1944バルト海海戦28
戦艦大和に設けられた指揮所は狭かった。以前は長官公室として使用していた空間を転用したものだったからだ。
長官公室は、艦隊司令長官の居住の場でもある私室と違って、参謀や艦隊指揮下の各級指揮官などを一堂に介した会議などを行うこともあるから、大和艦内では広大といえる空間を確保していた。
ところが艦隊の情報を集約して指揮官に提供することを目的とした指揮所として改装する際に、艦隊司令部の要員だけではなく指揮所に必要な電探表示面や態勢表示盤といった各種電子機材に加えてそれを操作する大勢の将兵まで詰め込んだものだから、改装前と比べるとひどく狭苦しく感じる空間になってしまったのだった。
司令部要員や連絡将校などですし詰めとなっている指揮所の中で、員数外の便乗者という立場に過ぎない細谷大尉は居心地が悪そうに隅で縮こまっていた。
本来は細谷大尉は鹵獲されたドイツ軍の兵器を組織的に調査する為に編成された技術部隊に配属された技術士官だった。
それが第1航空艦隊からバルト海に分派された戦艦分艦隊の旗艦である大和に送り込まれたのは、艦政本部が細谷大尉をドイツ海軍潜水艦やソ連海軍の専門家としていたからだ。
細谷大尉にしてみれば迷惑な話だったが、普段は内地で書類仕事や設計計画業務に追われているだけの技術士官としては、実戦に望む戦艦に乗艦するのは貴重な機会であるのも事実だった。
だが、門外漢に近い細谷大尉の目から見ても大和や戦艦分艦隊に危機が迫っているのは明らかだった。
当初想定していたものよりもソ連艦隊の規模が格段に大きかったのだ。分艦隊に迫る脅威という意味ではそれに尽きるのだが、それ以上に厄介な事態も発生していた。
「対空見張り電探が敵編隊を失探しました」
態勢表示盤から敵機を示す駒が取り除かれようとしているのを見ながら何人かの参謀達の口からため息が出ていた。
戦艦分艦隊は、バルト海には立ち込める薄霞の中で確実に敵艦隊は探知する為に、前哨に出していた駆逐隊を含めて電探を全面使用していた。角田少将率いる巡洋分艦隊は、迂回挟撃の為に分離した後に無線封止に移行していたが、彼らの存在を隠し通す為にも戦艦分艦隊は積極的に行動する必要があったのだ。
栗田中将が前衛として主隊前方に進出させたのは、巡洋分艦隊から配属された1個駆逐隊だったが、各艦は敵艦隊を発見した時点で接触を継続しながらも主隊との合流を図って反転していた。
だが、敵艦隊の動きはそれよりも早かった。電探によって駆逐隊の存在を感知したのか、いくつかの反応が敵艦隊から離れていたのだ。その速度は艦艇ではあり得なかったし、反応の強度も低かった。
間違いなかった。敵艦隊は航空機を出撃させていたのだ。
強引なやり方だった。対水上見張り電探で得られた情報を信用する限りでは、敵艦隊に含まれるはずの母艦が変針する様子は無かった。敵艦が南下することで発生する合成風力はあるだろうが、現在バルト海に吹いている風向きからして完全な風上には立てなかった筈だった。
母艦のみを分離させて一時的にも戦力を分散させる事を嫌ったのか、あるいは全艦揃って回頭する事も避ける為だったのだろう。
先ごろの海戦から脱出できたドイツ海軍からの報告やこれまでの状況からすると、ソ連艦隊に含まれる母艦は純粋な航空母艦では無いようだった。おそらく今次大戦が開戦した頃に建造されていたというマクシム・ゴーリキィ級軽航空巡洋艦なのだろう。
マクシム・ゴーリキィ級軽航空巡洋艦は、ほぼ艦体全長にも達する長大な飛行甲板を備えていた。細長い島型艦橋も航空作業の邪魔にならないように右舷側に寄せて配置されていたから、少なくとも上空から見れば堂々たる正規空母と見分けはつかないのではないか。
ところが、同級の側面図を見ると印象は一変していた。上甲板の上に配置されている格納庫を収めた構造物は、飛行甲板の中央部しか配置されていないのだ。その代わりに前後に伸ばされた飛行甲板を支える頼り無げな支柱の間には前後2基、計4基もの主砲塔が備えられていた。
ソ連海軍は他国列強とは異なり軍縮条約を締結していない為にカテゴリー分けに縛られずに同艦を軽巡洋艦と呼称していたが、その備砲は長砲身の18センチ砲だったから、1万トンを軽く超える排水量からしても三連装砲塔4基分の12門も備えられた主砲からしても、本来は重巡洋艦と呼称されるべき存在だった。
