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1944バルト海海戦14

 現在の米国市民にとって、今次大戦初期におけるソ連の行動について語るのは一種の禁忌となっていた。ソ連がドイツと共にポーランドへと侵攻した数カ月後にはフィンランドとの戦争に突入していたからだ。

 その行為は明らかに国土防衛の域を越えた侵略戦争と思えるものだった。



 勿論、その双方共に開戦に至った事情は明らかにされていた。ポーランド戦の場合は、ドイツ軍の侵攻によって危機にさらされているポーランド領内のソ連人及びロシア系市民の保護というものだった。

 しかし、邦人保護を大義名分とした開戦理由は、すでに使い古された手段とも言えた。国内向けとしてはともかく、それで諸外国からの支持を得ることは難しかったはずだ。

 実際に米国内の一部リベラル派などは、ソ連との断交を視野に入れた非難声明を出すべきとまで主張していた。


 もっとも現在ではドイツによるソ連侵攻を受けて米国内でもリベラル派の声は小さくなっていた。ポーランド東部を占領する為に利用したソ連側のそのような主張は、案外的を射たものだったのかもしれない、そのような意見さえ上がっていた。

 ソ連に派遣された米国籍の従軍記者によって、ドイツ軍がポーランドやソ連領内で行っていた数々の蛮行が明るみに出ていたからだ。少なくともドイツはユダヤ人や共産主義者を明確な意思をもって組織的に殺害を図ろうとしていた。



 ポーランド侵攻がそのような表向きは人道的なものであったのに対して、フィンランドとの戦争理由は完全に利害関係によるものだった。バーク中佐の目の前に広がる白海・バルト海運河を防衛することが最終的な目的だったからだ。

 当時は運河の第一期工事が終了した所だった。全長100メートル少々のオグネヴォイ級駆逐艦ならばともかく、クロンシュタット級重巡洋艦のような大型艦艇の通過は第二期工事で狭隘部の拡張が終わるまでは出来なかったはずだから、運河はまだ本格運用には程遠い状況のはずだった。


 しかし、その時点でも運河の価値は非常に高かった。ソ連首脳部が問題視したのは、運河が軍事的のみならず貿易や国内流通など民間部門にも大きな利益をもたらすであろう事だった。

 そのように国家規模でも重要な基盤施設であるにも関わらず、白海・バルト海運河はその運用に大きな問題点を抱えていた。運河のバルト海側に程近いカレリア地峡付近において、フィンランドとの国境線近くを通過せざるを得なかったからだ。


 原因は明らかだった。膨大な工事量を圧縮するために、国際情勢などよりも工事が容易な地形や、運河の航路として転用できる河川の存在を優先して運河の工区が設定されていたからだ。

 だがこれで運河そのものは早期完成の見込みがたったものの、安全保障上の大きな弱点を抱えることになっていた。



 フィンランドとの国境線は運河に程近く、長射程のカノン砲などを用いた場合は運河水面を十分に射程に収めることが出来た。これは運河の運用に置いて無視できない脅威だった。

 ロシア革命のどさくさに紛れて旧ロシア帝国から独立したフィンランドは、自然とソ連との外交関係は常に緊張したものになっていた。基本的な方針として、ソ連は旧ロシア帝国領の全域を自国領土とすべきとしていたからだ。

 民族の悲願であった独立を果たしたばかりのフィンランド政府としては、内乱やポーランドとの紛争に明け暮れるソ連を脅威に考えていたのではないか。

 幸いなことにソ連首脳陣の視線はシベリア地方に逃れた旧ロシア帝国残党に向けられていたものの、彼らの始末が付けば今度はこちらにその武力が向けられると考えていてもおかしくはなかった。


 このような事情を考慮すると、緊張した関係の続くフィンランドとの国境線近くを運河が通過しているのは危険極まりなかった。その気になればフィンランド軍によって容易に運河が砲火に晒されるからだ。

 フィンランド側の意思はさほど重要ではなかった。実害を与える必要もなかった。極端な話であれば、運河周辺に砲弾を落とすだけで安全な通過など出来なくなるのだから十分な脅威となるのだ。

