1944バルト海海戦26
バルト海の薄靄に紛れるように姿を潜めながら、駆逐艦島風は減光した信号灯で発光信号を送っていた。
敵味方不明の電波源を探知したことから、前衛を努めていた島風は急遽反転して本隊と合流を図っていた。しかし、発光信号を受信しているはずの巡洋分艦隊旗艦の反応は鈍かった。
指揮所に詰める岩渕兵曹から見えるのは態勢表示盤だけだったが、限定的な状況を再現しているだけの表示盤を見るだけでも旗艦、というよりも分艦隊司令部の逡巡が伺えたのだ。
巡洋分艦隊の旗艦として指定されていたのは重巡洋艦鳥海だった。高雄型重巡洋艦の3番艦として建造された鳥海は、残存する同型艦である摩耶と共に2隻の重巡洋艦で第5戦隊を構成していた。
以前は、建造された高雄型4隻全てで1個戦隊を構成していたのだが、マルタ島沖海戦で同型艦2隻が同時に撃沈されてしまったことで鳥海、摩耶の2隻体制となっていたのだ。
ただし、同型艦とは言っても現在の鳥海と摩耶の艦型には大きな違いが生じていた。主砲塔の数さえ違うのだから遠距離からでも識別は容易な筈だった。
何十年も現役を強いられる艦艇、特に戦艦や巡洋艦のような大型艦では就役期間中に幾度も大規模な改装工事を受けることも珍しく無かった。軍縮条約によって新造艦の建造が制限されてからは特にそうだった。
構成する艦艇数を増やせない以上は、艦隊単位で考えた時に全体の戦闘力を高めようとすれば、既存の各艦の性能を上げていく他に手段が無かったからだ。
しかも大型艦の場合は改装工事に必要な予算や工期が大きいものだから、年度予算の都合や工廠や造船所の空いている船渠の確保などといった要因によって同型艦でも改装時期に大きなずれが生じることがあった。
そのような場合は、改装後の同型艦でも性能に差が生じる事もあった。改装工事が実施される間に搭載する機器が更新されたり、先行して改装された艦の実績が反映されたりするからだ。
戦時中は特に個艦の差異が生じやすかった。個艦の戦闘能力を正確に復旧するよりも、修理期間の短縮を図られることも多いからだ。
仮に何らかの原因で主砲塔が吹き飛ばされた艦があったとして、平時であれば熟練した工廠工員による工事で念入りに旧状態に復旧できたものが、早期の戦線復帰を優先して戦時中は応急処置で被弾痕を塞いだまま出動を余儀なくされる艦も珍しくなかった。
また、活発に活動していたドイツ空軍に備えて、地中海戦線に投入された艦艇は現地で対空兵装を増強することも多かった。場合によっては破損した主砲塔の代わりに、工数の少ない甲板部のみで工事が終了する対空機銃座の増設を行った艦まであったようだ。
もっとも鳥海の場合はそのような兵装の強化や応急処置を目的として改装されていた訳ではなかった。マルタ島沖海戦後に行われた改装工事は、大規模な艦隊を統率する指揮能力の向上を狙ったものだったのだ。
ある意味では島風と鳥海の改装工事の内容は似ていなくもなかった。大雑把に改装工事の内容をまとめれば、鳥海も兵装を撤去して空いた空間に指揮所を設けていたからだ。
島風は魚雷発射管を撤去した跡地に甲板室を設けていた。鳥海も魚雷発射管は撤去されていたが、同時に背負式に配置されている第2主砲塔の砲塔基部の一部を巻き込むように広大な甲板室が艦橋構造物から延長されて設置されていた。
遮楼甲板の拡張は大規模なものだった。第2砲塔から第4砲塔に至るまで、従来の艦橋構造物の一階に相当する甲板部を拡張する形になっていたのだ。鳥海に増設された指揮所は、この遮楼甲板のうち戦闘で破損した第3主砲塔跡に相当する区画を専有して設けられたものだった。
そこまでは両艦の改装内容は類似しているものの、島風の指揮所が早期警戒と局所的な航空戦闘の統制を目的としたものであったのに対して、鳥海の場合はそれよりももっと大規模な艦隊全体の指揮をとるためのものだった。
