1944バルト海海戦36
3隻のソ日戦艦が激しい砲撃戦を繰り広げる戦場に向かって、オグネヴォイ率いる第23駆逐隊は急速に接近していた。その艦橋から駆逐隊に派遣された軍事顧問のバーク中佐は厳しい視線を大和型戦艦に向けていた。
すでに、事前に中佐が楽観的に予想していたような戦闘は不可能となっているのは明らかだった。前提となる条件が誤っていたからだ。
当初はこの戦場にはソ連海軍のガングート級戦艦は3隻が展開していた。日本海軍はただ1隻の大和型戦艦でその3隻と交戦しているはずだった。ところが、すでにガングート級は1隻が脱落し、残る2隻も絶え間ない砲撃に同時にさらされ続けていたのだ。
大和型戦艦は、軍縮条約が今次大戦勃発によって無効化されたのちに建造された日本海軍の新造戦艦だった。最後の軍縮条約型戦艦である磐城型と大和型の間には常陸型戦艦が建造されていたが、米海軍ではその艤装方針などから常陸型は軍縮条約の無効化によって急遽設計が変更されたものと考えていた。
つまり、純粋な無条約時代の戦艦としては、やはり大和型戦艦が日本海軍初ということになるのだろう。
長門型から条約明け後に建造された常陸型までの日本海軍戦艦に連装砲塔で搭載されていた従来の16インチ砲ではなく、大和型戦艦には新開発されたのだろう長砲身型が搭載されたと米海軍では判断していた。
米海軍でもレキシントン級巡洋戦艦に搭載されたものからいくらか改良された16インチ砲をノースカロライナ級戦艦から搭載していたし、アイオワ級や建造中のモンタナ級はより長砲身となった50口径16インチ砲を搭載していたからだ。
だが、大和型戦艦の兵装はそれだけではなかった。米海軍の新造戦艦は従来の副砲を廃して、水平射撃も対空射撃も可能な両用砲に主砲以外の備砲を絞っていたのだが、大和型にはおそらく軽巡洋艦の主砲に匹敵すると思われる大口径の副砲が重厚な三連装砲塔に収まって搭載されていたのだ。
米海軍の常識からすれば、そのような中途半端な口径の副砲は、限られた戦艦の排水量や上甲板のスペースを無駄に使用するものでしか無かった。
そもそも英海軍で単一口径の主砲を持つ画期的なドレットノート級が就役した後は、戦艦副砲は軽快艦艇を撃退する程度の役割しか持たないとされていた筈だった。
分厚い装甲が施された戦艦に対しては、搭載出来る最大口径の主砲でなければ損害を与える事は難しかった。つまり戦艦副砲は装甲を貫けない為に近代的な戦艦に対しては決定的な打撃を与える事が出来なかったのだ。
それどころか、同一目標への射撃は副砲の弾着によって観測が困難になるという不具合すら考えられるのだった。
ところが、この戦場では米海軍の常識は通用していなかった。副砲を備えた大和型戦艦は同時に2隻と交戦していたからだ。
旧式化しているガングート級戦艦は大和型よりも主砲は小口径であるから、その砲で敵戦艦の分厚い装甲を貫くために接近戦を余儀なくされていたのだが、皮肉なことにそれが大和型戦艦の副砲の射程に入り込むことにもなってしまっているようだった。
大和型戦艦は、主砲を1番艦に、副砲を2番艦に向けていた。バーク中佐の事前の予想では、射撃を受けていないガングート級戦艦は妨害なしに射撃を行える筈だったのだが、実際には2隻共に絶え間ない射撃を受けていたのだ。
射撃の妨害という意味では、2番艦の方が激しかったかもしれなかった。おそらくは6インチ級と思われる副砲の方が発射速度が高く、ガングート級の周囲から水柱が消えることが無かったためだ。
あれでは視界が遮られて目視による照準は困難だし、水柱に邪魔されてレーダーを用いた観測も難しいのでは無いか。
副砲の射撃に晒されているのはガングート級戦艦だけでは無かった。戦闘域の後方から急接近していた第23駆逐隊に向けて大和型戦艦の射撃が開始されていたのだ。
射撃を行っていたのは、2隻のガングート級戦艦に向けているのとは反対舷側に配置されている副砲のようだった。
軽巡洋艦の主砲である6インチ砲弾は頑丈な戦艦には大した打撃とはなりえないだろうが、装甲と呼べるようなものが存在しない駆逐艦に直撃すれば、当たりどころによっては一撃で無力化されてしまう可能性もあるのでは無いか。
