1944バルト海海戦35
3隻のガングート級戦艦と日本海軍の大和型戦艦が戦っていた海域は、先程までバーク中佐達もいた巡洋艦群が交戦していた戦域から見るともっとも遠方にあったために、しばらくはオグネヴォイからは詳細が分からなかった。
出撃した当初はオグネヴォイを含む巡洋艦群、各駆逐隊もガングート級戦艦を始めとする大型艦と行動を共にしていたのだが、艦隊司令長官のクズネツォフ元帥は、日本海軍の防衛線を突破するために、航空巡洋艦に航空機の発艦を命じると共に水上艦も戦隊ごとに分離させていた。
もっとも、オグネヴォイに駆逐隊付き軍事顧問という半ば傍観者の立場で乗り込んでいたバーク中佐には、クズネツォフ元帥の判断が正しかったのかは分からなかった。
確かに日本海軍の艦隊を分散させる効果はあったが、バーク中佐の目前で交戦していた巡洋艦群は、数的に優勢であったはずなのに司令部の規模に見合わない大兵力を与えられたことによる弊害でその優位を活かせずにいたからだ。
旧ポーランド領に位置するグディニアには脱出するドイツ軍が群れているはずだった。だが、そこに向けて直行するソ連艦隊の行く手を塞ぐように、日本海軍艦隊は南方に展開していた。
オグネヴォイに搭載されている対空レーダーは、対水上用と同じく駆逐艦用の簡易なものだったから何も掴んでいなかったが、おそらくレニングラードから出撃したソ連艦隊は、フィンランド湾から抜け出したあたりで敵偵察機に発見されていたのではないか。
だが、レニングラードを出撃する前に考えられていた最悪の予想に比べれば、日本艦隊の数は少なかった。単にこれまでのソ連海軍の予想が悲観的過ぎただけではないかと考えている将兵も多いようだったが、バーク中佐は目前の艦隊が敵戦力の全てとは思えなかった。
秘匿された戦力が存在するのではないかと疑っていたバーク中佐は、今にも霧の合間から敵艦隊が湧き出てくるのではないかという可能性を恐れていたのだ。
数が少ないのはバルト海西方に先行していた潜水艦隊の成果ではないかという声もあったが、それはごく少数派だった。水上艦と同じく潜水艦隊も護衛につく戦闘艦ではなくドイツ兵を満載しているはずの輸送船を優先して襲撃するように命じられていたからだ。
何れにしても目前の艦隊を突破しなければグディニアにはたどり着けないのだから、ソ連艦隊にはここで日本海軍の艦隊と戦うしか無かった。
戦闘前に日本艦隊の司令部は何事か交戦の回避を訴えていたそうだが、ソ連艦隊の立場では黙殺するしかなったし、彼らがドイツ軍に組みしたのは明らかだったから耳を傾けるものはいなかった。
クズネツォフ元帥の作戦は、数の優位を活かして脱出船団を襲撃可能な位置まで艦隊の一部だけでも突破させることにあった。仮に各個撃破されたとしても、その間に脱出船団に戦力を残した部隊がたどり着ければ最終的な勝利を得られると考えていたのではないか。
水上艦艇の戦闘開始前に航空隊を出撃させたのもそれが理由なのだろう。ただし、航空巡洋艦の搭載機は少なかったから、航空隊がどれだけ脱出船団に打撃を与えられるかは分からなかった。
そう考えると、同数で磐城型戦艦と相対せざるを得なかった2隻のクロンシュタット級よりも、本来であればガングート級で構成された戦隊の方がクズネツォフ元帥の期待は大きかったはずだった。
ガングート級戦艦は旧式化した弩級戦艦だったが、日本海軍の大和型戦艦1隻に対して3隻という大きな数の優位があったからだ。
ところが、すでにガングート級戦艦は1隻が脱落しようとしていた。勢いよく波を蹴立てるようにしてオグネヴォイが前進する先には、先程磐城型戦艦の甲板に上がっていたのよりも遥かに巨大な黒煙をたなびかせながら、よろよろと戦場から退避するガングート級の姿が見えていた。
今も戦闘は続いているのだろう。何本もの水柱が視界の彼方に見え隠れしていた。水柱に向けて高速で航行するオグネヴォイは、すぐにぐずぐずと煙を上げているガングート級戦艦のすぐ横を通過していた。
声を上げる将兵は少なかった。聞こえてきたのは僅かなうめき声だけだった。
