1944バルト海海戦18
独り言を聞きつけられて、大和艦内に設けられた指揮所に集合した他の参謀たちから一斉に顔を向けられた戦務参謀は、思わずたじろいだ表情を浮かべていた。
その場を代表するように、参謀長が口を開いていた。
「戦務参謀、先程の発言はどういう意味か。武蔵は……武蔵艦長の猪口大佐は立派な武人だ。危険な戦闘を忌避して姑息な虚偽を働くような方ではないぞ」
以前に武蔵艦長と共に勤務していたことでもあったのか、参謀長の言葉は叱責するような内容だったが、その顔は怪訝そうなものが混じっていた。戦務参謀もばつの悪そうな顔でいった。
「猪口大佐の闘志の高さは自分も存じております。どうも誤解されておられるようですが、参謀長が考えておられるのとは逆に武蔵が発揮可能な速力を過大に見積もっているのではないか、その可能性はないでしょうか」
それを聞いても怪訝そうな顔のままの参謀は多かった。細谷大尉もその一人だった。
軍縮条約の無効化後に建造された大和型戦艦は、水密区画や水面下の垂直装甲は充実していた。一発や二発の魚雷で沈むことはないだろうが、その損害が及ぼす影響に関しては、考慮すべき要素が多すぎて正確な推測は難しかった。
今の武蔵が20ノット出せたとしても、あるいは出せなかったとしてもどちらでもおかしくはなかった。
戦務参謀は、首を傾げる他の参謀達の顔を伺うようにして続けた。
「私が考えているのは、主隊への同行が出来るように速力低下を実際よりも過小判断しているのではないか、ということなのです。
……武蔵艦長の猪口大佐は、少将への昇進間近であるという噂があります。おそらく、昇進されれば猪口大佐は戦隊司令官か艦隊参謀長などに転出となって武蔵を退艦せざるを得ないでしょう」
未だ戦務参謀の意図はよくわからなかったが、話の内容は分からなくも無かった。
なし崩し的に遣欧艦隊に行われた段階的な増援の結果、地中海戦線初期において遣欧艦隊主力の第一航空艦隊は、貧弱なものでしかなかった規模の司令部で増援を含む指揮下の部隊を捌ききれずに指揮系統の混乱を招いていた。
これに対応するため、日本海軍は第一航空艦隊司令部そのものの陣容を強化すると共に、従来の編制で定められたものに加えて艦隊と戦隊を繋ぐ中間結節点となる分艦隊を設けていた。
分艦隊の編成は柔軟に変更されるものだった。戦隊や艦隊の様に規則で定められたものでは無いから、戦闘の様相に応じて指揮下の戦隊などを交互に融通しあえるようになっていたのだ。
だが、分艦隊構想はこれまでの所は上手く回っていたものの、日本海軍内では急遽需要が増していた戦隊司令官や分艦隊司令官に充当すべき将官級指揮官の不足を招いていた。
その辺りの階級に昇進している将官は、先の欧州大戦が集結した頃に海軍兵学校に入校してきたものばかりだったから、軍縮条約によって発生した海軍の規模の縮小の影響を受けて学生数が減少しており、元々現役士官の数が少ない世代でもあった。
そんな訳だから、猪口大佐が少将に昇進した場合は、一隻の戦艦艦長という大佐を当てるべき職務に留まるとは確かに考え辛かった。その点には皆納得したのか、戦務参謀は周囲の顔を確認しながら続けた。
「おそらく武蔵艦長に猪口大佐が就いていられるのは今回の作戦が最後となるでしょう。ですから、武蔵が戦闘に加入出来るように速力を高めに申告したとしても不思議ではないかと考えました」
参謀長は、苦虫を噛み潰したかのように表情を歪めた顔になっていた。戦意旺盛なのは良いが、それで作戦の立案に支障を来すことになれば本末転倒だった。
「だが、猪口大佐がそのような姑息な工作をするだろうか……」
参謀長は苦々しい表情のままでそう言ったが、戦務参謀は首を傾げていた。
「私の想定が当たっているのだとしたら、必ずしも猪口大佐が虚偽の報告を意識して行ったとは限らないと思います。大佐を慕う武蔵の乗員達があるいは知らず知らずの内に損害見積もりを過小に見積もっていった可能性もありますから……」