もっとも、今の所はオグネヴォイを先頭とする駆逐隊に損害は出ていなかった。弾着の度に巻き上がる水柱の数は少なく、距離も遠かった。
第23駆逐隊は、大和型戦艦を追い上げる形で艦尾から接近していた。だから側面を晒すガングート級戦艦と違って舷側後方の副砲砲塔1基しか射撃が出来ないのだ。
駆逐隊が雷撃の為に側面まで接近すれば、前方の砲塔も射撃を開始するかもしれないが、当分は存在を無視しても良さそうだった。
それにバーク中佐は、全身から火を吐く悪竜のような大和型の姿を見て妙に納得するものを感じていた。
米海軍では、大和型に関してはいくつかの疑問があったのだ。長砲身とは言え、16インチ砲艦としては大きすぎるのではないか、そのような声があったのだ。
大和型戦艦の建造前に、米海軍では日本国内のいくつかの建造所で船渠の拡張工事が行われた形跡を掴んでいた。九州に建造中という大規模な海軍工廠は機密度が高く詳細は掴めなかったが、大和型を建造した既存の船渠はいずれも従来から拡張されていたようだった。
これらの情報を総合して考えると、大和型戦艦の基準排水量は6万トンに達している可能性も指摘されていたのだ。
だが、これは米海軍の常識からすると予想される大和型の性能に対して過大な数値だった。米海軍の50口径16インチ砲を搭載した最新鋭戦艦であるアイオワ級ですら5万トンに達していないのだ。
しかも、アイオワ級戦艦は駆逐艦並の30ノット超の速力を誇る高速戦艦だった。
アイオワ級にそのような従来とは桁外れの速力が要求されたのは、先の大戦における日本海軍の金剛型などの巡洋戦艦が示した活躍があったためだった。戦艦並の火力と巡洋艦の速力を併せ持つ有力な巡洋戦艦が主戦場以外で暴れ回られたら、従来の鈍足戦艦と巡洋艦群では対応出来ないと考えられていたのだ。
米海軍には、高速のレキシントン級巡洋戦艦が存在していたが、軍縮条約の制限によって、米海軍初の巡洋戦艦としてまとまった数が建造されたはずのレキシントン級は僅か2隻しか洋上に浮かべる事ができなかったから、巡洋戦艦の保有数では日本海軍に対して不利を余儀なくされていたのだ。
アイオワ級戦艦は、このレキシントン級巡洋戦艦の後継としての意味合いもあったが、脆弱な巡洋戦艦ではなく自艦の主砲に対応する重厚な装甲を併せ持っていた戦艦だった。
その重装甲と大出力機関を併せ持ったアイオワ級と比べると大和型の排水量は過剰であったのだ。
公表されているものや実測値からすると大和型はそのアイオワ級よりも遥かに低速だった。それにも関わらず大和型の方が重いというのは解せない話だった。米海軍の関係者が抱いていた疑問にはそのような事情があったのだ。
しかし、バーク中佐が見たところ、強力ではあるものの実際には大和型戦艦は得体のしれない怪物ではあり得なかった。というよりも、その非合理な装備体系が同型艦を無駄に肥大化させていったのではないかと考え始めていたのだ。
舷側配置の巨大な副砲や、不格好な煙突構造は合理的とは言えなかった。バーク中佐の予想に過ぎないが、大和型にはガングート級を早期に脱落させた水中魚雷発射管の装備という可能性もあった。
それに日本製の機関技術が米国のそれを上回るとはバーク中佐には思えなかった。非効率な機関や米戦艦には要求されていなかった数々の機能が重量の増大を招いているのだとすれば、大和型戦艦の排水量は納得できる数値なのではないか。
米海軍であれば大和型戦艦のような非効率な構造は不要だった。米海軍の新鋭戦艦であれば大和型とも互角に砲戦を挑めるのではないか。
大口径の副砲を廃した米戦艦では近接火力に劣ることは否めないが、日本海軍に圧倒的に勝る巡洋艦群の護衛さえあればそれは弱点とはなりえないはずだった。
要は日本海軍が戦艦を単一の戦力として捉えているのに対して、米海軍は単なる大口径砲のプラットフォームとして考えており、艦隊全体で最大限の戦力を発揮する様に考えているということなのではないか。
バーク中佐はふと我に返っていた。大和型戦艦の性能に関することばかりを考えていたのは、実際には単なる現実逃避だったのかもしれなかった。第23駆逐隊は大和型戦艦に向けて突撃を開始していたからだ。
