1944バルト海海戦29
戦艦大和指揮所の中で、戦艦分艦隊を率いる栗田中将が眉間に皺を寄せながら言った。
「警告は出しているな」
断片的な言葉だったが、航空参謀は即答していた。
「すでに、輸送船団を護衛して西進中の航空分艦隊及びゴーテンハーフェン港に残置した第20航空戦隊に警報は発しています。おそらく船団、港湾には直掩機が出ているものかと思われますが……受信を確認しますか」
「それには及ばない。詳細は航空分艦隊司令官に任せる」
栗田中将はそういったが、不機嫌そうな表情はなおらなかった。参謀長が中将の表情を読み取ったようにいった。
「しかし……これで当初のように戦闘回避を呼びかけるというわけにはいかなくなりましたな……」
眉をしかめたまま栗田中将は押し黙っていた。
戦艦分艦隊司令部は、当初ソ連艦隊に対して戦闘の回避を呼びかけるつもりだった。ドイツとの講和を控えた状況とはいえ、ソ連軍と積極的な交戦を行う意思はまだ国際連盟軍にはなかった。
だから、今次大戦の初期に日本海軍がドイツ占領下の欧州諸国からユダヤ人達がマダガスカル島への強制移住される際の護衛を難民機関から要請された時のように、ソ連の一大攻勢によって出来上がった占領地帯に取り残されたドイツ人難民の輸送を中立の立場で行っているという建前で戦闘を回避しようというのだ。
艦隊にドイツ艦が含まれている時点でソ連側の意向を無視した都合のいい話に思えるが、戦艦分艦隊司令部では可能性は残されていると考えていた。当初の予定では、ソ連艦隊の側面から迂回挟撃を図る巡洋分艦隊が合流するはずだったからだ。
2方向から迫る2個分艦隊の戦力はソ連艦隊を圧倒するはずだった。この戦力差を察知すれば、常識的な指揮官であれば撤退を選択するのではないか。
むしろ、戦艦分艦隊司令部は巡洋分艦隊がこちらの意思に反して独断で戦端を開いてしまうことを恐れていた。輸送船団に対するソ連艦隊の攻撃を完全に防ぐことができればそれで良しと考えていた戦艦分艦隊に対して、巡洋分艦隊司令部の戦意は高かった。
細谷大尉にはその理由はよくわからなかったが、砲術参謀がどことなく揶揄するような口調で水雷屋の夢を叶えたいらしいとつぶやいているのは聞いていた。
おそらく、巡洋分艦隊は開戦からこれまでの戦闘では様々な事情から失敗続きだった敵主力への水雷襲撃を敢行しようとしているのではないか。航空分艦の隊主力が不在で航空戦力に期待出来ない現状だからこそ、水雷襲撃の絶好の機会と考えているのかもしれなかった。
迂回挟撃に関しても巡洋分艦隊、というよりもその指揮官である角田少将の強い要請を退ける事ができなかった為に取られた措置のようだった。栗田中将自身は下手に戦力を分断するよりも、当初は両分艦隊を統一して動かすつもりであったようだった。
だが、何れにしても戦艦分艦隊司令部の思惑は外されてしまっていた。
現状では、戦闘の回避を呼びかけるのは難しかった。理由はいくつかあった。予想される戦闘海域に巡洋分艦隊が姿を見せていないのもその一つだった。これではソ連艦隊に対して圧倒する戦力を見せて戦意を削ぐことなど出来ないのではないか。
それに加えてソ連艦隊から発艦していった敵機の存在があった。
戦艦分艦隊司令部としては、必ずしもソ連艦隊との戦闘そのものを忌避するつもりはなかった。
友邦シベリアーロシア帝国を支援し続けている関係から、バイカル湖畔に位置する実質上の国境線でしばしば日本軍もソ連軍と交戦することもあった。
日本海軍の艦隊がソ連軍と交戦することはこれまではなかったが、シベリアーロシア帝国成立時の経緯から同地には大規模な海軍陸戦隊もあったから、国境紛争の経験を持つのは陸軍部隊に限らなかった。
戦闘の回避を呼びかけるのは、大義名分を得るための行動でもあった。こちらが非戦の意思を示したにも関わらずソ連艦隊から発砲されたとなれば、何かと宣伝には有利だったからだ。