一目見ても傾斜しながら航行するそのガングート級戦艦が助かりそうもない事は明白だった。一撃で沈められずに戦場から離脱出来たのが奇跡のようなものだった。
レニングラードに向かうつもりなのか、ガングート級戦艦はよろよろと北上していたが、とても母港までは戻れそうに無かった。近くの海岸に座礁するにしても、沿岸に沿ったこの方面の陸上部隊は進撃速度は遅かったから、友軍の制圧下にある海岸まで逃れるのも難しそうだった。
そのガングート級戦艦は、被弾したと思われる箇所は少なかった。ただし、どこも一撃で機能を失ったのは間違いなかった。
一番目立つ箇所は一基の主砲塔だった。戦艦の中でももっとも頑丈に作られていたはずの砲塔は、分厚い装甲板を真正面から貫かれて、巨人がもぎ取ったかのようにささくれだった巨大な傷跡を残していた。
被弾位置からして、砲塔内に躍り込んだ敵弾は、完全に装甲板を貫いてから起爆したのだろう。砲塔内部で砲弾が炸裂したことによって生じた莫大なエネルギーは、周囲全てに高速で飛翔する破片と爆圧を発生させていた。
おそらくは砲員はその瞬間に絶命していた筈だった。いくらなんでも砲塔天蓋どころか砲身ですら吹き飛ばされる様な圧力に生身の人間が耐えきれるとは思えなかった。
それどころか隣り合う砲塔にすら被害は発生していた。そちら側の砲塔は一見して大きな損害はないように思えたものの、主砲はだらりと傾いていたし、砲身にも無視できない傷が残されているようだった。
つまり大和は僅か一撃でガングート級戦艦が有する打撃力の半分を奪っていたのだ
ただし、砲弾の誘爆という最悪の事態は免れたようだった。被弾したのは、ガングート級戦艦が主砲を発射した直後から、次弾が装填されるまでのほんの一瞬の出来事だったのではないか。
それに被弾した直後に、勇気と果断な判断力を持ち合わせた砲塔内の誰かが、主砲塔に繋がる弾薬庫への注水を躊躇わずに行ったのだろう。
しかし、その自らを犠牲としたのかもしれない努力も報われることはなさそうだった。既にガングート級戦艦は上甲板の一部が海水で洗われるようになるほど傾斜を強くしていたからだ。
だが、バーク中佐は首を傾げていた。ガングート級戦艦の傾斜が大き過ぎるような気がしていた。戦艦の余剰浮力は大きいから、弾薬庫への注水程度では上甲板まで海面が達する様なことはないし、浸水も速度が早すぎるような気がしていた。
これでは、まるで魚雷によって水面下に巨大な破孔を生じたかのようではないか。
―――もしかすると大和型戦艦は、新造戦艦であるにもかかわらず前時代的な雷装を有するのではないか。
バーク中佐はふとそう考えていた。かつての弩級艦や初期の超弩級艦の中には、水中発射管を有するものは少なく無かった。
光学、電子機材の発展による砲戦距離の進捗によって、現代では射程の短い雷装は戦艦の主兵装からは外れていたが、ガングート級戦艦の主砲性能からするとクロンシュタット級のように敵戦艦に接近を図っていた筈だった。
仮に大和型戦艦が雷装を有しているとすれば、有利な距離で発射する事もできたのではないか。
バーク中佐はそう考えて自分を納得させていた。本当に大和型戦艦が雷装が有していたとしても、これまで撮影された写真では魚雷発射管は確認されていないから、装備しているとすれば水中発射式の固定型の発射管のはずだった。
だが、そのような魚雷発射管が容易に再装填可能とは思えなかった。ガングート級戦艦1隻は容易に無力化されたようだが、後続艦は水線下への打撃は考えなくともよくなるから、より長時間の耐久が出来るのではないか。
散々たる有様のガングート級戦艦を見せつけられたバーク中佐は、精神の均衡を保つためにあえて楽観的に考えてしまっていたのだが、本人は無意識のその様な動きに気がついていなかった。
だから、実際の大和型戦艦とガングート級戦艦との戦闘の光景には逆に違和感を覚えていた。
最初に奇妙に思ったのは水柱の位置だった。2隻のガングート級戦艦から放たれる砲弾によって形成される水柱の位置は妙に間延びしていた。
