1944バルト海海戦30
ソ連艦隊に対して戦闘の回避を訴えた戦艦分艦隊に対する返答は、短時間でこれ以上無いほど明確な形で行われていた。
最初は彼方の閃光だった。大和見張り員の報告と前衛の駆逐艦からの報告はほぼ同時だった。報告によると、複数の敵艦が発砲したらしい。そして、それから数十秒後に戦艦分艦隊旗艦である大和の前方に着弾による水柱がいくつも発生していた。
だが、大和指揮所内につめる戦艦分艦隊司令部要員の中で特段発砲の報告を受けて雰囲気が変わるような将兵はいなかった。ドイツ海軍から派遣されてきたネルケ少佐は驚いたような顔をしていたが、大半の将兵は平然としていた。予めこれを予想していたのだろう。
発砲そのものに驚いたものがいたとしても、着弾点を伝える報告と共に落ち着きを取り戻していた。
着弾点は大和前方に集中していたが、砲弾の着弾を示す水柱の位置は遥か遠方に発生していた。散布界も異様に広かった。というよりも複数の敵艦から放たれた砲弾がほぼ同一海域に着弾しているのではないか。
これでは着弾点を観測して射撃値の修正を行うのも難しいだろう。海面をいくら観測しても自艦と僚艦の着弾点を分離することが出来ないからだ。
着弾点で発生した水柱の寸法からして、ソ連艦隊が撃ち出して来たのは戦艦主砲であるらしい。ただし、長門型戦艦などが装備する16インチ級砲どころか、金剛型などの14インチ級砲よりも小口径の砲であるようだった。
もっとも、ソ連海軍との距離や確認された発砲炎の位置や数からして巡洋艦級の艦艇が装備する程度の砲とは思えなかった。
おそらくは射撃を行ったのは12インチ、30センチ砲なのだろう。
12インチ級の砲は、主に弩級艦や前弩級艦の主砲として使用されていた砲だった。日本海軍でも同級の主砲を搭載した戦艦を就役させていた時期もあったが、14インチ砲を搭載した金剛型が就役した以降はこれを備砲としたものはなかった。
軍縮条約の規定によって同級砲を搭載した旧式戦艦は全て廃棄されていたし、戦艦に準ずる重巡洋艦の主砲は8インチ砲に制限されていたからだ。
友邦英国海軍でも事情は変わらなかった。英国海軍艦でも重巡洋艦の8インチを越える砲となると14から16インチ砲となっており、中途半端な大口径砲である12インチ砲艦は無かった。
条約規定に従えば12インチ砲艦は重巡洋艦の範囲を越えて戦艦扱いとされてしまうのだが、主砲戦距離において自艦の主砲に耐久し得るというのが戦艦の基本性能を計画する際の常識であることを考慮すると、12インチ砲艦はより大口径の主砲を備えた戦艦との砲撃戦において著しく不利であると考えられるからだ。
仮に12インチ砲艦がより大口径の主砲を持つ戦艦と交戦した場合、どちらも常識的な装甲配置、装甲厚であるとすれば12インチ砲艦は垂直に張られた敵艦の装甲を貫通させるためには自艦の安全距離を割り込んで接近しなければなかった。
逆に水平装甲を貫こうと思えば弾道が山なりになって、装甲に対して垂直に着弾する正撃に近くなってくる大遠距離でなければ貫通力が足りなくなるだろう。
勿論その中間であれば敵艦から見れば安全距離となって装甲を貫く力はなくなっているはずだった。
ただし、そのような中途半端と思える12インチ級の砲を備える新造艦は、他国列強まで視線を広げると意外に数多く存在していた。ドイツ海軍の装甲艦やシャルンホルスト級戦艦は28センチ砲を備えていたし、イタリア海軍のように旧式の弩級戦艦に徹底的な改装を加えて現役に留めているものもあった。
ソ連海軍も確か12インチ砲艦を装備する艦艇を有している筈だった。そこまで細谷大尉が思い出していると、参謀長が大尉に視線を向けながら言った。
「敵艦はこの距離から発砲してきた。部員は敵艦の特定は可能か」
参謀長は戦況表示板上の敵艦を指し示していた。
