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1944バルト海海戦12

 屈曲する水路を、戦艦とも見間違えるような大型の艦体をもつクロンシュタット級重巡洋艦が、舷側に迫る周囲の岩肌を避けながらその巨体を持て余しているかのように窮屈そうにゆっくりと回頭していた。

 その様子を後続する駆逐艦オグネヴォイの艦橋から見つめながらアーレイ・バーク中佐は驚けばいいのか、呆れればいいのか、それが分からずに周囲の様子を眺めていた。


 米海軍からソ連海軍に軍事顧問として派遣されているバーク中佐が乗り込んでいる駆逐艦オグネヴォイは、同型艦であるオグネヴォイ、オトヴェルズヘドヨニィ、オスモトリテルニィ、オティチニィの4隻で編成された第23駆逐隊の旗艦だった。

 これまで米国を出たことのないバーク中佐からすると、ロシア語の発音では舌を噛みそうな艦名ばかりだが、ソ連海軍でも最新鋭の駆逐艦であるオグネヴォイ級は、実際には中佐の母国である米国本土で建造されたものだった。

 米海軍でも配備が進んでいないフレッチャー級駆逐艦の輸出型がオグネヴォイ級駆逐艦だったのだ。



 ソ連海軍が近代化を開始した1930年代初頭、最初に手を付けられたのは駆逐艦の更新だった。細々としたものながら近代化改装や修理工事などが行われていた大型艦よりも、駆逐艦のような軽快艦艇の方が消耗が激しかったからだろう。


 最初に導入されたのは、イタリアから現物や設計図を購入して建造されたグネフヌイ級駆逐艦だった。同級駆逐艦は、イタリア製軍艦らしい高速性能と必要十分な装備を有しているはずだった。

 ところが、就役したグネフヌイ級駆逐艦の艦隊からの評価はさほど高くは無かった。カタログ上の性能は優れていたものの、凌波性や使い勝手など表に出辛い箇所で問題が生じていたのだ。

 むしろ、穏やかな内海である地中海において、自軍根拠地から近距離に展開するフランス海軍に対抗することを前提に設計されていたイタリア海軍艦艇を原型として、雪氷渦巻く北海やバルト海などで十全に運用する艦艇を建造するという初期の計画に無理があったのではないか。


 結局、ソ連海軍はグネフヌイ級に続いて建造されたストロジェヴォイ級から駆逐艦の建造方針を大きく変更せざるを得なかった。当時既に関係改善が急速に進んでいた米国からの全面的な技術供与を受けていたのだ。

 ストロジェヴォイ級駆逐艦の原型となったのは、当時米海軍向けに建造が進められていたファラガット級だったが、備砲などの艤装品の多くはソ連製のそれに換装されていた。

 もっとも建造や技術提供にあたった造船所からすれば、米海軍向けと比べて大きな変更点は無かったはずだ。元々兵装の多くは民間造船所では製造出来ない為に建造時に造船所に支給される官給品だったからだ。


 この艤装品の変更は、米国製よりもソ連製の方が性能に優れているためといったことや兵員への教育課程の一元化といった理由だけではなかったようだ。

 ストロジェヴォイ級駆逐艦の備砲がソ連製のものに換装されたのは、弾薬の使い回し、というよりも米国製弾薬の体系を新たに導入することを避けた為らしい。



 ソ連軍では陸海空を問わずに弾薬の共通性を傍から見ると病的なまでに重要視していた。敵対するドイツ軍が性能の最適化を重要視したのか弾薬規格を次々と更新しているのとは対象的に、旧ロシア帝国時代から使用され続けている規格もあるらしい。

 特に3から5インチ程度の砲は共通化が強く計られていた。このサイズの砲は用途が多かったからだ。海軍では駆逐艦主砲や高角砲に用いられるし、陸軍では主要火砲である師団砲兵や軍団砲兵の装備がこの範囲に含まれていた。

 高射砲としても三軍で野戦用として使用されていたのはこの程度の火砲だった。それに欧州での戦闘では重量級の戦車が続々と出現していたから3インチ以上の砲を備える戦車も珍しく無くなっていた。


