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1944バルト海海戦32

 状況は混乱していた。バーク中佐は目まぐるしく変わる戦況を把握し続けなければならない状況に緊張感を味わっていた。



 バーク中佐が対ソ派遣軍事顧問の立場で乗り込んでいるオグネヴォイを先頭とする第23駆逐隊は、本隊を離れて別動の戦艦部隊と合流すべく混戦から抜け出していた。

 もっとも、現在の第23駆逐隊には正規の命令を下す上級司令部は無かった。キーロフ級軽巡洋艦3隻からなる巡洋艦戦隊の司令官が、先任指揮官としてその場の指揮をとっていただけだったのだ。

 しかも出撃していたソ連艦隊に配属された駆逐艦は多かった。いくらなんでも、3隻の巡洋艦を指揮管理するだけの規模しか無い戦隊司令部の機能では、20隻もの駆逐艦の指揮統率を図ることなど出来そうも無かったのだ。



 それ以前に、この艦隊の指揮系統には固有の問題がある。半ば傍観者の目で見ていたバーク中佐はそう考えていた。


 今年の夏までに行われた一連の反攻作戦によって旧ポーランド領近くに達していたソ連軍は、これまでの慎重な進撃から方針を転換して大胆な作戦に打って出ていた。

 バルト海沿いの進撃が主攻と見せかける一方で、巧みな欺瞞によって密かに戦線中央部の第2、第3ベラルーシ方面軍に集結していた膨大な数の精鋭部隊による急進撃を開始していたのだ。

 このソ連軍らしからぬ機動力を優先した戦略は、開戦前より体調を崩して病床に横たわっていたトハチェフスキー元帥が考案した基本方針に則っていたものらしい。

 旧ロシア帝国軍出身でありながら、早い時期に臨時政府側に帰属して赤軍で出世を続けたトハチェフスキー元帥は、開戦前に機械化部隊の拡張を推し進めていた。

 開戦期に病気療養を理由に予備役とされて表舞台からは去っていたが、気脈を通じた参謀本部要員といずれ来るであろう反転攻勢に備えた機動戦の構想を練っていたらしい。


 ただし、元帥本人はその成功を見ることは無かった。当初その事実は将兵の士気低下を防ぐ為に伏せられていたが、元帥は作戦開始前に亡くなっていたらしい。

 その為か、作戦開始後にこの作戦名をトハチェフスキー作戦と呼称するという通達が流れていたが、通信設備の充実した母港でその通達を受け取った艦隊はともかく、地上部隊にはその事実も完全に周知されたわけではなさそうだった。



 何れにしても、今回の攻勢はソ連全軍を上げた一大作戦だった。基本的には、予備兵力を受け取って膨れ上がった戦線中央部を突出させた後に、突出部先端を北上させてバルト海沿岸まで制圧するのが作戦の要旨だった。

 これによって、旧ポーランド領ドイツ側に展開する膨大な数のドイツ軍をバルト海沿いに封じ込めて包囲下に置いてしまうのだ。


 バーク中佐には陸戦の事はよく分からなかったが、最近はこの方面でもドイツ軍が弱体化しているという報告が上がって来ているらしい。

 一部精鋭部隊の脅威は無視できないものの、投降するドイツ兵は増大しており、ソ連軍の攻勢に対しても右往左往するばかりで満足な反応が出来ていないと思われる部隊が数多く確認されることもあるらしい。

 戦乱の長期化によって兵力源となる青年層が枯渇したドイツ軍がそのような状態にあるのだとすれば、巨大な包囲網内に主力部隊が取り残された場合は、算を乱して逃亡するものも増えてくるのではないか。

 少なくとも、これまでソ連軍と対峙してきた有力な野戦軍の一角を無力化できれば、残るドイツ国内にはろくな戦力は残らないはずだった。



 ただし、この一大包囲作戦には当初から懸念事項が残されていた。戦線中央部の2個方面軍のみが突出部を形成する為、その両翼が解放された状態となってしまうのだ。

 この内、戦線左翼部に関してはさほど心配はないらしい。ルーマニアやハンガリーなどのドイツ同盟国は、自国に迫るソ連軍の脅威に及び腰になっているからだ。

 展開するドイツ正規軍は、直接対峙する第1ベラルーシ方面軍と共に同盟軍の離反にも警戒しなければならないのでは無いか。


 これに対して、戦線右翼、すなわちバルト海沿いの戦域には大きな問題があった。中央部の突出に対して右翼部に展開するバルト方面軍がこれに呼応して動くことが出来なかったのだ。