 それに弾着点が運河そのものではなかったとしても、拡張工事によって変更が加えられた地形はその衝撃に耐えられるかどうか分からなかった。場合によっては砲弾一発で崖が崩れて運河が使い物にならなくなるかもしれないのだ。


 厄介な事に、戦争状態にならなかったとしても、緊張状態が起こるだけで経済に与える影響は大きかった。危険性が高まった時点で運河を通行する貨物船に対する保険料は引き上げられるはずだし、外国籍の貨物船が傭船を拒否する可能性も高まるはずだった。

 仮に白海・バルト海運河が使用できなくなると、代替航路としては広大なスカンジナビア半島を周って来なければならないのだから大きな損失を招くはずだった。



 このような危険性に対して、当初ソ連は交渉での解決を目指していた。運河から重砲の射程内に入る範囲のフィンランド領と、より北方のソ連領との領土交換を提案していたのだ。

 だが、フィンランド政府はこれを即座に拒否していた。当然といえば当然の反応だった。

 交換される領土は、ソ連側が提供する方がカレリア地峡に存在するフィンランド領よりも広大であったものの、開発に長い時間と多大な資金を投入しなければならない手付かずの原野だったからだ。


 それに対してカレリア地峡は肥沃である上に、元々人口の少ないフィンランドからすれば人口密集地でもあった。

 最終的には、ソ連が移住する住民の保証金支払にまで言及したらしいが、交渉は物別れに終わっていた。これがソフィン戦争に至る経緯だった。



 ソフィン戦争に対する評価は分かれていた。少なくとも、ソ連は運河地帯の安全確保という戦略目的は達成していた。カレリア地峡に存在するフィンランドとの国境線は大きく北進していたからだ。


 しかし、この戦争でソ連側が支払った代償もまた大きかった。フィンランド軍を寡兵と侮ったのか、あるいはカレリア地峡に構築されていたトーチカが予想以上に頑強に抵抗していたのか、初期の戦闘でソ連軍が被った人的な被害は甚大なものだった。

 あるいは、このときの意外なほどの損害の大きさを見たことで、ソ連組みやすしとドイツが認識してしまったことが、後のドイツによるソ連侵攻の原因の一つであったのかもしれないという声もある程だった。



 だが、友好国軍人としてある程度正確な情報に接していたバーク中佐は、この結果を意外なものとまでは思えなかった。ソフィン戦争初期に投入されたソ連軍の戦力は、徴兵されたばかりの初年兵を中心とした精鋭とはとても言えない弱兵ばかりだったようだからだ。

 ソ連軍の仮想敵は、革命以後ずっとシベリア地方に逃れた旧ロシア帝国勢力だった。当然のことながら装備、将兵共に最有力のものはバイカル湖畔の最前線に展開していた。


 しかも、事前の交渉決裂を受けての開戦であったから奇襲は到底成り立たなかった。規模は大きいものの質に劣る部隊が、フィンランド軍が陣地を構築して待ち構えていた中に突入していったのだから大損害は必至だった筈だった。



 もっとも報道は殆どされていなかったもののソ連軍の立ち直りは決して遅くはなかった。損害を受けた部隊を再編成すると共に、苦戦する戦域には抽出した精鋭部隊や試作のトーチカ駆逐車などを惜しみなく投入していた。

 特にトーチカ駆逐車は現在もドイツ軍に対して大きな威力を発揮している重装甲の自走砲に直結する新兵器だった。

 多くのトーチカが備える小口径砲や機関銃程度では全く効果が得られないほどの前面装甲を備えるそのような車輌は、従来の概念である大口径砲を車輌に載せただけで軽易な装甲しかもたない自走砲とは全く性格が異なるものだった。


 そのような新兵器が投入されたことからすると、あるいはソ連側からすればソフィン戦争は自軍の装備や兵員がどこまで有効なのか実証する為のものでもあったのかも知れない。



 このソフィン戦争に対して米国内の世論は曖昧な態度に終止していた。先のポーランド侵攻に比べれば、強硬な左派以外は静観と言って良い状態だった。

 米国にしてもパナマ運河の安全を確保する為に、コロンビアに介入してパナマ共和国を独立させたことがあったからだ。

 しかも最近になって運河の支配権を米国に握られているパナマ共和国内の民族主義者などの行動が盛んになっていたから、下手にソフィン戦争に口を挟むのはパナマ人によるナショナリズムを刺激する恐れもあったのだ。