参謀長は、険しい表情のまま腕組みをして何事か考え込んでいた。他の参謀達も隣のものと相談をしているようなものが多かった。
しばらく考え込んでから、参謀長が小声で分艦隊だけでは無く先任司令官としてこの場の全戦力の指揮をとっている栗田中将に向き直って尋ねていた。
「武蔵に再度の損害調査を命じますか……」
だが、栗田中将が答えるよりも早く、艦内電話に取り付いていた伝令の声が指揮所に響いていた。
「先程武蔵を雷撃した潜水艦が撃破されました」
早くも、態勢表示盤に記載される敵潜水艦の印が書き換えられようとしていた。湾口近くを輸送船の盾となるような位置で遊弋していた武蔵を雷撃していた敵潜水艦は、分艦隊群に随伴する海防空母から発艦した艦上哨戒機と駆逐艦による対潜戦を巧みにくぐり抜けて脱出しようとしていた。
対潜戦闘を行ってきた部隊は、敵潜を撃破すると言うよりも、出港時の船団に危害が及ばないように湾口から追い払うように動いていたはずだった。
わずかに眉をしかめながら、栗田中将は重々しい口調でいった。
「敵潜の撃沈は確実なのか……」
武蔵を雷撃した後も、敵潜水艦は早々にグダンスク湾から脱出しようとはしていないようだった。執拗に船団の襲撃の機会を伺っていたのだろう。敵潜はこれまでも激しい対潜攻撃を掻い潜ってきた強者のようだから、念を押しておきたかったのかもしれない。
まだ通信指揮所との艦内電話は続いていたのか、伝令は間髪入れずに言った。
「砥石の搭載機が機動爆雷を使用との報告あり。駆逐艦飛梅が機動爆雷投下地点近くで海中爆発音を観測した後、油膜と浮遊物を確認」
参謀たちの間から安堵のため息が聞こえていた。沈没を偽装するために海中に油などを投棄することは潜水艦の行動としては珍しいものではなかったが、その他にも浮遊物を確認した歴戦の対潜部隊が判断したのであれば、間違いはなさそうだった。
今回の作戦において、航空分艦隊は、英国本土での整備や改装工事の為に大部分の正規空母からなる航空戦隊を引き抜かれていたが、その代わりに船団護衛を前提として、艦隊の上空援護及び対潜警戒にあたる海防空母3隻と護衛駆逐艦1個駆逐隊からなる第20航空戦隊が配属されていた。
戦時標準船の規格を転用して建造された海防空母は、1隻の空母としてみれば搭載機は少なく、速力も低いから同時発進数も少なかった。
正規空母のように広大な飛行甲板に配列した多くの搭載機を短時間で発艦させて大きな打撃力を発揮する攻撃隊を編成するのには向かないが、英国と共同開発した安定性の高い油圧式射出機や、最新機の重量にも対応した着艦制動装置などの航空艤装は充実していた。
長距離を航行する船団の護衛任務では、搭載機の全機を一斉に投入しなければならないような事態は滅多に発生しなかった。その代わりに常時少数機を上空に展開して哨戒を行わなければならないのだが、そのような任務には射出機を備えた海防空母は必要十分な性能を有していた。
それに、砥石の搭載機が投下したという機動爆雷は、昨年から使用が開始された対潜部隊にとって期待の新兵器だった。爆雷というのはあくまでも開発時からの秘匿名称であって、実際には従来型の爆雷とは全く異なる兵器だったのだ。
今次大戦開戦時期に、日本海軍で対潜兵器として主に用いられていたのは、ドラム缶の様に単純な円筒形状をした爆雷と、それを投下する為に艦尾に設けられた爆雷投下軌条だけだった。
しかし、先の欧州大戦以上に高まっていたドイツ潜水艦の脅威に対抗する為に、開戦以後は対潜兵器の強化が急速に進められていた。
爆雷を包み込むか、ただ軌条の上に載せただけの単純な枠組みでしかない爆雷投下軌条に加えて、舷側に向けて巨人の手のように爆雷を放り投げる爆雷投射器の装備によって艦尾に加えて左右舷を含む広い範囲に爆雷を投下することが可能となっていた。
