1944バルト海海戦38
戦況は混乱していた。石井一飛曹は次々と現れるソ連機を激しい機動を繰り返す愛機の零式艦上戦闘機44型の操縦席から睨みつけていた。
ソ連機の性能は日本軍機と比べると一段劣っていた。機種はTBDデバステーター艦上攻撃機及びF2Aバッファロー艦上戦闘機であるようだったが、この米国製の2機種はいずれも旧式化していた。
どちらも制式化されたのは開戦前のはずだった。石井一飛曹自身が乗り込む零式艦上戦闘機とは制式年度で言えばわずか数年ほどしか離れてはいないが、零式艦戦が初期型から戦訓を受けて逐次改良が施されていたのに対して、米国製の2機種はいずれも戦間期に想定された性能のままであるようだった。
少なくともエンジンの換装や機体構造の見直しといった大規模な改良は行われていないようだ。
開戦以来、正式参戦前の義勇兵派遣や友好国への輸出という形を含めて日本海軍機は絶え間なく前線に投入されて性能を磨き上げられてきたが、ソ連海軍や米海軍は実戦を経験する機会はなかった。
ソ連の赤色空軍はドイツ軍と激しい航空戦を繰り広げていたはずだが、地上基地から運用する空軍機と海軍機を戦時中に同時並行で新規開発するほどの余裕は、泥沼の消耗戦に巻き込まれたソ連軍には無かったのかもしれない。
あるいは、単純に新鋭機の輸出を米国が渋っているのかもしれなかった。
だが、石井一飛曹が所属する第4航空戦隊はその旧式機の襲撃を防ぐので精一杯の状況だった。理由は明らかだった。艦隊防空戦闘に使用できる艦上戦闘機の機数が少なすぎるのだ。
バルト海に投入された航空分艦隊は、第4航空戦隊を除く航空戦隊を本土に残置して戦力を激減させていた。海防空母で構成された第20航空戦隊の配属を受けていたが、同戦隊に配備された浦賀型海防空母は新鋭艦とはいえ船団護衛用の鈍足艦でしか無かった。
それに第20航空戦隊は、現在航空分艦隊の直接指揮を離れていた。ソ連艦隊の襲撃から損害を受ける危険性を分散させるために、栗田中将がゴーテンハーフェンからドイツ本国に向かう輸送船団を分割することを決断していたからだ。
航空分艦隊本隊は、すでにゴーテンハーフェンで乗船を完了していた輸送船のみで構成された先発隊を引き連れてバルト海を西進していたが、空母隼鷹、飛鷹と直属の駆逐隊で構成された第4航空戦隊に随伴しているのは石狩型軽巡洋艦2隻からなる第16戦隊のみだった。
石狩型軽巡洋艦は、10年近く前の軍縮条約改定に伴って建造された軽巡洋艦だった。
日本海軍だけではなく、当時の各国海軍の「軽巡洋艦」には2種類あった。
駆逐隊を率いる、実質的に嚮導駆逐艦とも言える小型巡洋艦と、軍縮条約規定一杯まで高性能化した大型軽巡洋艦だった。軍縮条約の規定においては、軽巡洋艦と重巡洋艦の差は備砲口径しかなかった。各国で建造された大型軽巡洋艦は、この規定に則って重巡洋艦並みの戦力を期待されたものだといえた。
だが、条約型としては最後発に当たる石狩型軽巡洋艦はそのどちらにも属さなかった。英国海軍のダイドー級軽巡洋艦などと同じく、石狩型は防空用途で建造された艦艇の第1世代であったからだ。
軍縮条約の軽巡洋艦規定では備砲を6.1インチ、つまり155ミリ以下と定めていた。日本海軍の大型軽巡洋艦である最上型軽巡洋艦などもその備砲は15.5センチ砲とされていた。
水上戦闘能力を考慮すれば、中途半端な小口径砲を多数備えるよりも、射撃指揮が可能な程度の数で許される最大口径の火砲を備えたほうが格段に有利だからだ。
ところが、石狩型に備えられた主砲は、当時の駆逐艦主砲であった三年式12.7センチ砲にも劣る10センチ砲でしか無かった。
主砲の搭載数は6基12門と並みの駆逐艦を凌駕していたが、雷装は施されなかったから仮に正面から大型の艦隊型駆逐艦と戦闘を行えば軽巡洋艦である石狩型の方が格段に不利となるのではないか。