 作戦の初期段階において、バルト海沿いのバルト方面軍に期待されていたのは陽動だった。組織的な偽電や偽装工作を行うことによって、バルト方面軍が主攻部隊であると誤認させようとしていたのだ。

 レニングラードにいたバーク中佐も、陽動の為にバルト海沿いの部隊が最初に攻勢を開始した事は聞いていたのだ。


 ただし、この方面の攻勢は長続きしなかった。機動反撃に必要な戦車隊などをドイツ軍に集結させるのが目的であり、本格的な都市部への攻撃などは予定されていなかった為だ。

 しかし、それ以上に長期的な攻勢は難しい筈だった。欺瞞工作を行う大型スピーカーなどを装備した宣伝部隊などが集中配備される一方で、師団や軍団の長距離進攻に不可欠な上級司令部付きの補給部隊に欠けていたからだった。


 多数の長距離用列車などを含む上級司令部直轄の兵站部隊の多くは、戦線中央部に配属されていた。対峙するドイツ中央軍集団を撃破して長駆進攻するベラルーシ方面軍を支援する為だった。

 しかも、ある程度は戦線突出部側面の警戒にも部隊を残さねばならないから、作戦最終段階で旧ポーランド領を切り取る形でバルト海に達した方面軍の戦力はかなり損耗しているはずだった。勿論、補給線の延長も限界に達するのではないか。

 バルト海沿いで行われる陽動作戦によってドイツ軍主力は同方面に集結しているはずだから、作戦の初動で完全な包囲を敷く前にドイツ軍が反撃に出た場合は突出部側面を突かれる可能性は低くはないはずだった。



 危惧すべき事態はそれだけではなかった。


 ポーランド領に展開するドイツ軍に対しては、南部側は急進撃する突出部によって遮断されるものの、バルト海側は開放された状態だった。

 それに破城鎚となる機械化された精鋭部隊が突出部先端に配置されている以上は、南部側も作戦が進捗するに従って比較的脆弱な後方部隊がドイツ軍の目前に展開することになってしまう筈だった。

 正確な理由はわからなかったが、結果的にポーランド領に取り残されたドイツ軍の動きは鈍く、作戦全体が破綻するような事態は避けられたが、果断な指揮官に率いられたドイツ軍の少部隊が突出部をすり抜けて包囲網から脱出した例は多く存在するようだった。


 だが、それ以上に包囲網の北部、すなわちバルト海沿岸が開放されていることのほうが問題は大きかった。

 今次大戦において、バルト海で発生した戦闘は少なかった。開戦当初は、ドイツ海軍が有力な艦艇を集中的に投入していたのに対して、海軍戦力の整備中段階だったソ連海軍がバルト海に投入できた戦力は少なかったからだ。

 当時のソ連海軍バルト海艦隊は、無謀な交戦を避けて戦力を温存する為に大多数の艦艇をバルト海最奥のレニングラードまで後退させるだけではなく、建造中の艦艇を含めて主力艦を運河を使ってドイツ軍の空襲の絶えないレニングラードから後方の白海に面するムルマンスクへと送り込んでいた。



 これは将来の反抗作戦に備えての処置だったが、実行は困難を極めたようだった。

 米国資本の投入や技術支援によって白海バルト海運河は完成していたものの、自然地形を土木工事で強引に拡張していたものだから、厳しい現地の気象状況によって絶え間ない浚渫作業などの維持工事が必要不可欠だった。

 周辺の地形からの堆積物や狭隘部の崩落によって大型艦の通過に支障が出るかもしれないからだ。


 それに、建造段階で動力のない艦艇を牽引するのは、狭い運河の中では時間の掛かる作業だった。屈折が激しい箇所では何隻もの曳船を投入して前後から曳航索に張力をかけて複雑な舵取りを行わなければたちまち座礁してしまうからだ。

