1944バルト海海戦22
ケント級重巡洋艦の最終7番艦であるキャンベラは、アンザック艦隊の旗艦となるために遥々インド洋から派遣されていた。
同型艦であるオーストラリアと共にキャンベラは現在オーストラリア海軍最大の艦艇だったが、同海軍には以前は戦艦が所属していた時期もあった。
先の欧州大戦開戦前に同海軍の旗艦としてインディファティガブル級巡洋戦艦の1隻である同名艦のオーストラリアがニュージランドと共に就役していたのだが、戦間期の軍縮条約によって2隻とも廃艦処分とされていたのだ。
だが、両国海軍の現状から判断すると、仮にインディファティガブル級巡洋戦艦を今でも保有していたとしても、有効に活用することなど到底不可能だったのではないか。
カナンシュ少将は右往左往するキャンベラ乗員を苦々しい表情で見つめながらそう考えていた。
アンザック艦隊の旗艦に指定されたキャンベラだったが、オーストラリア海軍の旗艦は彼らの本国に残されたオーストラリアとされていた。
キャンベラと同じくケント級重巡洋艦の1隻であるオーストラリアは、艦隊旗艦であることとインド洋周辺の警戒の為にオーストラリア本国に残されたというが、実際には稼働状態には殆ど無いらしい。
ハードウェアの問題ではなかった。ケント級重巡洋艦は軍縮条約の制限下で最初に建造された艦齡の長い艦だったが、オーストラリア本国はともかく、周辺には英国海軍東洋艦隊の拠点であるシンガポールのセレター軍港もあったから通常の整備には支障はないはずだった。
だが、オーストラリア固有の乗員は定数を満たしていない上に、新兵ばかりであるらしいというのだ。
オーストラリア海軍は、急遽アンザック艦隊が編成された為に、乗員が不足した艦艇に同艦から抽出した乗員を転属させたようだった。
カナンシュ少将は実際に重巡オーストラリアから転属してきた乗員からそう聞いていたのだ。どうやらオーストラリア海軍の人員不足は深刻な状態であるようだった。
運用に支障が出るほど1隻の艦艇から多くの乗員を抽出するのは通常なら考えられないような強引な処置だったが、重巡洋艦オーストラリアに与えられた任務であるインド洋警備は重要度が低下していた。
開戦直後は潜水艦どころかドイツ海軍が通商破壊戦に投入した洋上艦すらインド洋に出没していたのだが、日本海軍の参戦による船団護衛部隊の充実や欧州近海における厳重な航空対潜哨戒の実施によって状況は一変していた。
航空哨戒を逃れるために長時間の潜航を余儀なくされたドイツ海軍の潜水艦隊は、結果的に航続距離や航行速度の低下を余儀なくされていたからだった。
それに大西洋に展開していたドイツ海軍の偽装補給船も大半は撃沈されたというから、密かに潜水艦がインド洋まで進出したところで出来ることは限られていたのだ。
実は、キャンベラもアンザック艦隊旗艦に指定されるまでは僚艦と共にインド洋の哨戒にあたっていた。
地中海戦線が危機にあった頃は、僚艦や同様の任務を与えられていたアジア圏植民地配備の欧州亡命政権軍艦艇と共に、地中海に投入される可能性もあったが、実際には日本海軍の参戦でそのような可能性は立ち消えになっていた。
だが、平穏なインド洋の哨戒任務が忙しいものであったとは思えない。突然のレーダー波照射に右往左往するキャンベラ乗員の様子を見る限りでは、むしろ本国から離れた海域での緩慢な任務の連続によって練度は低下していたのではないか。
長時間の緊張感にさらされる船団護衛部隊に配属された艦や、地中海戦線に投入されたヴァンパイアなどの方が練度という意味では高かった筈だ。
今次大戦では各種レーダーや航空技術などが飛躍的に進化を遂げていた。わずか一年前に登場した機体が新鋭機によって容易に撃破されてしまうような事態も珍しく無かった。
そのように生き馬の目を抜くような欧州の戦場を経験したカナンシュ少将の目から見ると、オーストラリア人達がいかにももっそりとした田舎者と感じられてしまうのだった。
こちらを伺うような視線の多くをあえて無視しながら、カナンシュ少将は大きくはないがよく通る声で言った。
「通信指揮所、逆探で探知された目標の方位を知らせ」
カナンシュ少将が鋭い目で伝令を見つめると、慌てて伝令は艦内電話の受話器に怒鳴るようにして少将の言葉をオウム返しにしていた。
