘機が載せられていたのだ。
艦上哨戒機が集中配備されているとはいえ、第20航空戦隊は船団護衛に専任する部隊ではなかった。ドイツ海軍潜水艦隊の行動が停止したことで余力が出てきたという事情は同じだったが、第20航空戦隊は元々欧州近海で攻勢的な対潜作戦を行う部隊であったらしい。
西欧を征したドイツは、フランス西部地域を直轄の占領地域として潜水艦隊の大規模な基地を設けていた。英国本土近くの北海を通過しなければ外洋に出撃できないドイツ本国とは異なり、ビスケー湾からであれば直接英国本土に向かう航路が集中する大西洋に接することができるからだ。
英国本土からは一式陸攻などを改装した長距離哨戒機が発進していたが、船団護衛部隊の充実で余裕の出ていた海防空母の何隻かは専属の護衛駆逐艦をつけられてビスケー湾沖合で組織的な潜水艦狩りを実施していた。
今回の作戦までに海防空母岩国が新鋭の四四式艦上戦闘機を搭載したのは、小型で速力に劣る海防空母でも大柄な新型艦上戦闘機を運用できるかどうかの試験を兼ねていた。
だが、それ以前から攻勢的な対潜作戦を実施するために積極的に敵制空権内に踏み込んでいくこともあり得るから、船団護衛部隊に比べれば第20航空戦隊は艦上戦闘機の搭載比率が高めであったし、海防空母3隻という贅沢な編制をとっていたようだ。
第4航空戦隊の搭乗員達からは、いち早く四四式艦戦を受領した第20航空戦隊を羨む声が多かったが、今の石井一飛曹は操縦桿を操作する一方で異なることを考えていた。
―――この状況では戦闘機の多少の性能差よりも、数がものを言うのではないか。
そのようなことを石井一飛曹は考えていたのだ。
航空分艦隊本隊は、先発する輸送船団の直掩についていたのだが、執拗に輸送船を狙うソ連機の数は多かった。
もっとも、敵艦隊迎撃に向かった戦艦分艦隊から空襲を警戒する通告が来た直後は、石井一飛曹達に危機感はあまりなかった。
脱出する避難民の人数としては、先発する輸送船団に乗り込んだ人数よりも、ゴーテンハーフェンで乗船を待っている住民の方が多いと聞いていたからだ。より多くの損害をソ連機が望むのであれば、逃げ場のないゴーテンハーフェンを襲撃する方を選択するのではないか
それに、ゴーテンハーフェンに残された航空戦力は第20航空戦隊だけだった。
搭載機の性能には差があるものの、少なくとも外見は正規空母と差異のない隼鷹型で編制された第4航空戦隊よりも、商船の設計を流用した海防空母とひ弱そうな松型駆逐艦を組み合わせた第20航空戦隊の方が与し易いとソ連軍機も判断するのではないか。
実際には、その様な考えは根拠がなかった。隼鷹型の性能に対する過信と第20航空戦隊への屈折した感情がその様な楽観論を生み出しただけとも言えた。
その様な楽観論はありえないということは、考えてみればすぐにわかることだった。というよりも、ソ連側から見たときの視点をあまりに軽視していたのだ。
簡単なことだった。ソ連機の搭乗員からすれば、ゴーテンハーフェンと先発した船団、どちらに避難民が多いかなどわかるはずも無かったのだ。
それ以前に、彼らは目の前に現れた船団を反射的に襲撃してきただけなのではないか、次々と現れるソ連機に対処しながら石井一飛曹はそう考えるようになっていた。
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