国際連盟軍と言っても加盟諸国から供出された軍の集合体に過ぎないから、世論に訴える大義名分は重要な要素でもあったのだ。
だが、目の前の水上艦隊だけならばともかく、航空機の存在は戦艦分艦隊司令部の判断に微妙な影を落としていた。
すでにバルト海に出動した国際連盟軍の艦艇はゴーテンハーフェン沖で潜水艦とは交戦していたが、海中の潜水艦が国籍を示す旗を掲げるはずは無かった。ソ連艦以外の可能性は考えられないが、表向きは国籍不明艦として処置されるのではないか。
しかし、航空機は別だった。ソ連海軍が各種条約に縛られなかったとしても国籍標識くらいは機体に記載されてあるはずだし、それ以前に目前の艦隊から航空機が飛び立ったのも事実だった。
それに高速で飛び去った敵機が船団に接触するのと目前の艦隊と砲火を交えるのと、どちらが先になるのかは分からなかった。仮にすべてのソ連水上艦が撤退したとしても、航空機が進撃を中止し引き返すという保証は無かった。
これが出撃した航空機が戦艦分艦隊を襲撃して来たのであれば、問題は大きくならなかったはずだ。ソ連海軍の新造艦には不明な点が少なくないが、マクシム・ゴーリキィ級の艦体寸法から判断すれば、2隻の搭載機全機が一度に発艦出来たとしても百機を越えるような数にはならない筈だった。
先程の編隊を電探で観測した結果もそれを裏付けていた。最大でも3,40機程度といったところではないか。しかも大規模な編隊を組むことなく発艦した順から五月雨式に出撃していったようだから、集中した攻撃力を発揮させることは出来ないのではないか。
戦艦分艦隊には空母は随伴していないが、ゴーテンハーフェン沖で待機する浦賀型海防空母岩国には新鋭の44式艦上戦闘機、烈風が満載されていた。
浦賀型海防空母3隻とこれを護衛する松型駆逐艦で構成された第20航空戦隊は変則的な編成の部隊だった。旗艦である岩国は、本来は船団護衛用として建造された海防空母を機動的な防空戦闘に投入した際の問題点を抽出する為に、半ば実験を目的として戦闘機を集中搭載していたのだ。
第20航空戦隊は防空任務を行う岩国と、通常編成とも言える対潜哨戒機である東海とその直掩機である零式艦戦を混載する岩屋、砥石の2隻で編成されていた。
だが、岩国航空隊の特異な編成によって奇妙な現象が起こっていた。新鋭機を集中搭載した為に、二線級の補助空母に過ぎないはずの海防空母に新鋭戦闘機が搭載される一方で、キールに向けてバルト海を西進している隼鷹型の方が旧式機を搭載していたのだ。
2隻の隼鷹型は、原型を商船とする特設航空母艦から正規空母に転籍した艦だった。
他の特設航空母艦が原型船の能力不足から実質的に航空機運搬船としてしか活用されていないのに対して、蒼龍型に準ずる能力を持つと判断された為に正規空母並みの扱いを受けて艦首に菊の御紋を掲げる軍艦籍に入れられていたのだ。
もっとも搭載機数では中型空母である蒼龍型に準ずるとは言っても、原型が商船であるために隼鷹型の速力は低く、航空分艦隊の中では隼鷹型2隻を主力とする第4航空戦隊は、他の航空戦隊に対して一段劣る扱いを受けていることは否めなかった。
空母の速力は単に戦略、戦術上の機動性を意味するだけではなかったのだ。
艦載機を発艦させる際には、空母は艦首を風上に立てて最大戦速を発揮させるのが常識だった。合成風力によって搭載機の発艦速度を稼ぐためだ。発艦速度の向上は、より安全に発艦が可能となるとともに離陸距離の短縮を意味していた。
そして離陸距離が短くできるということは、発艦に使用する区画が飛行甲板の艦首近くだけで済むするということだから、攻撃隊を一度に発艦させるために艦尾方向に発艦機を並べる配列区画を長くとれるということになる。
つまり、空母にとって速力が高いということは攻撃隊の機数増加、すなわち打撃力の強化を意味するのだ。
