1944バルト海海戦24
海面に唐突に閃光が走ったとき、駆逐艦島風は巡洋分艦隊旗艦である鳥海の側面を援護する位置を航行していた。
ただし、当初から巡洋分艦隊の陣形の中で島風がその位置にあったわけではなかった。ゴーテンハーフェンを出撃した頃は、巡洋分艦隊の前衛哨戒を任されていた島風は、艦隊の前方に突出していた。
その後に不審電波源を探知したことで本隊に合流を図っていたのだが、それは当初から計画されたものではなかった。指揮系統における島風の曖昧さがそのような結果をもたらしたともいえるのではないか。指揮所の中で表示面を睨みつけながら、岩渕兵曹はそう考えていた。
島風は日本海軍の中でも特異な駆逐艦だった。原型となっているのは戦前に計画されていた甲乙丙丁の四種に分けられた将来装備となる駆逐艦建造計画によるものだった。
この計画は、従来型の駆逐艦に加えて対空戦闘に特化したもの、量産性を高めたものなどに特化した駆逐艦を建造するというものだった。その中でも島風の原型となったものは、水雷戦闘に特化したものだったのだ。
計画時の島風が従来型の水雷戦隊に配備される一線級の駆逐艦と異なる部分は、雷撃戦、それも夜戦時における肉薄雷撃に特化した点に集中していた。
日本海軍の従来型駆逐艦は、予備魚雷を迅速に発射管に装填する次発装填装置の採用などによって、遠距離から隠密理に行う昼間戦闘にも対応していた。長射程の酸素魚雷の採用がそのような戦闘を可能としていたのだ。
だが、島風は予備魚雷を詰め込んだ次発装填装置こそないものの、魚雷発射管は多連装のものを搭載しており、一斉発射時の雷数は多かった。その上に高速の敵戦艦に最適な雷撃を行うために高速性能をも重要視されていた。
おそらく島風が計画時のままの姿で就役していれば、夜戦時においてその高速を利して敵戦艦に肉薄して雷撃を行うという駆逐艦や魚雷艇が実用化した頃の戦術を取り戻していた筈だった。
ところが、実際には島風は大きく設計変更がされた姿で就役していた。自慢の快速には変わりはなかったが、それは艦体部の工事が進められていたことや、先行して機関部の艤装品が発注済で改設計作業の対象外だったからというのに過ぎなかった。
主な変更点は上部構造物に集中していた。多連装の魚雷発射管などは補償重量分として容赦なく撤去されていた。そして魚雷発射管の代わりに大出力の各種電探とそれを操作する兵員、情報を吟味する指揮官などが配置される大容量の指揮所が設けられていたのだ。
島風に搭載された電探は、駆逐艦搭載用に小型化されたものではなかった。本来は高角砲を集中配備して防空戦闘の中核となることを期待されていた防空巡洋艦に搭載される本格的な対空見張り用のものだったのだ。
改設計後の島風の任務は、友軍の前方に進出して優れた電探を駆使して艦隊の目となると共に、同じく前方に展開する友軍戦闘機隊の誘導管制を行うことだった。
現在の島風はキールに後退する航空分艦隊を離れて巡洋分艦隊に配属されていたが、これも電探や指揮所による情報分析能力の高さを活かして前方で哨戒任務を行うためだったのだ。
ただし、島風は単艦で見れば優れた哨戒能力を有しているものの、この戦訓を受けて同型艦が建造される可能性はなかった。というよりも、島風の改装は建造計画当初に想定されていた戦術が破綻しているという危惧を受けて半ば反射的に行われたものに過ぎなかったのだ。
甲型駆逐艦に分類される従来型駆逐艦は、大正から昭和にかけて就役した特型駆逐艦と呼ばれた吹雪型を嚆矢とする本格的な外洋型駆逐艦だった。その本質は、軍縮条約による主力艦の劣勢に対応するためのものだったのだ。
