1944バルト海海戦37
ソ連海軍のオグネヴォイ級駆逐艦は、些細な仕様差はあるが実質的には米海軍の最新鋭駆逐艦であるフレッチャー級の同型艦だった。
両国海軍には少なくない制度や給与などの違いがあるが、それらを理由とする艤装の差異は居住区に集中しているから、兵装や機関といった基本的な部分に関しては同一の仕様で建造されていた。
米海軍の駆逐艦は、今次大戦に参戦している他国列強諸国の海軍と比べると更新が遅れていた。整備を繰り返しているとはいえ、未だに数的には先の大戦時に建造されたウィックス級駆逐艦が主力であったほどだった。
ただし、そのウィックス級にしてみても建造数はさほど多くはなかった。長く大規模な戦争に参戦することのなかった米海軍の艦艇が損失することは、事故で失われたものを除けばここ半世紀ほど無かったからだ。
先の欧州大戦に参戦する可能性を見据えて、当時の主力駆逐艦だったウィックス級は大量に建造される計画もあったらしいが、賢明にも米国は中立を保って無駄な損害を出すことは無かったから、大量建造計画が実施されることもなかった。
だが、大戦に参戦こそしなかったものの、米海軍は積極性に各国の情報を収集していた。その結果、ウィックス級駆逐艦などに搭載されていた従来の4インチ砲では駆逐艦級の軽快艦艇同士の戦闘においてアウトレンジされてしまうという知見を得ていたのだ。
現在建造中の米海軍の駆逐艦が装備しているのは、この教訓を活かして開発された5インチ両用砲だった。生産性を重視して各種装備の共通化を図る米海軍らしく、同砲は駆逐艦主砲だけでは無く、空母や戦艦、巡洋艦などにも副砲として広く搭載されていた。
5インチ両用砲の特徴は、言うまでもなく水平射撃も高角度の対空射撃もこなせる万能性にあった。両用砲採用以前は、米海軍でも同じ5インチ砲ながらも25口径と短砲身の高角砲と長砲身51口径の戦艦副砲が併存していた。
新世代の駆逐艦を建造するに当たっては、水平射撃能力を重視して備砲を戦艦副砲を原型とした長砲身砲とすることも一時期検討されていた。
しかし、最終的には砲塔に収めると重量がありすぎて迅速な動作を要求される対空射撃が困難になると判断されたことから、38口径という高角砲と戦艦副砲の中間をとったような砲身長となる両用砲が制式化されていたのだ。
オグネヴォイ級やフレッチャー級駆逐艦では、主砲となる5インチ砲は単装砲塔に収められて搭載されていた。戦艦などでは大振りの連装砲塔を搭載していたのだが、旋回速度の維持や軽量化などを求めて駆逐艦ではあえて単装砲塔にとどめていたのだ。
オグネヴォイの艦橋から見えるのは1、2番砲塔の2門だけだった。残りの3基の砲塔は、魚雷発射管と煙突を挟んだ艦後部に設けられていたからだ。
5インチ砲の威力は、巨大な敵戦艦に対しては豆鉄砲のようなものだった。駆逐艦同士の戦闘では、備砲口径の僅か1インチの違いが大きく出てくるほどだったが、戦艦にとってみれば些細な違いでしか無かった。
砲口を押し付けるような距離まで接近した所で、戦艦の重要区画を防護する分厚い装甲板は駆逐艦主砲程度では貫けないだろうからだ。駆逐艦1隻どころか、駆逐隊の全艦が弾庫を空にするまで撃ち込んだところで駆逐艦の砲兵装で戦艦を沈めることは出来ないのではないか。
ただし、5インチ砲が敵戦艦に対して完全に無力とは言えなかった。戦艦の巨体全体からすれば重要区画が限られた範囲でしかない以上は、さしたる装甲もない区画は数多いからだ。
勿論、そんな区画を破壊しても敵戦艦の射撃能力を奪うようなことは出来ないが、敵艦に火災を起こしたり、消耗を強いる事はできるはずだった。少なくとも雷撃の補助手段としては使えるはずだった。
突進を続けるオグネヴォイは、次々と5インチ砲弾を放ち続けていた。距離が近づくにつれて、命中弾も増えていた。
駆逐隊の後続各艦も射撃を開始していたからどの艦の砲弾が命中しているのかどうかは分からなかったが、射弾の中には大和型戦艦の高角砲に見事に命中して破壊してしまったものもあるようだった。