大型の正規空母を集中運用することの多い現在の日本海軍の常識からすると、飛行甲板と大口径砲を同時に備えるマクシム・ゴーリキィ級はちぐはぐな存在の様に思えるのだが、ソ連に技術提供を行っていた米海軍にも同様に飛行甲板を持つ巡洋艦であるアーカム級巡洋艦が存在していた。
軍縮条約に則って計画されていたアーカム級は、備砲は軍縮条約の軽巡洋艦規定に従った6インチ砲で飛行甲板も艦体の6割程度を占めるほどでしかなかったが、思想的には間違いなくマクシム・ゴーリキィ級に強い影響を与えている筈だった。
それに、日本海軍でも同様の構造を持つ艦艇が計画されていた時期があった。蒼龍型航空母艦は、巡洋戦艦から改造された天城型に倣った全通甲板をもつ空母として最終的には建造されていたが、計画案の中にはアーカム級のように飛行甲板前方に背負式で巡洋艦規定に相当する主砲を搭載する案もあった。
それだけではなかった。大型潜水艦を集約させた第6艦隊の旗艦として計画されていた大淀型軽巡洋艦の初期計画図の中にも主砲塔後部に飛行甲板を備えたものもあったらしい。
初期段階で廃案になっていたとはいえ、大淀型では飛行甲板付きの計画図はかなり検討が図られていたらしい。
大淀型軽巡洋艦は、索敵能力に劣る麾下の潜水艦を支援するために航空索敵能力を重視して計画されていた。最終的に司令部施設に転用されていたものの、艦形に比して巨大な水上機用の格納庫を備えたのもその一環だった。
だが、航空技術の発展を考慮すれば、大淀型計画時の時点でも水上機形態よりも陸上機同様の形状を持つ艦上機の方が能力に勝るのは当然の事だった。それで飛行甲板が付けられた初期計画図では、水上機ではなく艦上機を運用する計画だったのではないか。
だが、そのような配置の航空艤装は実際に建造されても制約が大きくなるはずだった。高性能化が進むことで失速速度が高くなる一方である艦載機の発着艦を安全に行うには、広大で障害物の少ない飛行甲板が要求されていたからだ。
実際に飛行甲板形状が建造に際して論争となる事は多かった。最近でも荒天時の海水流入などの悪影響が大きい斜め下部排出の煙突を直立したものに変更を図るという動きがあった。
ところが上部排出される高温の排熱による着艦機への悪影響や飛行甲板面積の縮小を指摘する声が大きく、艦橋構造物と一体化した煙突構造を正規空母で採用するには、客船から空母に改装された隼鷹型で実績を示さなければならなかったのだ。
計画年度の古い蒼龍型の事はよくわからないが、大淀型軽巡洋艦でも飛行甲板形状でかなりの揉め事があったらしい。
潜水艦隊の旗艦として計画されていた大淀型が実際に飛行甲板付きで建造された場合の搭載機は、若干の防空用の戦闘機を除けば索敵飛行に適した三座の艦上攻撃機か、これに類似した艦上偵察機となっていた筈だった。
ところが、破棄された計画図に記載されていた飛行甲板の全長は短く、実際に建造されていたとしても大型機の迅速な発着艦には支障があると考えられていた。
おそらくは着艦制動索は短距離で大型の機体を制止させる為に特に大容量のものが据えられていたろうし、発艦も射出機の使用を前提としたものになったのではないか。それどころか、計画案の中には射出機長を稼ぐ為か、艦体に対して斜めに射出機を配置したものもあったらしい。
しかし、実際に配備された艦上偵察機などを見ると、航空機に関しては門外漢の細谷大尉にもそのような無茶な運用で十分に稼働率を確保できるとは思えなかった。
高速性能を重視した艦上偵察機は、不要な機材や形状の絞り込みによる空気抵抗削減を狙った軽量構造となっていたからだ。無理な発着艦を繰り返せば華奢な構造材が破断するか、少なくとも機体寿命の短縮程度はあったのではないか。
艦政本部に所属する細谷大尉が認めるのは癪だが、日本海軍において最終的にこのような航空作業に関する制限の多い配置が否定されたのは、航空本部の発言力が高まっていたのが原因だといえた。