 常時無線で連絡を取り合わなければならないし、曳船の船長達も息のあった操船が要求されていた。



 しかし、ソ連がそのような特殊な用途に使用できる曳船を潤沢に用意出来るとは思えなかった。開戦による需要の拡大によって、対米貿易量も同時期に格段に増大しており、白海に面するムルマンスクも輸送船団の受け入れで手一杯だったからだ。

 外洋航行能力を持つ駆逐艦や輸送船は、米国で建造されたものを輸入することも出来たが、狭い運河内で使用するのに適した内海用の曳船を大西洋の荒波を越えて持ち込むことは不可能だった。

 ソ連国内でも急遽曳船の急速建造が行われていたらしいが、開戦前の需要からするとさほど大規模な施設が存在したとは思えないから、短期間の就役を強いられた中には粗製乱造に近いものもあったのではないか。

 それ以前に、開戦直後の急な需要拡大には到底間に合うものではなかったはずだった。特殊な艤装品を要する曳船の建造量を増大させるのは、短期間では難しいのだ。


 結局、レニングラードからの「疎開」は少数の曳船を使い回すことを強いられたために、当初予定されていた期間を大きく越えており、長期に渡る大事業になってしまったらしい。

 バーク中佐は駆逐隊付き政治将校のシルショフ少佐から聞いた話程度しか知らないが、中にはレニングラードを発したのはいいものの、遡上途中で予想よりも早く凍結が始まってしまったオネガ湖に曳船ごと閉じ込められてしまった艦もあったらしいということだった。



 ムルマンスクに脱出した後もバルト海艦隊の苦難は続いていた。同地の大型艦用建造所は、既に白海艦隊の整備に使用されていたからだ。

 元々、ソ連海軍の大型艦は米国の技術支援によって行われていたものだった。一部のソ連国内では生産が難しい艤装品に関しては、輸入される米国製を装備する予定もあった。


 ところが、開戦以後は米国からの輸入量は増大していたものの、舶用品に関しては不要不急とされて調達の優先度が下げられてしまっていた。

 開戦直後のソ連に必要だったのは、首都モスクワや他の大都市、資源地帯などを防衛するための陸上戦力であり、これを稼働させるための油脂類や輸送用トラックなどだったからだ。


 白海艦隊向けの海外調達品の納入は遅れており、場合によっては戦車などの生産で忙しい国内工業力を海軍が拝み倒して代替品の生産に振り分けてもらうこともあったようだ。

 バルト海艦隊所属艦の建造が再開されたのは、就役が遅延していた白海艦隊所属艦が建造所から引き出されてからの事だった。せっかく窮地から脱出出来たとしても、建造再開を断念して軒並みスクラップになっていてもおかしく無かったのだ。


 それが避けられたのは、来たるべき大反抗作戦への参加を願い続けた艦隊関係者の熱意があったからではないか。

 結果的に彼らの願いは成就していた。海軍の将兵や機材の転用を図りたい陸軍などからの圧力をはねつけて、ソ連海軍はこの作戦に5隻もの大型艦を集中投入することが出来ていたからだ。



 だが、艦隊に所属する艦艇自体は何とか反抗作戦開始までに完成していたものの、その練度には期待出来なかった。というよりも各艦の差異が激しすぎるようだった。

 ソ連に残された有力な造船所に面する白海は、冬期は分厚い海氷に覆われる厳しい海だった。自然と艦隊が訓練を含む行動を行うことが出来るのも短い夏季に限られていた。

 元々、バルト海と白海を繋ぐ運河には、冬期に大型艦船をバルト海に退避させるという目的もあったらしい。


 白海がそのような状況だった為に、就役が遅れたバルト海艦隊所属艦は勿論だが、白海艦隊もバーク中佐が見た限りでは練度はさほど高くはなかった。

 勿論、艦隊に配属された将兵は凍結する冬期は遊んでいた訳ではなく、艦内や陸上で訓練を受けていたはずだが、どうしても実艦を使用しなければ訓練の出来ない艦隊行動を実際に行ってみると、お互いの動きが合わずにバーク中佐の目には練度の低さが目立っていたのだった。

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