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1944バルト海海戦13

 駆逐艦オグネヴォイの艦橋から周囲を眺めていたバーク中佐の背に声がかけられていた。

「この白海・バルト海運河は大したものでしょう、顧問殿」

 すでに聞き慣れた声だった。振り返ったバーク中佐の目には、予想通りに笑みを浮かべた駆逐隊司令部付政治将校のシルショフ少佐が映っていた。



 バーク中佐は、ソ連駐留経験を持つ同僚などから他国軍には存在しない制度である政治将校、政治委員制度についてのおどろおどろしい説明を赴任前に聞かされていた。

 ソ連では、軍の正規の指揮系統に並列して、共産党の意思を徹底させる為に部隊指揮官の権限に準ずる政治将校を配属させていた。彼らの任務は指揮官に対して政治的な補佐を行う事にあったが、その権限は強く隊内の監視も行っているらしいと聞いていたのだ。


 だが、実際にバーク中佐の前に現れた駆逐隊付政治将校のシルショフ少佐は、事前に政治将校のイメージとして抱いていた陰湿さや驕慢な所は全く感じられなかった。

 それに渡米経験があるらしく他の乗員とは違って英語も流暢に話せていた。それで駆逐隊に顧問として派遣されたバーク中佐の面倒を見ることになったようだ。


 シルショフ少佐は穏やかな性格をしており、バーク中佐はこれまで少佐が声を荒げた所は一度も見ていなかった。それに兵達とも分け隔てなく接しているものだから、隊内の将兵との関係も良好だった。

 駆逐隊は、配備されたオグネヴォイ級が新鋭といえば聞こえはいいが米国から回航されてまだ日も経っておらず、本来であれば現在も訓練期間として取られていたはずだった。

 フレッチャー級を原型とするオグネヴォイ級は米国海軍でも運用が開始されたばかりで、満足な状態になるまで改正されたマニュアルも存在していない最新の電子装備などが満載されていたし、それ以前に徴兵されたばかりで外洋を航行する艦艇に乗ったこともない新兵も少なくなかった。

 米本土でそれらの新鋭機材の教育を受けたバーク中佐達顧問団だけでは無く、温厚な性格で徴兵された兵達に接するシルショフ少佐が両者の間でうまく調整を取らなければ駆逐隊はここまで機能していなかったはずだ。



 オグネヴォイ級駆逐隊に搭載された機材は、米国製の最新型ばかりだった。輸出仕様とは言っても、ほぼフレッチャー級そのままの仕様のはずだった。

 正直なところを言えば、バーク中佐は本国の米海軍でもほとんど配属されていない最新鋭艦の輸出に面白く無いものを感じていた。

 単にフレッチャー級の輸出だけを見ていただけではなかった。現在の米海軍は、英日などの主要参戦国と比べるといびつな艦隊構成となってしまっていたのだ。


 今次大戦及び先の欧州大戦においてドイツ海軍の有力な潜水艦隊によって行われる通商破壊戦に対抗するために、英日などは輸送船の増強と並行して輸送船団の護衛を行う軽快艦艇の大量建造を行っていた。

 だが、米国は国内では参戦派の勢力が大きくなっていたときもあったが、最終的には先の大戦では最後まで中立を保っていた。今次大戦においてもソ連寄りではあったものの、英日などへの反感から対独参戦は拒んでいた。

 むしろソ連とドイツが蜜月関係にあった頃には、両国と共に英国に宣戦布告すべきという国内の親独派ファシスト党などの意見すら公の場で主張されていたほどだった。


 この中立政策は、米国の軍備体系にも大きな影響を及ぼしていた。最新の戦訓を得られない陸軍や航空隊は、列強諸国に比べて装備更新が遅れていたし、海軍艦艇もその傾向は変わらなかった。

 しかし、海軍の場合は装備の質の点よりも顕著な違いがあった。増強される一方の交戦国の軍備に対して備えるように、米海軍でも戦艦や巡洋艦といった大型艦の整備は優先的に行われていたものの、駆逐艦のような小艦艇や工作艦など支援艦艇の建造数は極少ないものだった。