軍縮条約による規定が原因とはいえ、日本海軍は比較的早い時期に巡洋戦艦を改装した天城型航空母艦を手にしていた。天城型は、未完成の巡洋戦艦を原型としているだけに大型かつ高速の艦艇だった。
また、先行していた英海軍との技術交流などから、最終的に小型の島型艦橋以外何も配置されていない全通した飛行甲板を備えた姿で建造されていた。
戦艦すら越える寸法の艦体一杯に広がった天城型の飛行甲板は、当初は過剰とすら思われていた。艦政本部などでは、純粋な艦艇としての復元力などを考慮して、甲板形状の縮小や格納庫高さの削減を考えていた程であったらしい。
もっとも、当時の艦政本部では復元力の維持というよりも、単に飛行甲板を含む航空艤装そのものを軽視している節があった。もし復元力を最大限考えていたのであれば、左右舷配置の高角砲の装備位置を上げて反対舷を射界に収めるなどという計画案が出てくるはずもないからだ。
大淀型軽巡洋艦はともかく蒼龍型の初期案で大口径の備砲が計画されていたのも、航空機そのものを軽視していたという側面もあったのではないか。
艦政本部の考えとは違って、最近の日本海軍では天城型ですら航空艤装の強化が必要という声も少なく無かった。特に飛行甲板の形状や強度に関しての不満が大きいようだった。
高速化、重量化する一方の艦載機が着艦する際の衝撃に対して従来の単純な一枚板の構造物では持たなくなっていたのだ。日本海軍では翔鶴型空母から飛行甲板の一部で装甲化が行われていたが、構造的には従来の飛行甲板に装甲板を貼り付けたものでしかなく、強度を負担する部材とはなっていなかった。
ところが、正規空母ではなく、船団護衛用に建造された海防空母において新たな構造が取り入れられていた。実際には米海軍で建造された空母の構造を研究する過程で取り入れられたものらしいが、飛行甲板下部に桁構造を設けることで一枚板ではなく全体で荷重を負担する構造としていたのだ。
しかも桁構造の高さはかなり高く、実質的に甲板室を形成していた。
構造だけではなかった。航空機運用の知見が蓄積される中で、昇降機の配置や飛行甲板の形状なども段階的に改善が図られていた。本国で建造中だという新型空母は、航空艤装だけ見てもかなり従来型とは違った形で就役するのではないか。
だが、このように可能な限り航空艤装の効率を高めて多数の艦載機の集中運用を図ろうとする日本海軍に対して、米国海軍やその技術支援を受けたソ連海軍では航空母艦に対する要求は大きく違うようだった。
米海軍初の空母となったラングレーに続いたのは、未完成戦艦から改造されたコロラド級だった。戦艦を原型とするだけに相応の艦体寸法を持つものの、元々米海軍の戦艦は鈍足であり、これを原型とするコロラド級も速力は低かった。
この低速と着艦の難しい二段式飛行甲板を持つことからコロラド級は主力である戦艦部隊に随伴する直掩艦として運用されているようだった。
コロラド級に続く第2世代とも言えるヨークタウン級航空母艦は、天城型に対抗する意味もあったのは大型正規空母として就役していたが、それ以後はアーカム級航空巡洋艦やワスプ級空母のように主力艦である戦艦群や偵察戦力である巡洋艦部隊に随伴する運用が前提となっているようだった。
要するに、米海軍では航空機やその母艦を独立運用可能な戦力ではなく補助的な使い方しかできないと考えているのではないか。
これまで米海軍から技術的な援助を受けていたソ連海軍も、就役させたマクシム・ゴーリキィ級軽航空巡洋艦を同様に運用していると考えられていたのだが、実際にはより積極的な運用をされているようだった。取り除かれた敵航空機を示す駒を見つめながら細谷大尉はそう考えていた。
態勢表示盤で最後に駒が置かれていた方角にはドイツ難民を満載した輸送船団が航行しているはずだったのだ。
大和型戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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ワスプ級空母の設定は下記アドレスで公開中です。
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