ただし、阻止砲撃を受ける第23駆逐艦の損害も続出していた。数の少ない6インチ砲の命中は無かったが、オグネヴォイにも敵戦艦の高角砲から放たれた弾が何発か命中していた。
艦内からは何度か損害の報告が上がっていたが、致命的な損害は今のところは出ていないようだった。
第23駆逐隊にとって危険な状態だった。6インチ砲を含む敵戦艦の火力は強力だった。第23駆逐隊が突撃する間も何度かガングート級戦艦が命中弾を出していたが、大和型戦艦の火力が衰える気配は無かった。
そして破局は唐突に訪れていた。最初に上擦った見張員の声が聞こえていた。バーク中佐には聞き覚えのない声だった。艦橋などに配置された複数人の見張り員は、担当する視野をそれぞれ割り当てられていたから、これまでは動きのない方角に配置された見張員だったのだろう。
不審に思ったバーク中佐は怪訝そうな顔で振り返っていたが、すぐにその表情は驚愕したものに変わっていた。
オグネヴォイのすぐ後ろに続いていたはずの同型艦であるオトヴェルズヘドヨニィの様子が一変していた。当然のことながらオグネヴォイと同じ構造であったはずの同艦はその艦橋が殆ど消失していたのだ。残されたのは僅かな残骸だけだった。
命中したのは矢継ぎ早に撃ち込まれる高角砲弾ではなさそうだった。既にオグネヴォイにも何発か高角砲からの命中弾があったが、装甲もない駆逐艦とは言え艦橋をほぼまるごと吹き飛ばす程の威力があるとは思えなかった。
大和型戦艦の副砲である6インチ砲弾、それも複数発が一挙に命中したのではないか。
何れにしてもオトヴェルズヘドヨニィの命運はここで尽きていた。指揮を執る同艦の幹部も艦橋とともに消失してしまったはずだったからだ。
それに損害はそれだけではなさそうだった。
同艦の煙突からたなびく煙の色が変わってきていた。どうやら艦橋とともに煙突やその下部の機関部そのものにも損害が出ているようだった。それで不完全燃焼を起こして黒煙が生じているのではないか。
がくりと速力を落としつつオトヴェルズヘドヨニィは急角度で舵をとっていたが、その行動が僚艦に進路を譲るための意図しての行動なのか、単に操舵能力を喪失した為のものであったのかは分からなかった。
いずれにせよオトヴェルズヘドヨニィが戦列を離れた事で、3番艦の位置にあったオスモトリテルニィがオグネヴォイに追いつこうと速力を上げたのか、青白い船首波が急速に盛り上がっているのが見えていた。
損害は大きかったが、既に第23駆逐隊は敵戦艦に対して必殺の魚雷を放つ距離まで接近していた。今にも雷撃を命じようかと、ナサエフ大佐も慎重に敵艦との位置関係を確認するところだった。
状況が急変したのはその時だった。
最初は前方を担当していた見張員だった。艦の前方となる西方に艦影を確認したらしい。
レーダーからの報告は無かったが、不思議なことでは無かった。レーダーアンテナから放たれる電波には指向性があるから、おそらくこの状況では連続して走査を行う為に、レーダーアンテナは全周の旋回を停止して敵戦艦にだけ向けられている筈だった。
だが、全周レーダー走査の停止は未知の敵艦の出現を招いていた。戦闘前に密かにバーク中佐が懸念していた日本海軍の別働隊が現れたのだろう。
バーク中佐はそう考えて苦々しい思いで双眼鏡を前方に向けていた。オグネヴォイの戦闘は実質的にここまでになるのではないか。出撃したソ連艦隊は、目前の日本海軍の艦隊とは互角に交戦していたが、大兵力の別働隊が敵艦隊に合流したとすれば苦戦は免れなかった。
艦隊司令長官であるクズネツォフ元帥がまだ指揮を取れる状態にあるかどうかはわからないが、常識的に考えれば戦力温存を考慮して撤退を選択するのでは無いか。
ただし、まだ第23駆逐隊が大和型戦艦に雷撃を行う機会は残されていた。この戦闘がソ連艦隊の敗北に終わるのだとしても、駆逐隊は栄光を残すことが出来るのだ。