現在の鳥海は1個分艦隊の司令部が乗艦しているだけだが、本格的な欧州本土への反攻作戦となったシチリア島上陸作戦時にはより上級の第1航空艦隊司令部が乗り込んでいたほどだった。
当然のことながら指揮所の寸法や定数も違いが大きかった。前衛哨戒艦でしかない島風に流入する情報は、電探などの探知装置が強化されたとはいえ、あくまでも自艦で得たものに限られていた。
戦闘機隊からの情報があったとしても、通常は島風の長距離対空見張り用の電探で得られた探知目標を整理して戦闘機隊に一方的に伝達することがあるだけで、単独行動が前提であるために他艦を指揮することも無いはずだった。
鳥海の場合は、分艦隊という中間結節点を有するとはいえ、少なくとも一度は百隻を越える第1航空艦隊所属艦全てを統制していたのだ。当然のことながら指揮下の数だけではなく、管理しなければならない海域そのものも広大なのだから、表示盤の大きさや形式も異なるはずだった。
それ以上に両艦の格の違いは明らかだった。島風の指揮所の主は駆逐艦長である小、中佐か、仮に駆逐隊司令であっても大佐と佐官の域を出るものではなかったが、艦隊司令長官となれば最低でも将官級となるからだ。
指揮所の機能や規模だけではなかった。というよりも指揮所の規模だけならばもっと広大なものもあった。指揮所の原型となっているのは英国本土航空戦で用いられた地上の防空司令部だったが、搭載容量が限られるものだから艦載のものはいずれも規模や機能を絞っていたのだ。
ところが、日本海軍の艦艇で最初に指揮所を設けられた実験艦とも言える興国丸の場合は、後発の各艦よりも充実した機材を搭載していた。端的に言えば、興国丸で設けられた完全規格の指揮所に対して、後発の各艦は要求される能力に合わせて機能を削ぎ落としていたもの、ということではないか。
興国丸にそのように大規模な指揮所が設置可能であったのは、同艦が大型貨客船を徴用した特設巡洋艦であったからだ。
原型となっていたのは、長距離航路向けに整備されていた一万トン級の船だった。内部容積も大きいから、固有の乗員に加えて大勢の司令部要員を乗艦させるのも容易だった。
ただし、興国丸は商船構造の特設艦でしかなかった。菊の御紋が取り付けられない軍艦ではないという点をのぞいても、機動力や防御力に欠けているという欠点は無視できなかった。
戦艦や空母など多数の正規艦艇を率いて、場合によっては陣頭指揮を取らなければならない艦隊旗艦には興国丸は使えなかったのだ。
実用試験ともいえる船団護衛部隊旗艦の任務を終えた後、興国丸も第1航空艦隊に配属されていたが、現在は戦闘部隊ではなく輸送艦やその直掩艦で構成される輸送分艦隊の旗艦に収まっていた。
鳥海の指揮所は、興国丸のそれと比べれば設備は限られていた。
輸送分艦隊旗艦の興国丸は、指揮下の戦闘艦こそ少ないものの、多数の輸送艦やその搭載艇である大発が一斉に狭い上陸岸に集中するために錯綜しがちな上陸作戦の統率を行う必要があった。
当然のことながら高い事務能力が興国丸の指揮所には要求されていたから、多数の下士官兵が勤務する空間が必要だった。それに比べれば鳥海の指揮所は艦隊指揮に特化していた。
それに、島風のように情報源を自艦の電探などに限定することも少なかった。島風の場合は、駆逐艦級艦艇には似つかわしくない程の電探を搭載しているが、鳥海は機器の更新こそ図られたものの、重巡洋艦搭載のものとしては常識的な範囲内のものに留まっていた。
その代わり通信機能は充実が図られていた。指揮下の艦艇に上意下達を行うだけでは無い。島風のような哨戒艦や哨戒機などから情報を受け取る為でもあった。鳥海の指揮所は単艦で成り立つ様なものでは無いと言うことかもしれなかった。
おそらく、同じ指揮所と言っても島風と鳥海では内装も随分と異なる筈だった。艦隊司令部が乗り込むのだから、複数の将官級指揮官や参謀が配置される部署としてふさわしいものになっているのではないか。
