1944バルト海海戦25
巡洋分艦隊に配属された島風は、ある意味では建造当初の想定どおりに単艦で友軍艦隊の前方に進出していた。ただし、本隊である巡洋分艦隊と同じく自ら電波を発振する電探の使用は禁止されていた。
栗田中将率いる戦艦分艦隊から分離した巡洋分艦隊は、予想される交戦海域で別方向から合流を図るように迂回針路をとっていた。うまく行けば敵艦隊を後方から包囲して殲滅できるはずだった。
だが、それには巡洋分艦隊の存在を隠蔽する事が必要不可欠だった。そうで無ければ奇襲となる迂回挟撃とはならずに各個撃破されてしまうかもしれないからだ。巡洋分艦隊の指揮官である角田少将は奇襲効果を最優先しているようだった。
巡洋分艦隊は、これまでの猛訓練を活かすように、無線封止中にもかかわらず一糸乱れずに高速でバルト海の薄霞を切り裂くように航行していた。
元々、巡洋分艦隊に配属されているのは、戦前想定されていた漸減邀撃戦術において夜間水雷襲撃の主力として期待されていた第2水雷戦隊とその援護火力を提供する重巡洋艦戦隊だった。
熟練の艦長や戦隊司令官も多いから、多少視界が悪くとも艦隊行動に支障など生じないのだろう。
第2水雷戦隊は戦艦分艦隊の護衛として1個駆逐隊を分派していたが、残りの3個駆逐隊だけでも10隻を越える大型駆逐艦が所属していた。これによる雷撃が成功すれば、大きな打撃を敵艦隊に与えることができるのではないか。
彼らの多くは、空母不在の状況で思いがけずバルト海で訪れた大規模な水雷襲撃の機会に興奮しているようだった。地中海ではマルタ島沖海戦で水雷襲撃は成功したとは言えなかったが、未だに魚雷攻撃の打撃力そのものまでもが否定されたわけでは無かった。
うまく行けば、マルタ島沖海戦の雪辱を晴らす事もできるのではないか、そう考えている関係者は少なくないようだった。
そのような水雷部隊の熱狂に対して、島風はどちらかと言うと傍観者のような曖昧な立場で現状を見つめていた。
開戦後に就役した島風の乗員は、水雷戦隊所属艦から転籍して来た根っからの車引と呼ばれる駆逐艦乗りといった雰囲気のものはさほど多く無かった。元設計通りであったならばわからないが、哨戒艦に改装された時点で島風は水雷科からは魅力の無い艦として軽視されていたはずだ。
艦長である浅田中佐は以前にも別の艦で駆逐艦長を務めていたが、それも水雷部隊ではなく船団護衛部隊に組み込まれた松型駆逐艦のだった。敵艦への華々しい雷撃よりも地道な対潜戦闘の方が多かったはずだ。
水雷部隊の方も島風のそんな雰囲気を察していたのか、高い練度を要求される夜間航行する編隊に組み込まれることは無かった。前衛として単艦進出を命じられていたのだ。
ただし、角田少将が島風を無視していたわけでは無かった。ある意味では少将は島風に過大な程の期待を寄せているのではないか。
奇襲を狙っている角田少将は、無線による交信は勿論だが、敵艦隊に我の存在を暴露する可能性のある電探の使用も禁じていた。無線封止と言うよりも電波管制とでも言うべき処置だった。
巡洋分艦隊主隊から突出している島風も無線封止の対象とされていたが、島風には主隊よりも積極的な対応が命じられていた。
島風には各種電探と共に高精度の逆探、電波探知機も搭載されていた。主隊各艦が搭載しているものよりも新型であるそれを駆使して、敵艦隊を早期発見する事が前衛である島風には求められていた。
敵艦から発振された電探波を感知する電波探知機のみを使用すれば、こちらからは一度暴露することなく敵艦隊を早期に発見することができるはずだった。
しかも、島風には敵艦隊発見後の行動も命じられていた。逆探で敵艦隊を発見した島風は、即座に無線封止を解除して電探を発振することが命じられていた。
そのこと自体は当然といえば当然の措置だったが、この時も主隊は無線封止を保ったままだった。そして、派手な電波発振を行って島風が敵艦隊を引き付けている間に、有利な態勢をとるように忍び寄った主隊が奇襲を図るというのだ。
巡洋分艦隊の進出が遅れた場合は、島風が敵艦隊を発見した際には既に戦艦分艦隊が敵艦隊と交戦中の可能性もあったが、その場合も島風は囮となって巡洋分艦隊主隊とは別方向から突入の機会を伺うことになっていた。