バーク中佐がそのように系統だった考えを一瞬で考え切ったわけでは無かった。混乱の中で抱いていたとりとめも無い考えを後から振り返るとそう感じたというだけの話だ。
しかし、見張員が発見された艦艇を識別してからさらにバーク中佐は驚愕することになった。
西方に残る霞の中から一番先に飛び出して来たように見えたのは、艤装からして日本海軍の駆逐艦らしいが、詳細は分からなかった。レーダーなどがやけに大きく見えるというから、特別に改装された偵察用の艦なのかもしれなかった。
だが、次に姿を見せた艦艇は明らかに違っていた。先程の駆逐艦は、後続に針路を譲るように転舵していた。偵察艦艇という推測が正しいのだとすれば、個々の戦闘ではなくレーダー観測で戦場全体の様子を探ろうとしているのかもしれなかった。
それに対して霞の中から重厚に出現した艦艇は巨大なものだった。先程の駆逐艦と比べると大人と子供ほどの差があるのではないか。しかも、艦橋などの形状は既存の日本海軍のそれとはかけ離れていた。
見張員以外も何人もの将兵が視線をその艦に向けていた。すぐに大口径の双眼鏡で観察していた見張員が言った。
「敵艦はシャルンホルスト級です。間違いありません。敵艦はドイツ戦艦です」
バーク中佐は、唐突に艦橋の雰囲気が張り詰めたものになったのを感じていた。そして、視界の隅で眉をしかめたナサエフ大佐に、シルショフ少佐がほとんど反射的に叫ぶ姿が映っていた。
「司令、目標を変更しましょう。敵はファシストの戦艦です」
それを聞いてバーク中佐は唖然とした表情を浮かべていた。正気の沙汰とは思えなかった。僚艦の一隻という多大な犠牲を払ってまで第23駆逐隊は大和型戦艦に接近していたというのに、この絶好の雷撃の機会を見逃して危険な襲撃機動をもう一度繰り返そうというのだ。
ナサエフ大佐もその危険性は把握していた。バーク中佐が初めて見る逡巡したような表情を浮かべていたからだ。
だが、シルシェフ少佐はナサエフ大佐の煮え切らない態度に気がつく様子もなく、興奮した調子で更に続けていた。
「何をためらっているんだルーシャ。ファシストのニェーメツ共が目の前にいるんだぞ。俺たちが何故ここにいるのか、忘れたのか。ヤポニェッツの戦艦など放ってしまえ。ヤポニェッツの相手はアメリカーニェツがするさ。
ルスラン・イヴァノヴィチ・サナエフ。俺たちが戦う理由を思い出せ。ファシストを一人でも多く殺すんだ」
興奮したシルシェフ少佐の様子は異常だった。おそらくは無意識のうちにやっているのだろうが、少佐は手の指が白くなるほど強い力で真正面からナサエフ大佐の肩を掴んで顔を近づけさせていた。
戦闘中にもかかわらず、バーク中佐は唖然として豹変したシルシェフ少佐と悩んでいる様子のナサエフ大佐の顔を見つめていたが、ふと我に返って艦橋の中を見回していた。
バーク中佐は表情を凍りつかせていた。艦橋要員の態度が意外なものだったからだ。多くの艦橋要員が二人の様子に注目していた。職務に忠実な見張員達は担当する方角に視線を向け続けていたが、緊張したその背中を見るまでもなく、彼らも意識をこちらに傾けているのは明白だった。
普段であれば、そのような時はすかさずナサエフ大佐の叱責が飛ぶはずだが、肝心の大佐は苦しそうな表情を浮かべていた。
そして艦橋要員の反応は2つに分かれていた。ナサエフ大佐のように困惑しているものもいたが、少なくない数の将兵がシルシェフ少佐に同意するかのように暗い決意を込めた視線を向けていたのだ。
奇妙な時間だった。一瞬のようでもあったし、ずっと長い間のようでもあった。状況からして長くとも数秒ほどの間でしか無かったはずだが、バーク中佐には、後から振り返ってもナサエフ大佐が判断を下すまでの間は永遠のようにも感じていた。
第23駆逐隊の突撃は続いていた。
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