鳥海は、第1航空艦隊旗艦からその指揮下の巡洋分艦隊旗艦となっていたが、それは指揮能力に不満があったからではないはずだった。
分艦隊旗艦となった鳥海に代わる第1航空艦隊の旗艦には、新たに日本本土から送られてきた軽巡洋艦大淀が充てられていた。
大淀型軽巡洋艦は、元々潜水艦隊旗艦用として計画されていた艦だった。書類上は潜水戦隊旗艦に充当されている旧式軽巡洋艦の代替として建造されたのだが、実際には大淀が想定していた戦法はより積極的なものだった、
大淀型は砲兵装は貧弱であるものの、視界の限られる艦隊型潜水艦を支援するために長距離かつ高速で運用される水上偵察機の運用に特化して大型の格納庫や大容量の射出機などを備えていたのだ。
しかし、大淀型軽巡洋艦が就役する頃には当初想定されていた運用環境そのものが疑問視されるようになっていた。
仮想敵である米海軍の新造戦艦が軒並み高速性能に優れたものになっていたことから、大淀型が率いる艦隊型潜水艦が想定していた主力艦への襲撃という戦術そのものが実用性を失っていたためだった。
以後の日本海軍の潜水艦整備の主流は、潜水水雷艇とも言うべき大型の艦隊型潜水艦から、長距離偵察や通商破壊に使用される巡洋潜水艦や、これを補佐する中型の艦隊型潜水艦に移っていた。
その一方で大淀型に要求されていた偵察能力は、艦隊型潜水艦を支援する為のものだったから、水上機の搭載理由も曖昧になっていたのだ。
そこで、大淀では用意されていた大型の格納庫を廃してそこに司令部設備を設けていた。元々同型は潜水艦隊を率いる旗艦として設計されていたから、通信機能は充実していた。だから指揮統制の機能だけ見れば鳥海をも越える筈だった。
鳥海が巡洋分艦隊旗艦に指定されたのはこのような理由があるからだった。錯綜しがちな夜戦を管制出来るだけの高い指揮能力に加えて、大淀型とは違って自衛戦闘を行うには十分すぎる程の火力も残されていたからだ。
それが第1航空艦隊直卒ではなくより前線に近い分艦隊配属となった理由なのだろう。
だが、今の鳥海はその高い指揮能力を持て余しているようにも岩渕兵曹には思えていた。鳥海に乗り込んでいる角田少将は積極果敢な性格だと聞いていたが、巡洋分艦隊の動きには積極性が欠けているような気がしていた。
あるいは、少将は保守的な程の砲術家ともいうから、新兵器である電探や逆探の性能を信じきれていないのかもしれなかった。
先程からちらちらと態勢表示盤を覗き見ていた兵曹は、他人にさとられないように僅かに首を傾げていた。鳥海を先頭とする主隊の針路が僅かに捻じ曲げられていたのだ。
鳥海は緩やかな右回頭を行っていた。これまで単純に北上していたものが、針路がやや東寄りになっていた。理由は明らかだった。島風が探知した電波源に最接近する軌道を取っていたのだ。
観測が短時間であった上に、電探から発振された電波を観測する逆探によって間接的に探知した為に詳細な目標の位置は測定出来なかったが、推測された電波源の針路と主隊の軌道は交差していた。
最接近まで幾許も残されていなかった。島風に装備された二種類の逆探も電波源の観測を再開していた。
それだけではなかった。唐突に逆探を操作する兵が声を上げていた。至近距離に電波源が発生していたのだ。勿論敵艦ではあり得なかった。
鳥海が敵艦隊に向けて電探を発振させていたのだった。
島風型駆逐艦の設定は下記アドレスで公開中です
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ddsimakaze.html
高雄型重巡洋艦鳥海の設定は下記アドレスで公開中です
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特設巡洋艦興国丸の設定は下記アドレスで公開中です
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