 この中で弾薬の使用量が格段に多いのは陸軍の砲兵隊だった。艦砲や戦車砲の搭載定数は数十発から多くとも二百発程度でしかないが、本格的な火力戦を行う場合は敵陣地への準備砲撃だけで何時間も行うことは珍しくもないからだ。

 艦砲から見た場合、弾薬の共通性を図る利点はここに原因があった。弾薬だけではなく、砲身などを含めた消耗品の補給体制や生産設備が既存のものを使用できるために取得費用の圧縮が可能なのだ。

 あるいは、本格的な火力戦を行うにはそもそもそこまでして効率化を図らなければ消耗に耐えられないと言う事かもしれなかった。



 だが、最近になってソ連軍でも米国製火砲の採用が増えてきていた。やはり単純に米国製火砲が優れていたためというだけではなかった。

 ライセンス生産体制が整ったために弾薬供給に支障がなくなったことと、戦時体制への突入によってソ連製の各艤装品の換装に伴う設計変更や検証を行う余裕を失っていたからかもしれなかった。

 駆逐艦オグネヴォイの前方を行くクロンシュタット級重巡洋艦も、建造はソ連で行われたものの、主砲を含む大物艤装品の少なくない数が米国製のものがそのまま搭載されていた。


 ソ連海軍の艦隊再建案の中でも最大の艦艇として建造されたクロンシュタット級重巡洋艦は、軍縮条約下の米海軍に所属していたバーク中佐には奇妙に思える艦だった。

 12インチという大口径砲を基準排水量で三万トンを優に越える巨体に9門も備えたクロンシュタット級は、軍縮条約の規程に照らし合わせれば明らかに戦艦に類別されるものだった。

 米海軍でもクロンシュタット級重巡洋艦の元設計から設計されたアラスカ級が就役していたが、従来の重巡洋艦とは区別して新たに大型巡洋艦という艦種を設けていた。

 あらゆる軍縮条約に批准していない為にソ連海軍はクロンシュタット級を重巡洋艦に自由に類別できていたのだ。


 本来は開戦前に起工されていたクロンシュタット級重巡洋艦は、アラスカ級大型巡洋艦よりもずっと早い時期に就役して然るべき艦だったが、開戦以後の工事中断などを受けて実際にはアラスカ級よりも後から就役していた。

 オグネヴォイの前を行く2番艦セヴァストーポリも、就役の遅れを反映して現在も慣熟訓練を行っていたはずだった。



 ただし、クロンシュタット級重巡洋艦の戦力価値はすでに証明されていた。先日ポーランド沖で発生した戦闘において、ガングート級戦艦と共に出撃したクロンシュタットは、ドイツ海軍のドイッチュラント級装甲艦を砲撃戦で撃沈していたのだ。

 ドイッチュラント級装甲艦は、重巡洋艦程度の艦体ながらアラスカ級やクロンシュタット級の12インチ砲にも匹敵する28センチ砲6門を備える有力な艦艇だと考えられていた。

 クロンシュタット級重巡洋艦は、そのような有力な艦艇を容易に撃破できる戦力なのだとソ連海軍は内外に喧伝していたのだ。


 もっともバーク中佐は大勝利を伝えるソ連海軍の宣伝を冷ややかな目で見つめていた。報道だけではなく中佐が自分の目で見たソ連海軍の様子からすると、実際には辛勝だったのではないか、そう考えていたからだ。


 ガングート級戦艦とクロンシュタットを主力とする本隊の前に現れたのは、シャルンホルスト級戦艦と2隻のドイッチュラント級装甲艦だった。数の上では互角である上に、主砲口径は敵味方共にほぼ同等であった。

 ソ連海軍が勝利をおさめたのは、米国製の優れたレーダーで霧の深い海域でも昼間のように見渡せたことと、巡洋艦以下の軽快艦艇が優越していたためと思われた。


 それに辛勝となったのは主隊だけではなかった。出撃したソ連艦隊には、米海軍のアーカム級を原型とした航空巡洋艦2隻を基幹とする航空戦隊が随伴していたが、濃霧の中で航空機運用が不可能となった航空巡洋艦は、水上戦闘に巻き込まれないように主隊から離れていたらしい。