通信指揮所からの返事はすぐにあった。もしかすると探知方位を予め報告しようとしていたのかも知れなかった。だが、報告を聞いてキャンベラの艦長が呆けたような声を上げていた。
「本艦の南、だと……いつの間にかソ連艦隊を追い抜かして北方に出すぎていたのか……」
カナンシュ少将は一瞬目をつぶって脳内で周囲の状況を組み立てていた。結論はすぐに出ていた。事前の予想を肯定する材料を入手しただけに過ぎなかったからだ。
どうやら南方のレーダー波の電波源が敵艦隊である可能性は低そうだった。
本来は、アンザック艦隊はゴーテンハーフェンに向かう輸送船団第二陣の護衛に就いていた。その任務が一変したのは、先行していた日本海軍からの要請によるものだった。
以前ドイツ海軍と交戦した際に生じた損害を、母港であるレニングラードで癒やしていると考えられていたソ連艦隊の出撃が確認されたらしい。
しかも、同時にゴーテンハーフェン沖合に潜んでいた潜水艦による雷撃で日本海軍の戦艦1隻が損害を受けたようだった。通信では損害の程は分からなかったが、キールに取って返す船団の直衛に回すというから、航行そのものは可能でも、速力か戦闘能力は大きく低下しているのだろう。
もっとも、仮に戦艦1隻が行動不能になったとしても、ソ連海軍に対して日本艦隊が決定的に不利とは限らなかった。ソ連海軍の実数は不明だが、ドイツ人の報告を信じる限りでは、先日の戦闘でソ連海軍にも相当の被害を与えている筈だからだ。
先行する大規模な日本艦隊は、戦艦4隻を基幹として水雷戦隊と援護の大型巡洋艦が配属されていたから、戦艦1隻の脱落が大きな問題になるとは思えなかった。
日本艦隊を率いているのは、英国海軍への派遣経験もある栗田中将だった。中将は慎重な性格だから、第二陣の護衛部隊から戦力の派遣を要請していたのだろう。
ただし、栗田中将が要請していたのは船団に随伴しているドイツ艦隊の派遣だった。
船団には何隻かのドイツ海軍艦が配属されていた。講和申し出の一環ということもあるが、彼らがいなければドイツ人難民の救助という今回の作戦に関する正当性を主張出来ないからだろう。
配属されたドイツ海軍艦は多くが駆逐艦だったが、その中には戦艦シャルンホルストと重巡洋艦プリンツ・オイゲンの二隻も含まれていた。栗田中将が要請していたのはこの二隻の派遣だったのだ。
しかし船団の先任指揮官であるリット少将は、ドイツ艦単独での派遣ではなく、アンザック艦隊にも日本艦隊との合流を命じていた。
シャルンホルストとプリンツ・オイゲンには2隻を束ねる指揮官は座乗していないから、この2隻がアンザック艦隊に配属された形になっていた。戦力的には大きな追加兵力だったが、司令部機能の貧弱なアンザック艦隊にとって見れば、国籍の違う2隻の存在は大きな負担にもなっていた。
厄介なことに、どちらの艦艇も旧式化したケント級重巡洋艦のキャンベラよりも余程強力な艦艇だった。
元々、英国海軍が軍縮条約締結後に建造したケント級は、海外各地に散らばる植民地と本国を結ぶ通商路を保護するために、居住性や航続距離といった長期間の作戦行動能力を重視して設計されていた。
火力こそ条約一杯の8インチ砲を8門という1万トン級重巡洋艦としては標準的なものを備えていたが、建造時の装甲は貧弱極まりないものだった。
戦間期に行われた改装で防弾鋼板の追加は行われていたが、戦闘能力そのものを優先して建造されたのであろう新鋭艦であるアドミラル・ヒッパー級重巡洋艦のプリンツ・オイゲンに対しては、正面から戦えば不利となるのではないかと考えられていた。
アドミラル・ヒッパー級に関してはまだ正確な情報がドイツ海軍から提出されていないのだが、ケント級よりも弱体だとは流石に思えなかった。
シャルンホルストとの差はプリンツ・オイゲンのそれよりもずっと大きいはずだった。備砲口径こそ12インチ級でしかなく、英国海軍では巡洋戦艦に類別していたが、シャルンホルスト級はドイツ海軍では戦艦そのものだった。
米海軍のアラスカ級大型巡洋艦を原型としたとされるクロンシュタット級重巡洋艦がソ連海軍には就役していたが、シャルンホルストは少なくともこのクラスとは同等に戦えるのではないか。
カナンシュ少将は迷った結果、艦隊前方に駆逐艦ヴァンパイアを前哨として配置するとともに、アンザック艦隊主力の単縦陣の前にシャルンホルスト、プリンツ・オイゲンの2隻を配置していた。