単なる前哨艦よりも積極的な、電波戦闘とでも言うべき行動を命じられた島風だったが、角田少将は島風の新鋭装備をあまり理解していないのかも知れなかった。
確かに、英国本土で搭載された新型の逆探は、波長分解能や角度精度などの点では格段に従来型よりも向上していた。探知目標となった電探の特定も熟練の電信員が操作すれば難しくは無かった。その点では島風の電波兵装に大きな期待を寄せた角田少将の認識は誤っていないと言えた。
ところが、この新型逆探には角田少将が気が付いていないと思われる大きな問題があった。単に性能だけ見れば高いものだったものの、そこにはある落とし穴があった。空中線の仕様が原因なのか、探知可能な波長域が短かったのだ。
日英に比べるとこれまでの敵国だったドイツ海軍の装備する電探が使用する波長は長いものだった。ごく単純化して考えれば、使用波長が短いほど電探の分解能は高まるのだが、使用波長の短縮は高度な技術力を要求していた。
今の所は交戦の可能性が高いソ連海軍が装備する電探の性能は詳細までは分かっていなかったが、ドイツ軍から提出された断片的な観測情報からすると使用波長の点ではドイツ軍と同程度であるらしい。
つまり、この新型逆探は高性能ではあったもの、探知可能なのは使用する波長の短い友軍の電探だけだったのだ。
このことに気がついた島風の指揮所要員の間には白けた雰囲気が漂っていたが、その時には既に無線封止は開始されており、長時間の無線で詳細な技術的な説明を角田少将に行うことは不可能だった。
だが、逆探を操作する電信員以外どことなく弛緩した雰囲気の漂う指揮所内で、岩渕兵曹はある可能性を考えていた。もしかすると、角田少将は囮となる島風に電波戦闘を行わせることでソ連海軍に先に発砲させるつもりではないか。
現在、日ソ関係は微妙な状態にあった。以前よりソ連に対抗するシベリアーロシア帝国を支援する日本帝国はソ連と敵対関係にあったのだが、欧州戦線においてはこれまで日本、というよりも国際連盟軍とソ連軍が直接交戦することは無かった。
これまでは国際連盟軍もソ連もドイツと戦っていたからだ。これまでの経緯から両軍が協調することはなかったが、多国籍の国際連盟軍の中には対独戦を有利とするためにソ連との連携を主張する国があったのも事実だった。
ところが現在国際連盟軍はドイツと事実的に講和を行っていた。ドイツは講和に際して対ソ戦の継続を訴えていたが、国際連盟軍は今のところ直接ソ連と戦火を交えていたわけではなかった。
ドイツと国際連盟軍の講和に関して、今のところはソ連は帝国主義者の陰謀だとかいう通り一変の批難のほかは積極的な対応は見られなかった。
今回の国際連盟軍によるバルト海進出も、難民保護を目的とした人道支援という声明を出していたが、ソ連側はこの声明に対して何の反応も返していなかった。
この状況では、難民船団の保護が目的であったとしても、ソ連海軍が国際連盟軍艦隊を見逃すとは思えなかった。ただし、こちら側から戦端を開いては後にソ連に大義名分を与えてしまう、角田少将はそう考えているのではないか。
島風が予定通りに突出した場合、派手な電子戦闘を行う島風に対してソ連海軍が先んじて発砲する可能性が高かった。しかし、敵対的なものであったとしても電子戦闘そのものには違法性は無かった。世論的にも電探発振と発砲を伴う行動を同一視するものは少ないだろう。
というよりも、今次大戦において急速に電探関連技術が進歩を遂げたものだから、未だに敵対的な電探の発振に関して国際的な条約や先例が存在していなかったのだ
岩渕兵曹は眉をひそめていた。仮に兵曹の想定どおりであったとしても、角田少将の考え自体は理解できた。姑息な手段ではあったが、本隊を秘匿したまま大義名分を得られるからだ。
ただし、実際に撃たれる側としては冗談では無かった。日本海軍の駆逐艦としては大型でも、この島風には装甲と呼べるようなものはなかった。対するソ連艦隊は戦艦を含む大戦力だというから、駆逐艦1隻など容易に無力化されてしまうのではないか。
陰鬱になりかけていた岩渕兵曹の耳に、興奮した様子の声が聞こえていた。
「逆探に反応、方位は……」