 ところが、ドイツ海軍はその航空戦隊を狙い撃ちするかのように襲撃していた。

 護衛の駆逐艦と航空巡洋艦自身の火力で巡洋艦2隻からなるドイツ海軍の別働隊を撃退できたことをもって航空巡洋艦の真価が発揮されたというが、広域索敵を目的としたアーカム級とは異なり、ソ連艦隊は航空巡洋艦に対しては空母としての性格をより重要視していたようだ。

 おそらく正規の空母を持たない為なのだろうが、そうなると先の戦闘は不用意に航空部隊を危機に晒したと言うことになるのではないか。

 実際に2隻の航空巡洋艦は飛行甲板や搭載機が損傷してレニングラードで修理と補充を受けているとも聞いていた。



 そのような状態のソ連海軍にとって気になる情報が入っていた。キール軍港にドイツ海軍が戦力を集中させているというのだ。

 当初は、その戦力はバルト海に展開しながらも先の海戦に間に合わなかった艦艇や戦闘後に脱出した損傷艦を集成したものだと考えられていた。


 そのような艦隊は本来は大した脅威とはならない筈だった。応急修理を行っているのであろう損傷艦はどれだけ再戦力化できるかわからないし、バルト海で確認されていた残りの大型艦はシャルンホルスト級1隻だけの筈だった。

 これに対するソ連海軍も損傷艦は多かったが、致命的な損害を被った艦艇は少なかった。レニングラードで修理を終えた艦艇が間に合えば先の戦闘よりも優位に残存ドイツ海軍を迎撃できるのではないか、そのような楽観論がソ連軍内に広がっていた。


 そのような甘い見通しが覆ったのはつい最近の事だった。スカゲラック海峡を越えてバルト海に戦力が投入された形跡があったのだ。きっかけとなったのは曖昧な目撃証言だった。

 その地域の住民が、南下する島のように巨大な艦影を夜中に見たというのだ。まるで怪談か何かの様にとらえどころの無い話だったが、通信傍受の結果からもキール周辺に艦隊規模の電波源が出現したのは事実であるらしい。



 だが、想定以上の戦力が集中している可能性を示唆する情報にも関わらず、ソ連軍に悲壮感は無かった。諜報や報道を分析したところでは、ドイツ海軍がバルト海に戦力を投入出来たとしても、残る大型艦はビスマルク1隻程度の筈だったからだ。

 むしろ、残存ドイツ海軍を一掃してバルト海の制海権を確保する機会なのではないか。こちらも戦力を集結させれば、ドイツ海軍最後の艦隊を撃破するのは不可能ではないはずだ。


 それ以上に、軍種としては独立したとはいえソ連軍内においては海軍は陸軍よりも地位は低かった。

 ソ連にとって最大の仮想敵はシベリア地方に逃れた旧ロシア帝国勢力ということになるが、彼らとの「国境線」は内陸深くのバイカル湖畔にあったから、分厚い氷で覆われた北極洋に進出しない限り海軍に出番はなかった。

 ソ連が海軍整備に力を入れ始めたのは、バイカル湖畔が両勢力があまりに防備を固めてしまった結果、手詰まりとなったソ連が別方向に進出を始めたためかもしれなかった。


 いずれにせよ、ソ連海軍としてはポーランド中央平原からバルト海に至る巨大な包囲網を構築した陸軍を見捨てるわけにはいかなかった。包囲網を形成する野戦軍があまりに強大であるために、バルト海方向からの補給や支援が欠かせなかったからだ。

 結局は、ソ連海軍もドイツ海軍同様になりふり構わぬ戦力の増強を行うしかなかった。ドイツ海軍の狙いも分かっていた。ポーランド北部の巨大な橋頭堡の救出以外はあり得なかった。

 最終的な目標は明らかだったし、それに必要な手段も明瞭だった。制海権さえ確保できれば、大規模な輸送船団を構築して包囲網からの脱出なり陸軍部隊の補給なりを行えるからだ。

 つまりソ連海軍もドイツ海軍もお互いの戦力の殲滅を狙っているのだった。


 ―――そうなるとこの運河を利用できるソ連の方が有利、ということになるのかな……

 戦艦級の艦体を窮屈そうに通すセヴァストーポリの艦尾を見つめながらバーク中佐はそう考えていた。

クロンシュタット級重巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cakronstadt.html

アーカム級航空巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cfarkham.html

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