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1944バルト海海戦9

 重巡洋艦プリンツオイゲンの航海長であるクリューガー少佐が大きな衝撃を受けたのは、ソ連艦隊出現の急報を受けてプリンツオイゲンを含む艦隊がゴーテンハーフェンから出港して間もない頃だった。



 慌ただしい出撃だった。空軍の偵察機が発見したソ連艦隊が意外なほど大戦力であるという結果を受けて急遽稼働の全艦に出撃命令が下されていたからだ。

 命令を下した大本は東プロイセンに展開する総統大本営、すなわちヒトラー総統本人であるらしい。それにも関わらず、艦隊上層部には危機感が欠けているような気がしていた。


 空軍機は、本来は付近に展開しているソ連軍地上部隊の偵察に出ていたらしい。詳しくはクリューガー少佐も知らないが、ソ連軍がバルト海沿いに大攻勢に出る予兆があるというのだ。

 そのせいというわけでもないのだろうが、空軍からの報告ではソ連艦隊の構成などに不明な点が多かった。もっとも、少なくとも駆逐艦群を随伴した複数の大型艦が含まれていたのは確からしい。


 空軍の偵察飛行隊から複雑な指揮系統を辿ってソ連艦隊出現の報告を受け取ったバルト海艦隊は、ゴーテンハーフェンに停泊中の戦闘艦全ての出撃を決心していた。

 ソ連海軍の根拠地が置かれていたレニングラードは、ソ連進攻を開始した当初からドイツ軍の主要目標の一つにされていたが、ソ連軍の粘り強い反攻によって陸軍は同市を遠望できる距離に進出するのが精一杯だった。

 そのせいで不明な点も少なくなかったのだが、レニングラードを母港とする艦隊は旧式戦艦1隻を中核に巡洋艦、駆逐隊が1隊程度であると考えられていた。

 しかも、このうちの何隻かはすでにドイツ軍によって無力化されているはずだった。有名な急降下爆撃機乗りがガングート級戦艦を撃沈したという話が大々的に宣伝されていたのをクリューガー少佐もまだ覚えていた。

 これらの情報を考慮すれば、空軍偵察機が目撃した敵艦隊はソ連海軍の全力出撃と考えて良いのではないか。このソ連艦隊を撃破できれば、バルト海の制海権は盤石のものとなるはずだった。



 このとき、ゴーテンハーフェンには有力なドイツ海軍艦艇が集結していた。苦戦の続く東部戦線を艦砲射撃で支援する為でもあったが、単に有力な国際連盟軍から逃れる為に外洋から移された艦も少なくなかった。

 これらの艦艇を集結させれば、想定されていたソ連海軍バルト海艦隊を殲滅させることも出来るのではないか。


 だが、出撃した艦隊の戦力は大きかったものの、寄せ集めという印象は拭い去ることが出来なかった。各艦の状況が大きく異なる上にそれぞれの艦艇を束ねる上級司令部が存在していなかったからだ。

 短期間の艦砲射撃任務を終えたばかりのプリンツオイゲンは、射耗した主砲弾や燃料といった消耗品を補充する程度で出撃が可能だったが、中には長期間の作戦行動によって修理作業が必要であると判断された艦もあった。

 出撃艦の中で最大の艦艇であるシャルンホルスト級戦艦グナイゼナウも改装工事の途上で工期を切り上げて艦隊に参加していた。


 出撃した艦隊は、戦艦グナイゼナウを始めとして、装甲艦から重巡洋艦に艦種を変更したリュッツォウ、アドミラル・シェーアの2隻、アドミラルヒッパー級のプリンツオイゲン、更に軽巡洋艦2隻、駆逐艦3隻という大戦力だった。


 しかし、これらは統一指揮する艦隊司令部の陣容は貧弱なものだった。

 プリンツオイゲンのように艦砲射撃に当たる部隊では、固有の艦隊配置から解かれて、随時編成される任務部隊を構成していた。任務部隊といっても、上陸作戦のために集中した射撃を行う訳ではないのだから2,3隻程度の少部隊に過ぎなかった。

 極端なことを言えば、今回の艦隊は出撃箇所が同じ艦艇をかき集めただけだったのだ。



 艦砲射撃の為に編成されていた任務部隊を元にした臨時編成の艦隊司令部は、寄り合い所帯であるが故に簡単な陣形や戦術を選択せざるを得なかった。

 戦艦1隻、元装甲艦2隻、重巡洋艦1隻の計4隻からなる単縦陣を主力の射撃隊とすると共に、残りの駆逐艦3隻、軽巡洋艦2隻をそれぞれ警戒隊として主隊前方に配置していたのだ。