従来型の逆探に取り付いていた兵の声だった。にわかに島風指揮所の雰囲気が続く戦闘の予感からか緊張したものになっていた。
だが、指揮所の中央におかれた態勢表示盤の前で所在なげにしていた浅田中佐の反応は鈍かった。本来であれば、逆探で敵艦隊の存在を察知した島風は直ちに電探の無制限使用を行う筈だった。従来型逆探の分解能では早期発見は出来ても正確な位置の特定までは出来なかったからだ。
ところが、浅田中佐は首を傾げたまま態勢表示盤を見つめながらつぶやいていた。
「思ったよりも近すぎるな……」
しばらく無言のまま浅田中佐は態勢表示盤を見つめていたが、すぐに視線を新型の逆探を操作する兵に向けていた。
浅田中佐は口を開きかけたが、それよりも早く怪訝そうな声がその兵から聞こえていた。
「こちらの逆探にも反応が出ました……方位は……同じ、です」
島風指揮所の中に、行動中にも関わらず自然とざわめきが生じていた。岩渕兵曹も緊張した様子で浅田中佐の方に視線を向けていた。事前の想定通りなら、艦長の判断で即座に兵曹が担当する電探にも火が入れられるはずだったからだ。
しかし、浅田中佐は指揮所の緊張した様子とは違って、落ち着いた普段通りの表情を浮かべていた。中佐は艦橋に繋がる艦内電話に受話器を取り上げつつ逆探に取り付いていた兵に言った。
「どちらの逆探もその反応を取り逃がさんようにしておけ。方位を確認し続けるんだ……先任か、本艦は面舵だ。しばらく現進路に直交して走ってみてくれ。それで今の逆探知の方位が変化するかを知りたい」
転舵が始まったのはその直後だった。元々雷撃戦に特化した駆逐艦として建造されていた島風の操舵性は優れていた。小気味よい程の勢いながらも短時間で島風の針路は捻じ曲げられていた。
その間も逆探を操作する兵は方位を読み上げていた。島風から見た時の方位は、転舵と共に急角度で変化していた。だが、その変化は島風が針路を直交させた時点で終わっていた。
再び指揮所にざわめきが走っていた。ただし、焦りではなく怪訝に思う声だった。奇妙な事態だった。常識的に考えればレニングラードを出撃したソ連艦隊は、フィンランド湾を抜け出したあとはバルト海をひたすら南下しているはずだった。
ソ連艦隊の標的は、ドイツ避難民が集結したゴーテンハーフェン港かそこから出港した避難船団だからだ。
仮に南下するソ連艦隊から発振した電探波を逆探が感知したのだとすれば、針路を90度捻じ曲げてバルト海を東進する島風からの見かけ上の方角は、刻々と変化するはずだった。
それに変化が見られないということは、少なくとも今は島風と電波源は同航しているということになるのではないか。
浅田中佐は、困った様な顔を態勢表示盤上の島風と電波源を示す標識から傍らにいた通信長に向けながら言った。
「どちらの波長の方位も位置は変わりないな。通信長はどう思う」
通信長は間髪入れずに答えていた。元々この指揮所の指揮官は通信長だった。艦長の浅田中佐が情報が集約されるからといって指揮所にいることの方が変則的な配置だったのだ。
「友軍……ですか。波長が長いのが旧式のドイツ艦、それに新型で察知したのは英国製のものかもしれませんな。おそらく戦艦分艦隊に合流を命じられていたドイツ戦艦でしょう。それに英国の艦艇が随伴しているのではないですかな」
通信長の言葉は疑問型を取りながらも断定的だった。通信長は、駆逐艦のそれとしては明らかに階級の高い少佐だった。
前哨艦として改装された島風は、場合によっては母艦から進出した戦闘機隊を指揮することもあるから、防空戦闘の指揮中枢である指揮所には高い権限を持つ指揮官が要求されていたのだ。
浅田中佐も老練な通信長にうなずきながらいった。
「戦闘の形跡が無いということは、やはりその可能性が高いな……」
そこで一旦言葉を切ると、浅田中佐は再び艦橋に繋がる受話器を手にしていた。
「再度面舵。90度回頭して一旦旗艦に接近する。無線封止は継続。旗艦に接近し次第発光信号で現状を報告するぞ」
浅田中佐がそういうのを岩渕兵曹はぼんやりと眺めていた。どうやら自分の出番はまだなさそうだったからだった。
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