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1944バルト海海戦20

 何か大きな誤解があるのではないか、細谷大尉は眉をしかめながらそう考えていた。



 確かに先程栗田中将が言ったとおり、この分艦隊司令部に派遣される直前まで細谷大尉が配属されていた部隊は、英国本土でドイツ海軍潜水艦の調査に当たるはずだった。

 だが、実際に講和の条件としてドイツ海軍の潜水艦が技術調査部隊が駐留する軍港に到着する直前に、細谷大尉だけが部隊から離れて艦隊に派遣されていたのだ。だから、大尉はドイツ潜水艦の詳細までは把握していなかったのだ。


 しかし、実際には細谷大尉が事情を正確に説明する事は出来なかった。大尉は艦政本部を代表する形で派遣されていたからだ。実戦部隊を率いる栗田中将に対して迂闊なことは言えなかった。

 細谷大尉は結局曖昧な表情を浮かべながら頷いていた。事情を察したのか、栗田中将は僅かに苦笑する様子を見せながらオハラ中佐に頷いていた。



 オハラ中佐は、素早い手付きで何枚かの引き伸ばされた様子の写真印画紙を会議卓上に並べていた。印画紙を覗き込んだ細谷大尉は首を傾げていた。

 写っていたのは何隻かの艦船が繋留された何処かの桟橋だった。繋留されているのは軍用艦が多かったが、正規の軍港とは思えなかった。

 あるいは撮影時には軍港としての機能を持たされていたのかもしれないが、背後の桟橋に見える各種施設からすると、当初からそのような目的で建造されたとは考えづらかった。


 客船の取り扱いがあるかどうかはわからないが、桟橋に据え付けられた起重機の規格からすると貨物の取扱量は相当あるようだった。

 造船所や工廠に据え付けられる大重量の艤装品を吊り上げられるようなものほどではないが、このような大型の起重機では軍用艦の消耗品や弾薬などの積み込みに使用するには容量が大きすぎて、効率は逆に悪化しそうだったのだ。


 写っている艦船は潜水艦が多かった。背後には大型の貨客船らしい商船も写っていたが、中心に何隻も写っているには潜水艦ばかりだった。

 ただし、艦種を特定するのは難しかった。撮影された角度が悪く、各艦の特徴が把握し辛いのだ。周囲の状況や焦点合わせ、ぶれなどから推測すると、撮影されたのは隠し撮りの様なものだったのでは無いか。


 だが、撮影時の状況よりも、細谷大尉は背景となっている桟橋の姿が気にかかっていた。写されている潜水艦は艤装の特徴などからしてドイツ海軍の潜水艦であることは間違いない。