ナサエフ大佐の指揮のもと、第23駆逐隊の4隻のオグネヴォイ級駆逐艦は、1本の矢のように緻密な隊形を保って突撃していた。
駆逐隊は、2隻のガングート級戦艦とは反対舷となる敵大和型戦艦の左舷後方から急接近していた。敵艦に接近し得たところで一斉に雷撃を行うのだ。
大和型戦艦の砲撃は続いていた。オグネヴォイを狙っているというよりも、一体化した駆逐隊全体に向けて砲火が放たれているような気がする。
バーク中佐は激しい砲火の中、奇妙な事に気が付いていた。第23駆逐隊に向けられている砲火もそうだが、ガングート級戦艦も2番艦に放たれる6インチ砲に比べて、主砲が向けられている1番艦に対しても射撃精度が低いのではないかと考えていたのだ。
バーク中佐は、オグネヴォイの艦橋から身を乗り出すように双眼鏡を覗き込みながら思わず言っていた。
「敵戦艦の艦橋に命中弾の形跡がある。我が方の戦艦は既に命中弾を出しているぞ」
大和型の細長い塔のような艦橋には、黒く焼け焦げた跡があった。構造が破断している様子はないから直撃弾であったかどうかは分からないが、あの様子では艦橋上部に設けられているのであろう方位盤や測距儀などにも被害が出ているのではないか。
ガングート級戦艦の1番艦への射撃精度が甘いのも、的確な射撃の指揮が不可能となっているからである可能性が高かった。
たちまちオグネヴォイの艦橋から歓声が上がっていたが、ナサエフ大佐は怒鳴り付けるようにして言った。
「まだ突撃中だ。喜ぶには早いぞ。気を引き締めろ。俺達があの戦艦にとどめを刺すぞ」
バーク中佐は、反射的にナサエフ大佐に視線を向けていた。艦橋要員を咎めるような声だったが、大佐の顔には隠しきれない凄惨な笑みが浮かんでいた。
しかし、ナサエフ大佐が言い終わる前に、冷水を浴びせかけるような見張り員の声が上がっていた。慌ててバーク中佐が大和型に振り返ると、これまでの砲火が児技であったかのように火点が増大していた。
バーク中佐は一瞬唖然としていたが、すぐに理由に気が付いていた。相手の速力が低下していたのか、オグネヴォイは思ったよりも早く大和型戦艦に追いつきかけているらしい。
それで副砲だけでは無く、射程か射界に入った高角砲も撃ち出してきたようだ。
すぐに大和型戦艦の奇妙な煙突群が霞んで見えるようになっていた。機関砲のような勢いで次々と高角砲が放たれるものだから、敵艦上部に砲口煙が立ち込めているのだ。
オグネヴォイの周囲にも高角砲弾が着弾していた。よほどの高初速砲なのか、ほぼ水平に飛来する弾頭は赤い閃光を残しながら次々とオグネヴォイの艦橋を掠めるように通過していった。
空恐ろしい光景ではあったが、敵戦艦が高角砲を撃ち出してきたということは、駆逐艦主砲も敵艦を射程に収めたということでもあった。勿論その事に気がついていたのはバーク中佐だけではなかった。
逡巡することなく下されたナサエフ大佐の発砲命令の直後に、これまで沈黙を保っていたオグネヴォイの主砲が鎌首をもたげる様に僅かに仰角をつけていた。
だが、艦橋から見える2基の砲塔はほとんど旋回はしなかった。発砲命令を予期していた砲員達が予め照準を定めていたのではないか。
ナサエフ大佐の命令から程なくして無造作にオグネヴォイは発砲していた。
敵戦艦との相対位置からして3基の後部砲塔は射界に敵艦を収めているかどうか怪しいものがあったし、オグネヴォイに搭載されているのはフレッチャー級と同型の5インチ単装砲塔でしかないから、大和型の副砲どころか高角砲群にも劣る火力でしか無かった。
だが、実際にはその火力差は精神的には些細なものでしかなかった。オグネヴォイ乗員は、これまでの一方的に強大な敵戦艦に殴られる戦闘ではなく、反撃を開始したことで意気が揚がっていたからだった。
大和型戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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常陸型戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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