細谷大尉も戦況表示盤を見つめて考え込みながら言った。
「おそらくクロンシュタット級及びガングート級と思われます。ガングート級は旧帝政時代に建造された旧式の弩級戦艦ですが、クロンシュタット級は今次大戦の開戦直前に建造が開始された新鋭艦です。
おそらくクロンシュタット級は米海軍のアラスカ級の影響を受けていると思われます。同艦はソ連海軍では重巡洋艦と呼称されていますが、実質的には戦艦として認識されているようです」
細谷大尉は思い出したことを一気に言ったが、参謀長は更に続けていた。
「その両艦が装備する砲は、本艦にとって脅威となりえるか。それと後続の磐城型の場合はどうか」
予想外の質問に細谷大尉は口ごもっていた。答えようのない問題だった。
シベリアーロシア帝国経由である程度正確な建造時点での性能が伝わっているガングート級だったが、長い就役期間にソ連海軍では貴重な大型艦として近代化改装を行っているようだった。だが、その改装工事の内容は分からなかった。
クロンシュタット級に至っては実質的に戦時中の建造となったために、他国同様にソ連の防諜体制が強化されていたことから一般的な情報すら得られていなかった。
それどころか、艦政本部でも同級艦が就役しているのか、あるいは建造中止となったのかすら分からなかったのだ。
それだけではなかった。防諜体制が強化されていたのはソ連だけでは無かった。日本海軍でも大戦勃発後は秘匿される情報が増えていた。
新造されたこの大和の性能もそうだった。国際連盟軍に参加する他国などに供与されることも多い海防艦や護衛駆逐艦程度ならばともかく、艦政本部に所属する細谷大尉でさえ新造艦、特に戦艦や重巡洋艦の様な大型艦の詳細は知らされていなかった。
言葉に詰まった細谷大尉を察したのか、あるいは連絡将校とはいえ他国軍人の前である事を意識したのか、参謀長は助け舟を出すように言った。
「不明な点は既存艦の数値を当てはめても構わない。つまり30センチ砲艦が40センチ砲艦と交戦する一般的な場合はどうかということだ」
まだ首をかしげながら細谷大尉はいった。
「常識的な設計を行っているのであれば、12インチ砲では本艦のような16インチ砲対応装甲を持つ戦艦の装甲は貫通できません。
しかし……」
「数が多い場合はどうか、か」
言いよどんだ細谷大尉の言葉を参謀長が補っていた。
着弾の様子や確認された発砲炎の位置からすると、主砲を撃ち込んできた敵艦は5隻程もあるようだった。
だが、これは奇妙な事だった。これまで艦政本部ではソ連海軍の12インチ砲艦は最大で5隻であると推測していたからだ。つまり、現在戦艦分艦隊の正面にはソ連海軍の大型戦闘艦の大半が存在するということになる。
水柱の数が少ないのは、おそらく相対角度のせいだった。大和、というよりはその背後のゴーテンハーフェンに向かう針路を維持しているために、ソ連艦隊は艦橋構造物前方に配置された主砲しか使用することができない状態だったのだ。
しかし、そこから水柱の数を考えると、少なくとも主砲発砲能力に限れば5隻の戦艦は完動状態にあるのでは無いか。ソ連艦隊は十分な整備を施されていると言って良いのだろう。
だが、本来ソ連海軍には艦隊整備に関して大きな制限がある筈だった。幾つもの海峡で繋がれた島国である日本や英国とは違って、大陸国家であるソ連や米国には陸地で引き離された各大洋に展開する艦隊を自由に集合させることが出来ないのだ。
米国は南北アメリカ大陸が最短となる中米の地峡にパナマ運河を有していたが、逆にこの運河が艦隊整備に対する制限ともなっていた。運河を通過出来る艦艇でないと戦略的な機動性を確保出来ないのだ。
戦艦分艦隊の所属艦でも、後続する磐城型であれば艦体の寸法はパナマ運河の通過可能範囲内に収まっているはずだが、大和型では射撃時でも安定性を保つ横幅のある艦体が閘門に収まりきらない筈だった。