 だから撮影されたのはドイツ国内かフランスなどの枢軸国内である筈だった。それに、これまで細谷大尉はドイツ国内に訪れたことは無かった。

 それなのに撮影された桟橋などに妙な既視感を感じていたのだ。今回の派遣で訪れていたキールなどかとも思ったが、慌ただしく通過したキール軍港の光景では無さそうだった。



 ふと細谷大尉は視線を上げていた。視界が急に眩しくなっていたからだ。いつの間にか薄暗かった舷窓の外が明るくなっていた。

 大和艦橋下の右舷に設けられた長官私室からは、ゴーテンハーフェンの港が遠望出来ていた。どうやら大和に隣接して錨泊していた輸送船が動き出して視界が開けたようだった。


 細谷大尉は唐突に理解していた。おぼろげな見覚えがある筈だった。写真に写されていたのは目の前のゴーテンハーフェン港だったのだ。

 ただし細谷大尉は一度もこの港に上陸したことはなかった。それで陸地側から撮影した光景と湾内から見た陸地の雰囲気の違いを把握しきれずに戸惑っていたのではないか。



 そのような細谷大尉の雰囲気に気がついたのか、オハラ中佐は面白そうな顔で見ていた。同時に栗田中将の声が聞こえていた。

「従兵、コーヒーだ。いや、中佐は紅茶のほうが良いかね」

「いえ、結構です。無粋な泥水を飲む趣味は私にはありません。コーヒーを、出来ればブルーマウンテン」


 栗田中将は呆れたような顔を見せたが、何も口には出さなかった。中将の表情に気がついているのかいないのか、オハラ中佐は微笑を浮かべながら言った。

「大尉、撮影された潜水艦の識別は出来るかい」


 細谷大尉は即断を避けていた。逃げるつもりは無かった。ただ、写真で読み取れる情報では確認しようが無かったのだ。

 温かいコーヒーを持ってきた従兵の目から隠すように、オハラ中佐は別の写真を持っていた。従兵が退室したのを見計らった様に中佐はもう一枚を細谷大尉に渡していた。



 細谷大尉に新たに渡された写真は、桟橋を写した先程のものとほとんど変わりはなかった。撮影した日時が同一であったのか、桟橋の様子や係留順も変わらないようだった。

 ただし、一つだけ大きな変化があった。撮影場所が変わっていたのだ。一枚目の写真が外洋側に伸びる桟橋に対して陸地から急角度を向いて撮影されていたのに対して、今度の写真はほぼ真横から撮影されていた。

 ぶれは先程のものよりも大きいが、その点は二枚の写真を比較すれば補正は可能だった。

 背景となっているのは然程特徴の無い貨客船だった。あるいは潜水艦乗員の宿泊船にでも使われているのかもしれない。ただし、舷窓や船橋の寸法などから全長を推測することはできるから、潜水艦の全長も比較すれば推測は可能だった。


 齧り付くように二枚の写真を並べて見つめている細谷大尉を面白そうな目で見ながらオハラ中佐はいった。

「一枚目は港の奥から、二枚目は出港する漁船の上から撮影したそうだ。もちろん官憲を逃れながらの撮影だから、カメラは小型だしぶれも大きいから解像度には期待出来ないがね。

 こんなバルト海の奥深くに潜水艦が居たのは奇妙な話だが、ドイツ海軍の関係者によれば、補給と修理を兼ねて設備の充実したゴーテンハーフェンに回されていたらしい。

 それで、艦の特定は可能かね」



 オハラ中佐の言葉には直接は反応せずに、細谷大尉は独り言のように言った。

「こちらの大型の潜水艦は、外洋作戦用の長距離型である9型、その他は近海作戦用の7型のようです」

 すかさずにオハラ中佐が言った。

「その根拠は何かね。ドイツ海軍の潜水艦には他にも等級があるのではないか。それではなく、7型と9型と特定したのは何故か」


 細谷大尉は眉をしかめていた。回答出来ないわけではないが、自分で考えをまとめるようにしながらゆっくりと言った。

「まず、7型潜水艦は、ドイツ本国への偵察行動や、講和申し出後の情報提供などからドイツ海軍の数上の主力として運用されていた事が知られています。

 7型潜水艦は計画時は近海での作戦行動を前提とした小型の潜水艦として建造されたようですが、欧州近海において日英両軍の厳重な対潜哨戒が実施されているという状況から、遠洋に進出することも多かったようです。

 大西洋奥深くまで展開するのは、本来であればより大型の9型潜水艦の役割だったはずですが、ドイツにとっての戦局の悪化や工数の増大による建造期間などの理由で数を揃えられずに7型を多用する羽目に陥っていたようです。

 裏を返せば、ドイツ海軍の潜水艦の多くは7型と言うことになります。7型潜水艦には逐次設計の改良が行われると共に、複数の建造所で同時に建造作業が行われたものだから、細かな艤装の違いは大きいようです。

 その7型と9型の識別ですが、まず最初に7型以前の小型の潜水艦の存在は無視して構わないでしょう。建造数そのものが極少ないようですし、建造時期が古いからこの写真の艤装とは釣り合いません。

 また、同様の理由で我が方も詳細までは把握していない最新鋭艦でもあり得ないと思われます。

 ドイツ海軍から送られた資料によれば、その新鋭艦は水中行動能力を重視して、甲板上の艤装を潜行時の抵抗削減を目的として最低限に止めているとのことですから、この写真の様に対空兵装を増強した艦橋構造とは食い違います」