ただし、石狩型と平行するように新規に開発されていた10センチ砲は、従来よりも格段に長砲身の高角砲だった。
長10センチ砲とも呼ばれるこの砲の開発段階で優先されたのは、初速の増強にあった。長砲身化もその為であったし、従来の主力艦載対空砲である八九式12.7センチ高角砲から危害半径の縮小を意味する小口径化が認められたのも、高初速を実現するのと引き換えという認識があったからだ。
日本海軍が高角砲に高初速化を求めたのは、脅威となる航空機の著しい高速化を受けてのことだった。先の欧州大戦では時速200キロも出せば十分に高速戦闘機と呼ばれていたものが、僅か20年で軍用機の最高速度は倍にまで達していたのだ。
将来さらに高速の航空機が出現することを予想した日本海軍は、これに対抗するために高初速砲を求めていた。
先の大戦において航空機が戦場に出現するようになってから今日まで、対空射撃は個々の機体そのものを狙って行うものでは無かった。高速かつ3次元に機動する航空機を狙い撃つことなど到底不可能だからだ。
その為に、対空射撃は実際にはその航空機が存在するであろう空間を狙って行うものとなっていた。これが機銃であればその空間に弾幕を張ることになるし、高角砲の場合は砲弾が炸裂して破片からなる危害半径でその空間が埋めつくされるように時限信管を調整されるのだ。
あとは弾片に航空機が絡め取られるかどうかは、確率論ということになる。
しかし、航空機の高速化はそのような対空射撃も困難なものとさせていた。狙い撃つ空間そのもの、つまり測距と測高が正しく照準されていたとしても、高角砲弾が低速であれば、高速の航空機が通過した後方で虚しく起爆するだけとなってしまう筈だった。
それに航空機側も対空射撃を察知すれば素早く回避することも可能だった。低初速砲では、航空機が回避した後に着弾するから、やはり射撃は無効化されてしまうことになる。
長10センチ砲が高初速を狙った理由はここにあった。高初速ということは、照準をつけた空間にいち早く砲弾を送り込めるという事になるからだ。
つまりは、仮に回避行動を行おうとしても、いち早く敵機の前方で榴弾の破片円を構成してその網で絡め取ろうというのだ。
小口径弾ということは、榴弾の炸薬量が減少するために、その網目の荒さとなる危害半径も縮小するという事になるのだが、破片群を照準した空間と時間に構築出来なければ、そもそも敵機に損害を与える事は出来なかった。
それに小口径弾の方が発射速度も高くなる筈だから、危害半径の縮小は手数の多さで対応するつもりだったのだろう。ざるの網目が粗いのであれば、いくつものざるを同時に広げようというのだ。
小口径故に砲弾も軽くなることから、高い発射速度を長時間維持することもできるのではないか。
長10センチ砲は高初速故に弾道は低伸するから、実用的な射程は従来の駆逐艦主砲の12.7センチ砲に劣るものではなく、水平射撃にも使用可能な両用砲扱いも受けていたが、それは付随した効果に過ぎなかった。
しかし、石狩型軽巡洋艦が就役した当初は、一部関係者の間で思ったよりも対空射撃の効果が上がっていないと問題となっていたらしい。
原因は意外な所にあった。長10センチ砲そのものは、計画通りの性能を発揮していたものの、高射装置がそれに見合った性能を発揮していなかったのだ。
日本海軍の高角砲は、長10センチ砲以前から高射装置が指示する時間に合わせて砲側で装填作業中に時限信管の設定秒時を自動で調定する信管調定機が組み込まれていた。
勿論、高角砲の俯仰角や旋回角も高射装置からの指示で行われていた。新造艦の一部であれば弱電部品や制御機能の発達によって砲塔の操作も高射装置から直接行えるから、砲側の操作は給弾作業だけということまで可能であるらしい。
つまりはいくら高角砲の高性能化を図ったとしても、照準を行う高射装置の改善も同時に行わなければ対空射撃能力を満足に向上させることは出来なかったのだ。