 ドイツ軍によるソ連への侵攻は、米国にとってある意味では幸いなことだった。すべての矛盾は曖昧さを残したままで吹き飛び、ソ連への輸出量は増大していったからだ。

 その支払いの多くは米国政府による援助や長期借款によるものだったが、大きな問題ではなかった。米国産業界にしてみれば、国内への公共投資策以外の久々の大きな受注であったからだ。



 バーク中佐は、自分達軍事顧問団をここまで派遣した米国の事情を振り返っていた。その発端がこの運河にあるような気がしていたからだ。運河の建設は開戦前から国内の開発が一段落した米国内の建設業界が飛びついた案件だった。

 米国資本が投入されたこの運河の実績があったからこそ、米国政府は投資が回収される前にソ連が崩壊するのを恐れて、本格的な支援を行うようになったのではないか、そう考えていたのだ。

 しかし、バーク中佐がそのような思いにふけっていられたのは然程長くは無かった。背後から冷ややかな声がかけられていたからだ。


 大声では無かったが、その声は鋭かった。声を聞くもの全員の背筋を凍らせることが出来そうな程だった。

 バーク中佐の感想は決して誇張ではなかった。それまでどことなく弛緩していたようなオグネヴォイの艦橋に一瞬で張り詰めた緊迫感が走っていたからだ。

 振り返って確認するまでも無かった。艦橋に入ってきたのは駆逐隊司令のサナエフ大佐だった。


 表情をかたくしたバーク中佐が意を決して振り返ると、やはり厳つい顔立ちに冷たい目をさせたサナエフ大佐が真っ直ぐに中佐を見つめていた。

「顧問団長が何故艦橋にいるのか。要請がない限り貴官ら顧問団は士官室で待機のはずだが」

 バーク中佐は、杓子定規なサナエフ大佐の態度に辟易しながら言葉を返そうとしたが、それよりも早くシルショフ少佐が口を挟んでいた。

「私が顧問殿をお誘いしたのです。是非とも我がソ連と米国との友情と信頼の証であるこの運河の素晴らしさを体感いただきたいと思いまして……」


 バーク中佐は一瞬眉をしかめたが、結局は無言かつ無表情な顔で通していた。実際には、しばらく作業がなく手持ち無沙汰だったであった中佐が、士官室を抜け出して艦橋に勝手に入り込んだだけだった。

 勿論、艦橋に詰めていた当直士官には入室前に声をかけていたが、それをサナエフ大佐には言えなかった。今度は大佐の矛先があっさりとバーク中佐を艦橋に入れた当直士官に向かってしまうのが予想できたからだ。



 駆逐隊司令であるサナエフ大佐は、厳格な指揮官だった。規律や命令を守れない将兵には些細なことでも叱責を欠かさなかった。

 そのようなサナエフ大佐に、部隊の士官たちが恐れながらも表立って反発する意思を見せなかったのは、これまでの実戦を想定した訓練などにおいて際立った指揮を大佐が見せていたからだ。

 それに些細な失敗も見逃さない代わりに、どこから見つけてくるのか下級兵の功績まで分け隔てなく察知していた。


 常に緊張を強いられるのはバーク中佐の流儀とは相反するものを感じないでもなかったが、温和な政治将校と厳格な指揮官という組み合わせは、急揃えの駆逐隊の人事としてはこれ以上望むべくもないのかもしれない。

 今度はシルショフ少佐を叱責するサナエフ大佐の声を聞きながらバーク中佐はそう考えていた。

「政治将校の任務は隊内の規律を守らせることにある。顧問団の応対よりも本来の任にあたるべきではないか」


 ―――これではどちらが政治将校か分からんな……

 サナエフ大佐の矛先が自分に向かう前に、そっと艦橋から退出しながらバーク中佐はそう考えていた。

クロンシュタット級重巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cakronstadt.html

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