最近では大容量の射出機が実用化されたことによって、母艦の速力が足りなくとも重量機の発艦そのものは可能となっていたが、原理がどうであっても射出機の連続使用には何らかの制限があったから、少数機の発艦が多い海防空母ならばともかく、多数機で攻撃隊を編成する正規空母では未だに速力に対する要求は高かった。
その肝心の速力が低いという点が、隼鷹型の評価を押し下げることにつながっているのだろう。
他の空母群は英国本土で新鋭機搭載の為の改装や航空隊の機種転換訓練をおこなっているらしいが、隼鷹の搭載機は零式艦戦44型や二式艦上爆撃機彗星12型のままだった。
航空戦隊運用の事はよくわからないが、整備や予備品管理の効率を考慮して隼鷹型には水冷エンジン搭載機を集中しているらしいとも細谷大尉は聞いていた。
もっとも零式艦戦44型は初期型よりも大出力で空気抵抗の少ない水冷エンジンを搭載していたから、未だに無視できない性能を持っているはずだった。ソ連海軍の艦載機には不明な点もあるが、そうそう遅れをとるとは思えなかった。
地中海戦線の頃から、日本海軍では戦闘機の数を増やすように正規空母の搭載比率を変化させていた。予想以上に強力だったドイツ空軍の襲撃から艦隊や上陸岸を守る為に防空能力を強化する為だった。
それに最近の艦上戦闘機は大出力エンジンによって搭載量も増大していたから、急降下爆撃は機体強度から不可能であっても、緩降下爆撃であれば25番爆弾を両翼下に吊り下げる程度の爆装は可能だった。
防空能力の増強を図る措置は、戦闘機の機数増加だけでは無かった。電探搭載機による早期警戒域の拡大も効果が大きかった。例えば、岩国では戦闘機に加えて少数の艦爆を搭載していたが、これは急降下爆撃を行うためでは無かった。
魚雷に似た形状の機外搭載式電探を搭載して、母艦前方で空中哨戒を行う為だったのだ。多くの場合、こうした空中哨戒任務においては若干の護衛機が随伴していたし、場合によっては追加発艦してくる戦闘機隊を指揮下に置くこともあった。
現在では、艦隊の直衛機がはるか前方で阻止線を張ることは珍しく無かった。高速の敵機を余裕を持って迎撃することが可能となる上に、艦隊上空を空けておくことで友軍機の誤射を恐れずに水上艦が対空射撃を行う事ができるのだ。
戦艦分艦隊自体の対空砲火も強力だった。艦隊の半数は大戦勃発後に就役した艦艇だから、初速に優れる長10センチ高角砲を備えていたし、対空砲を統率する高射装置も最新の電探連動式を備えた艦も多かった。
戦艦分艦隊に敵機が襲撃をかけてきた場合でも、多少の損害が出るのは覚悟すれば回避行動と対空射撃で凌ぐことは出来ていたのではないか。
だが、敵機は戦艦分艦隊を無視してゴーテンハーフェンの方角へ飛び去ってしまっていた。商船、しかも雑多な客船ばかりの脱出船団を航空戦隊だけで完全に守り切るのは難しいのではないか。あとは戦闘機隊の奮戦に任せるしか無いが、戦艦分艦隊にも彼らを援護する余裕はなさそうだった。
こちらに前進してくるソ連艦隊の規模は予想外に多かった。駆逐艦らしき艦影まで含めると30隻程度の大艦隊だったのだ。
予想外の戦力に、ドイツ海軍から派遣されて連絡将校として乗り込んでいたネルケ少佐は顔を青ざめさせていた。単に恐怖からそのような表情になったとは思えなかった。これまでのドイツ海軍からの報告内容に反するソ連艦隊の戦力に肝を冷やしているのではないか。
しかし、大艦隊を前にしても、栗田中将は冷静だった。一度首を振ると中将は言った。
「当初の予定通り、ソ連艦隊に通信を送れ。こちらは非戦闘員保護のために出動した国際連盟軍艦隊であり、戦闘の回避を求む、とな」
だが、戦艦分艦隊司令部の中でその内容に意味があると考えているものはそれほどいなかった。
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