現在では石狩型が就役した時よりも高射装置の機能は著しく向上していた。内部の測的盤や射撃盤の機構が高速化、高精度化が図られていることも無視できないが、測距儀と並行して搭載される射撃指揮用電探を搭載したことによって電子的な測距、測高が可能となっていた事による精度向上も大きかった。
詳細は一操縦員でしかない石井一飛曹にはよく分からなかったが、最新の高射装置では機械が自動で電探で走査して目標を追いかけ続ける事もできるらしい。
だが、石狩型軽巡洋艦はそのような高射装置の発展に対して、ある意味において間が悪い存在となっていた。搭載砲そのものは高性能化したものの、高射装置は従来のものからさほど改善が図られていなかったためだ。
しかも、石狩型の就役に前後して同一形状の砲塔を搭載する秋月型駆逐艦が計画されていた。
秋月型駆逐艦が搭載する長10センチ砲は、連装砲塔4基と石狩型の6割を確保しており、また対艦兵装である魚雷発射管も装備していたから、艦隊からみた使い勝手という点では石狩型軽巡洋艦を上回っているとも言えた。
そのような中途半端な石狩型軽巡洋艦の性能に追い打ちをかけるように、日本海軍はより大型で搭載備砲も多い米代型軽巡洋艦を建造していた。
米代型は石狩型以上に軽巡洋艦という従来の認識からかけ離れた存在だった。搭載している砲塔は石狩型や秋月型と同型の連装長10センチ砲だが、その搭載数は12基24門にも達していた上に、これを管制する高価な電探連動式の高射装置も6基装備されていた。
つまり米代型は同時に6機もの敵機に対応する能力を有しているということになるが、この高性能を実現するために基準排水量で1万トン近くという一部の重巡洋艦すら越える大きさになっていた。
時代の波に取り残されたような石狩型軽巡洋艦に加えて、第4航空戦隊に配備された2隻の隼鷹型も本来は正規の航空母艦として建造されていたものではなかった。
有事に海軍に徴募される特設艦艇となることを条件に一定基準を超える大型商船の建造費を補助するという優秀船舶建造助成施設法の交付を受けて建造されていた2隻の橿原丸級貨客船が隼鷹型航空母艦の原型だった。
橿原丸は、大西洋で国家の威信を掛けて次々と就役していた各国の豪華客船に対抗するために計画されていた日本最大の貨客船だった。これを改造した隼鷹型は他の商船改造の特設空母よりも格段に高性能であり、搭載機数は正規の蒼龍型空母にも匹敵するものだった。
だが、地中海で失われた赤城、龍驤の2空母の代替として新鋭の翔鶴型と共に第1航空艦隊に編入されるまで隼鷹型は一線級の戦力とは見なされておらず、主に船団護衛部隊に配属されていた。
高速化した艦載機を発艦させる為には、空母が風上に向かって航行し、その合成風力の助けを得るのが常道だった。
合成風力が高くなればなるほど離陸距離は短縮できるから安全性はますし、滑走路となる飛行甲板の艦尾側に多数機の攻撃隊を配列するだけの余裕も出来た。つまりは母艦の速力は艦隊の打撃力を左右する重要な要素であったのだ。
ただし、船団護衛部隊であれば速力の要求はさほど高くはなかった。船団護衛部隊に配備される航空機の任務は主に対潜警戒となるが、このような任務であれば多数機を短時間で発艦させる必要性は薄かったからだ。
防空用の戦闘機隊を急速発艦させる事ぐらいは想定されていたが、比較的軽量で大出力エンジンを搭載した戦闘機であれば、発艦作業に必要な距離は短いものでしか無かった。
隼鷹型は船団護衛任務に用いるのは贅沢であるほどの航空運用能力を有していたものの、遣欧艦隊の主力である第1航空艦隊に配属するには能力はまだ不十分と考えられていたのである。
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