これに加えて、爆雷自体の構造にも手が加えられていた。従来の爆雷の構造では水中での抵抗が大きく、重力に引かれるだけでは沈降速度が遅かった。そのために高速化するとともに最大潜航深度が向上した近代的な潜水艦に有効打を与えるのが難しいことが戦訓から明らかになっていた。
爆雷の強化は2つの手段があった。一つは、爆雷形状の変更だった。従来の円筒形状を廃して弾頭の先端のように鋭角にすると共に、後端も細らせて抵抗を削減し、同時に安定翼を付けることで沈降速度の上昇と安定性の向上を図っていた。
その形状は、ドラム缶というよりも航空機が使用する爆弾のそれに近づいていた。
もう一つは、爆雷内部に充填される炸薬量の増大だった。海中深く潜航する潜水艦には、深度を増すにつれて増大する水圧が重くのしかかっていたのだが、それは同時に海中で炸裂する爆雷にも同時に作用していた。
海面上では十分な炸薬量であっても、強い水圧に囲まれた海中深くでは潜水艦の船殻に十分な損害を掛けられるだけの圧力を発生させられる領域が著しく狭くなってしまっており、自然と深深度用の機雷は大威力化が求められていたのだ。
開戦以後に進められたのは従来構造の爆雷の強化だけではなかった。英国によって開発された多連装式の対潜迫撃砲が散布爆雷として制式化されていたのだ。
散布爆雷の構造は単純なものだった。小型の爆雷を弾頭とした迫撃砲を束ねただけのものだった。この迫撃砲はそれぞれ僅かに角度をずらして搭載されており、適度な範囲の海面に着弾するようになっていた。
通常の爆雷の進化に逆らって散布爆雷が小型の弾頭を採用したのは、このように広い範囲を一度に狙うためだった。言うなれば大口径の猟銃で大物を狙うのではなく、投網に掛けるように散弾銃で射撃を行おうというのだ。
それに散布爆雷では弾頭の小型化による爆圧の低下はさほど心配されなかった。実際には、信管が作動した弾頭があればその衝撃波で周囲の弾頭が一斉に誘爆を起こすため敵潜に与える圧力は相当のものになるはずだった。
これらの特徴に加えて、散布爆雷には大きな利点があった。弾頭が軽量である上に迫撃砲の形式をとっているために通常の重い爆雷と違って旋回装置を備えて広い射界を確保できたのだ。
これによって、散布爆雷はこれまで死角とされていた対潜艦前方に向けて投射することが可能だった。
勿論、強化されていったのは対潜兵器だけではなかった。海中深く潜航した潜水艦の位置を測定するために聴音機や自ら発した音波の反射を観測する水中探信儀などのセンサの開発も進められていた。
ただし、そうした既存兵器は進歩したものの、対潜戦術には大きな進化は見られなかった。聴音機にせよ探信儀にせよ、装備艦による発生雑音の影響を廃し切る事はできなかったから、敵船を探知する際には低速航行を余儀なくされていた。
船団護衛などの場合は、複数の対潜艦で輪番を組んで運用するのが常識的な戦技だった。つまり、低速で聴音を行う艦は、一度高速で船団や艦隊などの護衛対象の前方に進出し、減速して聴音を行う間に護衛対象に追い抜かれていくのだ。
この聴音中の艦と前方に進出する艦をうまく輪番に乗せることで絶え間ない聴音を可能とするのだ。
だが、聴音を行った艦が敵潜を探知したとしても、即座に攻撃を行うわけには行かなかった。爆雷はほぼ自艦の航跡の範囲にしか投下できないし、散布爆雷の射程もそれほど長いものではなかったからだ。
それ以前に、爆雷を投下した海域にとどまっていては、その爆圧で脆弱な聴音機や悪ければ艦体そのものの破損を招きかねないから、対潜攻撃中の艦艇は聴音が不可能なほどの高速航行を余儀なくされていたのだ。
本来は、このような矛盾を解決するための手段として開発が進められていたのが、機動爆雷だった。
大和型戦艦の設定は下記アドレスで公開中です
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浦賀型海防空母の設定は下記アドレスで公開中です
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