勿論ソ連海軍も同様の制限を抱えていた。このバルト海に加えて、白海と黒海に主力艦隊が分かれていたのだ。イランなどと接するカスピ海にも艦隊が存在していたが、カスピ海は外洋と接することの無い湖だから、この艦隊の戦力は無視しても支障はないだろう。
この内、黒海艦隊はほぼ壊滅状態であるという情報もあった。侵攻してきたドイツ軍に主要な母港が占領されてしまっていたからだ。黒海沿岸を奪還した今では、駆逐艦や魚雷艇などの小艦艇から再整備を開始しているらしい。
ただし、明確な仮想敵の存在しない黒海艦隊は元々主力艦は配置されていないという情報もあった。革命を生き延びて同艦隊に配属されてた大型艦の多くもドイツ軍の接収を恐れて脱出した後に他の艦隊に再配置されたらしい。
現在のソ連海軍の主力は白海に展開する北方艦隊である筈だった。冬季の凍結など気象条件は厳しいものの、首都モスクワを背面に抱える上に、ソ連にとって唯一とも言える友好国である米国から送り込まれる船団の寄港地でもあったからだ。
だが、実際には北方艦隊の詳細は分からなかった。ソ連の分厚い防諜体制に守られている上に、物理的にも遥かモスクワ前面で侵攻を阻止されたドイツ軍にも伺い知れる範囲では無かったからだ。
それと比べればバルト海艦隊の規模は小さい筈だった。今次大戦初期は対ポーランド戦や対独戦において艦砲射撃などを行っていたものの、ドイツ地上軍の侵攻に合わせる様に主要根拠地であるレニングラードに後退していったからだ。
軍規模で包囲下に置かれることもあった地上軍とは異なり、海上を自由に動き回れる艦隊は比較的多くの戦力がレニングラードまで撤退できた筈だが、当時はドイツ軍によって確認された数はそれほど多くなかったようだ。
レニングラードまで撤退したバルト海艦隊にはさらなる受難が待ち構えていた。結局はモスクワ同様に最終的にはドイツ軍も都市部まで攻め込むことも出来ずに撤退していたのだが、前線が近くに構築されていた間は、レニングラードは幾度もドイツ空軍機の襲撃を受けていたというのだ。
ソ連軍の大反抗作戦で戦線が大きく西進するまでは、レニングラードの艦隊支援能力は大きく制限されていたのではないか。
新造艦の工事遅延は勿論、損傷艦の修理すら覚束なかったとしてもおかしく無かった。
しかし、予想に反してソ連海軍はこの戦闘に12インチ砲艦を5隻も投入していた。前衛からの報告などを総合すると、ガングート級戦艦3隻、クロンシュタット級重巡洋艦2隻であるようだった。
これは彼らの全力である筈だった。バルト海だけでは無い。全ソ連軍の大型艦をかき集めてきたのではないか。
ガングート級戦艦は革命時には4隻があったが、その後の損傷などで現在では3隻が在籍していると聞いていた。クロンシュタット級も建造時期や造船所に関する情報は錯綜していたが、起工されたのは2隻というのが有力な説だった。
だから、戦艦分艦隊の前にソ連海軍に在籍するガングート級とクロンシュタット級の全艦が姿を表しているということになるのだ。
だが黒海艦隊を無視したとしても、白海とバルト海に別れたソ連海軍が密かに主力をバルト海に集結させられるはずは無かったのだ。
仮にバルト海が閉鎖される開戦前にレニングラードに戦力が集中していたとしても、大戦中に目撃されなかったのは妙だし、レニングラードの工廠が何隻もの大型艦を万全な状態に保つ程の造修能力を維持していたとも考えづらかった。
司令部要員が顔を見合わせていると、奥から声がしていた。
「白海と繋がる運河を使用した、ということだろう」
虚を衝かれた顔で何人もの将兵が声を上げた栗田中将の顔を見つめていた。
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