それ以前の文字通りの補助兵力で外洋での艦隊決戦に随伴することが難しかった艦型過小の駆逐艦とは異なり、良好な航洋力をもつ大型駆逐艦で敵主力に襲撃を掛けるのだ。
近年までの日本海軍の駆逐艦整備は、太平洋での対米戦を睨んだ漸減邀撃作戦に組み込まれていたから、このような方針によって行われてきていたのだ。
島風が建造された丙型駆逐艦計画はこの従来型の甲型駆逐艦とは微妙に性格が異なっていた。吹雪型から続く日本海軍の従来型駆逐艦は、艦型の大型化や構造の改善などによって打撃力や航続距離の改善が逐次図られてはいたものの、重兵装によって速力が低下し続けていたのも事実だった。
その上、米海軍の新鋭戦艦は飛躍的に速力が向上されており、従来型駆逐艦では理想的な射点に達するのは困難ではないかと考えられていた。
従来よりも格段に高温高圧かつ大出力の機関や次発装填装置を省いてまで発射管数、すなわち射線を確保したのも、夜間における肉薄雷撃という特型駆逐艦整備計画時の戦術に原点回帰するためのものだった。
ところが、今次大戦で得られた戦訓は、甲型、丙型の些細な違いなど吹き飛ばしてしまうほどの衝撃を水雷科将兵、ひいては雷撃という攻撃手段に与えていた。
実際には、開戦よりも遥かに前、軍縮条約の改正時から駆逐艦に限らず補助艦の整備方針には見直しが必要ではないかという議論が持ち上がっていた。
当時行われた軍縮条約の改定では、旧式艦の代替と共に日本海軍の保有数量増大が認められていた。米国は強く反発していたものの、軍縮条約非加盟のまま米国の支援を受けて急速に勢力を拡大させていたソ連海軍の存在がその声を封じ込めていた。
理由はどうであれ、日本海軍の対米比はそれで改善されていた。対等ではないが、広大な北米大陸の両岸を日英両国に備えて警戒しなければならない米海軍の侵攻軍が全力を投入できないとすれば、太平洋の戦場で日本海軍が相まみえる戦力は我と等価である可能性も高かった。
本来は大型駆逐艦や艦隊型潜水艦の集中整備は劣勢な対米比を跳ね返すためのものだった。これが改善されるとなれば、自然と艦隊整備の方針にも変更があって然るべきだった。
しかし、日本海軍はこの新たな艦隊整備の計画変更が曖昧なまま今次大戦に突入してしまっていた。甲乙丙丁4種もの駆逐艦が一斉に整備計画が持ち上がったのもそれも一因だったのではないか。
更に水雷戦隊や航空部隊に影響を及ぼしたのは雷撃の実用性に関するものだった。幾度かの海戦において水雷部隊は予想されたほどの戦果を上げる事ができなかったし、航空雷撃によって敵戦艦を屠ることを期待されていた日本海軍の基地航空部隊は、欧州上空の激しい航空戦において脆弱性をさらけ出してしまっていた。
従来の雷撃という攻撃手段が電探や航空技術の飛躍的な発展によって陳腐化しつつあるというのが現在の一般的な見方だった。
仮に視界の悪い夜間であっても電探を駆使すれば長距離から接近を察知できるし、魚雷投下時には着水時の破損を避けるために低速低空侵入を強いられる航空雷撃は高速化した攻撃機にとって負担が大き過ぎたのだ。
島風の改装計画はそのような状況を受けて行われたものだったが、改装工事の内容自体に確固たる確信があって行われたとは乗員となった岩渕兵曹には思えなかった。
確かに島風の哨戒、管制能力は駆逐艦としては群を抜いたものだったが、島風のこのような能力は、通信科の岩渕兵曹から見ても歪なものでしかなかった。大型とはいえ、駆逐艦の二千トン程度の排水量で実現させるには相当に無理があったのだ。
島風に備えられた電探は本来は一万トン級の巡洋艦に搭載されるべきのものだったから、補償重量として廃止された機材は多かった。言い換えれば、主兵装である雷装に疑問が生じていた時期をうまく捉えたことで魚雷発射管を廃止できたのだが、これでは正規の駆逐艦として運用するのは難しかった。