 艦隊全体では三本の単縦陣を構成する形だったが、その間隔はまばらだった。出撃命令が慌ただしいものだったから、事前に十分な打ち合わせが出来なかったのだ。


 本来は、警戒隊は脆弱な駆逐艦を援護するために、軽巡洋艦1隻を旗艦として駆逐艦1、2隻を2郡に分けて編成したかったようだが、実際には所属の違いや艦長の席次などから出来なかったようだ。

 主隊にしても問題はあった。2隻のドイッチュラント級は、重巡洋艦に識別されているとはいえその主砲はシャルンホルスト級に準ずる28センチ砲だった。

 列強各国の戦艦主砲と比べると非力なのは否めないが、相手が旧式戦艦や重巡洋艦以下の艦艇ならば圧倒出来るのではないか。


 だが、これに続くプリンツオイゲンは、20.3センチ、8インチ砲を搭載した正真正銘の重巡洋艦だった。

 航海長のクリューガー少佐は、8インチ砲艦としてはプリンツオイゲンは世界有数の戦闘艦と考えていたが、より長射程、大威力の28センチ砲艦に続航する形では、その真価を発揮できるかどうかは分からなかった。

 戦艦主砲と言っても良い28センチ砲と8インチ砲では適正な射距離が異なって来るからだ。


 2隻の装甲艦には射撃管制の問題もあった。艦隊司令官は、主隊の射撃目標を予め定めていた。グナイゼナウは敵1番艦を狙うが、装甲艦は2隻で敵2番艦を集中射撃するというのだ。

 この2隻は同一仕様の主砲を搭載していたから、そのような射撃も可能だというのだ。

 しかし、最近ではドイツ海軍の大型艦はバルト海に逼塞して対地攻撃ばかりを行っていた。そのような状態で着弾観測の難しくなる集中射撃を行うことなど出来るのだろうか。



 だが、艦隊司令部は楽観的に構えているようだった。戦力ではこちらが上回っているし、練度も同様だというのだ。

 出港前に士官室で行われたブリーフィングでは、艦隊司令部で打ち合わせを行ってきた艦長があっけらかんとした様子で言った。

「ソ連艦隊は恐れるに足りない存在だと言える。戦力も我が有力であるが、練度はそれ以上に圧倒しているであろう。いいかね、我が方はここ最近の集中した艦砲射撃によって砲術科の経験は十分に蓄積されている。

 それに対して、我が陸軍が辿り着けなかったとはいえ実質的に包囲体制にあったレニングラードのソ連艦隊は外洋で満足な訓練を行なうことすら出来なかったはずだ」

 自信満々といった艦長の言葉に多くの士官も肯いていたが、その様子にクリューガー少佐は言いもしれぬ不安を感じていた。



 すでに出港に伴う総員直体制は解除されていた。艦橋は当直士官がついていたし、配置を離れて移動する水兵達の姿も目立っていた。

 クリューガー少佐は、直には入っていなかったから、自室で休んでいても構わないはずだったが、その気にはなれなかった。状態からして何時戦闘配置がかけられるか分からなかったからだ。

 クリューガー少佐は中途半端な気持ちで艦橋を降りたが、行くあては無かった。とりあえず士官室に行こう。そう思って一歩踏み出そうとしていた。


 だが、次の瞬間にクリューガー少佐は大きく揺さぶられると、足元が消え去っていた。唖然とする間もなく少佐はラッタルから転がり落ちていた。

 どこかを打ったのか、ラッタルの下に転げ落ちた全身がひどく傷んだが、大きな怪我をおった訳ではなさそうだった。クリューガー少佐はふと妙なことに気がついていた。足元からは主機関の脈動が伝わってくるのに行き足が止まっているようなのだ。