 その理由は簡単なものだった。中立を保っていた米国では、船団構築までの待ち時間や集団航行の難しさなどからなる輸送効率の低下が発生する大規模な船団を構築する必要は無かった。

 それに米国の海外輸出は大戦後不調が続いていたから、海外航路の自体が貧弱なものでしか無かった。つまり船団の構成が不要ということは、当然の事ながら駆逐艦を主力とした船団護衛部隊も不要ということになる。

 勿論だが、本格的な戦闘を前提としないのであれば、外征に必要な支援艦艇も最小限の取得で済ませられるはずだった。


 それ以前に他国海軍に対抗するための戦艦はともかく、重点的に整備されている巡洋艦群に関しては実戦力と言うよりも不況に陥った造船業界を救援する為の雇用対策という側面も無視できないらしい。

 先の大戦以後増大する一方だった海運業界は、英日がその中枢を握っていたためにその両国と緊張関係にある米国は実質的に海外貿易の分野から締め出されていたと言っても過言ではなかった。


 そのような状況であったために民間商船の国内造船業者への発注も伸び悩んでいたのだ。パナマ運河を利用した北米大陸東西岸間の国内船運はあったものの、それだけの需要では国内造船業者が続々と倒産するのもそう遠くない未来の話になってしまうはずだった。

 軍艦の発注は、商船の建造の代替となるものとも考えられていたのだ。基準排水量で一万トン程度の巡洋艦であれば民間でも大手の造船所であれば建造は難しく無かった。

 それに他艦種と比べると船穀関係の工事量が多いから、建造費全体に対する官給品の比率が低く、その分公共投資としての効率はいいらしいとも聞いていた。



 この傾向は現在も続いていた。米海軍に必要なのは戦時体制にある実働部隊ではなく、抑止力としての見栄えの良い大型艦だったからだ。そして未だに支援部隊と共に割を食っているのは駆逐艦部隊だった。


 高性能かつ軽量を求められる機関部や高価な兵装を山積みした駆逐艦は価格の高い艦艇だった。勿論一隻あたりの取得価格は戦艦や巡洋艦よりもずっと低いのだが、これが排水量当たりの単価となると特殊な部品が多いために急増してしまうのだ。

 しかも駆逐艦は排水量が抑えられているから航続距離や耐候性、居住性に関する制限が大きく、根拠地を離れて大規模かつ長期間の活動を行うには専用の駆逐艦母艦の存在が必要不可欠だった。


 それに対してより大型の巡洋艦は1隻あたりの取得価格や建造期間では不利だったものの、平時における使い勝手は良かった。大型艦だから多少の天候悪化でも航行に支障はないし、航続距離も駆逐艦を凌駕していたのだ。

 それに条約が破棄された後に建造されている一万トン越えのクリーブランド級軽巡洋艦やボルチモア級重巡洋艦は、優美ながら戦艦にも匹敵する威容を誇っていたから、平時における長距離哨戒任務や砲艦外交にも十分に活用されていた。



 もっとも、米海軍において駆逐艦の整備が後回しにされていたのは別の理由もあるはずだった。米国はここ半世紀程は自ら大規模な戦争に参戦することはなかったが、諸外国の戦訓を反映した戦備や軍事技術の情報収集は怠りなく行われていた。

 先の欧州大戦や今次大戦におけるそれらの分析から、駆逐艦程度の小艦艇であれば戦時における急速造艦でも、予想される決戦までに艦隊が要求する十分な数を確保できるのではないかと言う意見が出ていたのだ。


 英日などの主要参戦国では、今次大戦においても戦時中に建造されている簡易な駆逐艦が船団護衛などに投入されていた。

 船団の航行距離などによっては、コルベットやフリゲートという帆船時代の等級名がつけられた駆逐艦以下の護衛艦艇が投入されることもあるようだが、そのような艦艇であれば建造期間は駆逐艦よりも短いのではないか。

 米海軍も急速造艦に関しては実績が無いわけではなかった。先の大戦時の事だが、最終的には参戦しなかったものの、米海軍もその時期は装備の充実を図っていた時期だった。

 そのために100隻近くもウィックス級駆逐艦が短期間の内に建造されていたのだ。


 ただし、ウィックス級の大量建造は米国産業界の高い能力を国内外に示したものの、バーク中佐などはその後の駆逐艦整備には悪影響を及ぼしているのではないかとも考えていた。