艦隊旗艦であるキャンベラが、主隊単縦陣の3番艦位置を航行するという変則的な陣容となっていたのは、会敵早々に有力な敵艦から旗艦が集中的に狙われて脱落することを防ぐためだった。
視界の悪い気象条件となることが多いバルト海で多国籍の艦隊指揮を行うには不利な条件が多かった。僚艦と接触する恐れも十分考えられるから、カナンシュ少将は艦隊各艦にレーダーの使用と周辺海域の把握を命じざるを得なかった。
密かにカナンシュ少将は、リット少将には厄介者をまとめて追い払おうする意図があったのではないかと考えていた。友軍と言い切るにはドイツ海軍は不安が残るし、アンザック艦隊も練度にはやはり不安が残るからだ。
そうやって厄介事をまとめて押し付けられた気がして、キャンベラ艦橋から前方を航行するプリンツ・オイゲンと同艦越しに垣間見えるシャルンホルストの姿を見ながらカナンシュ少将は思わずため息を付いていた。
先任指揮官であるリット少将とは殆ど面識がなかった。ダートマスの海軍兵学校の卒業年度はそう離れていないはずだが、在学中の記憶はなかった。
同じ時期に大西洋の船団護衛に携わったこともあるはずだったが、K部隊指揮官として地中海戦線に転籍するまでカナンシュ少将が船団護衛部隊を率いていたのに対して、リット少将は航空対潜哨戒やドイツ海軍の偽装補給船狩りを行っていたらしいから、やはり面識は生まれそうもなかった。
リット少将に限った話ではないが、今回の作戦に関しては各級指揮官の間に十分な意思疎通が出来ているとは思えなかった。政治的な意向で作戦が立案、決行されたためかもしれなかった。
カナンシュ少将は、プリンツ・オイゲンの艦尾を睨むようにしながら言った。
「電波源は南、なのだな。通信指揮所につなげ。我アンザック艦隊と無線通信だ。同士討ちされてはかなわん」
艦長が唖然とした表情で振り向いていた。
「友軍だというのですか。しかし、奴らはどうやっていきなりレーダー照射を開始したのでしょうか。英国本土で受けた逆探に関する性能の説明では、もっと遠距離からレーダー波は探知できるはずでしたが……それに日本艦隊から指定された合流地点ももっと先だったはずです」
カナンシュ少将は、眉をしかめたまま言った。
「おそらく相手は日本軍だ。地中海でもそうだったが、奴らは分散集合を好むからな。多分目の前の電波源は本隊から分離して敵艦隊の側面を突こうとしていた水雷部隊だろう。だから本隊との合流前に我々が接触してしまったんだ。
状況からして、ソ連艦隊がここまで高速で航行して本艦から見て南方まで進んでいるとは思えない。それに、そんな状況ならその前に接敵した日本軍が何かを言っているはずだ。
ただし、日本軍の方は我々の進路からして彼らの本隊側面を突くソ連別働隊と疑っている可能性はあるだろう。我々は彼らから見て北方よりから接近していたからな。
もっとも、その可能性はさほど高くはない。なぜならば我々は奇襲など考えていないためにレーダー波を周囲に撒き散らしながら前進していたからだ。奇襲など望めない状態だったから、彼らも疑っていたはずだ。
それに日本海軍の電波兵器は殆ど我が英国本国軍と同等であると考えてよいだろう。それで我々のレーダー波を逆探で探知しながら彼らは密かに接近してきたのではないかな。
しかし、我が方のレーダーはドイツ艦に加えて、本艦のように急遽新鋭装備を備えたもの、改装工事が間に合わずに旧式装備のままの艦もあるから、波長がばらばらになってしまっている。それで最後に正体を疑ってレーダー照射を行ったのではないか」
まだ納得していないと言った様子の艦長を放って、カナンシュ少将は伝令に無線連絡を確認させようとしたが、それよりも早く視界内に閃光が走っていた。
唖然としてカナンシュ少将は前方に向き直っていた。キャンベラの直前を航行しているプリンツ・オイゲンに変化はなかった。閃光はそれよりも前から発せられていた。
――シャルンホルストが……発砲したのか。
唖然としながらカナンシュ少将はキャンベラ前方の海を見つめていた。
クロンシュタット級重巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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