 嫌な予感がしてクリューガー少佐は近くの扉を開けて外に出ていた。



 最初に目に入ったのはあり得ない光景だった。クリューガー少佐は唖然として艦首を見つめていた。

 プリンツオイゲンの艦首は他艦にめり込んでいた。相手のほうが艦形が小さい為に、半ば乗り上げる形になっていたが、どちらも構造的には破断するほどではないようだった。

 バルト海につきものの濃霧にでも惑わされたのか、軽巡洋艦にプリンツオイゲンが衝突してしまったようだった


 ―――相手はケーニヒスベルク級……ライプツィヒ、か……

 艦隊を構成する各艦と艦形をすばやく思い出してクリューガー少佐はそう考えていた。


 ライプツィヒは、戦間期に建造された軽巡洋艦だった。些か旧式化してはいるが、基準排水量6000トンの優美な艦形を持っていた。

 しかし、その電気溶接を多用したなめらかな艦首は、ずっと排水量の大きいプリンツオイゲンの艦首が突き刺さって脱落しようとしているかのように思えた。


 呆然としていたクリューガー少佐の耳に異音が入っていた。最初に聞こえてきたのは甲高い金属音だった。少佐は目を見開いていた。緩慢な動きながら衝突したプリンツオイゲンとライプツィヒが離れようとしていたのだ。

 軋むような金属音に思わず耳を塞ぎそうになっていたが、それよりも早くクリューガー少佐の耳に舷側から声が聞こえていた。

 慌ててクリューガー少佐が視線を向けると、近くの海面に浮き沈みする顔が見えていた。どうやら先程の少佐をラッタルから突き落とした衝撃で落水した兵がいたらしい。



 苦虫を噛み潰したような顔でクリューガー少佐は艦橋に振り返っていた。今の当直はまだ若い砲術士だった。経験が少ないものだから、唐突な衝突に対応出来ずに混乱しているのだろう。

 今は安直なその場しのぎの復旧よりも被害状況や負傷者の確認を行うべきなのだ。


 とりあえず手近な所にいた乗組員に溺者救助の用意を命じると、クリューガー少佐は状況報告に艦橋に上がろうとしていた。このような事態であれば、艦長も艦橋に上がっているのではないか、そう考えていたからだ。

 妙なことに気がついたのはその時だった。ライプツィヒの左舷からプリンツオイゲンの艦首が突入する形で2隻は衝突していたのだが、そのさらに左舷側に急減速していたのか、頼りなく流されるようにライプツィヒの僚艦であるエムデンが航行していたのだ。


 プリンツオイゲン周囲の状況を読み取りながら、クリューガー少佐は推論していた。

 衝突の原因は2隻の軽巡洋艦群が主隊の単縦陣に割り込もうとした事のようだった。理由はわからない。敵艦隊を求めてバルト海を北東に向かう艦隊主隊の外洋側を警戒しようとしていたのか、それとも単なる航法の誤りであったのかも知れない。


 ―――経験が浅いのは本艦乗員だけではなかったか。

 クリューガー少佐はため息を付きながらそう考えていた。



 それからしばらく慌ただしい時間が過ぎていた。当直の手で強引に後進がかけられたプリンツオイゲンは、ライプツィヒに残した傷跡を拡大しながらも何とか離脱していた。

 出港時に操艦していた艦長が艦橋に入ったのはその直後だったようだ。直ちに艦長が操艦することを告げると、当直将校には溺者救助を命じていた。

 艦長の命令はそれだけでは無かった。矢継ぎ早に各部署に損害の報告や応急工作を命じていた。同時にプリンツオイゲンを残置して進んでいる主隊へも連絡を行っていた。


 幸いなことにプリンツオイゲンの損害はさほど大きくはなかった。頑丈な艦首構造物に真っ直ぐに衝撃が伝わった為か、艦内からの応急修理後は若干の速力低下だけで済んだようだ。勿論戦闘能力も低下していなかった。

 乗員の被害もさほど大きくはなかった。溺者救助によって救出された乗員もあったが、点呼の結果を信じれば欠員は出ていなかった。クリューガー少佐のように衝撃で怪我したものもいたが、重症者はいなかったようだ。



 その一方で艦首の舷側をプリンツオイゲンの艦首に切り裂かれたライプツィヒの方はどうにもならなかった。機関部には損害はないようだが、破損部からの浸水は止まらず、水密扉を閉鎖したものの実質的に艦首部は主砲塔前から放棄せざるを得なかった。更に深刻な人員被害もあるようだが、詳細は不明だった。

 当然だが、まともな航行など不可能だった。艦隊司令官は、ライプツィヒはゴーテンハーフェンに帰還のうえで、戦闘行動可能であればプリンツオイゲンはエムデンを伴って主隊を追尾するようにとだけ命じていた。


 後にして思えば、戦闘前に軽巡洋艦1隻が脱落、重巡洋艦、軽巡洋艦1隻づつが遅参するという事態は、これ以後の暗澹とした状況を象徴するかのようだった。

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