 平時の米海軍が保有する艦隊規模に対して、駆逐艦の保有数は過剰な程だった。その為に装備の更新は進まなかったから、未だにウィックス級は米海軍駆逐艦の主力だったのだ。

 英日などでも同時期に建造された駆逐艦が現役艦艇に残っている例は少なくない筈だが、それでも最新鋭戦艦などを揃えた主力艦隊に随伴する一線級の駆逐隊にまで配属はさせていない筈だった。

 米海軍でもファラガット級など新鋭駆逐艦を建造していないわけではないのだが、その数は少なく海軍省などの上層部は実質的には戦時急速造艦されるものの原型艦として考えられているようだった。



 ソ連海軍への駆逐艦輸出は、このように制限された米海軍にとっても利点があると考えられていた。大量のウィックス級を抱えた米海軍は、近代的な駆逐艦大量建造だけでは無く、戦時中における運用の実績にも乏しかった。

 つまり量産原型艦となる艦艇は少数ながら建造できたものの、それが実戦で通用するのかどうか、米海軍軍人の誰も分からなかったのだ。

 軍事顧問という扱いのバーク中佐がソ連に派遣されただけではなく、密かに実戦にも同行することを命じられた理由はそこにあった。

 バーク中佐達軍事顧問団は米国の優れた各種装備品の取扱をソ連軍に指導すると共に、最新の戦訓を持ち帰ることも期待されていたのだ。


 ただし、米海軍内部において現状の軍備に切実な危機感を抱いているものは少なかった。英海軍はともかく、有色人種である日本海軍に出来たことが米海軍に不可能なはずはない、そのような根拠の無い楽観論が大勢を占めていたのだ。

 しかも米海軍において、他国海軍に比して保有数やその質に劣る艦種は、駆逐艦だけではなかった。英日海軍では開戦以後に急速に航空母艦の増強が図られていた。

 従来の戦艦や重巡洋艦に匹敵する寸法の正規空母だけでは無く、船団護衛に使用される護衛空母とでも言うべき簡易な一万トン級の空母も次々と就役していた。


 同型の艦艇をソ連軍でも運用されている駆逐艦とは異なり、空母の実運用ノウハウを手に入れる手段は米海軍には無かった。ソ連海軍には本格的な洋上航空部隊は存在していないからだ。

 今回のソ連軍への軍事顧問団派遣でどのような戦訓が得られるかはまだ誰にも分からなかった。



 バーク中佐は、運河を四苦八苦しながら通過する艦隊を眺めながらそのような事情をつらつらと考え込んでいたのだが、シルショフ少佐は中佐の思案顔に気がついた様子もなく笑みを浮かべながら言っていた。

「この白海・バルト海運河建設には、資金だけではなく貴国からの技術的な支援も欠かせないものであったと聞いております。何と言っても貴国にはあの偉大なパナマ運河を実現化させたと言う揺るぎない実績がありますからね。

 同志スターリンも貴国からの援助に絶大な感謝の言葉を述べております。この運河は単に白海とバルト海を繋ぐだけでは無い。悪辣な帝国主義国家に対抗するソ米連合の永遠の友情と信頼を結びつけるものであると」


 満足そうな顔でシルショフ少佐は言っていた。バーク中佐も同志云々という言葉はともかく、この運河の能力には関心があった。クロンシュタット級重巡洋艦が航行可能という事は、大型の新鋭戦艦を除く世界の大半の艦船が通過可能と言う事だからだ。


 ただし、本来はここまで巨大な運河となる計画ではなかったらしい。それが建設計画と同時期に米国との関係改善が急速に進んだためか、米国資本と技術が導入されて運河の大型化が進められていたのだ。

 バーク中佐は屈折点を越えて増速を始めたクロンシュタット級重巡洋艦の後ろ姿を見ながら、この運河の防衛の為ならば戦争を吹っかけるのも無理はないかと考えていた。

クロンシュタット級重巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cakronstadt.html

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