将来的に島風の様な艦隊前方に進出して哨戒任務にあたる艦が建造されたとしても、島風のように安易に大型の巡洋艦用の装備を流用するのではなく駆逐艦の艦型に見合ったものが新たに開発されるか、あるいは駆逐艦という艦種では無くなるのではないか。
それがどのような形を取るのか、海軍入隊から電探に関して経験を積んできた岩渕兵曹にもその将来像を想像することは難しかった。それほど開戦以後の電探技術の発展は目覚ましいものがあったのだ。
だから、駆逐艦島風の運用が今後に生かされるのかどうかも分からなかった。というよりも、島風の真価を上層部が理解しているのかどうかも分からなかったのだ。
島風が配属された巡洋分艦隊は、戦艦分艦隊からなる主隊から離れて迂回挟撃を試みていた。更にその本隊から前方に突出して哨戒を行うのが島風に与えられた任務だった。
本来は今回の作戦中に島風が所属していたのは航空分艦隊だった。正規の大型航空母艦を集中配備された分艦隊の前方で敵機群を高性能の電探を駆使して早期に発見して直掩の戦闘機隊を誘導するのだ。
ところが、実際には今次大戦においては島風の改設計時に想定された状況が訪れることは無かった。理由は単純だった。艦政本部や軍令部が想定していたのは太平洋での航空決戦を前提としたものだったからだ。
日本海軍の空母は、戦艦群や輸送船団の直掩任務にあたるものを除けば、最近では複数の空母を集約して航空艦隊として運用するのが常道となっていた。多数の艦載機を集中させることで強大な打撃力を発揮させるためだった。
それと同時に、進化し続ける航空機の脅威から脆弱な空母を防衛する手段も考えられていた。肉眼による見張りの限界を超えた長距離見張り電探や直援機の前方展開などの手段がそれだった。艦隊前方に進出する島風の改装もその一環であったといえた。
だが、地中海戦線では実際に島風が航空艦隊の前方に進出することは物理的に不可能だった。この方面の戦闘では、航空艦隊が交戦する相手は地上の敵部隊だったからだ。
空母航空部隊が集中的に投入されるのは、上陸作戦における敵陣の制圧や地上軍の支援だったが、一方的に敵地上部隊を叩けるとは限らなかった。艦砲射撃を行う水上戦闘部隊や上陸部隊と共に沖合の空母部隊が敵空軍が行う反撃の標的となる場合もあるからだ。
しかし、そのような反撃に対して島風が航空艦隊の前方に進出することは出来なかった。というよりも、すでに予想される敵反撃方向である上陸岸付近には防空巡洋艦並の電探を備える戦艦群が展開しているはずだった。
しかも派手な艦砲射撃を繰り返しているそのような部隊が自位置を秘匿するための無線封止を行う理由はないから、電探は常に作動状態にあるのが普通だった。
実際にフランス南岸のニースに対して行われた上陸作戦においては、島風は航空艦隊の前方というよりも側面援護となる南方に単艦で配置されていた。
それが上陸岸を避けて上陸部隊第二陣を乗せた輸送船団を狙って出撃したヴィシーフランス艦隊を発見するきっかけとなったのは事実だが、航空艦隊の司令部が島風をさほど重要視していなかったからこその配置だとも言えた。
今回の作戦でキールに向かう航空分艦隊と避難民を満載した輸送船団から離れて巡洋分艦隊にあっさりと配属されたのも島風が単艦で動かしやすく、また戦力価値を正しく評価されていなかったからではないか。
つい30分ほど前、巡洋分艦隊本隊から離れて単独航行する島風指揮所の中で、岩渕兵曹は何も映されていない電探表示面をつまらなそうな顔で眺めながらそう考えてしまっていた。
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