旧式かつ所属が異なるために、同型艦であってもガングート級戦艦は統一した射撃指揮などは不可能だった。だから、正確な弾着観測を行うには2隻で射撃タイミングをずらすしか無かった。
弾着によって発生する水柱に時間差をつけることでお互いの射撃結果を取り違えることを避ける為だった。だが、いくら旧式艦といってもガングート級の射撃速度は遅すぎるように思えていた。
すぐにバーク中佐は別の違和感を感じていた。戦場に残る2隻のガングート級はどちらの艦もその周囲に水柱を上げていたのだ。
唖然としてバーク中佐は2番艦に位置するガングート級を見ていた。1番艦だけでは無く、明らかにその艦の周囲にも水柱が立っていたからだ。
後続艦から放たれる射撃のタイミングがずれるはずだった。事前に中佐が想定していた状況とは異なり、2隻とも砲撃による妨害を受けていたのだ。
大和型戦艦は、米海軍のアラスカ級やサウスダコタ級のように三連装砲塔を艦橋構造物の前後に振り分けて配置していた。命中率の低下を許容すれば、火力を2隻に分散させる事は不可能ではなかった。
あるいは、ガングート級1隻を脱落させるまでの間に、前鐘楼頂部に備えられているであろう方位盤などに損傷が出ている可能性もあった。方位盤や射撃盤自体は無事でもそれらと砲塔を繋ぐ回路が断線した場合でも各砲塔の照準に任せるしかない筈だった。
だが、バーク中佐はすぐに楽観的なその考えを否定していた。2隻のガングート級戦艦の周囲に次々と出来上がる水柱には差異があったのだ。
1番艦の周囲に発生しているのは16インチ砲弾としても大きすぎる程の巨大な水柱だった。ところが、2番艦の周りの水柱は、それよりも遥かに小さかったのだ。
一見すると2番艦には大した脅威は迫っていない様にも思えるが、実際の所はわからなかった。水柱の寸法に反比例する様に発生する間隔は短時間だったからだ。
それに確かに水柱は小ぶりであるものの、駆逐艦備砲のそれと比べればずっと重々しく感じられるものだった。
バーク中佐は苦々しい思いで大和型戦艦を見返していた。これまでは距離や角度の問題で詳細が分からなかったのだが、大和型戦艦にはこれまで米海軍が認識していなかった巨大な砲塔式の副砲が備え付けられていた。
大和型の2基の煙突を挟んだ前後の艦橋構造物は、半ば一体化した重厚なものだった。その舷側には所狭しと高角砲が据え付けられていたのだが、その高角砲群を前後から挟み込む様な位置に大型の砲塔が据え付けられていたのだ。
主砲塔に比べれば小さいが、高角砲と比較すると副砲の砲塔は相当に大きかった。
米海軍では、すでに新造戦艦からは副砲は廃止されていた。舷側に配置されていた従来の副砲は、人力操作であるために旋回速度や射角などに制限が大きく、需要が増している対空射撃も難しかった。
その為に米海軍では合理的に中途半端な副砲を廃して、主砲以外は水平射撃も対空射撃もどちらも可能である両用砲と機銃のみの配置としていたのだ。
旧式戦艦には舷側の砲郭配置の副砲が残されている艦もあった筈だが、未だに人員の配置があるかどうかは分からなかったが、どのみち十分な数の両用砲があれば、接近する小艦艇の撃退は十分に可能であるはずだった。
バーク中佐は、眉をしかめたまま大和型の副砲塔を見つめていた。これまでは大和型戦艦の詳細な配置までは米海軍では知られていなかった。
その位置に何らかの艤装があるのは分かっていたが、米海軍が入手していた不鮮明な写真では砲塔の寸法差までは見分けが付かなかったのだろう。それで副砲ではなく自軍の常識で高角砲と誤認していたのではないか。
ドイツやフランスなどの艦艇でも副砲塔を装備する新造艦もある筈だが、米海軍では中途半端な副砲は軽視されていた。それ以前に従来の砲郭配置の砲も他国と比べると格段に小口径のものだった。
だが、バーク中佐の見る限りでは、この戦場ではこれまで米海軍で軽視されていた戦艦の副砲が大きな脅威となっていた。
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