 一旦口を閉じると、細谷大尉は二枚目の写真印画紙を示してから続けた。

「その一方で、この二隻の潜水艦には明らかな艦体寸法の違いが存在します。この差を近海作戦用の7型と遠洋作戦用の9型の差に当てはめると、この写真から推測した差と合致します。

 以上がこの潜水艦が7型と9型と推測した根拠となります」

 そう言って細谷大尉は顔を上げていた。



 オハラ中佐は興味深そうな顔になっていた。

「しかし、ドイツ海軍の潜水艦は、作戦目的の違いからなる7型と9型以外に、小型の潜水艦を除いてもまだ他の種類の潜水艦もあった筈だ……」

 細谷大尉は困惑した表情で言った。

「これまでの調査によれば、小型潜水艦を除けば、実戦投入された潜水艦はほとんどが7型と9型であったようです。というのも、それ以外の潜水艦というのが洋上補給用や機雷敷設用の特殊艦であるようなのです。

 この場に特殊潜水艦がいる可能性は低いだろうし、それ以前にこれまでの戦闘で大半が消耗しているとの報告もあります……」


 細谷大尉は自信なさそうな声だったが、とりあえずといった様子でオハラ中佐は頷いていた

「大尉の根拠には一定の理があるようだ。だが、航続距離に関しては補給潜水艦や敷設艦の方が長じているのではないか。ならば、可能性の中でもっとも航続距離の長いものと短いものとで想定して欲しいのだが、今から説明する条件で航行計画が成り立つか、それを計算してもらいたい」


 オハラ中佐の言う意味が分からずに僅かに細谷大尉は首を傾げたが、そのような疑問を抱く暇すら与えないように次々と中佐はその条件とやらを言い出していた。

 慌てて細谷大尉は計算を始めていた。もっとも計算式そのものは曖昧極まりないものだった。

 標準的に建造されたという7型潜水艦でさえ、実際には建造時期や建造所によって性能諸元が異なっていたからだ。建造数の少ない補給潜水艦に至っては大まかな性能しか分かっていなかった。


 だが、計算の手は止められなかった。細谷大尉が計算に詰まるたびに次々とオハラ中佐の前提が変わっていたのだ。場合によっては、計算に使用する艦固有の性能に関する変数が中佐から提供される事もあった。

 しばらくはその意味はわからなかったが、計算が一段落したときに不意にその数値に記憶があったことを思い出していた。なんの事はなかった。既存の友軍潜水艦のそれを流用しただけだったのだ。

 つまり計算結果は厳密さが求められるというよりも、可能性を探りたいだけだったのではないか。



 細谷大尉がその事に気がついたとき、すべての計算は終了していた。計算結果が記された用紙を手にしながら、オハラ中佐は興味深そうな顔でいった。

「やはり可能性としてはありえますね。講和申し出で我が方の対潜哨戒網が緩んだすきをつければ、今頃大西洋の中央部を航行している可能性はあるようですな」

「英本国の部隊に警戒を促すかね。それで……中佐は艦を降りるのか。君の任務は本来はこちらが主だったのだろう」

 どことなく冷ややかな声で栗田中将はいったが、オハラ中佐は苦笑していた。

「本国には報告電を入れさせていただきますが、捕捉は難しいでしょう。広大な大西洋の真中、それも目的地も特定されていない状況では航路を確定させることは難しいでしょう。

 いずれにせよ、連絡将校の任もありますから、私も戦闘にお付き合いしますよ」


 細谷大尉は他人事の様に二人の会話を聞き流していた。計算結果は奇妙なものだった。ゴーテンハーフェンを出港した潜水艦の目的地を探るものだったのだ。

 窓の外に広がるゴーテンハーフェン港の様子を見ながら、細谷大尉はその意味を考えていた。少なくとも大尉がこの港を最初に視認した時点では敵潜水艦は姿を消していたはずだった。


 この情報は何を意味するのか、計算結果や長官私室での会話に関する口止めを言い渡された細谷大尉が、この時のことを思い出したのはずっと後になってからの事だった。

 ただ、ナチス党幹部が行方不明になったという報道と潜水艦の行方を紐づけて考えられた人間はさほど多くは無かった。

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